「なあ、聞かんのか」
ざあざあと降り続く雨の中、ぽつりとセイバーは呟いた。随分消えそうな声ではあったが、その赤い瞳はナマエだけを捉えている。
「何を?」
返せば言葉に詰まった様子だったが、少し間を置いて彼は答える。
「…真名」
サーヴァントは小さく言った。繊細な彼は、坂本龍馬の一件以降少しだけアンニュイだ。彼にも彼で、思うところがあるのだろう。
「ああ、そんなこと」
つい口から出てしまった。そんなこと、という言葉に彼は不快になったようだ。
ナマエが慌てて訂正するも、不機嫌さを隠そうともしない。それは好意の裏返しだ。興味の表れだ。無関心の崩壊だ。
サーヴァントはナマエという人間に少なからず思うところがあるからこそ、そんな問いを投げかけたのだ。
随分、絆されていているなと思う。今更そんなことを気にするセイバーも、そんなことだと思ってしまうナマエ自身も。
ナマエのサーヴァントが、真名は愚か、クラスさえも告げる気は無いことを知っている。それは構わなかった。彼の頭が切れるのは充分に理解している。
存外教養のある人物であると、ナマエは判断している。
考え無しに黙っているわけでないと知っているのだから、何を問う必要があるのか。
真名を知らずとも、彼は彼、ナマエはナマエだ。そこに何の違いが生じるのだというのか。
「貴方を信じてる。それ以上、何も要らないの」
そう告げれば、驚いたような顔のサーヴァントが帽子を目深に被り直す。怒らせてしまったかと思えば「…随分、わしのことを買っとるんじゃな」と小さく呟いた。
それが何処か萎らしくて、それなのに照れているようにも見えて、ナマエは少し可笑しく思う。可愛いとも思ってしまった。しかし正直に告げれば怒られてしまうだろう。含み笑いを押し込められないまま、芝居かかったような声で返す。
「私の呼び掛けに応えてくれたサーヴァントですからね。そりゃ、買うでしょう。買いまくるでしょう」
「前々から思っとったが、奇特なマスターぜよ」
「そんな変わり者と手を組んだのはセイバーだよ。だって貴方はわたしを殺して、別のマスターを探して良かった。こんな半端者じゃなくって、本当の魔術師と組めばいいだけだった」
「…」
寄り掛かるようにして肩を預けてもセイバーは何も言わない。触れた瞬間に肩が少し跳ね上がったが、それすらも愛おしいから困る。彼は動揺すると帽子のつばに手を掛けるのだ。
短い付き合いではあるが、徐々にセイバーという人物に付いての理解が深まってきている。もっと、知りたいとも思う。
じんわりと暖かさが共有されて、温く溶けていく。心地良い時間だ。いずれ壊れ去る、何よりも得難い時間。
勝っても負けても彼は聖杯に焚べられるのだから、必要以上に関わるなと魔術師としてのナマエがアラートを鳴らす。
だけれど、それはないだろう。ナマエは真理なんかどうでもいいのだ。根源だってどうでもいい。どうせ元から三流だし。最初から欲しかったわけでもないし。数百年に渡るような悲願も無い。聖杯すらも、比較的どうでもいい。いや、やっぱ今の嘘。聖杯は欲しい。欲しいなあ、と口に出せば思ったよりも腑に落ちて、やはり自分は聖杯が欲しいのだと再確認する。
「欲しいよね、聖杯」
「…おまん、欲っちゅうもんが無いのかと思っとった」
「失礼な。あるよ、願い事。いっぱいあるから、聖杯をもらわないとね」
そんな軽口を言っては見たものの、絶対の望みがあるわけじゃない。ぼんやりと決まった願いは聖杯が無くたって叶う。
ナマエは見たいのだ。自分のことよりも、見たいのである。見届けたいのである。
この剣の行く末を、この剣士の高みを────望むことは、それくらいだ。
背を預けたセイバーに視線をやれば、彼は気まずそうに視線を逸らすから、そんなところがかわいくって、いとおしくって、どうしようもない。