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雨は止めども心は晴らさず

しくじった。
 最近少し調子に乗りすぎていた。そもそも聖杯戦争中なのだから、常に周りに気を配るべきだった。
 
そう思った時には遅かった。すれ違い様にナマエの胸に刃物を押し当てたサーヴァント────恐らく、セイバーでは無いと思われるそいつは言った。

 ”令呪でサーヴァントを自害させろ”と。

ナマエのセイバーの目に諦めの色が映る。
 あぁ、そうだ。岡田以蔵。彼の最期は、そうだった。坂本龍馬に裏切られ、恩師にも裏切られ、世界情勢の移り変わりと陰謀に巻き込まれるだけの人生だった。
 彼は悪だ。しかし混沌では無い。彼は中立だ。何故なら人に命じられなければ斬らないからだ。己が意思で人斬りを行っていたのでは無い。誰かの為に、彼は最期まで剣を振るった。例えそれが報われぬ終わりだったとしても。

「…令呪を重ねて命じる」

彼は結局、一度もナマエに武器を向けなかった。あんなに憎まれ口を叩いたのに。
 殺意を向けなかった。ナマエは彼に相応しいマスターではなかったのに。
 献身した。そんな価値など無いのに。裏切らなかった、見捨てるのが上策であるのに。
 
 ────それなら、それならば。マスターであるナマエ自身が裏切ってどうする。

勝利を確信したサーヴァントのマスターが姿を表す。ナマエはこういうところで運が有る。この距離ならば、余裕だ。それならば迷うこともないな、と有りっ丈の魔力と令呪を使って、

「────撃て、アサシン」

銃を使えと命じた。

何故銃か。簡単だ。結局、彼はセイバーではない。呼び出されたクラスは覆らない。最後の最後で、ナマエは彼の剣の道を汚した。
 
知っていた。自分のサーヴァントのことくらい。彼の懐にはリボルバーが入っていることなんて、知っていたのだ。
通常召喚の持参物など知らないが、ナマエが喚んだ岡田以蔵は、それが媒介であった。セイバークラスならば武器としてカウントされなかったことも、アサシンだったからこそ使えた手であったことも、わかってる。
 
 彼との出会いは、偶然の必然だった。
 だって、ナマエの愛銃はルフォショー。魔術師が愛用するのは、魔力の滲みやすい年代物のアーティファクトで、それはたまたま彼と同じものだった。
 つまりだ。勝海舟から贈られたのであろうそれを、岡田以蔵は生涯大切に持っていた。そして彼がそれを使おうとすることは無いことなんて、わかってる。

最期なのだから出し惜しみはするまい。物は使ってこそ、である。
ぱん、と軽い音が数回聞こえて、ナマエを盾にするように立っていた見知らぬマスターが倒れる。それと同時に、ナマエも見知らぬサーヴァントに刺された。恐らく致命傷だろうが、魔術で無理矢理動くように最初から細工してある。

セイバーの顔が青ざめる。それはナマエを案じてか、己のマスターがダメージを負ったことに対してか。
そんなことはどうでもいい。そんなことはどうだっていい。やるべきことは同じだと、己の愛は一方的で良いのだと、ナマエは痛む腹を気にせずに叫ぶ。

「止まるな!敵を見ろセイバー!」

体が動くうちに、残った令呪を膨大な魔力に変換する。同時並行でナマエを拘束していたサーヴァントを自分ごと縛り付ける。数秒なんて贅沢は言わない。一瞬あれば岡田以蔵は斬れるだろう。斬り伏せられるだろう。だって天才なのだから。
令呪の魔力というのは絶大だから、ナマエごときの魔力でも暫く単体行動させるだけの魔力を流し込めるはずだ。あとは適当に魂でも喰らってくれれば、ナマエのセイバーは真の剣士に成れる。マスターなんて居なくても、誰よりも、何よりも優れた、最良のサーヴァントに。

視界が真っ赤に染まった。動揺から立て直したセイバーは見事に斬り捨てて見せた。伏せられたサーヴァントが消える。それでもナマエが新たに負った傷は無いあたり、やはり岡田以蔵はお世辞抜きに天才だと思った。
 射程範囲に綺麗に折り重なっているナマエを避けて斬ろうとし、それを易々と成功させてみせるのだから。

体温を失い崩れ落ちる体をセイバーは支える。いつもの陰気とした薄ら笑いは無く、その顔は苦痛に歪んでいる。人斬りのくせに、ナマエのことも最初は斬ろうとしたくせに、なんて顔をしているのだろう。美しいとは思ったけれど、彼には似合わない表情だとも思った。

「ナマエ、きさん何を考えてるんじゃ、このスベタが!」

────この後に及んでブス呼ばわりは酷く無いだろうか。
反論を口にしようとするも、応急処置の切れた喉はがぽがぽと赤い泡を吐く。水泡と言えば聞こえは良いが、所詮は吐瀉物だったし、抱き起こしてくれたセイバーの袴が汚れて申し訳無かった。
 思えば、ナマエはいつも血に染まるセイバーを見ている。赤が映える人だ、と今更ながら思う。

「なに、って。勝つ、方法」

「おんしゃあ、なにふざけたこと言うとるんじゃ…!」

荒い手付きでナマエの洋服を掴む割に、その力加減は壊れ物を扱うかのように優しい。
 普段からそのくらい丁重に扱って欲しかったなあ、と冗談めかして言えば、益々セイバーの眉間の皺が深まる。

「満足げに笑うなや…!まだやることがあるじゃろうが、ナマエ!起きれや、酷い顔で寝ちょる場合か、このスベタが!」

やること。そうだ、やること。何自分はやりきった顔をして死のうとしてるんだ、とナマエは思い出す。最後に自分の出来ること。岡田以蔵が最良となる為に、やっておくべき保険。
 
残る気力を振り絞り、セイバーの着物の襟を掴む。引き寄せるだけの力は無かったが、気を使ったセイバーが自ら顔を寄せた。
 きっと何をするのか分かっていないのであろう、全てに納得の行かなそうな目がナマエを捉えた。
 
そこから読み取れる、自らへ向けられる親愛の情にナマエは思わず微笑んで、柄にもなく礼を言いたくなる。
 だけれどそれを伝えるには少し遅すぎた。もう時間は無い。魔力をガソリンとして無理矢理稼働するこの身は最早これまでだ。

 さあさあと降り始めた雨が頬を濡らして、流れる血液と共にナマエは少しずつ冷えていく。

ナマエは知っている。
 人斬りと謳いながらもあまり斬ろうとしない彼を。魂食いには乗り気じゃ無いことも。だからこのままではいずれ消えるだろう。確固たる魔力で、地盤で、彼を支えなくてはならない。
頬に添えた手が血色の悪い肌色に赤を添えて、なんだか妙に色気がある。結局のところ、ナマエはセイバーにベタ惚れしてるんじゃないかと自分自身に呆れて遅すぎる自覚に苦笑する。
 
もっと向き合っておけばよかった。決して綺麗じゃないのに、どうしてか惹き込まれる瞳を覗き込んでおけばよかった。
 後悔は尽きない。それを考えないようにナマエはセイバーに口付けた。驚く顔が目に浮かんで、ついつい微笑みたくなってしまう。
 
しかしそれは別れの接吻など浪漫のあるものではなくて、魔術師然としたそれである。魂の口移しである。資源の再利用である。
甘いとか、檸檬の味だとか、鉄の味だとか、そういう浪漫の溢れた要素は一つも無い。ただ口から口へ。活用されるべき資源を岡田以蔵へと譲渡して。彼の勝利を祈って。一方的にナマエの魂と定義出来るものは移動して。唖然とする彼の頬をひとなでして。歯噛みする彼の顔は、子供みたいでかわいいな、なんておもって。あとひとつ、いわなきゃな、なんておもって。さいごにのこる私が、つたえるべきことばをさがして。

────すいほうに、きしても。わたしのこころは 、すみわたることでしょう。

つたえることばを、いえないまま、めのまえはしろくなる。くちはもううごかない。ことばもつむげない。すごくざんねんだった。
ぱくぱくとみっともなくあがけば、もういいといわんばかりに、せいばーがわたしのほほをなぜる。

「…雨、止まんのう」

あきらめたようなこわいろで、あきらめがつかないようなかおで、せいばーはいった。かれはそういうあたらしいことばは、きらいだとおもっていたけれど、それをわたしのためだけにいったのだとおもうと、いとしくて、こいしくてしかたがない。あれ、でも、いみは、なんだっけ。まあいいや。
せいばーのかおもみえなくなって。くらいみずにおちていくように、そして、そこで、わたしは、わたしのきおくは。わたしのしこうは。わたしは、