チェーンロックに手を掛けて、がちゃん。
鍵を回せばもう一度金属の擦れる音がした。ドアノブを引いて外へ出ようとしたところで「どこほっつきゆうが」と声を掛けられる。
放っつき歩く気は無いのだが「外」と返せば「そがいなこと分かっちゅうちゃ」と呆れ顔だ。
続く猛暑ですっかり気力が湧かないらしいセイバーは、くたびれたシャツにチノパンで歩いてくる。
買ったばかりなのだが、シャツの端で汗を拭ったりするから劣化が早いのである。
「何処に行くか聞いとるんじゃ」
部屋の外にナマエを追いやったセイバーも出掛けるつもりらしい。
ビーサンに足を差し込んで「あっづ」と嫌そうに零した。
「スニーカー買わないとね」とお節介を焼けば「どうでもえいわ」と無駄な対抗心を燃やしてくる。
半端とはいえ受肉したんだから快適な方を選べばいいのに、セイバーはそういうよく分からない意地を張る。はよう行き先を言えと目が責めて来たので「夏祭りだよ」とだけ返した。
「ナマエにしちゃあ悪うない趣向じゃのう。祭り事はえい。派手に遊んで派手に騒ぐぜよ」
袋の中は浴衣か?とも聞かれたので肯定の意を示す。
紙袋の中身は浴衣のセットだ。友人の家で着付けをする予定である。
いつもより上機嫌に見えるセイバーは馬子にも衣装じゃと言うが、偶には着物もえいじゃろと続けた。ナマエは何か食い違いを感じて、微妙な突っかかりを覚える。
そのまま部屋の鍵を掛ければ、ナマエに並んで歩くようにセイバーが付いてくる。あ、まさか。
「セイバー、夏祭り行く気?」
は?と怪訝な顔がナマエを見返す。
「おまんが行く言うたんじゃろうが」
あー、あー、と痛み出した頭を抑えれば、流石に分かったらしいセイバーが震えだす。
ごめんね流石に今日は、前回のドタキャンもあるし、埋め合わせはまた今度、と謝罪をすれば「何処へでも行っちょれこんのスベタがァ!」と吐き捨てられた。そのままとっとと歩いて行ってしまうから、悪いことをしてしまったなと罪悪感を覚えてしまう。
先に言えば良かった。ナマエはクラスメイトと夏祭りに行くのであると。
▽
結局セイバーのことを気にしまくったまま夏祭りに来てしまった。
割と繊細で一人行動を好まない彼のことだ、外へ出たって不機嫌なままだろう。
それも気になるが、周りに迷惑をかけていないかも心配である。セイバーは受肉してからは大分気を長く持ってくれるようになったが、元々しぬほど血の気が多く短気で喧嘩っ早いのだ。
機嫌が悪いときに気に食わない相手を見つけたら、運が無かったのう、諦めえやとかなんとか言いながら撫で斬りにしてしまうかもしれない。
ちょっとナマエなにボンヤリしてるのよ、とクラスメイトが肩を叩く。
別の子がこんなとこでもボンヤリしてるのと笑う。からんと鳴った下駄が酷く遠く聞こえたような気がした。ごめんごめん、ところで浴衣凄く似合ってるねと口先だけで返せば、満更ではない様子で上機嫌になる。
セイバーはまだ不機嫌だろうな、と再び飛びかけた意識を戻して、彼女たちへ相槌を打つことに集中した。
話題はこの場に居ない仲間内の女の子のことでいっぱいだ。彼氏がいるだの、どんな人だの、格好良くはないだの、まあそんなもんでしょだの、言いたい放題である。
ナマエは別段興味が無いのだが、適当に分かる、それな、ウケる、やば、と返す。正直全然ウケない。
ナマエは思ったよりブルーになっているらしい。セイバーのことが気掛かりすぎるのだ。
リョーマぁ!と怒号が聞こえる。
それはいつも聞いている声のように感じたが、まさかセイバーが一人で夏祭りに来るとは考えられないだろう。気にし過ぎて幻聴まで聞こえてしまったか。
こんなことならドタキャンしたらよかった、と落ち込んでいると、あの人たちちょーかっこいい、ナマエも見ときなよ、てか声かけちゃう?とクラスメイトが色めき立っていた。
逆ナンか。上手いこと余ればとっとと帰れるな、と思ったナマエは「かけちゃえば?」と適当に返す。
彼女たちはナマエの袖を引いてグイグイと前に出る。
そういう度胸はあるくせに、無駄に群れたがるのが女子高生の生態だ。おにーさんたち、彼女さんとか居ないんですか?と聞いたくせに、女連れじゃないのは最初から視認しているのだろう。やっぱかっこいー、ときゃっきゃする彼女たちは神経が太い。
それにしても、おにーさんたちとやらの声を未だに聞いていない。
やはり、彼女たちの若さに引いているのだろうか。気の毒だなと思ったところで、ねえナマエ、ちょっと、この人、とクラスメイトの一人がナマエをつついた。
「好みだったの?」と聞けば、違うっつーのと呆れられる。
いいから見なよと小突かれて、仕方無しに振り返ろうとする前に、大きな手がナマエの肩を掴んだ。
突然のことにヒエッと声を上擦らせれば、そのまま引き寄せられる。
やっぱナマエの知り合いじゃんと言ったクラスメイトは、これを伝えたかったらしい。
「すまんのう、お嬢ちゃんたち。わしはコイツに用があるきの、また今度な」
セイバーがにっこりと笑う。
よく見れば浴衣を着ており、当たり前だが恐ろしいほど絵になる。浴衣と笑顔、とんでもない殺傷兵器だ。
あまり関係の無い話だが、セイバーは凄く幼い顔で笑う。ついでに言うと愛想も別に悪くない。
たぶんナマエの世間体を気にしてくれているのだろう。ナマエがその笑顔を見ることは無いので、知らなかった話だが。
というかそうではなくて。なんでここにセイバーが。よく見なくとも坂本さんも居る。
右手を軽くあげて挨拶をした坂本さんは、左手に棒付き飴を持っている。緑のものが見えたが、何故カエルを選んだのか理解に苦しんだ。
あまりに急に進んだ事に唖然としていれば「しゃんしゃんしい」と急かされる。
立ち止まるな、と言いたいのだろう。「ごめんね、私抜けるわ!」と同級生に声をかければ、腕を引かれ、人混みを避けるよう暗い郊外に出される。
いつの間にか自然にフェードアウトした坂本さんは、元からこれを狙っていたのだろう。
ナマエもセイバーも世話になりすぎだ。
「さ、かもとさんは、」
「昼間会うた。祭りじゃ付き合え言いゆうからのう、リョーマの奢りで飯食っとった」
どう考えてもセイバーへの気遣いだった。あとでお礼に行こうと決意する。
引かれるがままに歩けば、神社の鳥居が目に入る。長い石段に人がぽつぽつと座っているが、あまり人気は無いらしい。こちらを一瞥もせずに前を進むセイバーは、やはり怒っているのだろうか。
いや、しかし。歩幅も速度もナマエに合わせてくれている辺り、既に頭は冷えているのだろう。
そして多分そこまで怒っていない…と言うか。セイバーは口先でこそあれこれ言うが、本気で怒ることなど滅多に無いのだ。それこそ、ナマエが彼の言うところの馬鹿な真似をした時くらい。
石段を上がりきる頃には人気がすっかり無くなっていた。花火を見たい人間は川辺に場所を取るからだろう。
立ち止まったセイバーが座ったので、ナマエも少し空けて横に腰を下ろせば舌打ちが聞こえた。無言で距離を無くされる。
「どいてわしを置いて行くんじゃ」
石段に座り、ぴったりとくっ付いたセイバーは小さな声で耳元に寄せる。最近はかなり甘えたな部類であったが、輪をかけて酷い。
初期のツンケンした部分は口先だけ残っているものの、馴れ合う気は無いぞと言った態度はすっかり見る影も無くなってしまった。馴れ合いまくりである。
それだけナマエに依存しているということなのだろうが、それが良いことなのか悪いことなのか分からない。しかし悪い気持ちは断じてなく、それほど心を許せたセイバーを嬉しく思ってしまう。
「置いてかないよ。友達付き合いがあるだけ」
「好いとりもせん奴らに媚び売って楽しいがか?」
痛いところを突く。セイバーの赤い瞳が嘲笑したように細まった。しかし実際そうなのである。
ナマエは正直クラスメイトがどうでもいい。とゆうか、知り合いの9割くらいは関心の無い相手だ。
学校という空間に居るときは”仲良くしなくては”友達だから”と思うしコミュニティも形成するのだが、不思議なことに校外だとミリもそんな気が起きなくなる。
どうでもよくなってしまう。ナマエは自分で知覚できないが、オンオフの落差が大きい人間なのかも知れない。
セイバーは結構人を見ているんだよなと感心していれば「ま~それはどうでもえい」と続く。
ナマエのことは気にするが、ナマエの交友関係自体はどうでもいいらしい。それもそうだ。
「なして浴衣を着とらんがじゃ」
持っとったじゃろうが、と不満気に口を尖らせる。
予想外の言葉に驚いていれば、チッと舌打ちを鳴らしたセイバーがそっぽを向く。彼がそんなことを気にするとは予想外だったため、一体どういう風の吹きまわしかと頭を悩ませた。
「あれは貸したんだよ」
言えば、良い顔しよって阿呆がと詰られる。
置いてかれたのが余程気に食わなかったのか、ナマエに対する当たりがいつも以上に強い。
「ごめんねセイバー」
「口先だけの安い言葉なんぞ要らんわ」
更に不機嫌になる。本当に申し訳ないとが思っているのだが、何を言ったって無駄だろう。
困り果てて閉口すれば、セイバーも困ったように手を彷徨わせて、頭をかいた。軍帽が無い状態に慣れたらしく、その手が空を切ることは無い。それを少しだけ寂しく思えば、罰が悪そうなセイバーが顔を伏せる。
「…八つ当たりじゃ。真に受けんくてえい」
ぽんぽんとナマエの頭を撫でた。最近のセイバーはすぐにナマエを撫でる。
甘やかしたいという意思があるのかは知らないが、少し甘すぎと思う。今回の件はナマエに非があると思っているし、セイバーが人混みも祭りも嫌いだと勝手に思っていた。
だから最初から来ないものとして見てしまったのだ。それは怒られても仕方ないし、責められたって文句は言えないのだが、セイバーはそこを強く言及する気は無いらしい。
予想を外して意外と派手好きというか、そういう俗世的なものを好むらしいセイバーは、この通りに拗ねてしまっているわけではあるが。
「ほんとにごめんね、そんなにお祭りが好きとは思ってなかった」
は?とセイバーからの圧を感じる声が投げ掛けられる。
謝罪など要らないということだろうか。なんと続ければ良いのか迷っていると、はああ、と深すぎる溜息が聞こえた。先程まで拗ね切っていたはずだが、それさえ消し飛ぶほどに酷く呆れた風な反応である。
「そがいな理由でわしが文句言いゆうと思っちょるんか?」
「言ってるじゃん」
「違うわ阿呆。えい加減にせえよ」
くしゃ、と髪を乱される。口調こそ責めるようなものだが、その手付きは緩やかだ。
「おまんはもうちっくと、」
セイバーの言葉が詰まる。夜なのに酷く蒸し暑い。石段も生ぬるい。すぐ近くに喧騒はあるのに、ざわめきが遠く聞こえるように感じる。続きを求めて彼を見上げれば、苦虫を噛み潰したような顔をする。
なんて返そう。なんて声をかけたらいいのか。
ナマエはセイバーを理解しようとするが、弱いナマエと強いセイバー。ブレないナマエと我の無いセイバー。
どうしたって汲み取ることが出来ない。在り方の不一致が致命的なのだ。歩み寄りは限度がある。今朝だって間違えたばかりだ。
流れる沈黙の中で、なんとも言えない気不味さを味わう。双方ともに何も言わなかった。言えなかった。時間だけがゆったりと無限のように流れて行く。
静寂を打ち破ったのは、耳を震わす爆音。ぱらぱらと火花が空に散る。それを皮切りに、セイバーは深い溜息を吐いた。
「…やめじゃ、やめ。わしばっかり損しちゅうわ。ナマエもちっくと悩んどったらえいがじゃ」
「私も悩みくらいあるんだけど?」
セイバーは人のことをなんだと思っているのか。小馬鹿にした顔のセイバーがにたにたと笑う。
「はあ?万年アホ面晒しちょるじゃろうが。何考えとるか言うてみい、どうせ下らんことじゃろうがにゃあ」
「セイバーのことだけど」
っていうか、普段ほとんどセイバーのことしか考えてないよ、言い訳に聞こえるかもだけど、今日はずっと悪かったなって思ってたし、全然楽しくなかった、出先で会えてちょっと安心した、あともう色んな人に言われたかもだけど、浴衣とっても似合ってるね、かっこいいな~って思いました、やっぱりセイバーかっこいいんだよね、と取り止め無く正直に言えば、先程まで散々煽っていた声が途絶えた。呆れてしまったのか、と慌てて顔を上げようとすれば頭を強く押さえられる。痛い。
「そがいにこっぱずかしいことをようしゃあしゃあと言えるのう!おまん詫びるか世辞言いゆうかどっちかにせえよ!?怒るもんも怒れんわ、こんの阿保が!」
「お世辞じゃないよ」
「訂正しゆうはそこでえいんか!」
「いいよ!」
あほ…と力無くセイバーは顔を覆った。
もう114514回くらいアホと罵られているのだ、今頃1、2回増えたところで些細なものだと思う。俯いたまま動かないセイバーに掛ける言葉も特に思い付かず、ナマエもまた顔を伏せれば、何度目か分からない深い溜息が浴びせられた。
「顔上げろ」
指が頭蓋骨に食い込む。痛い。筋力Cとは言えサーヴァントの腕力は途轍も無い。Dあれば余裕で人間の頭は潰せるのだ。片手でいけるのだ。怖すぎる。
痛みと恐怖に怯え上がれば、暗い視界に更に影が重なった。一瞬だけ触れて離れた体温に目を白黒させていれば「これでチャラにしちゃるわ」とセイバーがそっぽを向く。許された立場で言うのもあれだが、甘すぎて心配になってくる。
いつの間にか花火は終わっていたらしく、帰路を行く人々が目に入る。
「帰ろっか」
声を掛ければナチュラルにシカトされてしまったが、左手を取られて立ち上がらされる。
セイバーが浴衣でナマエは普段着、あまり見ない取り合わせだが、そういうところも自分たちらしいかもしれない。
正直花火を見た記憶は全く残らないだろう。綺麗だったと言う感想すら出ない。ほんとに全く記憶にない。セイバーの顔ばかり見ていたせいだ。だけど、確かにこれは素敵な夏の思い出なのだ。
「来年は最初から一緒に来ようね」と言えば「おまんどうせ忘れよるけどな」と馬鹿にされたので、絶対此方からは誘わないと心に誓った。