「おい」
セイバーがナマエを呼ぶ声が聞こえた。
相変わらずもセイバーは真名を教えてくれなかったが、まあそれでもいっかとナマエは思っている。
よくよく考えてみれば、名前を知ってるか識ってないかなんて別に大した問題ではない。いつか、教えてくれる日が来たらいいなと思うだけだ。
「なにセイバー」
開き直ってそう返せば、机の上に朝刊が投げ出される。
意外であるけれど、彼は結構真面目に新聞を読む。もっと言えばスポーツ新聞を好んで見る。野球とかサッカーに心惹かれるとも思えないので、相撲欄…でも見てるんだろうか。
わからないけどやっぱこの人、そこまで昔の人間では無いんだろうな~とも思うが、詮索する気は無い。
これで夏目漱石に食い付いてくれればナマエと熱く語らえるのだが…残念ながら小説には興味が無い様子だった。
魔術師の家系なんかじゃなければ文学部のある大学に進学して、純文学について学びたかったナマエにとって、結構残念な発見である。
なになに、と顔を寄せれば、目に入ったのは近所での殺人事件であった。
しかしただの事件ではなく、規模が大きい。あまりにも犠牲者が多いのである。…事件場所が全部寿司屋なのは気になるが。
「二十!?こんな田舎でそんなに殺したら、そりゃ朝刊にも載るよねえ…」
しかし、管理者である教会が介入してもなお殺人事件として処理されているということは、余程酷く暴れ回った馬鹿が居たのだろう。
通常の聖杯戦争であれば、小規模のものはガス爆発だとか、行方不明だとかで誤魔化される。
かの有名な聖杯戦争の大元、冬木市なんかのニュースは大抵それであるし。子供が大量に誘拐された事件ですら、地元の新聞に軽く載る程度にしか情報流出しなかった。
昼間っから襲い掛かってくるやつとか、暴れちぎるやつとか、そんなのばっかだな…とナマエは少し気が重くなる。
「十中八九バーサーカーじゃろ」
トントン、と神経質そうに見出しを指で叩いた。
セイバーは考え無しのように見えて、結構冷静で洞察力もある。
単に考えるのが嫌いというだけなんだろう。
後で気付いたが、先日の二件も有利な位置取りをしてから迎撃なり奇襲なりをかけていたのだ。自己判断で襲い掛かったのは、絶好のチャンスは一瞬だから。そら、聞いてる場合ではない。
ナマエに真名を教えないのも、セイバーという騙りを使い続ける策略があるから…なの…かも?
「案外アサシンやアーチャーかもしれないよ。わたしたち、相手のクラス確認してないしね」
「騙っちょる言うがか?他のクラスっちゅうがに、わざわざバーサーカーなんぞにか?」
「どんなクラスにだって、見せ掛けることはあるでしょ」
「…きさん、わしへの当て付けか?」
セイバーはナマエを睨み付けた。
別に、そういうつもりで言った訳ではないナマエは、慌てて訂正する。
「違うよ!」
「そいなら、どういうつもりじゃ」
「私は貴方をセイバーだと思っているし、実際それだけの技力を有しているとも思っているんだから…真名を明かしてからも堂々と名乗ればいいのになって思うけど」
「…」
「いたあ!」
そう言ったら鋭く睨まれて、頭を叩かれた。
なんでえと見やったが、セイバーは新聞に目を向けている。叩いた理由は些細なものなのだろうとナマエにもわかった。理不尽である。
「魂喰いをしちょったとしか思えん」
新聞を机に投げ捨てたセイバーは、結論を述べる。
ナマエもそれに同意だ。刻印も回路も優れないマスターが、バーサーカーの魔力供給を追い付かせるために人を襲わせた。それが一番有力である。
どんな英雄が呼ばれたにせよ、余程優れた魔力量でなければバーサーカーの使役は厳しい。冬樹の聖杯戦争だって、かのアインツベルン────それに別日では、アトラス院のホムンクルスが使役したと聞いている。
万が一にも、足りてる癖に無差別で寿司屋を襲撃してるのであれば、相手はよっぽど頭おかしいやつなのだが。
そして無差別の魂食いなんてされると、魔術使いとしてのナマエも困る。ナマエは血肉を素材に使う魔術の家系であったから、地域の防犯レベルが上がると非常に不味いのだ。
「そうだね。マスターも止めないってことは、戦略的にやっていることなんだろう。もしくは…どうしようもないバーサーカーを引いて、ヤケクソになってるとか?」
「そがいなことがあるか」
「わたしも無いと思う。今回の聖杯戦争、わたし以外は古い家の当主ばっかだしね」
セイバーは返事をしなかったが、少し気になるようだった。
武士の家系っぽい雰囲気を纏う彼は、魔術師の家系問題に近しいものを感じているのかもしれない。
「なんにせよ、リソースを増やされる前に殺さなきゃ」
「珍しく意見が合うのお。とっとと潰しに行くき、半刻で支度せい」
「マジで?」
呆れた目のセイバーはナマエをソファから蹴り落とした。
このままだとお尻も蹴飛ばされそうである。
…マジで?
▽
眼前に迫るバーサーカーに、ナマエは息がひゅ、と抜けるのを感じた。
恐怖で吐く言葉とは、こんなにも頼り無いのか。
あっと言う間に脇腹を槍が掠めて、視界が真っ白に染まる。激痛に涙が出る。
冷たい雨が身体を打った。何故こんな痛い目にあっているのか。
話を戻そう。
急かされながらちゃっちゃと仕度をしたナマエとセイバーは、これまたトントン拍子でバーサーカー陣営を見付けたわけである。
ナマエは元々ちまちました作業が得意であるので、魔力の残留思念を追うのが結構上手な魔術使いなのだ。
雨の日だろうが追える自信があったし、それ自体は容易に辿ることが出来た、のだが。
肌を焼くような殺意がナマエを刺す。
一歩足を引いたバーサーカーが槍を構えて、今度こそ腹に風穴を開けようと息を吸う。
そこで見えたのは、バーサーカーのマスターと此方に向かうセイバーだった。珍しく慌てた風な顔である。
まあ、つまるところ────簡潔に言えば、ナマエたちは奇襲に失敗した。
「オラァ!血飛沫上げて死ねよォ!」
あっこれ、絶対バーサーカー。
ナマエは突っ込んでくる鎧武者を見て、率直にそう思った。
背丈はバカ高い。タッパもめちゃくちゃ良い。槍は業物で…なんだっけこれ。国宝のやつ。残念ながらナマエの審美眼はEであったが、英雄の特徴はよ〜く観察出来た。
何故かといえば、セイバーが敵マスターを斬り殺すより先に、バーサーカーがナマエに突っ込んで来たからである。
(誰が予想出来るか!自分のマスターを無視してこっちのマスターを殺しにくるサーヴァントなんか!)
そう思ったところで、あぁ、そうだ、バーサーカーだからなあ…と己達の認識の甘さを思い出した。常識が通じないのがこのクラスだった。
さあ、どうする。
後退しても風穴、避けても風穴。喰らった時点で即死。ならば───ならば。
ナマエは一歩踏み込む。槍の横に身を差して、通り抜ける気で、倒れ込む気で足を踏み出した。
バーサーカーがどんな顔してるかなんて分からない。だが槍の柄付近に目標が居たのでは、ナマエを刺すには秒が必要だろう。それでいい。それだけでいい。
案の定横薙ぎが来るが、それに吹っ飛ばされ無ければ良い。内臓の一つや二つは傷付くかもだが、頭が打撃で破壊されるよりマシだ。
ナマエは大きく息を吸って、こんな時のために用意していた試験管を手にする。
中身は磨り潰した令呪。心臓。色々。
ナマエは魔術師では無いし、魔術使いとしても三流だから、物質を組み替えるには再構成を踏む必要がある。
だが、今からすることにそんなことは関係無い。
これはあくまで避雷針。触媒。そんなもの。組み替えなんて必要ない。ただ、そこに落とすだけでいい。
「アホ女ァ!」
セイバーの叫び声でナマエは頼れる相棒を思い出す。咄嗟に身を屈ませれば、身を捻ったバーサーカーとの隙間に太刀が差し込まれる。
火花が散りバカみたいに耳障りな音と、「きさんはわしの獲物ぜよ」というセイバーらしい一喝が雨音に流れていく。
正面から受ければ幾らセイバーでも厳しいはずなのに、彼は見事に流して見せた。そういうところがかっこいい。
それを後ろに聞いて、思った通りにナマエを助けてくれたサーヴァントに感謝して、平凡なる魔術使いは思い切り───”試験管をブン投げる”。
暗く曇る空に吸い込まれていく透明なガラスに、呆気に取られる相手のマスターに、銃を構えて、安全装置をガチャンと鳴らして、引鉄に指をかけて小さく詠唱を唱える。
魔術使いのナマエに取って、こういうのは気分だ。
なんだっていい。ただ心が落ち着けるだけの、魔力を整えるだけの羅列であればいい。だから、なんとなく。それっぽければいい。
血は電池。骨は電極。瞳はレンズ。この指先は避雷針。我が身は人に在らず。箱を模した魔術装置なり。
「───ブチ撒けろ!」
読み終わる前に。魔法の言葉を唱える前に。銃弾が試験管を砕いた。全ての音が掻き消されるほど激しい轟音が瞬いて、そして。