loader image

天を駆けるは竜が如く

浪人風の男だった。

いや、この現代に置いて浪人風という言葉は不適切だろう。だが────この状況でなら、それが適切であったのだ。

例えばその適当に撫で付けたような黒髪だとか。
雑に纏められたのであろう、痛みの入った茶色だとか。
目深に被られた軍帽から覗く、鬱蒼とした赤色だとか。

あとは、そうだ。全体的に薄暗いというか、善人に見えなさそうなところ。黒い羽織の下に紫の着物で、時代錯誤な和装であるとこなんかも。滞納された太刀などの全てが、彼の印象を決定付けている。

何処からどう見ても、彼は浪人…というか、サーヴァントだった。

冷ややかにナマエを見下ろす瞳は気怠げに細められている。
上昇する体温とは裏腹に、首に当てられた刀身は冷ややかさを纏って空気を尖らせていた。

「かったし斬りゃあえいがか?」

片っ端から斬り伏せればいいのか、とサーヴァントがナマエを一瞥する。ナマエをも斬るのかと問う。
なにが悪かったんだろう。なにを間違えたんだろう。ナマエは慌てて考えるが、己の落ち度はわからない。

敵意に満ち溢れた眼光はナマエを射抜いて、呼吸すらままならなかった。それは殺意であって、圧倒的なまでの重圧である。
ただの魔術使い崩れであるナマエは、生きてからこのかたそんな殺意に当てられた事は無く、やっと息をするのが精一杯だった。

「あなたが、わたしの、サーヴァント」

短く切れる呼吸で問い掛ける。応えは無い。満足の行く返答では無かったらしい。それではなんと言えば。私はどう答えればいいのかと、必死で思考を回す。回す。回す。
しかし視界に映り込む誰かの死体が怖くて、自分もあんな風に斬られてしまうのかと怖くて、頭が動かない。彼は助けてくれたのに。ナマエの召喚に応じてくれたのに。

思えば朝から運が無かった。
転んで、遅刻をして、課題の提出を忘れて、踏んだり蹴ったり。仕方ないから少し居残りをして提出したのに、明日までの宿題だった。
途方に暮れながら帰路に付けば、近所の家の和装メイドさんが買い出しをしていて、可愛いななんて余所見をしていたら風にプリントを攫われてしまって、追い掛けて入った路地裏で人影を見た。

それは人影では無くて、それは所謂────英霊だったのだけれど。
ナマエはあっさり見付かってしまう。咄嗟に気配遮断の魔術を使ったのだけれど、それも簡単に看破されてしまった。

行き止まりに付いてしまって、ナマエは息を殺して震えた。心底はもう諦めていて、ああ、もう死ぬな、なんて思って、だけれど本当は諦めたく無かった。だから。だから、私は血で陣を描いて。いつの日にか習った呪文を唱えて見せて。神にも縋るように祈って─────そうして、彼が来た。

助かったなんて思ったのは一瞬。
小娘一人を始末するだけと追って来た誰かのマスターを斬り捨てて、ナマエのサーヴァントであるはずの彼は主人であるはずの自分に切っ先を向ける。
血も拭わず、視線も外さず。恐らくは何か彼の気を害したのだろう。震える肩を押さえ付けて、濁った紅を見つめ返す。不快げに揺れる眼光がナマエを震え上がらせた。

「なんじゃ、女。きさん、わしを呼び付けて置いて大した要件も無しか」

面倒臭そうな顔が街灯に照らされる。
無骨であるが大層整った顔は、人工の光に照らされて怪しげに浮かび上がった。
その凍り付くような表情さえ無ければ文句無しだろう。こんな状況であるのに、少しだけ格好良いとすら思った。ナマエは脱線しかけた感想を頭から追い出して、辛うじて溜め息のような声を吐き出す。

「よ、ようけん」

「そうじゃ。きさんはわしを呼んだ。わしはきさんに呼ばれた」

で、と恐ろしいほど冷ややかな目がナマエを捉える。

「おまんは何を為す。わしに、誰を斬れとゆうんじゃ」

(そんな、誰を切れと言われても!)

ナマエは困惑して只々口を開閉させるのが精一杯だった。誰を切る?襲って来たマスターは既に死んでいるのに?これ以上、どうしたら?
疑問は尽きない。否定も尽きない。尽きそうなのは、己の命運のみ。相も変わらず刃は首に添えられ、返答次第では一瞬で御別れすることになるだろう。

鍔が擦れる金属の音が、現実なのだとアラートを鳴らす。頬を打つ雨音が、夢ではないと警鐘を鳴らす。
考えろ。考えろ。考えるんだ、自分。まだ死にたくない。まだ生きていたい。こんな死に方は嫌だ。だって、まだ何もしてない。何も成してない。何かやりたいことがあるわけでもない。
自分は、何も出来ないまま、何も探せないまま、終わるなんて────。

そこでふと、思い出した。
あそこに倒れているマスターのサーヴァントは、何処へ行ったのか。ナマエの見た影は、何処へ消えたのか。バーサーカーならば自然消滅。だが、その他のクラスならば。
おそらくは─────未だ消えていないだろう。

それなら次は、それが狙うのは、活動限界までに刺しに来るのは。推定仮定を立てて、立てようとして、辿り着いた結論を肯定する前に、最悪の結末に思い至る前にナマエは言葉を零した。

「────斬って」

それは本能からの言葉で、ナマエの理解より先に発された声だった。

掻き消えそうな小さな声でも、サーヴァントは聞き取れたらしい。端整な顔は愉快そうに弧を描いて凶悪そうな笑みを形作る。
ああ、なんというハズレ。非道い顔だ。きっと反英霊だとか、混沌だとか、悪属性だとか、どうせその辺なのだろう。だが、いい。それでもいい。

ナマエだって非道な決意をした。みんな殺せば、ナマエの勝ち。死ななくていいし、痛くならない。自分だけは救われて、退屈で平凡な日常へと帰れるのだ。
それに応えるように、応じるように、最低で低俗な冷めた顔を浮かべてナマエは命じる。

「私の敵を、全員」

ナマエの声を皮切りに、マスターを失って尚も消えてなかったらしいサーヴァントが跳躍してくる。
どのクラスだか知らないが関係無い。ナマエは決断した。死にたくないから死んでもらう。実にシンプルな答えだった。

「はっ、なんじゃ、随分平和ボケしゆうツラの女に呼ばれたと思っとったが…案外いい目をしちょる」

瞬きの間に、サーヴァントは霧散する。いや、霧散させられた。ナマエのサーヴァントの手によって。
かちゃん、と太刀の柄が地面に擦れる音がしたと思えば、刹那。眼前の敵は真っ二つに切り裂かれて消えていた。

恐ろしいものだと他人事のようにナマエは思った。鮮やかで綺麗だとも。はためく黒が、彼の軍帽の金具が、人口灯に照らされて現実味の無さに拍車を掛けていた。
尻餅を付いたままのナマエを見下ろした彼は、冷ややかに高らかに、侮蔑したように笑うのだ。

「サーヴァント、人斬り。召喚に応じ、此処に参上ぜよ」

────それが、ナマエと人斬りの出会いである。