「岸波、ちゅうたか。随分入れ込んどるんじゃのう」
ぽつりとセイバーは言葉を零した。
思ってもない言葉に視線をやれば、ナマエのすぐ側まで迫っていたエネミーを切り捨てて「油断するなや、わしの負担が増える」と舌打ちを鳴らす。
「それ、どういうこと?」
嫌味なのは分かるが、真意が汲めない。ストレートに問いただせば、不機嫌そうな態度を全く隠さないままセイバーは息を吐く。
蹴散らしても蹴散らしても数が減らないエネミーを切り捨てる手は止めないまま、彼は呆れた風に言葉を続けた。
「こがいな大ハズレ引き受けて、一文の足しにもならん雑魚狩りなんぞ、よっぽど思うところが無ければやらんちゅうとるんじゃ」
くどい文句が刺さりまくる。
現状、ナマエたちはBBとの最終決戦を挑みに行った岸波白野の帰り道を妨げそうな外敵を始末している。行きは難無く切り開けたが、帰りはあっちも疲弊している。
だから岸波白野が生還できるように、入念に減らす必要があるとは遠坂凛の意見だ。
BBの手によってアホほど増やされたそれは、明らかに誰の手に余るものであった。だけど、ナマエの貯蓄全部と至高の剣が一本あれば抑えられないものでもない。
誰もサーヴァントを率いて居ない今、進んで引き受けた役目である。
「良いじゃん。わたし達しか出来なかったし」
「そがいなもん、あの女狐にやらせれば良かったじゃろうが」
要するに、彼らが進むためにナマエが貧乏くじを引くことになったのが気に食わないらしい。
彼は彼で、強い相手が好きだ。いや、強い相手が好きなのではなく、敵を下すのが好きなのだ。雑魚をどれだけ切ったところで心が満たされる事は無く、散々してやられたBBを岸波白野に譲ったことも不満の原因なのだろう。
ただ、訂正しなくてはならないことがある。ナマエが入れ込んでるのは、元よりセイバーだ。それを伝えれば「…黙っちょれ」とそっぽを向いた。彼はそういうところが可愛い。
「あとね、私が肩を持ったのはBBの方だから、岸波さんには特に思うことないよ。
表側でユリウスを倒してくれたっぽいことには感謝してるけど」
言えば「は?」と理解に及ばないと言いたげな表情がナマエを刺す。
BBを倒しに行ったのに、なんでBBの肩を持つことになるんだ、と目が口ほどに語る。
「現実の前に折れた恋っていうのは、他人事じゃないからね」
結局あのあとナマエを衛士にしなかったのは、BBもナマエに思うところがあったからだろう…と考えている。
そうでなければ、わざわざ捕まえた女を何もせずに解放するなんてBBらしくない。愛しい一人のために、何よりも大好きな一人のために、なんだって犠牲にするのが少女の恋だろう。
ナマエはそこに深い共感を覚えたし、BBもまた、そうなのだと思った。
ハーウェイの連中や遠坂凛、ラニⅧに臥藤門司、それに引きこもりのニート。誰より先にナマエは彼女の真意に気付いた。気付いた上で、何も言わなかった。その部分に触れていいのは、岸波白野だけだと思ったからだ。
報われなくても、救われなくても、理解されなくても、たった一人の尊い人のために。
だから、ナマエは貧乏くじを引いた。この物語の終焉は、岸波白野で無くてはならない。BBが求めるただ一人は、決してナマエではないのだ。ナマエが求めるただ一人も、決して岸波白野ではないように。
「おまんの言うちょることは大方分からん。もうちっくと日の本言葉を喋ったらどうじゃ」
最強の煽りだった。日本語喋れよと言外に言ったセイバーは、ぺッと唾を吐き捨ててエネミーを斬り伏せる。しかしまあ、限界も近いらしい。
「そろそろ腕が上がらんくなるきの、覚悟決めえよ」
申告をくれたセイバーに、申し訳無さがじわじわと湧いてきた。
それは終わりの無い雑魚狩りというハズレに付き合わせたことにもあり、ジリ貧のまま確実に負ける戦闘に参加させたことにもある。
しかし、やはりセイバー諸共自爆するのは忍びない。岸波白野には悪いが、BBと相対させた時点でナマエの義理は終わっている。
セイバーのことが最優先なのはどうしたって揺るがないので、そろっと一抜けさせて貰おう。
「遠坂さん、ラニさん、今迄ありがとう」
通信を飛ばす。電波に乗って返ってきた言葉は「ご苦労さま」と淡白なものだった。「お疲れ様です」とラニの声が重なる。
彼らはまだ岸波白野のバックアップがある。ナマエに割いてる気力も無ければ、リソースも無い。あっさりした別れに笑いつつも、ウィザードとは元来そういうものだったと思い出す。楽しかった放課後は終わる。ボーナスタイムは終焉を迎える。役目を終えて、一人ずつ退場する。
セイバー、楽しかった?
そんなこと、聞けるはずも無いが。
ナマエはこれで結構、心の底から楽しかったのだ。聖杯戦争なんて関係無く、バカ騒ぎしながら進む日々が。
ナマエの恋は本当に本当にここで終わる。
一度目は地上で、二度目は表で、三度目は裏側で。BBに対して文句は色々あるけれど、記憶を奪わずにナマエを逃したこと、セイバーとの邪魔は一度足りともしなかったこと。やっぱり、義理を感じざるを得ないだろう。
あり得ない三度目だって、ナマエに与えてくれたのだから。
▽
ナマエは死角を作る。以蔵が知っているのは、そのことくらいである。
このセラフという空間の中で、ナマエの魔術はべらぼうに強い。
四角として認識出来るもの、その内部での権能が大きいのだと本人は言う。
「月は四角いんだよ」
そう言われた時は何言ってんだコイツと思ったわけだが、彼女が四角いと言うなら四角いということにしておこう、と以蔵は思考を放棄した。
甘いのである、結局。ナマエの話は語弊があり、本当は四角いのは月では無く、月を支配するムーンセルオートマトンのことなのだが、そんなことは以蔵にとってどうでもよいことだったし、必要の無い情報だった。
薄っぺらい黄色の壁が貼られるが、向こうは透けて見える。だがそれでも効果は覿面らしい。先程まで此方に向かいまくっていたエネミーは、ナマエたちなど居なかったかのように散り散りになった。
表側で何度も見た障壁を無理やり引っ張り出したナマエは、流石に疲弊した様子だった。
似たような真似をしたレオでさえ三分が限界だと言っていたそれを「空間が崩壊するまでは根性で持たせる」と言い切り、以蔵を背もたれにしてだるそうにしている。
「おまん阿保じゃのう」
少し身を避ければ、重力に従って彼女は倒れ込んだ。胡座を組んだ膝に乗せれば「ありがと~」と力無く笑う。座ってる気力も無いくせに、痩せ我慢をするところが気に食わない。ばあたれ、と帽子を頭に乗せれば「要らない」と突っぱねられる。人の好意を無下にする態度に腹が立ったが、だって、と続いた言葉に小突こうとする手を止める。
「セイバーの顔が見えないよ」
帽子を手で持ち上げて、笑ってみせる。この女の好意は、いつだって酷くストレートだった。
▽
彼女に呼び出された表側、以蔵の時代では見たことも無かったような無機質な青が反射する四角の空間。その中央に、彼女は佇んでいた。
形作られた以蔵を見上げ「初めまして、セイバー」とお辞儀を一つ。以蔵はアサシンだし、彼女もそれを知っている。変な女だと思った。
初戦の前、長い廊下を歩きながらポツポツと会話をする。彼女は三流魔術師だとか、以蔵のことは媒介を使ってまで選んだとか。
以蔵はマスターに当たる女と話す気が無かったし、マスターと呼ぶ気も、主従を誓う気も無かった。それに勘付いたのか否か「ナマエでいいよ」と言った女に、奇特なやつだと思った。
いつもいつも一方的に話をする彼女に、以蔵は相変わらず無視をするか、たまに気の抜けた返事をする。そんな日々が続いていたけれど、流石に流せない話題もある。
「粘膜干渉をします」
「何言うちょるんじゃ」
そう返すのも仕方ないだろう。いつもと変わらない落ち着いた瞳が、雄弁に語る。
「セイバーをセイバーにするために、私のリソースを分け与える必要がある」
「おまん、それで納得できるがか」
絞り出した声がそれだ。魔術師が性的干渉を儀式上の粘膜接触程度としか思ってないのは知識として知っている。
だが、以蔵の見てきたナマエという女は、ウィザードから程遠い感性をしている。何処にでも居るような普通の女で、何処にでも居るような在り来たりなやつだ。こんな殺し合いに居るのが不思議なくらい、普通の女だった。
少し変わっているところもあるが、決して冷徹な魔術師などではない。
「いいよ。セイバーは何も後ろめたく思わなくていいし、後ろめたさなんて感じるタイプじゃないでしょ」
失礼なことを言う。実際その通りで、断る理由も無ければ、気を遣うほど彼女に好感も無い。
結局流されて、以蔵はアサシンでありながらセイバーのスキルを付与された。
対魔力のスキルは思ったよりも勝手が良く、元々魔力抵抗が全く無かった以蔵がゴリ押しでの勝負を出来るようになった。
相手がキャスターでも臆することなく切り刻めるし、相手が飛び道具ならば低ランクのものは大抵弾ける。
彼女に感謝は無いが、悪く無い女だと思った。不意打ちにも嫌な顔ひとつしない。やりやすいようにどうぞ、と放任主義だ。
そうして彼女に関心を覚えて、一つ思い出す。何故、彼女は以蔵を選んでまで喚んだのか。こんな真似をするなら最初からセイバーを喚べばいいのに。
合理主義の側面だけを見てきたが、そこだけが理に反していたので、引っかかりが大きい。
お節介で人を助けた彼女を見たときは、合理主義という印象を取り消さざるを得なかった。
聞けば「どうせ倒すならセイバーがいい」と宣うので、阿保がと頭を叩けば素直に謝罪をした。その相手とはすぐに当たることになって、なんともいえない気分になる。何故だか酷く気に食わなかった。そう言えば、少し嬉しそうにする。意味が分からなかった。
「取り消して」と激昂する彼女は、今迄見たどんな顔よりも冷えていた。
初めて見る凍えた色は、アサシンのマスターを見据えている。以蔵は自身が侮辱されたことに腹が立っていたが、自分よりも激しく怒っている彼女を見て冷静になってしまった。
何故、そこまで。以蔵は彼女に何もしていない。そこまで庇われる理由が無い。理解に苦しめば苦しむほど、彼女という人間に関心があると認めざるを得なかった。
最後の最後で負けた彼女は、酷く晴れやかに笑っていた。腹をブチ抜かれて霧散していくというのに。
いつもの気の抜けた笑顔ではなく、心の底から、眩しいものだった。そうして以蔵に「月が綺麗だね」と微笑んだ。意味が分からないまま置いてけぼりにされた以蔵は、岸波白野に投げ掛ける。
「あの女、結局何が言いたかったんじゃ」
岸波白野とサーヴァントは困ったような顔をして「それ、言っていいの?」と返した。
そいつのサーヴァントは心底いけすかないヤツで、「私たちがそれに言及するのは野暮だろう。彼女が可哀想だとは思わないかね」と鼻で笑った。
何と無く腹が立って、えいわ、どうでも、と突っぱねたが、すぐに聞いとけばよかったとは思った。
だが聞き直すのも無様だと思ったので、大人しく消える。どうせ忘れるのだ。なんだっていいだろう。
▽
ヤケクソ気味に終わるはずだったのだが、彼女はこうして以蔵の膝の上に転がっている。
月の裏側で終わらない放課後を過ごして、表よりもボンヤリと食い潰すような日々を過ごして、結局最後は別れることになる。過ごした時間が嵩むほど、彼女と離れがたくなっているというのに。酷い話だと思った。
どう足掻いても、彼女は以蔵の手元から滑り落ちていく。表側で負けた時点で、サーヴァントとマスターの時点で仕方のないことだとは理解しているが、二度もこんなやりきれなさを与えなくたっていいだろう。
「のう、ナマエ」
「なあに、セイバー」
帽子を横に置いたナマエは、ぼんやりした目で以蔵を見上げる。その目に映るのは以蔵だけで、その声が向けられるのも以蔵だけで、セイバーと言われるのも以蔵だけだ。ずっと考えていた答え合わせ。酷く時間がかかってしまったが、導かれるものは一つしかない。
「おまん、わしに惚れちょるんか」
ぱちぱちと瞼が動いた。時が止まる。ナマエは驚いた顔をして、緩やかに笑った。
「何を今更」