新撰組を跳ね除けて、やっとの事で例の温泉がある宿泊施設に着く。
花札しかやっていないのにヘトヘトなのは、宝具を馬鹿みたいに回したからだろう。
いくらセイバーが低コスト高スペック大回転宝具を持っているからって、ダメ押しと言わんばかりに連発すればガタが来るのは当然だ。勿論、ナマエに。
てゆうか宝具クイックアーツで毎ターン宝具撃てるってこいつどうなってるんだ?疑念に思ったが、閉口する。みんなもサマーリトルをゲットだぜ!
「あ、以蔵さんとナマエさん」
あ~~~聞こえない~~~あ~~~!
ナマエは耳を塞ぐ。あからさまにシカトされた維新の大英雄は、人が良さそうな笑みを浮かべて困った顔をする。
「よーうイゾー、とオマエがナマエか」
物理的に浮いている女の子に声を掛けられた。ナマエは考えることを放棄する。
「はい、どうも。ナマエです」
軽い挨拶だけして、頭を下げておいた。
「お竜さんとリョーマはこれから新婚旅行なんだ。ふふん、いいだろう」
「視察ね、視察。ここの温泉、願いが叶うって言うだろ。人理に影響を及ぼさないか、念の為に確認しに来たんだ」
自慢げに胸を張る美少女は可愛い。どこか人外めいた瞳を輝かせて、心底嬉しいといった態度が滲み出ている。
微笑ましく思ったが、ふと聞き捨てならない言葉を聞いてしまった。
「ん?人理?」
「そう、人理」
「ここには仕事に?」
「まあそういうことだね」
大声をあげて驚いたナマエに、セイバーが酷くうるさそうな顔をする。「静かにせえ」無理だと思う。
「あれ本当だったんですか!?あんな三流ライターが書くことなくて無理矢理でっち上げたような内容のくせに!?」
聞いては見たものの、坂本龍馬が居るとなるとマジなのだろう。
そら織田の魔王とか鬼武蔵とか天才剣士とか鬼の副長と出会すわけだわとナマエは嫌な納得をする。
普通の冬木旅行のつもりだったのだが…こういうところで巻き込まれ体質を強く実感してしまった。
とゆうか、何か見えない力が働いているのでは?ナマエは訝しんだ。
「だから、ごめんね以蔵さん。僕たち、先に温泉に入らないといけないんだ」
帽子に手を掛けて、隙間から切れ長の瞳が覗く。片手は腿のホルスターに手を掛けて、指が滑らかに動いた。
「維新の大英雄サマが随分と好戦的じゃのう。余程負かされたいらしいわ」
セイバーも帯刀された太刀に手を添え────ずに、やっぱりポケットに手を突っ込んだ。
「これで勝負じゃあ!」
やっぱ花札か~~~!
ナマエは叫び掛けたが、そっと閉口する。
もうナマエもヤケクソである。セイバーは人斬りの天才であるが、花札の方も切るのが上手い。
この人、やっぱり器用な人なのである。流石セイバー、シャッフルの天才か?ナマエは言わなかった。
ぱらららららと厚みのあるカードなのにトランプのような切り方をしている。
それ、どうやってんだ?ナマエは聞かなかった。
「な~お竜さん、寝てていいか?」
ナマエも寝てたい。
▽
過去最高の苦戦を強いられた。当然体操である。
坂本龍馬の幸運はA-。マイナス付きだろうがなんだろうが、AはAである。
しかも彼らは二人組だが霊器カウントは単騎扱いのため、織田信長公と森長可のように足を引っ張る低ランク者も居ない。
加えて此方は岡田以蔵Eランクを連れている。
山札からめくったカードがカスざんまいで正直ここまで酷いかと一周回って感動してしまった。
あちらの確定札は少なくとも十点入る。こちらの文は残り七点。めちゃめちゃ普通にオーバーキルである。
坂本さんは馬鹿みたいに引き強の上、読み合いも上手くてやばい。よくルールが分からないままこいこいをするお竜さんだけが此方にとっての救いだった。
「ごめんね以蔵さん。勝たせて貰うよ」
天を駆けるは竜の如く───!ただでさえオーバーキルのくせにダメ押しで宝具を入れてきた。
以蔵の始末剣は攻撃宝具であると割れているから、ナマエの宝具がダメージカットだった場合を警戒しているのだろう。坂本さんが役を場に叩き付けようとする。
しかし、ナマエの宝具は防御ではない。
「すみません、坂本さん。仕切り直しです」
四角いカードが輝く。
ナマエの宝具は不確定する箱中の猫。かのうせいがいっぱい。
量子力学では、全ての事象は観測された瞬間に確立する。観測されるまでは、異なる複数の事象が重なりあった状態で存在する。箱の中の猫。食器棚の皿。そういうトンチキ理論が横行していることをご存知だろうか?
どんな人間も数多の可能性を持っている。無数の可能性の中の一つを視認し、確定させていくことで現実は進んでいる。ノベルゲーとかギャルゲーとかエロゲーとか、そういうのも良い例だろう。
騎士王と少年が恋に落ちる可能性もあれば、憧れの美少女と少年が恋に落ちたりもする。たった一人のヒーローになろうとする場合もある。
あとは、そう。影の国の女王と、異聞帯の女王とか。同じ人物の別の側面では無く、別の世界の同じ人物の話。あるかもしれなかった存在。
ナマエの起源というのは、箱。四角と定義した中…この三次元すべてを狂わす魔法に近い大災害である。
それは、現在“if”となっている現象事象存在を無理やり証明するという、傍迷惑な災害だった。
例えばもしものナマエの存在を証明するとするだろう。
すると、現在なぞっている”本筋“のナマエと”もしも“のナマエが同時に存在してしまう。それは世界としてはいけない。食器棚の中の皿は割れている状態と割れていない状態が同時に存在するが、必ず片方の答えを出さなくてはならない。ナマエは二人存在することは出来ない。
だから”証明されなかった方“のナマエがもしもになり、先程証明されたナマエが正しい人類史のナマエとなる。
ナマエという女子高生は殺人鬼でも無ければテロリストでも無い。平凡で何処にでも居る無害な少女だ。そんなわけで、別の世界線の彼女が居る世界が本筋となったところで世界は大して変わらないというわけである。
歴史の修正力に勝てるはずもない。
…それに多少変わったとして、起源を使った本人すら世界線の移動を知覚できないのだから、なんの問題も無い。
なお、時間転移の使い手とかと組んだらもっと大規模に”もしも“の幅を広げられるかもしれないが、そんなの夢のまた夢である。
本来であればそんなことはここのナマエには不可能なのだが、不確定の内は可能の場合も不可能の場合も同時に存在してしまう。
ナマエの未来は誰にも分からないからだ。
天敵らしい天敵といえば、事象を予測し確定させるシバとかなのだが、それもどういうわけか稼働していない。
人類史どこかで焼けたのかな?よく焼け?半生?パケット制限が解除されたスマートフォンのように節操無く使い放題である。
そうして因果が複雑に絡まって、数ある世界線のうちのナマエの一人が起源に覚醒して、”もしも“として存在してしまって、更にそれが確立されてしまったら、ここのナマエにも逆立的に可能なのである。
当たり前に使える技能として勝手にインスコされてる。
たまたまこの世界線のナマエはそれを知覚することが出来たが、他のナマエは知らないだろう。
ここのナマエが特例というよりは、花札道中記でぐだぐだ軸だから特例。その辺もぐだぐだにメタいのである。
まあ、実際そうそう上手く行く起源でも無く、死んでる状態と入れ替えられる可能性もあるので、無機物に使う程度に留めておきたい。
現代科学に精通した魔術使いのくせに、やってることはよっぽど魔法じゃねえかとか言ってはいけない。
どこぞの始祖なら世界線ガチャなんてせずとも魔法を使ってみせる。並行世界を覗いて、良し悪しを見極めてみせる。
ナマエのこれは魔法に近しいだけで、魔術の範囲内なのである。だって、量子力学だからネ!別世界あるのは知ってるし証明できるけど見れないからネ!
それにしても何言ってるか全然分からねえな。
何か大変困ったことがあれば世界線ガチャも回すかもしれないが…現状、幸福なので回すことはないと思う。
しかしナマエは薄々気付いている。別の世界線の失敗した自分はガンガン世界線ガチャを回してるんだろうな…と。自分は平気で他の自分を犠牲にするだろうな…と。
話を戻そう。
場に出されたカードは、全てが入れ替わっていた。坂本龍馬の手元には役が成立しておらず、上がり時有効の宝具は無効化。
「別の世界線の私たちと坂本さんたちが対戦した記録をランダムで成立させました」
あがるまで勝ちは確定しない。何言ってるか分からないと思うけど確定しないから確定しない。
だから彼らがあがる直前に場の札をめちゃくちゃにした。勝敗が確定される直前に勝負自体を仕切り直すのがナマエの宝具であった。花札ってなんだっけ?スーパーカードゲーム宝具バトルだよ。
そもそも宝具で直接攻撃する花札という概念自体がおかしいのだ。サクッと読み流して欲しい。
「めちゃくちゃじゃないか!」
本当にそう思う。
▽
結局勝つまで仕切り直したナマエとセイバーは、かなり強引に勝利をもぎ取った。
正直なところ温泉に願い事とかはどうでもよかったのだが、ここまで来たら勝たねばならないという謎の義務感に突き動かされていたからである。
そうして部屋に通されて、タオルと着替えを手にいざ温泉へ────!
というところで、致命的な案件が浮上した。
「混浴しか無いんですか!?」
従業員はこくこくと頷く。油の足りないブリキのようにセイバーを見遣れば、セイバーもまた反応に困っているようだった。
しかしよく考えれば、天保は混浴銭湯当たり前の時代である。
困った風であるのは多分、ナマエのことを気にしてくれているわけで、そんなところが大変好きだと思った。
ここまで来るのに死ぬほど労力を注いだのだから、願いは折角だし何か叶えたい。
しかし、しかし、混浴!どうすっかなあこれ!
ナマエはまだ卒業前の学生であるし、セイバーも現代日本の年齢感を理解している。
清く正しく恋人というより同居人のような人間関係を構築しているわけで、一緒にお風呂です!とか突然言われても困るわけである。
着替えとタオルを抱えて風呂場に来てしまったが、脱衣所に入る勇気が出ない。終始無言のまま歩いているわけだが、ハタから見たら“あのカップルなんでお通夜ムードなの?”と言った感じだと思う。
先に沈黙に耐えかねたのはナマエだった。
「うわーん!セイバー!どうしよう!」
「そがいなことわしに言うてどうする」
マジレスだった。
バッサリと切られたナマエがそれもそうだよなと正気に戻ったところで、セイバーは深く深く溜息を吐く。
「…ナマエが嫌じゃ言うなら、わしは後でえい。好きに決めえや」
ナマエは己の思慮の浅さにハッとする。
なんてことを聞いてしまったのか。これじゃ暗にお前と混浴は嫌だと言っているようなものではないか!
「違うんだよセイバー!嫌とかじゃないんだよ!世間体だよ!だって耐えられないよ!近所の人にセイバーが学生に手を出したロリコン変態ヤカラニートって言わ」
ぱこーん!猛威を振るう卓球ラケット!
ぐだぐだ時空で毒されすぎて居たのかもしれない。思えば、最初から妙なテンションに包まれていた。
まるで、中身が変えられたかのような…まるで、インキャのナマエとヨウキャのナマエがシャッフル…この話はやめよう。何も生まない。仮にそうだったとしても、ナマエにそれを知覚する術はない。
そういう欠陥技能だからこそ封印指定されていないわけであるし、深く考えないのが吉である。
まあ例え変わっていたとしても、ナマエはナマエだ。セイバーならば、きっとそう言う。だからなんだっていい。
そう思えば、なんだか全て馬鹿らしくなってきた。一番馬鹿らしかったのは花札だったが、そこは触れないでおこう。
てゆうか風呂上がり卓球しよ。さっき見たけど隣の部屋オダ様だったし逆側はシンセングミ様だったよ。
「セイバー!」
「なんじゃ」
ナマエはセイバーの手を握る。選挙の街頭演説のように、しっかりと。いつも支援してくれてありがとう。
そんな清らかな気持ちで掴めば「気味が悪い」と苦々しげな顔をされた。ひどい。
「お風呂に入ろう。これは私たちの勝利だから」
▽
岡田以蔵は口ではボロクソに言うくせに、身内には心底優しく気遣いが出来る男である。
何度言った言葉だろう。しかしながら、やはりそれに尽きるのである。
更衣室に入ったセイバーは、一切ナマエを見なかった。掛け湯の際も全く見なかったし、湯船に入ってもナマエを見なかった。寧ろガン見をしていたのはナマエの方である。
すげえよ流石セイバー!最高にクールだぜ!ナマエは言い掛けて閉口した。
五臓六腑に湯が染み渡り、僅かな水音だけが静寂を切る。
「…ナマエ」
「なに」
振り向かないまま、セイバーは声を投げ掛ける。悩んだような声色で、伺うような言い方だ。
「願いはどうするんじゃ」
ナマエには知り得ない話であったが、以蔵はずっと疑念に思っていたことがある。彼女の願いについてだ。
聖杯戦争中のあの時、彼女は「特に無い」と言った。聖杯に掛ける願いは無いと。死にたくないから欲しいだけであると。だが、今は特に何も無い。保身に走らずとも、命の危険は無い。
だから、その状態でならば願いがあるだろうと思っていた。それが叶えば、以蔵にとって喜ばしいことであるとも。
元来、岡田以蔵という男は“尊敬し依存できる誰か“の力になることに喜びを覚える性質である。
主従がこりごりなのは本当であるが、それはそれとしてナマエが好きである。大切である。
つまるところ、以蔵自身は最初から願いを掛ける気などは無く、彼女のために使えるのであればそれが良いと思っていた。
しかしながら、やはりこの少女は無欲である。遊んで暮らせる金が欲しいとか、もっと力が欲しいだとか、根源に辿り着きたいだとか、人間であれば、ましてや魔術を使うものであれば欲深いものだと思うのだがと以蔵は思っている。
「そうだなあ、どうしようね。特に無いんだよな、願い事」
典型的な崇拝体質推しマジすごいである彼には知り得ない話であるが、ナマエが無欲に見えるのは単に一番欲しいものを持っているからである。
岡田以蔵という男は、自分に向けられる好意に対しては大変鈍く卑屈な男であったので、気が付く筈も無い。
多分、死に際とかじゃないと分からない。庇って瀕死になられたりしないと分からない。
生前の経歴のために仕方ないところであるが、人間関係に臆病な男だった。
その点、ナマエは手放さないために努力するし、それこそ文字通りなんでもするだろう。例え手放すことになったとしても、庇護し幸福であるように影から支援する。ナマエでは無い別の誰かの元に居るのが一番だと思えば、すぐに送り出す。それは以蔵が知らない話なだけだ。
「セイバーは無いの、願い事」
涼やかな目が赤を捉える。純粋な興味のようで、”叶えてあげたい“という欲が滲んでいる。
これに気が付かないから、サーヴァントはマスターを勘違いするのである。
言われて思案した以蔵であるが、困ったことに特に思い浮かばなかった。きっと、別の場所であれば、生前であれば、金一択だったと思うのだが。
彼女と過ごす内に、随分と日和ったものだと苦笑する。
「特に思い浮かばん。ナマエが好きにしたらえい」
思考の放棄。丸投げ。悪い癖である。気付いたナマエは困った顔をしたが、すぐになんでもなかったように取り繕った。
そうしてぼんやりと最善を考える。どう身を振るべきか、考える。やがて辿り着くのは、ナマエが消えた後の話。
幸福な瞬間でさえ、終わりを考えてしまうのは人間の悪いところである。だがそれも致し方無し。終わりの無い物語などは存在しないからだ。
いずれ破滅すると、少女は理解っている。
遠の昔に終わっていた筈の物語を、遠の昔に消えていた筈の命を、みっともなくも続けていただけだと知っている。
例えばそれは、最初の死だったり。
例えばそれは、協会の忠告だったり。
例えばそれは、愛しい人の凶行だったり。
足場が崩れ落ちていることに気付かないほど、少女は馬鹿ではない。
ただ、梅雨の先の夏の日を、ちょっとだけ夢見てしまっただけなのだ。それが終わって欲しく無いと、少し望んでしまっただけなのだ。
夢のような夏休みだった。
当たり前にセイバーが居て、当たり前にナマエが居る。
出会いの運命があるように、別れもまた───必然であるわけで。
袂を分かち、離れること。それは別にいい。だが、遺されたセイバーが幸福で無いのは困る。
ナマエはいいのだ、なんでも。この人さえ、優しい世界で生きられたならば。
「じゃあそうだなあ…幸せになれますように」
無邪気に笑って茶化せば、なんじゃあそれとセイバーは怪訝な顔をした。
「もうちっくと他に無かったんか。ナマエがおまんのことを願っちょるんはえいけど、漠然としすぎじゃろうが」
当たり障りないことを願ったと思っているセイバーは、不満気である。
その実その願いは、馬鹿でかく馬鹿広い自分勝手すぎる願いだったわけであるが、ナマエは訂正しない。勘違いを理解しているくせに笑ってみせる。わざわざ自分の幸福は以蔵が幸福であることで、ナマエは含まれていないと教えない。
それが最善だと思う彼女は、酷い女であった。
「聖人君子のつもりか?欲が無さすぎてつまらんわ」
呆れた声が掛かって、聞きなれた溜息が聞こえる。そういう人だからこそ、他でもなくナマエは願うのだ。
「違うよ、そんなんじゃない」