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かれと彼女のその後の話

セイバーは今自宅で寝ている。雑な受肉のせいで暫くは霊器と身体が安定しないらしい。馴染むまで適当に過ごすと本人が言っていた。

ナマエから魔力を吸い上げないのは何故かと考えたが、恐らく気遣われているのだろうことを想像すると口角が上がってしまいそうだった。
ので、心の中で感謝を言うことにする。ありがとうございます。


今でこそ呑気をぶっこいて居るが、あの状況はかなり切迫したものであった。
というのも、ナマエがセイバーの記憶を取り戻せなければ自然消滅していたらしいのである。たまたま記憶を再構築し、様子を見に来たセイバーを捕獲できただけの話。

これは運命ではなく、偶然である。
だがナマエはそれを持ち前の悪運に依る必然とも思っており、自分の幸運に感謝感激雨あられであった。グッジョブ、わたし。

「隣、いいかな」

微妙な時間で珍しくガラガラのファストフード店であるのに、何故かナマエの横に男が腰を下ろした。
全体的に白い服装に、目深に被った帽子。だけれどセイバーのように鬱蒼とした雰囲気は無くて、どちらかというと清廉とした感じである。あちらの陰気で荒んだ感じとは違い、穏やかで明るそうだ。
どうしてかセイバーと比較したくなったのは、恐らく…彼が以前戦ったライダーであるからだ。

「以蔵さんのマスター…ナマエさんだったっけ」

「黙秘させて頂きます」

「ナマエさんも大変だろう。以蔵さん本人は兎も角、土佐勤王党は革新派じゃないから」

間を肯定と取られてしまったのか、ライダーは返答を待たずに最新の夏メニューであるチーズロコモコを食べだした。
あまりの現代社会に馴染んだ様子に驚きしかない。何故ならサーヴァントには聖杯から知識は与えられるが、馴染めるか馴染めないかは別問題の筈である。
その点、ライダーはナマエのセイバーと同じ天保の時代の人間であるのに、ファストフードも、ハンバーガーも、セルフサービスも理解しているようだった。

おそらく坂本龍馬というのは元来そういう性質なのだろう。
彼は時代の寵児であり、改変者であり、先駆者である。時だろうが馬だろうが龍だろうが、乗ることの上手い英霊なのだ。現代に溶け込むことくらい訳に決まっている。
ナマエが警戒して距離を置こうとすれば、あー、と間延びした声が引き留めた。

「そう固くならなくていいよ。たまたま君を見付けただけで、害を加える気は無いんだ」

ずず、とシェイクを吸い上げながらライダーは言った。その言葉を鵜呑みにする訳ではないが、不思議と彼の言葉は説得力がある。
それはスキルなのか、坂本龍馬という英雄の人誑しの才能であるのかは分からなかったが、結局ナマエが警戒したところでサーヴァントの前では無意味だ。
諦めてフライドポテトに手を付ければ、冷め始めているのか少しだけしんなりしていた。

それを頬張ると、会話も無いままゆったりと時間が過ぎていく。ナマエがポテト食べ終わった頃、タイミングを見計らっていたのだろうライダーは、まるで世間話でもするかのように投げ掛ける。

「ナマエさんは、どうして此処に居るのか知りたくはないかな?」

それは、坂本龍馬というサーヴァントのことか。増田ナマエというメイガスのことか。

聞かなくたって分かる。ナマエ自身のことだろう。聖杯戦争の勝者である岡田以蔵によって救われた、敗者であった筈のナマエ。死んだ筈の魔術使い。

一度は死んだ肉体を蘇らせるのは容易ではない。使徒であっても生と死は不可逆であり、逆転し得ない現象である。不老と不死は無限にあっても、死人を戻す術は数少ないのだ。
それは聖杯を持ってしても、だ。蘇生というのは、そこに魂が無ければ成し得ない。幾ら肉体があろうとも、器が存在しようとも、それを稼働させる電源装置が無ければ意味は無い。

第一、ナマエが死んだ時点では聖杯は出現していなかったし、聖杯戦争という儀式上、此処に坂本龍馬がいるのは可笑しい。聖杯という器を現界させるにはサーヴァント六基分の霊基が必要というのが、聖杯戦争の常識であり鉄則だ。
それを覆したのは他でも無い岡田以蔵であるが、ナマエには分からなかった。最期の最期、セイバーのため自身の魂を燃料とした筈なのに、その燃料が何故再びナマエの魂に戻っているのか。

「…知りたい、です」

すっかり氷の溶けたコーラを啜れば、薄まった炭酸飲料の独特な微妙さが口に広がる。思ったよりも苦々しげな声に自分で嫌悪しながらライダーを見やれば、彼は満足そうに微笑んでた。

「君ならそう言うと思っていたよ」

そう言ってライダーは鞄から金色の器─────さもそれが当たり前にあるかのように、自然な動作で聖杯を取り出す。
流石に面食らったナマエが目を白黒させたところで理解が及ぶわけもない。

「それじゃあ簡潔に言うけど」

穏やかな声が意識を引き戻した。

「君の体は一度死んで、聖杯によって修繕された。そして以蔵さんは君が譲渡した燃料としての魂を、一度聖杯に焼べて、更にそれを無理矢理引き上げたわけだ」

生命活動を停止したナマエの体を修繕し、燃料として手にしていた魂を一度聖杯に注ぐ。そうして完成した聖杯から、聖杯の力を使って魂を引き上げ、元の形に戻し物質として体に返す。

簡単に言ってはいるが、まともな魔術師であれば思いも付かない発想である。イカれている。それは魔術とは一寸足りとも関係の無い岡田以蔵だからこそ願えたものだ。
だってそんな使い方をするより、一度根源に触れてから自力で復活させてしまえばいい。死霊魔術で記憶を持った使徒として変質させてしまえばいい。

そもそも燃料として焼べたものを引き上げて再び魂に戻すなんて、コストが過ぎるし生産性も無い。
言うならば一度作った砂の城を一旦砂に戻し、後で全く同じ形に作り直すようなものである。作る過程で散った砂の分だけ無駄が増え、使えないエネルギーも増える。どこまでも愚かだった。

「僕は聖杯の悪用を避けるために呼ばれているからね。以蔵さんがロクでもない願いを叶えるのであれば、全力で邪魔していたんだけど」

例えば、歴史改変だとか。
例えば、自分自身を魔神化させるとか。
例えば、人理の崩壊を願うとか─────。

ライダーの喩え話はスケールが大き過ぎて正直ナマエには「たかだがこの町の聖杯程度にそんなことが出来るのか」という感想しか思い付かない。そしてそれは声に出ていたらしく、ライダーは苦笑する。

「それは君自身が一番知っているだろう。死んでいる人間の蘇生が出来るんだ。その程度の奇蹟なら、この町の小聖杯にだって可能さ」

最も直接は不可能だけどね。とライダーは続けた。要するに聖杯は事象を起こすための道具としてしか使えないらしい。
人理を崩壊させるだけの事象を引き起こすことは出来ても、直接人理は崩壊させられない。
歴史改変は出来ても、歴史が動くような事象を追加することでしか変えられない。

そしてそれはあくまで小聖杯。その魔力量は、たかが知れている。
そんな奇蹟を、魔法を起こせるのは精々一度か二度が限界だろう。小さな願いのために消費すれば、大きな願いを叶えるための魔力は不足する。

詰まる所、岡田以蔵は過去を諦めたわけである。自らの剣を認めてくれた武士よりも、一時の契約者である小娘を選んだわけである。武市半平太よりも、ナマエを選んだわけなのである。

「お熱いことだなあ」

茶化したような様子も無く、本当に率直な意見といった具合で男は零した。ナマエはなんだか照れ臭くなったが、にやにや顔のまま自宅に帰ればなじられるだろう。必死で表情筋に戻れと命ずる。無理だった。

それにしても、そういう世辞を言われるだけで舞い上がって警戒も何も無くなるのだから自分は随分骨抜きになっているとナマエは恥ずかしくなる。
だけれど恥ずかしくなってる場合ではない。ナマエが生きている理由はいい。理解も出来たし納得もした。だが、坂本龍馬が肩入れした理由はなんだ、と目の前のライダーを見上げる。

「あの、どうしてセイバーを見逃したんですか…?」

その問いを聞いたライダーは、うっかりときめいてしまいそうになるほどの優しい笑みを浮かべた。それはただの相槌だとか演技だとか、そんなものではない。慈愛、友愛、親愛、そんな感情で満ちていた。
その柔らかな眼差しを見て、ナマエは聞かずとも答えを察する。─────だって、彼もナマエと同じなのだ。自害させるのが当たり前のサーヴァントに莫大な魔力を掛けて、好き好んで手元に置いたナマエと、同じなのだ。

やっぱり答えなくてもいいです、と返せば、「助かるよ」とライダーは帽子を目深に被り直した。
この助かるよ、は気恥ずかしさに対しての言葉なのだろうな、と思う。立場こそ違えど、彼もナマエも、セイバーの幸せを祈っているわけだ。

新たな発見と同担の発見に心を躍らせれば、いつのまにか食事を終えていたらしいライダーが席を立った。ナマエも冷え切ったチョコパイを口に含んで席を立ち上がる。ここで、自然解散らしい。

仕方がないから諦めて家に帰って、嬉しさのままに、愛しさのままに、幸福に満ち足りた顔も隠さずに、目一杯セイバーに甘えることにしよう。きっと彼は悪態を吐くだろうけれど。
いつだって、拒絶はしないのだから。