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03

非日常というのは時間によって慣れるものであり、日常へと変化していくものである。

具体的にそれが何かと言えば、当たり障りなくサタナキアと会話し、雑用をこなすルーチンワークが当たり前になって来たことを指す。

「おはようございます」

声を掛ければ、呆れた顔がナマエを見た。
昨日、一昨日と一瞥されるもシカトされている訳であるが、そろそろ鬱陶しくなって来たのだろうか。

「無駄だと思わないの?それ」

やはり堪え兼ねた様である。最近気付いたことだが、このサタナキアという悪魔は凝り性で神経質だ。
無駄な事は絶対にしないのだが、有益である範囲内であれば、一定のこだわりがある…風に見受けられる。

例えば、部屋自体は乱雑であるのに、一定の法則性を持って書類を置いているらしいところであるとか。
恐らくだが、かなりマメで几帳面な性格をしているのだろう。片付けも整理整頓も行いたい風に感じる。時間が無くて急いでいるので、そうしないというだけのようだ。

日々の活動時間をキッチリ決めておくことで、肉体が疲弊を溜めずに行動出来る最大効率を目指している風にも思う。
しかし熱中しやすい性格らしく、一定の時間でナマエに声を掛けさせているところだとか。

全て、このサタナキアという悪魔を観察していて理解したことである。
この男(この悪魔…というのは蔑称なので良くない、ので便宜上男性という区分にしておく)は最初こそ非人道的で不理解の塊と言った人格に感じたのだが、もしかしたら結構ヴィータ、と言ったか。ナマエたち人間に近いのかもしれない。

そこまで考えたところで命を握られていることを思い出した。前述を撤回しよう。不理解である。

「そうですけど、定期的に誰かと喋らないと脳が劣化しますよ」

「お前の頭の話かな」

「私はサタナキアさんを心配しているのですが…」

出会った当初は微笑ばかりだった彼も、中々に嫌な顔をするようになった、と思う。

サタナキアは苦虫を潰したように不快げに顔を歪めて、溜息を吐く。幸福が逃げてしまう、と思ったが言わずに黙っておいた。
ナマエは不快にさせる気など微塵も無いのだが、思い返せば学生時代もそうだった気がする。

善意で言っているのだが、嫌がられがちである。だが、どこらへんが悪いのかよく分からない。

「お前はそれを本気で言っているから手に負えないよ」

「えへへ、そうですか?」

じっとりと鬱陶しいですと言わんばかりに見下ろしてくる。悪い姿勢でソファに腰掛けていようとも、ナマエとサタナキアの身長差は変わらない。

先日本棚を触っている時にこっそり柱と比較して計測したが、百九十は有りそうである。
恐ろしく背が高いのに長帽子を被るものだから、二メートルはくだらなそうだ。

深々と再度息を吐いた彼は、手元のフラスコを持ち上げてその中身を煽る。
黄色の蜜がキラキラと煌めいて、何かの薬品なのだろうかと覗き見れば「欲しいの?」と問われた。

「いいんですか?」

「俺が言うのもどうかと思うけど、その危機管理能力の低さは生物として致命的だと思うよ」

そう言いながらも机にフラスコを置いたサタナキアは、長い指でそれを押しやる。
恐る恐る手に取れば、やはり樹液のようだと思ったし、何処かで見たような気がしながらも光に照らす。優しい黄色が温かく光る。

「それはブラブナの蜜だよ」

ハチミツみたいなものかと口に含んだ。が、

「これ、味がしませんよ」

「そうだけど」

そうだけど。そうじゃねえ。ナマエはどう返せば良いか困惑する。

味の無い樹液を吸っているのだろうか。せめて甘みとか、何か、必要では無いだろうか。
とゆうか、この屋敷の食料はナマエ以外の分が減っていないとは常々思っていた。まさか、彼はこんなものを吸って生きていたのだろうか。
口振りからして肉体維持にカロリーは必要であるはずだし、そうなのだろうか。

「甘みとか、付けないんですか」

「栄養が取れれば十分だと思うけど…それ、要る?」

「要ります」

「飽きますよ」と続けて言えば、サタナキアは「別に」とだけ言う。

「お前は変なものばかり欲しがるね」

言い方に多少の違和感を覚えたものの「そうでしょうか」と返した。
味が欲しいというのは、極一般的な望みだと思うが。

効率を突き詰めると食事が雑になるのはヴィータにも良くあることだし、ナマエもレポートの締め切りに追われたら三食麺とか普通にやる…が無味は辛すぎ無いだろうか。
因みにどう絞るかを問えば、彼はブラブナを一匹呼んで頭を捻り潰そうとしたので「やめてください」とつい止めてしまった。
ブラブナは鳴き声をあげて、ナマエの背に隠れる。

彼は己が悪魔であると言ったが、肉体自体はヴィータに近しいとも言った。
ヴィータ体、と言うだけあって、その姿形、内臓器官に至るまで限り無く人間であり、耐久性がほんの僅かに違うくらいらしい。

その本質は異形の悪魔であるし、ヴィータに寄せるための改造も施してあるそうだが、その手術を行なった時点で“ほぼ”ヴィータと同じ作りなのだと言う。
生殖器官もあれば、味覚、触覚に至るまで、精神的感覚を除いて全てが人間に等しくなるのだと。

ならば尚更無味は辛すぎると思う。
主食だけでは食事が寂しく感じるタイプであるナマエにとって、この情報は酷くショッキングなものであり、サタナキアという男に同情を覚えるには十分すぎる情報であった。

というか、断片的に聞いてるメギドラルという世界の話を鑑みると、サタナキアを悪と断じることが出来ない、と言うのがナマエの結論であった。

戦争を起こそうとする上司に使われ、研究を中止にされ、しかし諦めきれずに異邦の地に来た異邦人ならぬ異界人…ナマエとブラブナしか話し相手が居ない寂しい人…冷たくするには、彼のことを知り過ぎてしまった。
ナマエは彼を憎むほど酷いこともされていないし。いや、彼は間違いなくクソ野郎ではあるのだが、境遇を聞くと可哀想に感じてしまうのである。

ナマエだけが被害者で、周りに迷惑を掛けていないのであれば良いのかも知れない、とまで思っている。
実際、日常生活で不便していることも無いし。寧ろ力仕事が楽になって少し嬉しいまである。視力も大変に良いし。容姿が変わったのだけは頂けないのだが。

ナマエはそう思っているのだが、通常は怒り狂っていて良い案件であったし、彼に向ける同情はかなり失礼である。
ナマエは正真正銘のお人好しであり、他人の善性を信じ過ぎるきらいがあった。

「大丈夫ですよ、少しずつ、慣れていきましょうね。異文化は不安でしょうが、ヴァイガルド?も悪いところではありませんよ」

「お前が何を考えてるか一つも理解出来ないんだけど、失礼な勘違いをしているのは分かるよ」

心底面倒臭そうに彼は言う。やがてすっかり癖になってしまったらしい溜息を深く深く吐き出せば「検討はしておくよ」と渋々言った。
礼を言えば、不思議そうにこちらを見る。

「俺は恨まれると予想していたんだけど、どうして無駄に好意的なの?」

細く長い陶器のような指がナマエの髪を梳く。そのまま耳に触れて頬の輪郭をなぞった。

その声には嫌悪も蔑みも無く、只々純粋に疑問であるのだと告げている。
何故かと考えてみて、先程の思想を引っ張ろうとして、それが後付けであると気付いた。ナマエが何故に好意的かと言えば、それは彼が異界人だからでも、孤独だからでも無い。

加えて言えば、無下にしないだけで、決して好意的なつもりは無い。それをはっきりと口にする。

「違いますよ。貴方のことは嫌いではないですが、好きではありません。逃げられる機会があれば直ぐに逃げると思います」

「バカみたいに正直だね。それは黙っているべきことじゃないの?」

「嘘を吐くメリットがありますか?」

「あるだろ…」

添えられた手に指を添えれば、驚く程に熱かった。
そして彼の手が温いのでは無く、ナマエの手が熱を持っていないのだと気付く。

「…お前は好意的だよ。お前がどう思おうと、俺に対する感情は恐れじゃない。敵意でも、危機感でもない」

「そう感じるのであれば、」

そこに怒りはなく、心は凪いでいる。それは、きっと。

「貴方が私を────私と重なる誰かを、好意的に見ているからでしょう」

驚きで丸められた瞳を見て、その輝きは酷く透き通った物だと思って。問い掛け自体も、行いの幼稚さも鑑みて。
やはり、そうであると思ったのだった。

「私は「無碍にされないから」そう返しているだけです。貴方は無視をしても、最後には必ず返事をしますね。
ただの実験動物であれば、私の人格に構う必要など無い。寧ろ、貴方が言うように時間の無駄。違いませんよね」

「…」

力のこもった指をやんわりと解いて、握る。強張った手が震えて、ナマエよりも生物らしかった。

罪悪を感じた時、恐怖を感じた時、感情が揺れた時。生物の身体は強張るのが当たり前だ。それを知識的に理解はしているのだとナマエも実際に聞いて分かっている。
しかし、それを己の身で感じたことが無いのかも知れない。彼は、自身の肉体の挙動に慣れていない。

「分かりませんか」

「理解する必要性も感じられないね」

だけれど「聞いておくことに意義はある」と彼は言う。
「そういうところですよ」と教えれば、理解に苦しんだ顔で溜息を吐いた。

ナマエが関心のある相手であるからこそ、どうしてどうしてと解せない全てを知りたがる。好奇心の赴く全てを暴かないと気が済まない。
正直に言えば、きっと呆れられてしまうのだろうと想像して、そっと口を噤んだ。無駄に詰られるのは是としていないので。