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02

屋敷へと真っ直ぐに向かったナマエを震撼させたのは、更地と化した屋敷跡である。

結構広々としていた屋敷は見る影も無く、馬鹿でかかった建物は一片の柱すらも無い。

あんな立派な建造物をどうやって破壊したのか全く分からなかったが、ナマエは向かうべき場所を見失ってしまった。
サタナキアは無事だろうかと、考えてゾッとする。幾ら丈夫な生き物だと言っても、倒壊した建物に潰されて無事な筈は無い。

ナマエが瓦礫に手を添えると、簡単に持ち上がってしまった。見なかったことにした。

ひょいひょいと投げては見たものの、何も発掘されない。
空の鞄だけは見つかったが、中身は無い。何かに使えるかもと拾ってはみたが、杞憂かもしれない。

せめて骨の一つでも拾ってやるべきだと考えた訳であるが、意外と埋まっていないのかも、と思案したところでスカートの端がつまつまと引っ張られる。

振り返って足元を見れば、ブラブナが布の端を加えて引いていた。
ぷぷ、と鳴いて、ナマエの足に擦り寄る。ぼんぼりを撫でてやるとゆらゆらと揺れてアピールをしてくる。ずっと真顔なので何を考えているかは分からない。

とりあえず撫で続ければ、ブラブナは一鳴きして気持ち引き締まった顔をする。
きりっと眉を上げたブラブナは、ぼんぼりを激しく揺らした。

そうしてナマエのスカートを一食みすると、少しだけ引っ張って離した。前を向いて、歩いていく。
その後ろを付いて歩けば、ブラブナは満足そうに鳴いた。どうやら、これで合っているらしい。

森を抜けて、見通しの良い広野を抜けて、時々ブラブナに水をやりながら進むと、小さな町が見えた。
そうしてブラブナはぷぴ、と鳴いて、彼は町の手前で止まる。一応幻獣であったと思い出した。

ナマエは少し悩んで、ブラブナを鞄に入れる。
ぼんぼりだけを外に出してやると、賢い彼は方向を指定して揺らした。
良い子だとそれを撫ぜれば、ぷぴ、と小さく声を上げた。

付いた場所は診療所である。
小さな町の、寂れた病院。少なくとも死んでは居ないということだろうか。

ナマエが足を踏み入れると、むせ返るような鉄の臭いがする。
ブラブナもその方角にぼんぼりを揺らすので、一歩一歩進めばベッドの上に安置されているのはやはりサタナキアであった。

生きていたことに何処か安心を覚えるも、そんな義理は無いと思い出す。
屋敷を離れてから思考がクリアになり、彼に同情を覚えることも、彼に親しみを抱くことも摂理に反していると理解している。

だが、それでも。ナマエは彼が可哀想だと思ってしまった。

サタナキアのベッドに歩み寄る前に、人の気配を察知する。
なんとなく一歩離れて、別の人間の見舞いであるような振りをすれば、それは間違いでは無いのだと知った。

男装の少女は、サタナキアに語り掛ける。

「僕は、お前を殺したいほど憎んでいる。兄さんを奪ったお前を、絶対に許すことは出来ない」

そう殺意を向けられた彼は、「そう」とだけ言う。
男装の少女は貴様、と歯噛みをしたが、ナマエの気配に勘付いて足早に離れて行った。

彼女も異邦の人だと分かったが、メギドの諍いにヴィータを巻き込むのを是としないのだろう。
ドアが荒々しく閉じられて、サタナキアとナマエが取り残される。

「ナマエ」

サタナキアが小さく呟いた。
肩を跳ねさせたナマエは、恐る恐るベッドに歩み寄る。どうして生きているのか不思議なくらい満身創痍のサタナキアに驚けば「大きな声を上げないで」と窘められた。

「実験は終了だよ。見ての通り、永久凍結さ。おまえはもう、俺の機嫌を伺わなくて良いし、此処に来る必要も無かった」

「それは、暗に出て行けと」

「言わないと分からない?」

ナマエは口を噤む。
そのまま立ち去っても良かったが、ひとつ。たったひとつだけ、問わねばならないことがある。
ゆっくりと口を開けば、煩わしそうな瞳とかち合った。

「サタナキアさん。どうして私を逃したんですか」

それはずっと引っかかっていたことだった。
サタナキアは保険としてナマエを改造したと言っていた。身を守るために、従順で力の強い改造ヴィータを使うのだと。

それならば、何故。ナマエは逃がされたのか。
倒壊する建物から、有ったであろう激しい戦闘から。矛盾の意味を、ナマエは知る権利がある。

彼は目を伏せて、押し黙る。
賢い人だった。聡明な人だった。だけれど、それで答えを得てしまう。沈黙の中には、割り切れない感情というものが根付いている。

ナマエが彼を見捨てられないのも、彼がナマエを捨て駒に出来なかったのも。

「答えが出ませんか」

彼は沈黙を続ける。
その割り切れない答えの理由は。その名前の無い滞りの意味は。

ひとえに、情というやつだった。

感情は瞳を曇らせ、最善を失わせる。
ナマエは後など考えなかった。傷だらけの手を取って、掬い上げる。

「おまえ、何を」

怪訝そうな緑の目がナマエを見る。

「何をって」

逃げるんですよ。

このまま此処に居れば、サタナキアは殺されてしまうだろう。
そうなるくらいならば、ナマエが匿った方が良い。例え人殺しであろうとも。

芽生えた感情の理由すら分からない生命を、見殺しになど出来るはずも無い。

手を差し出して、彼を見る。サタナキアの答えを待っている。