サタナキアがゲートを通過してヴァイガルドに来たのは、此方の暦で一週間ほど前の話である。
フォトンで無理やり道を作り、手製の幻獣や研究資料を持って抜けた先は森の中。
異邦の地とはいえ、此処は所詮ヴィータなどという弱小生物の世界。獣に襲われたとて、問題はない。警戒する必要は全く無いだろう。
自身の安全については前述の通りに問題無い。取り急ぎどうにかしなければならない点は、拠点だった。研究施設として使える建築物を探さねばならない。
それについても幸いなことに、暫く歩いた先で館を見付けた。
ブラブナたちを詮索させて、周りの地形、館の内部を報告させれば、この家に実験器具が揃っていること、近くには人里が無いこと、森から出ることさえ労力がかかるという情報が手に入った。
勿論それを利用しないという手は無く、即襲撃して乗っ取ったわけである。
ブラブナは力も弱く、小さな幻獣であったし、サタナキアもまた改造によってメギドの力の大半を封じていた。
だがそれでもヴィータ如きに苦戦するようなこともなく、円滑に拠点を手に入れることが出来た。
家の住民は三体。雄のヴィータが二体。性別の偏りは残念だったが年齢はバラけていた為、データの取得に適していた。まあ想像通り、老いた方は素材として論外であったが。
そうして使った二体の後に、一体のヴィータが訪れた。若い雌…ではなく、女。
彼女の話に寄れば、この家の持ち主の“センセイ”は四体のヴィータを研修生徒として招いていたらしい。
前の二体で得たノウハウを生かして一体一体丁寧にバラしていく。
そうして一体を理性を残したまま幻獣化させることに成功したが、やはり完全とは言えなかった。ソイツはヴィータの身体の脆さに、幻獣の使えない特性だけを残した。ただの失敗作になってしまったのだ。
やはり、研究職というのは脆弱な肉体をしているらしい。
理論上ではこの辺りで上手く行く筈だったのに、ヴィータが残り一体にまで減ってしまった。魂の強度があれば成功する筈だったが、研鑽を積んだ割にはすぐに折れるような脆い意志しかない。
仕方無く残りの個体と会話を試みれば、その内の一匹はサタナキアにとって非常に難解な性格をしていた。
“貴方の名前は?”
答える義理は無い。意味も無い。だから誰に聞かれても無視をした。
だけど他のヴィータに聞かれた時より、随分と心が動いたように感じる。認めたくは無いが、この個体にサタナキアは興味を覚えている。
ヴィータの中でも毛色の違うヤツ。同じヴィータという括りのくせに、明らかに浮いていて、当人はそれに気が付いていない。
見目は整ってはいたが、中身は図太く頑固。ヴィータたちが言う“劣性遺伝子”を引いた個体なのだろう。実際のところ、劣っているかと言えばそうでなく、確固たる“個”を持った魂であるというだけ。
観察期間が少ないため、断言は出来ないが────恐らく、コイツはヴィータの中でも頑強な意志を持っている。
しかしその反面、やはり面倒だった。
充満させた神経毒の中でも、彼女はまともな思考を保ち続ける。二人目程では無かったが、奪われた思考能力の中でも己の自我を保持していた。
きっとそれが無ければ、館のおかしさなど直ぐに勘付いていただろう。毒を撒いて正解であった。
彼女を手元に置くことは確定事項で、実験が成功するであろうことも間違いがない。
だが────そう。これは私情で、全く無意味な思想である。此方を見る、彼女の瞳が気に食わなかった。
暗く明るく優しく眩く穏やかで深い色をした彼女の目。その視線は穏やかで慈悲深く、合理性のカケラも無い。
本を読む際は眼鏡を掛けていたのも気に食わない。レンズ越しの、読めない瞳が気に食わなかった。
弱い生き物に庇護を向けるのが何より気に食わない。だって古くて弱いものが死ぬのは当たり前のことだろう。
そいつは強い個体で、他者に情けを掛ける余裕があった。だが、そんなことをして何になる?意味は?価値は?利益は?
サタナキアの言うがままにするようで、意見を譲らない筋を通すところだって気に食わない。
黙って大人しく従っているのが賢いのに、予定の中で動かないのが気に食わない。魂の頑強さがなんだ。生物構造の違うヴィータであるのに、メギドのような自我を通す意味はない。
何より、ブラブナなんかに情を掛けるのが気に食わなかった。
彼女の方が優れているのに、何故弱い者を優先させるのだろう。
彼女の全ては非効率だった。
だから癇に障るのだろう。無駄なことばかりをするから、腹が立つのだろう。
だが、そうだ。
他のヴィータよりも、ずっと彼女は優秀だ。
無駄な詮索をしない聡さも、サタナキアに気持ち悪い媚を売らない硬派さも、最効率を目指す強かさも、全てが好条件。
だからこそ浮いているのは、ヴィータという種族の愚かさの現れであるが。
穏やかな色の髪は変えてしまえばいい。
燻んだネズミ色の方が実験動物らしいだろう。
暖かな色の瞳は入れ替えてしまえばいい。
見ていて腹が立つのは良くないから。
彼女の頭をひと撫でする。
さらさらと指通りの良い髪は、すぐに色を喪うだろう。
暖かな血の通う肌は、すぐに凍えて冷え切るだろう。
その強く激しく眩い瞳は、サタナキアだけを映すだろう。
ヴィータの催事には詳しくなかったが、こういうのは按手礼と言うらしい。
聖職者では無いけれど、これは立派な任命の儀式だ。
勿論、任命されるのは彼女で、任命するのはサタナキアだ。拒否権は無いけれど諦めて欲しい。彼女は星の数ほど居るヴィータの中で、特別運が無かったのだ。
メギドにとってヴィータは沢山居る実験動物に過ぎないわけだったし、そういうこともあるものなのだ。
彼女の役目はモルモット。
幻獣化実験の、名誉ある生贄である。