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異端の恋人達

「おい、サタナキア。ナマエは?ナマエは何処にいる?」

 不機嫌そうな顔で尋ねたのはフルカスだ。
 意外なことにナマエはフルカスと交流があって、よく連んでいるのを見掛ける。それにベリアルやアラストールと仲が良い。
 ついでに言えば、サラを除けば唯一と言って良いアスモデウスと仲の良い人間である。それを知った時はサタナキアも少々驚いた。一体どういう人選なのだろうか。

 多少興味のある案件だったが、ナマエに気を割いてるように思われるのは不服だった。サタナキアは気にした素振りを見せないよう、そっけなく返す。

「ナマエが何処に行ったかなんて、俺の知ったことじゃない。
アイツがフラフラしているのは何時ものことだろう」

「そうは言ってもナマエは貴様の恋人だ。管理不届が過ぎる。ナマエが行方不明になったり、万が一何処かで捕らえられでもしたら…それは貴様の責任だろう?」

「…待って。あまり理解にリソースを割きたくない言葉が聞こえたんだけど。フルカス、君いまなんて言ったんだ?」

「貴様の責任だと言ったのだ」

 面倒臭い発言が聞こえて、サタナキアは聞かなかったフリをしそうになる。このまま恋人というワードについて言及されるのも都合が悪いので、もうこのまま責任問題の話として流すべきか?
 思わずその場で最善の返しを思案するのが遅れた。無言でフルカスを見れば、彼女は特に気にせず話を続ける。

「なんだ、聞こえなかったのか?ナマエは貴様の恋人だから、管理責任は貴様にあると言ったのだ。
…ああ、恋人という言葉が分からんのか?拷問と同じくらい、心ときめく甘美な響きだぞ、恋人は!」

 フルカスは逃す気が無かったらしい。彼女は転生メギドの癖に未だ微妙に会話が出来ないマイペースさで、サタナキアの触れて欲しくない話題について言及した。
 このまま恋人ということで決定されるのも癪だったので、面倒臭く思いながら言い返した。

「それくらいは分かるさ。ヴィータが番を選定する際に行う、生殖の予行練習のようなものだろう。
ナマエと俺は君たちが言うような関係ではないよ」

「分かっていないな貴様は!」

 サタナキアの主張を、テーブルを強く叩いてフルカスは否定した。
 ナマエがいつも丁寧に拭いている作業台は、猛るフルカスの顔を綺麗に映した。憂鬱そうな自身の顔も映り込む。

「恋人とは、共に有ると高揚するものだ!胸が躍り、血が沸き、思慕するだけで活力が満ちる存在なのだぞ。
何も生殖だけの為に作るのではない。心の赴くまま、ときめきの為に生成するものだ」

 聞く限り、おおよそ世間一般のヴィータが考える“恋愛論”とは特に離れていないように感じる。
 サタナキアだって多少の知識はある。恋愛とは生殖の前段階として任意で行う、志気をあげるための工程だ。

 フルカスの言い分は世間の言うロマンスとは掛け離れた語彙で飾られていたが、定義には当てはまっているだろう。
”コイツ、案外的を得ている“とサタナキアは勝手に感心する。

「貴様はナマエを管理し、暴き、解体したのだろう!それは最早、ヴィータの言うところの睦合い…愛の語らいに等しい!
分かるぞ。私も以前、愛する男と拷問を行い、語り合ったからな。相手を知る為の共同作業というのは、実に良い」

 撤回しよう。フルカスは当てにならない。

「俺は転生した君たちよりはヴィータの文化に明るくないけれど、君の言っていることが無茶苦茶だってことは理解出来るよ」

 この話は終わりだと自室と化した研究室から逃げようとすれば、ドアに第二陣が寄り掛かっていた。
 サタナキアの進路を塞ぐように立ちはだかるメギドは、ヒールを軽く鳴らす。

「案外そうでもないと思うけれど?」

 口を挟んだのはアラストールだ。食器と茶菓子を持って歩いて来る。…推定するに、ナマエに茶を淹れさせて駄弁ろうとしたが、見当たらずにフルカス共々探しに来たという所だろう。

 アラストールは食器を丁寧にテーブルへ置くと、嘲笑するように言った。
 我慢出来ないと公言する割に、随分ヴィータに馴染んだ丁寧な暮らしをしている。

「アンタあんなにナマエのことを拷問しておいて…他意が無いって言うのは無理があるんじゃない?
まあそれが恋人にする仕打ちかと言えば、違うような気もするけれど…」

 フルカスの主張に同意はしつつも、ヴィータの常識に対する感性はサタナキア寄りらしい。こちらがメギドにしては変わっているとかではなく、フルカスが転生したとは思えない倫理観をしているのである。

「ナマエはいつもアンタと一緒に戦場に出てるけど…その時は、電気で無理に身体を動かしてるって言うじゃなぁい…」

「耐えられない程の苦痛ではないよ。メギドで有れば度外視もしないだろう」

「アハハ!ナマエはヴィータじゃないの!へえ、アンタ…ナマエを同族と同じくらいに思ってるの?それって、期待から?それともお馬鹿なだけかしら?」

 アラストールはサタナキアに歩み寄って、さりげなく人の靴を踏み付けた。ナマエは随分と愛されているらしい。
 試すような口調でサタナキアを煽ってはいるものの、その本質はプルフラスと同じなのだろう。好ましい隣人であるナマエが、サタナキアにいいようにされているのが気に食わないと。

「サタナキアさーん…って、お二人共、どうしたんですか?」

 ギスり始めた最悪のタイミングで、諸悪の根源が呑気に現れた。
 ナマエはいつもサタナキアの与えた服を着ているのだが、今日はそうではないらしい。全身真っ白で、そう。ヴィータの文化で言い表すならば、婚礼の儀というやつが連想される。

「ナマエ!何処に行っていたのだ?我らは貴様を探しておったというのに」

「花の匂い…それに、白いワンピース?なあに、もしかして…ヴィータの男でも居るのかしら」

 アラストールがケラケラ笑って、サタナキアを見た。そうしてそのままナマエの手を取って、研究室から連れ出そうとする。
 サタナキアは咄嗟に、ナマエのもう片方の手を掴んでしまった。しまったと思いつつも、適当に誤魔化す。

「ナマエは俺の助手なんだけど」

「ふうん。だからどうしたって言うのよ?そんなカビ臭い事よりも、ねえ、フルカス…もっと重要な事があるわよね?」

「その通りだ!ナマエが誰に会っていたのか…それは男なのか!好いているのか!聞かねばなるまいな!」

 サタナキアはナマエに男が居ないということを確信している。
 入れ替わったオレイも、プルフラスも、後はお節介焼きのアンドレアルフスなんかも、ナマエの恋人に付いて言及したことはない。

 第一、学園の研究室とアジトの研究室を往復するだけのやつが男なんて出来るわけが無いだろう。
 サタナキアは気分転換の配置換えが終わった後、まだインスピレーションが無ければナマエを学園まで迎えに行くことがあるし、そのまま家にも滞在する。買出しの当番が回った際も、基本的にナマエを荷物持ちとして呼び付ける。
 そんなスケジュールで生きている女にオスの影があるならば、誰より早くサタナキアが知っている筈だ。

 だからサタナキアは、ナマエの次の言葉をおおよそ確信していて、何かを思案する必要など無いと思っていた。

「まあ…そうですね。ちょっと特別な人に会っていました」

「は?」

「は?」

「ほう!」

 は?
 サタナキアと、ついでにアラストールの口から溢れたのは、ナマエと相引きしていた男に対する率直な感想である。
 フルカスだけは目を輝かせて聞いているが、此方の内心は穏やかではなかった。空気が先程よりも激しくピリついている。アラストールも床が砕けるほどにヒールを鳴らした。

「は?なに、アンタ…ヴィータのオスと?」

 アラストールの怒りの理由は、友人がリア充だったことではない。
 なんだかんだ彼女はナマエがサタナキアを好きなことを認めてはいるので、サタナキアの監督不足で悪い男に捕まったのではないかと即座に思い勝手にキレたのである。
 アラストールは我慢の出来る、沸点が低いメギドだった。

「どんな男だ?貴様がめかし込むなど、さぞや特別な男なのだろうな!」

「そうですね。大切な人なんです」

 テンションの上がって行くフルカスとは反対に、サタナキアもアラストールもどんどん視線が冷えて行く。
 アラストールはサタナキアに、サタナキアはナマエにだ。

「ではナマエ!当然その話、聞かせてくれるな!」

 下がっていく部屋の温度など気付かず、フルカスはガンガンナマエに詰め寄った。
 ナマエは軽く「つまらないと思いますが…」と返して、湯沸かし装置のコックを捻る。どうやら、此処を間借りする気らしい。

「俺は失礼するよ。その話、興味無いし」

 結局、最初に席を立ったのはサタナキアであった。
 失礼するも何も、此処は彼の研究室であったが────とっととその長い足で部屋を出て行く。よっぽど不快だったのだなとアラストールは逆に冷静になって行く自分を感じた。
 あと、コイツ案外分かりやすいのねと呆れていた。

 もう流石に終わっただろうと研究室に戻ったサタナキアが見たのは、お茶を淹れるナマエの姿である。
 彼女はサタナキアを視認すると、戸棚からもう一つカップを取り出した。勝手にナマエが買って来た、サタナキア用のものである。
 元々使っていた適当なやつをプルフラスが割った際に、ナマエがオレイも含めた研究室出入り分を買って来たのであった。ご丁寧に、サタナキアとサタナキアに変装したオレイ用が分けてある。

「お帰りなさい。では此処に座って頂いて」

 呆れたことに、ナマエはサタナキアにも話す気満々であった。
 じっとりと視線を向けられた彼女は、特に気にも止めずに無視して紅茶を淹れ始める。茶請けにはチョコレートが乗っていた。

「俺の時間を無駄に取らせないで、ヴィータの男と馴れ合っていれば良いだろ」

「今日はずいぶん喧嘩腰ですね…」

 椅子に座ったナマエが困った顔をする。こういうポーズなだけで、実際は別に困っていない。
 ただストレートに笑ってしまえば、嫌味の応酬が始まって話が進まなくなるからそういう風に振る舞っているだけだ。

「わたしに恋人が居ないのは、サタナキアさんが一番知っているでしょう。第一、貴方のせいで全然モテなくなりましたけど」

 ナマエは今まで異性同性と同じくらいの付き合いがあったが、今では圧倒的に同性とばかりつるんでいる。
 サタナキアが家に出入りするようになってから、異性から声を掛けられることが減ったのである。つまり、今まで親切に話し掛けて来ていたのは…考えないようにしよう。

「隙あらば自語りで恐縮なんですけど…聞いてくれますか?」

「勝手にすれば」

 サタナキアは絶対、自分から聞きたいとは言わないだろう。
 そういう人であると、ナマエは把握している。だからあくまでナマエが話したいというポーズを保っては居たが、まあサタナキアもそれは分かっている。

 アシュレイのルーツは話さない癖に、ナマエの生まれを聞くのもフェアではないと思っているのもあるのだろう。
 だが、ナマエは”同じだけの秘密を共有する“なんてこと、なんの意味も無いと思っていた。

 彼がソロモンを命を預けるに足ると思っているように。ナマエもまた、サタナキアに全てを委ねても良いと思っているのだから。
 嘘も秘密も要らないのがナマエとサタナキアの関係だ。純粋に、正直に、只々普通にイカれた人間関係なのである。

「大切な人と言うのは、幼馴染の男の子です」

「…子供?」

「ええ。同い年だったけれど、死んでしまったので」

「ああ…そう。言っておくけど、お前とそいつの昔話とか、聞かないからね」

 無駄な時間とリソースであるのに、ナマエの話であるならサタナキアはなんとなく記憶に残してしまうだろう。
 それが分かっていたので牽制すれば、ナマエは「話しませんよ、そんなどうでもいいこと!」と言った。彼女はどうでもいいことに幼馴染の思い出を区分していた。

「本題なんですけど、幼馴染はですね…」

「…」

「今思うとメギドだったような気がしたんです。だから、掘り返したら使い道があるかなと」

「…は?」

「多分ですが転生メギドだったんですよ。自由に出来る遺体があれば、何か役に立つかもと思って」

 サタナキアが呆れたのは、不機嫌なコチラを無視して事情説明をする図太さではない。ナマエの異常性にである。
 彼女は大切な存在だと言いながら、一切の迷いなく幼馴染の死体を提供すると発言した。
 元々結構キテるヤツだとは思っていた訳だが、想像以上に彼女はサタナキアに傾倒していたらしい。

 思えば、アシュレイがあんな人格になるのも納得である。
 彼女の器を持ってしまったならば、彼女がその器のルーツを確立した後に写してしまっていたならば…そら、サタナキアを殺してでもプルフラスという目的を優先させるだろう。

 実際、ナマエも戦争社会に生まれていれば、サタナキアの為に人の一人や二人刺しそうである。
彼女はヴィータの倫理観を持っている分マシな個体だった。

「それで、結局死体は?」

「残念ながら。彼だけは埋葬していたのですが、墓すらありませんでしたね。解体されてしまったのでしょうか」

「へえ、そう」

「どうでもよさそうですね。転生メギドの遺体、興味ありませんでした?」

「そういう訳じゃないよ。ただ、不確定の物に割く時間が無駄だと思っただけさ」

「ああ…それもそうですね。今後は探さないことにします」

「そうしなよ」

 サタナキアにとって非常に認め辛い事実であるが、彼女の大切な存在は過去の物でしかなく、その上で此方の方が優先順位が高いという事実に確かな満足を覚えていた。
 ナマエの肩を落としている理由などはどうでもよくって、寧ろその幼馴染の骨も墓も見つからなかったことに喜びを感じている。

 サタナキアは探究心の強い個だ。
 理性的で合理的に振る舞っては居るが、実際は知識を得ることへの快楽に溺れやすい思考ルーチンだと自身で理解している。
 手段と目的が変わってしまう事だって多々あった。実験と結果から、次の過程に至り成功するプロセスの流れが“楽しい“…脳内に快楽物質を発生させると理解しているからだ。

 結局、その知識欲の中に“ナマエについて”のカテゴライズが適当な理由をつけて入って来た時点でおしまいだったのだ。

 神経質で几帳面ではあるが、面倒臭がり。有用であればなんでも行うが、不要なことはしたくない。
 だから彼女についての知識を得ることへの理由を明確にしなかったのは、面倒だったからではなかった。
 ”得ようとした段階で“既に答えが出ているのを、素直に認めなかっただけである。

 ナマエというヴィータの定義について。
 そんなことをラベル付けした時点で、サタナキアは彼女のことを。

「ナマエ。おいで」

 疑いもせずに近寄って来る、バナルマのような素直さはサタナキアだけに向けられる物だ。
 二歩先に止まった彼女の頭を撫でて、そのまま引き寄せる。

「え、えっとお…」

 困惑するナマエを無視して、そのまま膝の上に乗せて囁く。

「勝手な行動はしないでね。何処かへ行くなら、必ず俺に相談するんだ。いいね」

 そういうこと言うから君はダメなんだよ!
 陰で隠れていたオレイは思った。