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按手礼は裁かない 01

地元に帰ったナマエを驚愕させたのは、己の思考の鈍さと楽観である。

学校に戻ってレポートを提出すれば、ナマエが一番早かったと教員に褒められた。
加えて、あまり奇抜なお洒落はやめなさいと頭髪を咎められる。
 
イマ、カーラ、シーヌは戻っていないし、シンデール教授からは返信が無いのだと憤慨していた。
聞いたナマエは震え上がる心地であったが、全く恐怖の抱けない体を思い出し、それこそが異常であると知覚する。

まるで霧が晴れるように、さっぱりと洗われていく頭は何かに呪われてでも居たのだろうか。

今迄はぼんやりと霞みがかった色々なことが連鎖的に思い出されて、途中で何故か切り上げてしまった思考たちが浮上してくる。

例えば、最初から全てがおかしかったこと。
浮世離れした男を除いて、誰も居ない屋敷。帰って来ない同窓の人間。彼女の美しい金の目。好きな色。平然とする男。ナマエの視力。化かされたように、理解に苦しむ事象ばかりを観測している。
酷く鈍い人間であるとナマエは自分を理解している。だけれど、導き出される答えはひとつであった。

だが根拠も無く疑い掛かることをどうしても肯定出来なかったナマエは、やはり本人に問い質すべきであると思った。
どうせ、一週間でまた戻る予定になっているのだ。

彼がシロにしろクロにしろ、ナマエの生命は握られている、と判断するのが自然である。

その場合、ナマエは彼をどうすれば良いのだろう。
傲慢にもヴィータを嘲笑う彼を、叱責すべきか、責め立てるべきか。少なくとも、引き渡すべきではあった。
 
結論は出ない。しかし、このまま放置すべきとは思わなかった。ナマエは人間性こそ少し失ってしまったが、善性だけは握り締めている。

同窓の生徒たちの足取りを追ったが、やはり彼女たちの消息は掴めない。

寧ろ、致命的な別の証拠なども見てしまった。
シンデール教授の顔である。それは、どこからどう見てもサタナキアの血縁などではなく、本人の申告通りに屋敷に居座った赤の他人であるということが確定してしまった。
彼らは、何処へ消えたのか。

青い顔、は常であるが、青褪めた気分で写真を眺める。年を食った男は、覚めるように美しい顔などでは無い。
鈍痛がするような気がしてきた頭を抑えていれば、あれあれ、れれれ、と声が掛かる。頭痛が加速する声であった。

「パイセンパイセン、どしたのどしたの~?」

聞かなかった振りをするか一瞬だけ悩んで、己の悪性を断罪した。それはいけないことである。

例え、関わったらロクでも無い目に合う相手であっても…というか、既に酷い目に遭っている。
彼女がナマエに話し掛けて来たのも必然であろう。

「こんにちは、シャックスさん。戻って来て居たんですか?」

彼女はシャックス。植物を専攻している学園の後輩であり、不運を呼ぶトラブルメーカーである。

確か現在は休校して何かの旅をして居たと聞いていたのだが、その直後に学園自体が休校。
授業は一切進むことが無く、彼女自身はいつもツイてるなと思った記憶がある。

ぴょんぴょんと跳ねる彼女は「あのねあのね!」と語り出した。

「近くで色々あったの!ゲンゲンとジュウジュウと屋敷をね、ハカイハカイ!」

「ゲンゲンさんとジュウジュウさん…お友達ですか?」

「違う違う!ゲンゲン、ジュウジュウ、メギドラル!ハルマゲドンが来たら、ドカンなのだ~!」

にっこにっこと屈託無く物騒なことを言っている。ハルマゲドン…とは、御伽話だった筈だ。赤い月が満ちる時、世界は破滅する、とか何とか。

シャックスという名の少女がトンチキなのは今に始まったことでは無い。
すごいですね!と手を叩けば、むふふ~と自慢げに笑った。…いや、待て。今、なんと言ったか。

「メギドラル?」

「そうそう!あたしたちとモンモンはね、メギドラ…」

むぐぐ、とシャックスの口が塞がれる。
突然の第三者の介入に驚けば、黒髪の少年…こちらも後輩、マルファス少年であった。
シャックスと仲が良いのだろう、ノートの貸し借りをしている場面などをよく見る。

「ハハハ…ナマエさん、コイツ馬鹿なんで、妄想と現実が混ざってしまうんですよね」

「マルマル、ヒドイヒドイ~!あたし、嘘は言ってナイナ、」

「お前は少し黙ってろ!」

彼は全力のフォローをしているのだが、喋れば喋るほどに誤魔化せなくなっているのが気の毒だった。

ナマエは聞かなかった振りに徹しようかと思ったが、妙な引っ掛かりを覚える。
メギドラル、異界のことだと彼は言っていた。ゲンゲン、ジュウジュウ、もしやとは思うが、幻獣…メギドラルのバケモノのことかと行き着いたナマエは、質問をする。

「シャックスさんとマルファスさんは何方に行っていたのですか?」

探るように問い質すナマエに、マルファスは内心で冷や汗を掻く。
このナマエという先輩は、鈍いようで馬鹿ではない。数年長く生きてるだけはあり、処世術も得ている。

つまるところ、どちらかと言えば、聡く、鋭い人間であり、お荷物を抱えた状態で長話はしたくなかった。

「何処にも行ってませんよ。王都に居ました」

「お屋敷だよ!キアキアのね、研究を妨害妨害!」

「馬鹿!」

屋敷、この辺りに破壊された屋敷などがあれば、すぐに話題になる。
そうして、シャックスが変なものを持っているのが見えた。

「あの、それ、」

「んん?これね、蜜袋!」

ぼんぼり。黄色いぼんぼり。滅茶苦茶見覚えしかない。鳴き声の幻聴が聞こえる。
恐る恐る、そうでないことを祈りながら問い掛ける。

「もしかして、衛星都市近くの郊外ですか?」

「え!スゴイスゴイ!どして分かるの?ナンデナンデ?」

ナマエは今日一番に血の気が引いた。
破壊された屋敷。幻獣。メギドラル。見覚えのある蜜袋。

ナマエが駆け出すのは一瞬のことであったし、己でもドン引きするくらいの速度が出て正直引いた。バチバチと電流が弾けて、筋肉が無理やり動いている感覚がある。
正真正銘の改造人間であったのだと痛感する。
 
兎にも角にも、ナマエは急がねばならない。ここで走らなければ、全てに後悔するような気がしたからだった。

後に残されたマルファスは茫然とし、シャックスは手を叩いて喜ぶ。パイセン、ハヤイハヤイ。