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物質のプレーン④

 海を埋め尽くすのは、エニグマの群れ。

 それらは全て弱い個体だったけれど、だからと言って生徒が勝てる道理も無い。
 遠くでペシュの悲鳴が聞こえて、次いでピスタチオの声も聞こえて消えた。

 初手で数人持って行かれた手前、ナマエが今頃走った所で意味の無いことだろう。
 すべきは敵の殲滅でなく、状況の把握だと踏んだ。

「ナマエ!オレの後ろに下がってろ!」

 ガナッシュはナマエを手で制し、後ろに下げた。カシスは「ヒュー!お優しいこって!」と冷やかしをしたが、それ以上の無駄口は叩かず前に出る。
 彼らは随分、女に甘いらしい。ナマエには守られる価値など無いと言うのに。

 ナマエは厚意を受けて有り難く、一歩下がって様子を見た。
 マドレーヌを探しに行きたい所であったが、この場にはガナッシュとカシスが居る。オマケに言うなら、ガナッシュは闇の魔法使いだ。孤立させては、囮にしたも同義だろう。

 奥の林からは只野が走って来て居たので、ナマエは素直に合流した。
 只野は困った顔でナマエを見る。加勢するかしまいか、悩んでいるようだった。

 確かにカシスとガナッシュは依然として魔法を唱えており、話を聞いている場合でも無いだろう。

「此処は抑えるからいいよ。もしもう一度合流出来たら、状況を教えてくれないかな?」

 只野は頷いて、走って行く。
 それを見送ったナマエは、ポケットから出したボムをエニグマにぶつけた。鈍い音を立ててエニグマが沈む。

 無限にエニグマは湧くが、それが一旦の切れ目だろう。三人で一ヶ所に固まれば、少しだけ余裕が生まれた。

「グラン・ドラジェは何を考えているんだ。オレたちとエニグマを戦わせて、兵士の補充がしたいのか?」

 ガナッシュは独り言のように呟いたが、その相手は明確だ。
 ナマエは特に隠す理由も無いので、正直に答える。

「未熟な兵士を戦争に出してなんになるの?それに、寝返ったら面倒臭いよ。魔法が使えるんだから」

「それは…」

「戦わせるだけなら、座学なんて要らないよね。実技だけを教えたら良い。
でも、そうしたらただの強い兵士になっちゃう。それじゃあダメ。だって強い魔法使いを作りたいんだから」

「それは何が違うんだ」

「さあ。わたしはそうじゃないから。よく分かんないや」

 ナマエの返答に、ガナッシュは少し哀しい顔をした気がする。
 彼の心の内はわからない。きっとナマエを恨んでいるのに、酷く同情的な────憐れと言った目を向けるのだから。

「おいおい!呑気に喋ってんのは良いけどよ、ジリ貧だぜ!
んなどうしようもねえこと考えるより、誰が只野を追うか決めた方が良いんじゃねえの!」

 カシスは呆れて、少し怒りながら言った。荒い性格と口調をしているが、その本意は怒りでなく心配であろう。
 ナマエは少し思案して「ガナッシュ」と声を掛ける。

「いや、ナマエだろう。オレとカシスで、此処は食い止めた方が…」

「いい。ガナッシュが行くべきだよ」

「はあ?なんでだ。キミはいつも、そうやって…」

「うっせえな!おまえのがガキなんだから、素直に行けって!」

 そういうことだ。
 ナマエは、若者を先に行かせるべきと思っている。なんだったらカシスも行っていいが、彼はそれを承諾しないだろう。

 苦々しい表情のガナッシュが「ナマエ、気を付けろよ」と走って行く。カシスは言われない辺り、彼はしぶといと何らかの信頼があるのかもしれない。
 ナマエからすれば、皆吹いたら消えそうな魔法使いなのだが。

 その後ろ姿が見えなくなった頃、カシスは口を開いた。

「おまえ、こうなることを知ってただろ。あのなあ、そういうのは早く言えっての」

「襲われるのは知ってたけど、拐われるのは聞いていない。
正直、驚いてるよ。こんなにおじいさんが焦ってたんだってね」

 それは本心だった。グラン・ドラジェが子供達を集めるのは、来るべき決戦で勝利を収めるためだ。

 尤も、その“勝利”というのは、ナマエが勝手に仮定していることだが。彼が言うには、血で血を洗った時点で勝敗などは無く、ただ暴力を持って制したというだけに過ぎないのだと。

 だがその勝利を成すために、このような暴挙────集めた選りすぐりの魔法使い達をエニグマに差し出すなどという、イカれた方法まで用いるとは。
 訳がわからないという点で言えば、クラスメイトとナマエは同意見だった。

「ふうん。じゃあ、今迄もそうだったっつうのか?」

「それは違う。拐われたなら、もっと大事になるだろう。そうならないのは、キャンプから帰って来た子供たちが自らの意志で失踪するからだ」

「…自分から学校辞めるっていうのか?
言っちゃあなんだが、星有数の進学校だぜ。ウィルオウィスプは」

 カシスらしくない発言だったが、そのリアリストさが一周回って彼らしいとも言える。
 国どころか星有数の学校であるウィルオウィスプは、卒業するだけで輝かしい未来の足掛かりとなるのだ。官僚、将軍、教師。どんな職業も、名声も、思いのまま。

 それを途中で辞めるというのは、単純な損得勘定で非常に惜しいものである。

「そう。エニグマと接触した魔法使いは自棄になる。目先の欲求を制せず、力に溺れてしまう」

 しかし、彼らはそうする。それは、第三者の意思が介入するからだ。

「それに、そんな計画はマドレーヌが必ず批難する筈。
わたしはグラン・ドラジェに言われれば、そうするだろう。だがそんなこと、彼女は決して許さない」

 カシスはじっとりとナマエを見た。なんだと言い返そうとして、口調の乱れに気が付く。
 咳払いをひとつして、話を切り返す。

「まあなんにせよ。わたしも先生も、こんなの予想外だったって話だよ」

「ああそう。んじゃまあ、そいつを信じとくよ」

「いいの?」

「いいよ。おまえ、正直者じゃん。黙ってりゃいいのに、いつも余計なこと言って貧乏くじ引いてる」

 彼は口角を吊り上げた。微笑ましいような、揶揄うような視線である。

「ガナッシュのことだってそうだ。しらばっくれてればいいのによ」

「それは善くないことだから。シャルドネが、ウソを吐くよりは正直に言った方がいいって常日頃」

「そーゆーとこだぜ!そーゆーとこ!」

 カシスは呆れた顔をする。美徳とは言ったが、度が過ぎるとウザいということなのだろうか。

 彼の内心は“いつまでも故人を生きてる風に言うの、精神衛生に良くないぜ”の一点であったが、それがナマエに伝わる事は無い。
 カシスがそう思うのは、優しさとエゴが半分ずつだったからである。

「まあ、オレらも駄弁ってる場合じゃねえよな。これ、どうすんだよ」

 魔法を唱える手を止めたカシスに、手持ちのボムが尽きそうなナマエ。
 結局ガナッシュは帰って来ないし、只野とマドレーヌの姿も見えない。このまま消耗戦を行なっても良かったが、防戦するだけというのも芸が無い。

 ナマエはカシスの手を引いた。
 後ろ手でなけなしのボムを投げ付けて、魔法を唱える分の労力を思考に回す。

「積極的なことで。こーいう場面じゃなければ、メシでもどうって聞いてんだけどなあ」

「お腹空いてるの?でもごめん、今は食べてる場合じゃないよ」

「はは、アンタまじで冗談通じねえよな!」

 何がおかしいのか、カシスはケラケラ笑っている。よく分からないが、愉快そうで何よりだった。

 ナマエはそのまま手を引いて、洞窟を目指す。
 すれ違うエニグマをボムで黙らせ、軽口を叩く割には限界が近かったらしいカシスを引っ張って、海賊の眠る陰惨な土地に捩じ込んだ。

「こんな所で何するって言うんだよ?まさか、逃げ隠れるとかじゃねえよな」

「違うよ。わたしの目的は────」

「あっ!ナマエ!カシス!おまえら襲われてねえの!?」

 高い声が響いた。前方を見れば、セサミがこちらに指差している。
 そのまま彼はズンズンと歩み寄ってきたので、屈んで目線を合わせる。そして「エニグマか!?」とナマエの頬をつねった。カシスが呆れるように溜息を吐く。

「おいセサミ。此処でなにしてんだよ」

「なにって、隠れてんだよ!分かるだろ、あそこのウズマキからエニグマ出て来んの!誰かが見てないといけないだろ!?」

 そうして次に指したのは、ナマエの目指していた場所だ。

「ああやっぱり。此処からか」

 ナマエは立ち上がって、渦巻きに近付いた。

 そこからは別の空間に通じるような歪みを感じる。
 実際に目にしたのは初めてであったが、話には聞いていたのだ。キャンプ場には、別プレーンに通ずる穴があると。

 片足を入れてみれば、奥には広い空間がある。ワープとして正しく機能しているようだった。

「なにしてんだよ。危ないだろ」

 セサミが訝しげに言った。しかし、ナマエは問題無かったので、もう一歩足を進める。

「わたし、ちょっと行ってくるね」

「はあ!?本気で言ってんのかよ!おいカシス、ナマエ止めろよ!こいつ、まわり見えねえんだよ!いつも!」

「セサミの言うとおりだぜ。ナマエ、なにしてんだよ。行くにしても、説明してけって」

「いかせんなって!だめだろ!絶対あぶないだろ!」

 確かに一理ある。
 急いでいたので自己完結していたが、彼らには一報すべきだろう。

「ここからエニグマが出てるんだよね」

「そう言ってるだろ!」

「じゃあ、あっちに行って止めてきたらいいよね」

 そうはならねえだろ。
 セサミの目はそう物語っていたが、ナマエには通じなかった。困ったように彼は年長者を見たが、カシスは「ふーん」と一考し、「まあ、道理だよな」と納得していた為、セサミは愕然とする。

「わっかんねえヤツ。もう、好きにしたらいいぜ。オレは行かないけどな」

 拗ねたような口振りで、セサミは岩陰に帰って行った。
 残ったカシスを見れば「んじゃまあ…どっちが先行く?」と乗り気である。

 じゃあ、わたし。
 思い切ってジャンプをすれば、船酔いのような感覚に襲われる。なるほど、時空ワープは気持ちが悪い。