彼はこんなに幸せそうなのに 親友の想い人を奪ってしまったんだ そう哀しげに笑うのだ
黒崎一護に取っての只野ナマエというのは、おっかなくて強い女性であった。
もう随分昔のことに感じてしまうが、只野ナマエと出逢ったのはルキアと出会ってすぐのことであった。
浦原の店に客として訪れた彼女は、うら若い女の姿をしている。なんでも、斬魄刀の能力に引きずられているらしい。…と言っても、現在一護が見ている姿よりは幾分か年を取っている風であったが、目深に被った帽子で顔がよく見えない。
時代錯誤なそれを指で押し上げて、「ふん、君は黒崎一護か」と呟いた。
焦るルキアを余所に、彼女は手で制す。知っておるわ、と古めかしい語感だ。
「なに、私は朽木くんに用が有って来たわけではない。その件に関しては静観を決め込むつもりなのでな、安心したまえ」
軍人のような口調の彼女に、古風な帽子は大変似合っていたが、今思うとそれも嘘だったのかも知れない。
どこか一線を引いた人だとずっと思っていたが。それは正しかったのだろう。過去の彼女はどこまでも普通の女の子で、図々しくも太々しくも無い。きっと計算されたキャラクター作りであった。
その場では顔合わせで終わったが、結局彼女とはすぐに再会することとなる。
瀞霊挺に乗り込んで、ルキアを救出する際。門の上で座っている人影は軽い足取りで降りて来る。剣を構え、向けると見覚えのある帽子だった。つまるところ、開幕から彼女に出会したのだ、が。
「良いぞ。通りたまえよ。恩は売っておくべきだからな」
そう言って彼女は自傷してしまう。適当に切り傷を付けていくナマエを引いた目で見ていれば「見世物じゃないぞ」と彼女は言った。
適当にその場を通してしまうのは大丈夫なのかと問えば、別にとだけ。ただ責務があるので、戦った風にだけ振る舞うのだと言う。
「目玉ではあるだろうが…私としては、この後にもっと重要な案件があるのでな。その際には、君に頑張って貰う必要があるし」
だからほら、とっとと行けと背中を叩く。
血塗れの手で、激励を贈られた。さっぱり真意は読めなかったが、彼女なりの正義があるのだと知るのは、また少し経ってからの話であった。
未来を見透かしたような彼女。
透き通った対の瞳はどこか虚で、見通しているようで怯えているようにも思えた。
実際、此処に過去の彼女が来たことで理解をしてしまう。
あの時点で只野ナマエはある程度を知っていた。その上での行動だ。一護には彼女の苦悩など分からなかったが、一人で千年単位の恐怖を抱えていたと知る。
────例えばそれは、彼女の最期だとか。
▽
ナマエの顔を見に色々な人が訪れるが、特に京楽さんと浮竹さんは驚くほど頻繁に会いに来る。
よっぽど死ぬ前のナマエと仲が良かったのだろう。現代の菓子を持ち寄って、いつも目新しいものを食べさせてくれた。
そのどれもが好ましい味であると驚けば、「君は本当に甘いものに目が無いな」と彼は笑う。
それが何処か哀しげで、痛ましく感じる。ナマエはただ美味しいとだけ言うようにした。
たまに彼はナマエを街へと連れて行く。そこまで気を回さなくても良いと言ったが、「俺がそうしたいと思ったんだ」と言われてしまっては何も返せない。
本日は茶屋に行くらしく、申し訳程度の着替えを済ませた。
最初の頃はふつうに統学院の制服を着ていたが、松本さんに窘められてしまった。
仕方無し、未来の自分の着物を拝借しようと思ったのだが、ナマエの部屋には驚くほど物が無かった。
流行や時代の移ろいに明るく無かったので、松本さんに付いてきて貰っていたのだが、「嘘でしょ?」と言われてしまった。最低限の家具に、最低限の衣類。しかもそれは子供用で、ナマエが父に贈られたものばかりである。
物持ちの良さには関心したのだが、着て行く服が無いのには変わりが無い。
妥協してそのまま行こうとすれば、松本さんと雛森さんと檜佐木さんで先に買い物に行くことになった。
檜佐木さんが何故着いて来てくれるのか疑念に思ったが、すぐに理解する。大量の荷物を彼は抱える羽目になった。
そんなこんなで着物を新調したナマエは可愛らしく着飾って、浮竹さんとの茶会に馳せ参じる。
礼儀としてきっちりとした格好をしては見たものの、彼からすればナマエは子供みたいなものである。少し気恥ずかしく感じていれば、意外なことに彼はナマエを褒めちぎった。凄くかわいい。嬉しいよ。とても素敵だと。
あんまりにもちやほやされるので照れて顔を逸らせば、彼は「すまない」と笑いながら謝った。
「君は仕事熱心だったし、滅多に着飾らない人だったから、嬉しくてな」
うんうん、と一人で頷く浮竹さんに、ナマエは未来の自分はどんなやつだったんだ…と謎が深まるばかりである。
しかし少し歩き辛い。慣れない履物に苦戦していると、浮竹さんは手を差し出す。益々恥ずかしくなりながらもそれを取れば、彼はやはり嬉しそうに顔を綻ばせる。
何故かと問えば、少し悩んでから口を開いた。
「君も、可愛い着物を着て、照れて、喜んでくれる、普通の女の子だったんだなと思ってな。それを知れたことが、俺はとても嬉しいんだ」
そうしてされるがままに手を引かれて、街の中を歩く。ナマエと浮竹さんは、親子のように映っているだろう。しかしナマエの心はそんな穏やかなものでなく、ばくばくと心臓が早鐘を打つ。
あっという間に茶屋に付いて、あっという間に注文が届いた。
ナマエは大人しく長椅子に座って、甘みの強い茶を頂く。なんでも、今時は茶に砂糖を入れるのが定番であるらしい。程良い甘みがお茶請けに合う。ナマエは実は少しだけ苦い茶が得意では無いのだが、どうやら察されてしまっているようだった。
「美味いか?」
口の中に物が入ったまま喋るのは行けないと躾けられている。
こくこくと頷けば、彼は満足そうに笑った。そうしてナマエに沢山食べるんだぞ、と自分のあんみつを寄越そうとするので、それは丁寧に遠慮した。これでは雛の餌付けである。
「浮竹さんは、優しいですね。私は貰ってばかり。少し、申し訳なくなります」
結局押しに負けてあんみつを分けて貰えば、浮竹さんは「それは違うぞ」と真剣に言う。
朗らかな態度ではあるのに、真摯に真面目に言うのだから少し驚いてしまった。
「俺はもう君に沢山貰っている。それこそ、返せないくらいに。実際、君は返させてくれなかった。だからせめて、今の君にしてやれることはしてあげたいと思っている」
そうして食器が口元にやってくる。
おずおずと口を開けば、そのまま一番おいしいところを貰ってしまった。求肥をもむもむと食んでいれば、彼は満足そうに笑う。
「俺がそうしたいと思っているんだ。どうか、それを許してくれないか」
その言い方はずるいですよ。
ナマエは頷く代わりに「団子も食べて良いですか」と小さく言った。彼は、幸福そうに目を細めている。