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夢の続きを

「いやー、ナマエサンも中々イカれてますねえ」

 ナマエは起き上がってニヤついた顔の男を見る。
 色素の薄い猫っ毛に、絶妙に汚い無精髭。ヘンテコな模様の帽子が、男の奇人変人という印象を強めていた。

「えーっと、ウラハラサン」

「まだ調子悪いんスか?浦原ですよ、浦原」

 つい先日知ったばかりの男────その表現は正しくない。“以前の”ナマエとは懇意にしていたらしいが、今のナマエとはつい十数分前に面識を持ったばかりの男は苦笑した。

 ナマエの斬魄刀の能力は時間移動ではない。本質的には移動ではないのだ。
 斬魄刀の第一の特性は、“座標にピン留めをする”能力だった。ナマエが一滴の血を零した時、その時間という座標に“ピンを留める”。その日その時その場所をその物体を、送り先として登録するのである。

 無論、そこで終わりという話でもない。
 条件を満たした上で始解をすると、登録した場所へ時間ごと移動する。有効範囲はナマエが覚えている分すべて。記憶に無ければ飛ぶことは出来ない。強いのに雑な能力だ。

 この段階で既に恐ろしい能力であるのだが、次の段階、卍解がある。

「自分を小分けにしてアタシなんかに送り付けるなんて、例え自前の能力だったとしてもやろうと思いませんよ」

 ナマエの卍解は、ダメージを与えずに魂魄を切り分けることが出来た。
 虚を斬り付けるには向かない小刀は、人の魂と巣食う災厄を可視化し、切り分ける為の形状だったらしい。依代這子の名の通り、神霊…魂魄の受ける筈であった厄災を、這子として指定した身代わりに押し付ける為の斬魄刀であったのだ。

 死を覚悟したナマエは、切り分けた自身の魂魄を未来へ送る。戦いに必要な部分を残して、戦いに不要な部分は切り離して。浦原が言うには「身を削って作る改造魂魄みたいなもの」だそうだ。
 そこで受け取り先として選ばれたのが、この浦原喜助という男だったようだ。

 申し訳無いのだが、ナマエは浦原喜助についての記憶も持ち合わせていないので彼のことを知らなかった。ただ、彼が丁寧にナマエを組み立てて、きちんと蘇生してくれたところを見ると、未来のナマエは慧眼だったと言える。

 ナマエの身体は完全に死んだ(最初から魂なので、死んだというのも変な話だが)訳であるが、押し付けが上手くいったナマエの魂魄は再構成され、こうして浦原商店に届けられたのだ。

 腕をブンブン振る。足を曲げる。浦原を叩いた。「アイタ!」大袈裟に痛がったが、そんなわけは無い。
 ナマエは”布の腕“を振り回して、畳の上で跳ねた。ポスンポスンと綿の音がする。

「でも良かったんスか?もっといい身体ありますけど…そんなぬいぐるみで」

「一旦これで大丈夫です。かわいいし」

「確かに可愛いですけどねえ」

 うさぎのチャッピー…と言うらしい、クソデカうさぎのチャッピーに魂魄を入れたナマエは、可愛らしいぬいぐるみの姿をしている。
 浦原喜助という男についてはおろか、未来の自分がなんで死んだか。どうして死んだか。なんのために死んだかをナマエは覚えていない…いや、それは正しくない。ナマエは“知らない”のだ。

 ナマエの斬魄刀は全ての能力で一つの事象が完成する。それは、魂魄をちぎり取って、時間も空間も超えた場所に送り付けることだ。
 ピン留めした時間軸の、足を鳴らしたナマエへ、部分的にちぎったナマエを送り付ける。

 もちろん千切られたナマエの記憶、肉体の質量、魂の重さ、霊圧。その全ては千切られた分しかない。
 だけどナマエは自分が死ぬことを知っていたから、決戦の前に自分の魂魄を分けて未来に送り付けたのである。ナマエが死んでしまっても、ちぎったナマエが残るように。

「しかし、同じ思想だけを持った”わたし“は、本当に只野ナマエと言っていいのでしょうか?記憶がわたしをわたし足らしめるのか、思考がわたしをわたしと定義するのか」

「研究者としてその議論は気になるところっスけど、その物言いは間違いなくナマエサンっすね」

 生きてきた年月も記憶も力も分けてちぎったナマエは、元々あった三等級の霊子も見る影が無い。最終決戦に向かう本体からそんなに分離させる訳にもいかないので、あまり必要のない落ちこぼれ時代の記憶くらいしか持っていないのだ。無論霊子もダダ下がりしているので、今や六等程度すら無いだろう。平隊員以下の、学生クラスが精々だ。

「ナマエサンと言えば、人生の大先輩で頭の上がらないオネーサンだったんスけどねえ…」

「今が2000年代って事を考えると、おばさんが妥当かと思いますが」

「いやいや、貴方若かったっスよ!並んだらアタシの方が年上に見えるくらい。今考えて見ると、ナマエサンは定期的に“自分を切り分けてたから“若かったんスねえって分かりますけど、当時は不思議で不思議で!」

 当時から魂魄を千切っては送り千切っては送りをしていたナマエは、浦原喜助が記憶しているだけでも数百年ずっと若かったらしい。今よりは歳を取った外見だと言うが、この口振りだと大して変わらなかったのだろう。
 それは確かに、不思議を超えて少し不気味なレベルである。

「早く戻ってあげないと浮竹サン可哀想っスよ。ナマエサンが死んだって思ってるんですから」

「死んだのは本当ですよ」

「確かに九割は死んだっスけど、一割生きてるんだから問題ないでしょうよ。何か他に気が進まない理由でもあるんですか?」

「…そのウキタケサンって人、殆ど知らないんですよね。千切る前のわたしは、その人に関わる記憶を一つもくれなかったようで」

「あら。そうなんスか?」

「そうなんですよ。その方は只野ナマエにとって、どんな人だったんでしょうか」

 浦原さんはやっぱり困った顔をして、顎を徐ろに触った。言いあぐねているようである。

「それはァ…うーん、アタシが言うのもねえ」

「言えないような関係だったんですか!?」

「まあ、その辺は浮竹サンに聞くと良いっスよ。他人のそういうのに首を突っ込むのは野暮ってモノです」

 障子を開けた大きな眼鏡の男…テッサイサンが静かにお茶を置いて去って行った。ナマエが混乱しないように、複数人で話すのは控えているらしい。
 有り難く緑茶を頂くと、同じく一口飲んだ浦原喜助は不躾にも此方に杖を向ける。畳に置いた時の音を聞くに、ナマエは真剣を向けられている気がする。

「なんとな〜く聞きませんでしたけど、ナマエサン、何処まで記憶あるんスか?」

「必要最低限、わたしという思想が固まる程度の記憶だけって感じですね」

「具体的には?」

「学院に入るまでの記憶はありますが、後はすっぽり抜けてます。そこから飛び飛びで修行の記憶はありますが。卍解も理解るけど、霊子が足りてないから出来ないですし」

「ほーお、それは面白いのう!」

 窓から褐色の女性が飛び込んで来た。帯刀して居ないが、彼女────四方院夜一も元死神である。彼女曰く、“ワシの斬魄刀はのぉ…しょーもない能力なんじゃ”とのことだ。
 なんで四方院家の御令嬢が此処に居るのかよくわからないが、浦原共々現世で暮らしているのだと聞いた。

 ナマエがどう反応するか悩んでいると、浦原喜助は「ゲッ!」と潰れた蛙のような声を出す。

「夜一サン…話拗らせないでくださいね〜?」

 分かっておるわ!と彼女は言うが、そうではないだろうことは浦原喜助のウンザリ顔から明白である。
 夜一は豊満な胸を右手で叩くと、口角を楽しそうに持ち上げた。

「儂は恋バナが好きでのう!」

「恋バナ…」

「他人の恋愛話っスよ!」

「自分が喜助と勘繰られるのもそれはそれで面白いんじゃが、鉄仮面と謳われた女の恋愛事情となれば首を突っ込みたくなるのも道理じゃな!」

「あー、あー、ダメですって夜一サン!馬に蹴られる前に、現総隊長にしばかれても知りませんからね!」

「今の総隊長は誰なんですか?」

「京楽サンっすよ〜」

「あの京楽が…」

 浦原は静止するが、夜一に止まる気配はない。ナマエの頬をムニムニと触ると「ほれほれ〜語ってみんか〜」と無い記憶を聞き出そうとする。
 そうして胸元から紙を取り出して、ナマエの前でひらひらとさせた。

「アッ、待ってください!この顔…分かるかも…」

 色素の抜けた不健康な白い髪、頭髪とは違い色を残した眉、穏やかな目元。歳を取ってはいる…というか、経過年数の割に随分若くないか!?と気を取られたが、ウキタケサンとは、特進クラスの浮竹ナントカくんでは無かろうか。
 ナマエは落ちこぼれなので、彼の存在はまあ知ってる程度だが、京楽や綱彌代の話に偶に出て来たような気がするのでなんとなく記憶している。綱彌代は浮竹ナントカくんの陰口ばっか言ってた気がするし、京楽の話は大体話半分で聞いていたせいでまともな記憶が無い。ちゃんと聞いときゃ良かったなあ!と少し後悔した。

「確か…浮竹…冬獅郎…さん!」

 入学してすぐに京楽共々始解を済ませて、確か氷雪系の斬魄刀を持っていて、天才と謳われている…気がした。
 ナマエの記憶はブツ切りでゴチャゴチャしているので確証を持てないのだが、夜一はうんうん頷いているので多分合っている。

「いやいやナマエサン、浮竹サンは────」

「そうじゃ!冬獅郎じゃ!うくく…あー、折角じゃし、わしも同行しようかの!」

 夜一はナマエの頭をワシワシと撫でると、呆れた顔をする浦原に不満げな顔を向けた。

「喜助よ。余計なことを言わん方が良いと言ったのはキサマじゃろうが」

「アタシは正した方が良い間違いと黙っといた方が良い事実はまた別だと思うっすね。いくら浮竹さんでもショックでしょうよ」

「喜助は保守的すぎる。あれだけ好かれとるんじゃから、その程度で幻滅されるわけが…そうじゃ!ナマエに決めさせるか!それが一番じゃな!」

 ナマエを置いて口論していた二人がこちらを同時に見る。目が聞きたいことは無いかと雄弁に語っているが、此方の意見としては浮竹なんとかくんに会うのがめんどくさいなあ…というのが第一だ。エリートクラスとは言え、京楽の友達だし。分割前のナマエがわざわざ記憶から消すくらいだし。絶対ロクな人ではない。
 しかし特に無いではダメそうだ。夜一さんは今か今かと質問を待っている。ならば。

「わたしは何故、浮竹さんの記憶を持っていないんでしょうか」

 夜一さんは瞬きをする。予想外というか、そこから?という反応が表情に出ている。
 ナマエはそんなに初歩的なことを聞いたのだろうかと浦原さんを見れば、そちらは困った顔をしていた。

「不思議がっとるが、簡単なことじゃ。文字通り死ぬほど大切な男の記憶を、誰かに渡したいとは思わん。今から死ぬなら尚更、なんの為に命を賭けたか…」

 夜一さんは優しく笑った。

「忘れたくないと願うのは、普通のことじゃろうて」