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04

サタナキアのプラチナ化が溶けるタイミングに、ナマエは居合わせなかった。

…ナマエについて、ソロモンが知る情報は少ない。彼女はメギドではなく、ヴィータだからである。
召喚には応じず、サタナキアについて回る。だけれど足手まといということは無く、彼女自身も一定の戦闘力を有する。というか、あまり戦闘を好まない転生メギドより全然強かった。

ヴィータ離れした怪力と、謎の電気が出るのである。
脳のリミッターが外れっぱなしであるのだと、ナマエは苦笑していた。
その経緯に付いて聞く機会は無かったのだが、立ち入ってはいけない範疇であることもソロモンはなんとなく分かっている。

そんなナマエは気を遣いすぎるきらいがあって、今回のこともその一端だ。
怒り狂っていた彼女は、暫くするといつも通りの柔和な笑みを浮かべていた。

そしてプラブナの採集をソロモンたちに任せると、そのまま単独行動を取った。そうした方が効率良いと言い切って。
…誰よりサタナキアの安否を気にして、誰より一番に駆け寄りたかったであろうに。

思えばナマエは、敢えて穏やかに振舞っていた風にも思う。
サタナキアはどうやら気が付いていたようだったし、ソロモンも今やっと知ったことではあるけれど、その実、理性的で合理的。
こう言っては彼女に失礼かもしれないが…本質的にサタナキアとナマエは似ていたのかもしれない。

それをサタナキアに言えば、彼は少しだけ不思議そうにした。

「ナマエが俺に似てるって?」

手のひらの上でミニブラブナがぷぷぷと泣く。

「まさか。あいつは、そんなんじゃないよ」

本当に可笑しそうに、少しだけ馬鹿にしたようにサタナキアは息を吐いた。
ナマエというワードを耳にした際、ほんの少しだけブラブナを撫でる手が止まったのを、ソロモンは見逃さなかった。

「考えても見てごらん。俺みたいな気質のやつが、わざわざ同じ思考のやつを手伝おうとすると思う?」

「そうかな?俺は、おかしくないと思うけど」

「あいつは俺よりよっぽど読めないやつだからね。合理的なようで、無駄ばかりだし」

「でも、サタナキアもナマエも互いを優先しろって言ってたじゃないか」

「それは単純に効率が良いからって説明したと思うけど。あいつの方が面積が小さいから」

「ナマエはサタナキアを半分溶かして連れて行くのが最効率だって言ってたよ」

ああ言えばこう言う。
サタナキアとナマエが似ているというのは、あくまでも話を切り出す口実であって、本当はそんな話をしに来たわけでは無かったし、サタナキアもそれをよく分かっているらしい。
上手く交わされ続けるものだから、ソロモンは仕方なくストレートに切り出した。

「…あのさあ。俺が余計なこと言うのもあれだけど…ナマエと一回ちゃんと話した方がいいんじゃないか?」

「…」

「サタナキアもナマエも、お互いに距離を置きすぎなんだよ。俺は何に遠慮してるのか分からないけどさ…仲良いんだろ?」

「別に、仲が良いって訳じゃないけど」

「ナマエはズッ友だって言ってたぞ」

「…あいつ」

こうして人伝の軽口が飛ぶような関係なのだから、仲が悪いということは絶対に無いとソロモンは思っている。
しかし、ナマエとサタナキアには、何かよく分からないが、一種の線引きのようなものが存在している風に思う。

それは表面的には見え辛いものだが、前日あったプラチナ化の件など、そう言ったときに少しだけ歪みが見えるのだ。
ナマエは過度に己の価値を卑下するし、サタナキアはナマエに何も言おうとしない。

どこからどう見てもサタナキアもナマエも互いを友人だと思っている風に感じるのだが、ナマエは一方的に言ってるだけだと笑うので、痛ましくて見ていられない。
だからこうしてソロモンは、本当は突っ込むべき話題では無いと理解しつつも切り出したのだし、サタナキアも認知してはいるから渋い顔をしているわけである。

「とにかく、ナマエとは一回ちゃんと話し合ってくれないか?」

「…善処はするよ」

それが、数時間前くらいの話である。

ナマエというのは思ったよりスイーツで、嬉々としてアンドレアルフスをからかうところがある。

「マルコシアスさんと〜、バラムさん。御二方とは、どのようなご関係で?」

彼女はあのサタナキアの助手のようなものであり、ヴィータでありながら軍に所属している。
しかも真っ当なメギドではなく幻獣…ブラブナのように、サタナキアに創られ、改造を施された非人道的な存在であり、よくこいつは宜しく出来るな…とみんな内心思っている。

彼女はそのような状況下でも微笑みを絶やさない、一種の狂人枠であったけれど、実際には狂人ではない。少し話して見ると分かるが、只の人が良すぎるヴィータであった。
だからアンドレアルフスともこうして飲む中であるし、アジトで酒盛りを行う際、メフィストやフラウロスのウェイウェイした雰囲気に疲れてしまう此方にとっては、穏やかで落ち着いた、丁度良い話し相手でもあった。

「あのなあ、お前が喜んで聞くようなことはなんもねえんだって」

「まさか。年頃の男前が二人。年頃の美人が一人。何もないということはないでしょう」

「逆に聞くけどよ、お前とサタナキアはそういう関係か?」

「実験動物に発情する学者が居ると思いますか?」

「…」

アンドレアルフスはどれかと言えば甘い物が好きだったし、酒が強いか強くないかで言えば人並みである。マルコシアスの方が強いまである。
一方でナマエというのは、毒素に強い身体をしているらしい。同じペースで飲みはするものの、必ずアンドレアルフスの方が先に酔いがまわる。
だからいつも此方の人間関係を肴に晩酌をしていたのだし、良いように根掘り葉掘りされていたわけであるが。

だいたい、前述のようにアンドレアルフスが適当につつかれて終わりで、和やかに呑んで終了だ。
生真面目な研究者気質のサタナキアと同じで、ナマエも好んで酒盛りをすることは無い。ただ、合理性を是とする彼らは、人間関係が生む結託というのを軽んじてはいないらしい。
誘えば付き合いで飲むし、誘わなければ飲まない。意外にも、チョコレートなどは嬉々として食すそうだが。

サタナキアは軍の中でも驚くほど酒に強かったし(あのメフィストやブネやガミジンとドウタイである上、好んでは飲まないので実質酔うことが無い)、ナマエも決して弱く無い。
二人が酔ったところなど、見たことがなかったのだ。

だから酔わない程度に飲んで、適当に切り上げる。それくらいの立ち位置…であるはずだった。

カーン、と金属製のジョッキが甲高い音を立てた。

「…もう一杯」

据わった目のナマエが机にジョッキを叩きつける。
いつもの青白過ぎる肌はほんの少しの赤みを浮かべて、凪いだように澄んだ瞳はギラギラと鈍く光っている。そして何より、常に穏やかで優しい微笑みを浮かべている彼女の面影は無い。
冷ややかで、どこか嘲笑するような口角の上げ方をしている。…ちょっとサタナキアに似ている。

「おい…そのペース大丈夫なのか?」

明らかにペースがおかしい。
飲む早さもそうであったけれど、普段は話の潤滑剤として酒を飲むナマエが、酒を飲む合間に会話をしている。どう考えても異常であった。
それに、明らかに擦れている。

「平気ですけど、何か?」

…聞いた話では、今回の仮面騒動────サタナキアが隠れて研究をしていたとばっちりで、ナマエは結構酷い目にあったのだと聞いた。
被ると全身が硬化するロクでも無い代物を使われ、暫くプラチナになっていたらしい。それは荒れるというのも分かる。危うく死ぬところだったわけだし。

彼女は呆れるほど善人であったし、他人に怒るという行為が出来ないのだと思っていた。
が、それは勘違いだったと知って少しだけ安心してしまった。的外れな感想ではあるが。

「…まあ、怒るのも無理はねえ。お前は驚くほど我慢強い方だったし、たまには良いんじゃねえか」

心の底からの思いである。
これがいつも呑んだくれているフラウロスやメフィストであれば、ただ呆れるだけだったのだが、今回はあのナマエである。たまに羽目を外すくらい、バチは当たらないだろう。
コクコクと良い音を立てて更に酒を煽り続けるナマエは、普段では考えられないような冷え切った瞳でアンドレアルフスを見た。

「…あの人、おかしいおかしいとは思っていましたけど、ここまでとは」

ナマエにここまで言わせるとは。何をしたらこうなるのだろう。
普段良いようにネタにされているのもあって、野次馬根性が湧いてくる。

「具体的には、何に怒っているんだ?」

順当に考えればプラチナにされたことだろう。
ソロモン王が言うには、今回の件はナマエになんの落ち度も無いと言う。サタナキアがプルフラスも、助手であるナマエをも欺いて、外部の人間とよろしくやっていたからこそ起きた件らしい。

「あの人…」

ナマエが聞いたこともないような低く唸るような声で呟く。あまりのおっかなさに、少し離れた席で飲んでいるバールゼフォンが興味深そうな顔をしていた。
全部隠蔽された上でプラチナにされれば、ここまで怒っても当たり前である。が、そんなアンドレアルフスの予測を彼女は大きく裏切っていった。

「あの人、わたしを庇ったんですよッ!」

何を言っている。
予想外すぎる激怒に、こっそり聞き耳を立てていた面々がキョトンとしている。アンドレアルフスもまた、面食らった一人だが。

「一人しか先に助からないのに、よりにもよって私を優先にします!?おかしいでしょう!合理的じゃない!信じられない!」

信じられないのは此方である。
ナマエはプラチナにされたことでも、仲間外れにされていたことでもなく、サタナキアが自分を優先して助けたことにキレている。感謝こそすれ、激昂するようなことだろうか…と首を傾げれば、彼女らしい合理的な理由が上がった。

「最終的にみんな助かったから良かったですけど、あの人は自分を優先するべきだったでしょう!?目が覚めて、プラチナ化したあの人を見た時、わたしは凍えるような心地だった!肝が冷えましたよ、全く!私が行動可能な際の利益と、あちらの場合の利益、どっちが有益かを理解してない筈ないのに!」

マシンガントークは止まらない。
普段、一切サタナキアの悪口を言わなかったナマエは、ここに来て堰を切ったように壊れだす。
彼女は柔らかく微笑み、いつもはいそうですねと困った風に笑う女性だったが、内心でフラストレーションはアホほど溜まってはいたのだと、この場の人間が皆察してしまった。

こういう揉め事を見た際、アンドレアルフスは面倒くせえと思うし、ブネも同上、イポスなんかは気にはするものの、好きにさせておくのが良いと進言するタイプであったが、サタナキアというやつのエキセントリックさを知る面々は気の毒そうに見ている。

ふつうに考えれば、サタナキアが庇った理由など一つしかない。
だけれどそれに思い当たらず、純粋にキレているナマエが可哀想であったからだ。そしてそうなっている理由もまた、普段の扱いのせいだったし、それについては文句が無さそうなところも同情しかない点であった。

「落ち着け落ち着け。結果的に生きてんだし、良いじゃねえか」

「良くないですよ!今後もまた無いとは限らないんですよ!?そのとき私だけが生き残ってしまったとか考えると、ああ、もう、有り得ない!信じられない!生産性が無い!なんのための助手だ!私がいる意味を理解しているのか!?」

「俺たちはメギドだから、多少無茶しても取り返しが効くが、ナマエは別だろう」

「ただのヴィータなど幾らでも居る!有志を募れば幾らでも協力者などは得られるだろうし、犯すリスクが大き過ぎる!順当に考えて論外だ!」

キレすぎて口調が乱れている。
ナマエは穏やかでふわふわした女性だと思っていたが、実際はそうでもないのだと知ってしまう。
他の研究者…それこそサタナキアやアンドラス、サルガタナスなんかに比べて、大らかで几帳面さの薄い、一般人寄りな印象を抱いていたのだが、ふつうにバリバリ過激派研究者であった。普段の受け答えからして頭が良いのは分かっていたことだが、それにしたって爪を隠し過ぎだろう。

「…俺はその場に居なかったから知らねえけど、あいつのことだし、ちゃんと考えがあってのことだったんだろ」

「無いですよそんなもの!」

「無いのか?」

「あれは無計画です!状況把握、判断、どこを取ってもミステイクだ!聞けば、私の方が面積が少ないからって!くだらない!全く以って詭弁だろう!それならあの人の上半分だけ先に助ければ良かった!」

「上半分」

「召喚で一度分解して戻せば、二分の一サタナキアさんでも作れますよ!仮に首だけになっても、口だけは達者そうですけれど!」

ジョッキが再びカーン!と勢い付いて鳴った。
思えば、最初からグラスでは無く大ジョッキを選んでいた時点で察するべきだった。彼女は望んで酒に溺れに来ている。よっぽど腹が立っていたのだと思うと、本当に気の毒としか言いようが無い。

そうして暫く飲み続けていたものの、急にプッツンと糸が切れたように机にぶつかった。
スヤスヤと聞こえる穏やかな寝息は、彼女の激情は夢であったのかと思わせる。が、馬鹿みたいに空いた酒瓶は隠せない。
アンドレアルフスは溜息を吐く。ナマエは女性だったし、仲は良いがマルコほど気安い関係では無い。かと言って、この場に女性は居らず。

きっと知られたくないからこそ、アンドレアルフスと飲むのを選んだ彼女には悪いが、この始末は然るべき人物に付けさせるべきだと思う。

立ち上がって研究室へ足を運べば、渦中の元凶が鼻歌交じりに模様替えをしているのであるが。