「私が赦してあげましょう」
傲慢な言葉だ。
「生きる理由をあげましょう」
付け上がりすぎている。
「実験に使ったのだって怒っていないから」
嘘だ。
「本当は少し怒っているけれど、赦してあげるから」
やっぱりそうだ。
「だから、一緒に逃げましょう」
その手を取れば、なにかが変わるのか。
▽
ヴァイガルドに訪れて直ぐ。
サタナキアは、興味を唆られるヴィータに出会った。
彼女の名前はナマエという。穏やかな髪に、穏やかな声。人畜無害な家畜、と言うのが近しい表現だろうか。
そのメスのヴィータは驚くほどに平和ボケをしていて鈍い。その割には勘が良く、気が回る。ブラブナたちも彼女という個体を気に入ったようで、わらわらと集まっている様子を伺えた。
この個体を手元に残そうと思ったのも、なんとなくが全てである。
そうして間引いて残した後に、少しだけ後悔をした。いつでも始末できると後回しにしたが、コイツというモルモットは恐怖が無さすぎる。
助手としての望む形に近く、利便のある自主性は残った。だが、迷惑なほどに気を回しすぎるのは想定外であった。
彼女は余計な気配りをし、大いにサタナキアを苛つかせてくれた。そこは計算外であったが対応できないほどではない。プランBとして脅しを効かせることにした。
だが、飼われることに慣れすぎた家畜というのも難儀な生き物である。
このヴィータは恐怖を一旦置いて、己の感情だけで身を振り続けた。手の震えを知覚しないほど馬鹿ではないのに、自身の心は違うからとねじ伏せた。
困惑が深まるばかりである。
そうして混乱の果てに、危険に晒すべきか、遠くに放すべきかを迷って、前者が適切であると思案する。
彼女は改造ヴィータとはいえ殆ど只のヴィータだ。サタナキアを追ってくるであろう改造メギドと対峙させようものなら、あっさりと廃棄されるだろう。
それは良くない判断であると結論して、どうしてそう思うのかと疑念を抱いた。
時間稼ぎに廃棄するなら、問題ない筈だ。
当初の目的は果たされているし、このヴィータは適切な個体では無かった。また新たな実験台を取ってきて、次に移ればいい。
そうだ、彼女というのは排他されるべき個体だ。善性を握り締め、哀れで愚鈍な弱い生き物。
だけれどその心は吐き気がするほど純真で、疑いも無ければ嘲りも無い。
サタナキアが彼女を選んで改造したのも、効率や論理から外れた直感のようなものであったし、いつでも廃棄をできる筈だ。しかし、ナマエの目を見ると、それが適切であると思っているのに、それを回避すべきだと判断を下してしまう。
色は全く違うのに。澄んで、煌めく真っ直ぐな眼差し。
彼女の瞳はアシュレイのよう。
だけれど中身が気に食わない。アシュレイはこんなに弱くは無かった。
瞳を入れ替えても、身体を弄っても、彼女に被る幻想は消えない。
種族も育ちも違うのに。弱いものを慈しむ、愚かな心。
彼女の慈愛はアシュレイのよう。
だけれど隣人が気に食わない。アシュレイも他人に取られてしまった。
周りを排斥しなければ、このアシュレイも掌から零れ落ちてしまう。
欠陥は取り除いてしまおう。そうしたらきっとアシュレイと同じになる。同一の上、サタナキアの望む形になる。
多少の欠陥は仕方がない。想定外はつきものだ。少し心が砕けても、こちらでなんとかすればいい。
だけれど彼女はどうだったか。
予想を遥かに超えている。彼女は、サタナキアに振り向いてしまった。
だってそんな筈は無いのだ。アシュレイがサタナキアを選ぶことなど、絶対に有り得る筈が無い。ああ、そうだ。
幾ら彼女が似ていたって、彼女は彼女だ。彼では無い。
だってアシュレイは、プルフラスを選んだのだから。
▽
ナマエの甘い誘いに乗ろうとして。
何より甘美なそれを享受しようとして。手を取ろうとして、サタナキアは思い留まる。
誰かのように優しい瞳。誰かのように強引な救い。誰かのように熱い心。その誰かと違って、彼女はサタナキアを見ている。
サタナキアだけを、彼だけの手を取る。何処へでも逃げると、何処へでも行くと、共に研究をしようと、欲しかった言葉が紡がれる。そうして、だけれど、だからこそ。
「いいや、要らないよナマエ。だってお前は」
言い直す。
「君は」
彼女の頬を撫でる。
「アシュレイじゃないから」
彼女に被せた按手礼。
それは名誉ある生贄などではなくて、アシュレイという偽物の皮だった。
彼女は、彼女だ。
ナマエというヴィータだ。それに少しの感情を覚えると同時に、彼女をアシュレイとすることは不可能となった。彼女をアシュレイと変えるために殺すことを、躊躇ってしまった。
だってサタナキアは。
アシュレイを殺したことを、今でも、