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人の心は縛れない 01

朝日と共にすっきり目覚める。

驚くほど清々しい朝である────のだが、しかし。上げた腕は驚くほど重い…というか、

「え、ええ…」

上がらない。縛られている。背中痛い。
身体中が謎の幸福感と高揚感に支配されているのだが、びっくりするくらい重い。体積が増えたような、搭載物が増えたような。
 
なんとも言えない感じに辺りを見渡せば、ナマエの体は革のベルトでぐるぐる巻きであった。
 そら起き上がれんわな!と思ったが、他人事すぎるなと反省する。己がそうなっているのである。

ぎち、ぎちとベルトが伸びるような音がするが、多分自力で解けないだろう。
 仕方無しに諦めて待っていれば、ドアが古びた音を立てて開く。朝日に煌めいた薄い藤色が視界に入り込んで、やはりこの人は美しいなと思った。そうじゃねえだろと野太い声が聞こえた気がした。

「やあ、随分と遅いお目覚めだね。俺としては、実験中に起きてくれても良かったんだけど」

「は、はあ…」

彼は整った笑みを浮かべるが、発言は大変に刺々しい。
 寝落ちしたのはナマエが悪いと思うが、起こしてくれなかったのは彼では無いか。そう思ったが言わずに口を噤む。

「それでお前はいつまで転がっているつもりなのかな?もしかして、二度寝をするタイプのヴィータ?
お前が言っていたから、寝過ぎない程度の時間に起こしたんだけどね」

「これはそういう問題ではないと思いますけど…」

 なんと彼は、律儀に「寝過ぎも逆に疲れる」という話を覚えていたらしい。この人あたまおかしい割に、生真面目なのか?
 しかしそれはそれとして、何を言っているのだと内心思いながら彼を見る。青年は嘲笑したように目を細めて、鼻で笑った。

 「どうしてそんな顔をするの?」

呆れたような声色だ。ナマエは困惑しながら彼を見る。更に深くため息を吐いた。

「それ取る努力した?最初から諦めてない?可能性を考慮しないのは、愚かだと思うよ」

彼はその細長い己の腕を指して、トントンと指先で叩く。ベルトを取る努力をしたかと聞いてるらしいのだが、ナマエの細腕でこんなもん取れるはず無いと思った。
 
正直にそれを言えば、更に深い溜息を吐かれる。

 「俺に無駄な時間を使わせて、困ったヤツだな」

冷ややかに見つめられた。
しかしナマエにこんな太い拘束具が千切れるわけがない。フィールドワークの機会が多いので、体力はその辺の学生より有ると断言できるのだが。

「貴方こそどういうつもりですか…こんなもの、取れるわけ、」

がの音は消えた。
布を引き千切るとこんな音がするのだなと知った。ブツッていうか、バリッていうか…力でむしられた繊維の音がした。
それは柔らかい素材でなく、明らかに固くしっかりと結合した繊維の音であった。

「…なんですか?これは…」

無残にも引き裂かれてしまった革のベルトをつまみあげ、恐る恐る尋ねれば、男は真顔で言う。

「お前はね、幻獣とヴィータを合成して力と知能を両立した合成獣…簡単に言えば、改造ヴィータになったんだよ」

「はい?」

はい?

心からの声であった。
放心するナマエに、男は畳み掛ける。これ以上話を聞かされても全て流れ出る自信が湧いて出てくる。

「二度も言わせないでくれ。お前は改造されたんだ」

なんと彼はナマエが改造ヴィータ?(ヴィータが何のことを指してるのかすらナマエには分からない)になったのだと言う。
 
改造ヴィータ。兎にも角にも、ナマエは内側を弄られたということなのだろうか。それは学園に許可を取っていたのだろうかと思ったが、取っている筈が無い。人間を使った実験は倫理的にいけない。命は取り返しが付かない。
子供でも分かることだと諭そうとして、相手が大人であることを思い出した。

「仰る意味が少しも理解出来ないのですが、ええっと、先生は学会に隠れてそのような非人道実験をなさって…?」

「理解が悪いね。俺はお前の訪ねてきた先生じゃないよ。この研究は俺の持って来た個人的なもの。いい?お前は実験動物。俺はメギドラルの研究者。ここまで理解出来た?」

「いえ、全く」

面白い冗談を言う人である。
笑って流せば、凍えた緑がナマエを貫く。全く笑みを浮かべず、電柱のような高さから見下ろしてくる。圧が凄まじい。

「まあいいか。お前は研究の手伝いをこれまで通りにしてくれれば良いから。いいね」

「あんまり良くないのです、」

が。今度は音が出た。喉が跳ねる音だ。指が首輪を引っ掛け…首輪?首輪が付けられていることに気付いた。首が締まっている割に、なんの苦しみも無いことも。
驚きながら彼を見れば、微笑みながら首を近付けてきた。優しく、甘やかな笑みである。その目は相変わらず冷めているが。

「立場を理解してる?拒否権も人権も与えた覚えは無いけど」

人権は欲しい。ぼんやり思ったが、気道が締まっていて声が出ない。
なのに、少しも苦しく無い。理解出来ずに只々見つめ返していれば、彼は教えてくれるつもりらしい。

「これね、お前の活動停止装置。俺が此処にフォトンを送れば、首から上が吹き飛ぶよ」

「まじですか」

「無駄な嘘付く必要ある?」

「無いですね…」

解放されて酸素を吸い込んでも、特になんの変化も無かった。
痛みも恐怖も無い。
もしかすると本当の本当にナマエは改造人間になってしまったのだろうか。おっかなびっくり先程まで乗っていた机にチョップを叩き込めば、机は消えた。粉微塵を超えて高電圧で焼かれてしまった。指の先から紫電が見える。なにこれ。

「ええっと…これは…」

「そういう性質を持った雷袋を移植したのさ。体内で生成した電気を放出することが可能になったけど、あんまりやると肉が傷みやすくなるからね」

「傷みやすくなる」

「半端に火が通ると言えばいいかな。ヴァイガルドではミディアムと表現するようだけど」

「ミディアム」

理解が苦しすぎる事実を受け入れ難く、渋い顔をする。対する青年は、口角だけを上げて嫌な笑い方である。

「曲がりなりにも其れなりの脳を持った生命体なんだから、少しは知性的な言葉を発したらどうなんだ。俺の言葉を反復して、本当に理解出来てるの?」

苦言を零された。これはナマエが悪いのだろうかと疑念を抱いたが、黙っておいた方が良いのだろうなと判断する。
恐怖はすっかり消されてしまったような気がするのだが、死にたいか死にたくないかで言えば死にたくなかったので。
 
黙って聞いていれば、彼は此方を気遣うでもなく淡々と言う。

「あとは、リミットが外れた腕力…に加えて視力も良くなった筈だよ。お前の目、入れ替えたから」

「…」

恐らく己の血に塗れた反射鏡を手に取り、写る己を見やる。平凡な色だったはずのナマエの目は透き通る琥珀のような色をしている。
 
何処かで見たような色彩をしていたのだが、眠る前の記憶が思い出せない。とゆうか、ナマエはどんな経緯で此処にやって来たのかすら思い出せないことに気が付いた。
通りで他人事で楽観的な筈である。物事を図る物差しが、すっぱりと抜け落ちているのだから。

「あの、私これ、普通の人間に戻れたりとかは…」

「その必要ある?」

めっちゃあるよ。
それだけは自信を持って断言出来た

ナマエの身体は本当におかしくなってしまったらしい。

ぷぷ、と鳴いてナマエに擦り寄るブラブナの頭を撫でれば、バチバチと紫電が散る。
驚いて立ち上がれば、彼らも同じように驚いた様だ。危害を加えるか否か、品定めをするように見つめてくる。

それを少し哀しく思いながらも、屈みこんで手を伸ばす。
ゆっくりゆっくりと指を滑らせれば、彼らは安心した様にまた艶やかな緑の体を擦り付けた。間抜けな顔はとても可愛らしい。

暫く日光浴をする彼らを眺めていると、ふいに長い影が日差しを遮った。
ブラブナたちはナマエのことを少しだけ名残惜しそうに見つめると、散らばる様に森へと消えていく。

「ねえ」

淡々とした声だ。

「俺はエサやりをお願いしただけだよね」

振り向けば、高い位置から見下ろされる。
ナマエにブラブナたちの世話を命じた例の男である。相変わらず電柱の様な身長をした彼は、冷ややかな視線を隠しもしない。以前までの朗らかな態度などは影も無く、素の態度というのは此処までも違うのだと痛感する。

これを見たら、彼女はどう思うか…と思想して、彼女が誰だったか思い出せないことに気が付いた。
ナマエは一体なにを思い立ったのだろうか。記憶に覚えがないので、大した存在では無いのだろうが。

「はい、すみません」

スカートの裾を払って立ち上がり、距離を置く。様子を伺う様に顔を上げれば、彼はどうでも良さそうに言う。

「そういうの必要ないから。時間の無駄だよ」

はあ、と生返事を返してしまうのも致し方ないと思う。つい昨日、命が惜しければ立ち振る舞いを考えろ、と釘を刺された筈であるが。
何処まで適当に対応して良いのか判断しあぐねて居れば、緑の瞳はじっとりと睨み下ろす…つもりは無いのだろうが、切れ長の目が不機嫌そうに細められる。

「お前は手伝いをするために生かされてる。分かるよね、ここまでは」

「はい」

「ブラブナたちに構ってやる必要は無いんだ。こいつらは撒き餌だからね、ハイドンやお前とは違う」

了承の意を込めて頷いたものの、彼はあまり信用をしていないらしい。呆れ顔で突っ立っている。後に、一人でブツブツと話し始めた。

少し思考能力を奪い過ぎたか、とかなんとか。
黙って彼の結論を待っていれば、一人で納得したらしい男はとっとと踵を返して行ってしまった。

ナマエはなんと返せば良かったのか。彼のことはさっぱり理解が出来ない。
そもそも、人を捕まえて脅すような人間が理解できたらおしまいだとは分かるのだが。

それでも理解を放棄することはナマエには是とは出来なかった。
きっと何か心に傷を負っただとか、更に上の団体に脅されているとか、どうしようもない事情があるのかもしれないし、改心することもあるかもしれない。

そうも考えてしまうナマエという人間は、どこまでもお人好しで、甘ったれた若者であった。

夜。言われた雑用を適当にこなして戻れば、男は廊下で突っ立っていた。
終わるまで待っていたのか、タイミングを見計らって出て来たのか。通り抜けるべきか否か迷って会釈をする前に、彼は手を軽く上げる。

「やあ」

微笑みながら声を掛けてきてしまった。
ナマエを脅した割に、やけにフレンドリーで朗らかな一面があるので調子が狂ってしまう、と内心で文句を言ったものの、無視をするわけにも行かない。

監禁者になんと挨拶をすればよいかと迷って「こんばんは」と会釈をすれば、ふつうにスルーされた。
その行動は、ナマエの心を傷付けた。うそ。大してそうでもない。

「調子はどうかな?身体の変化は?元気?」

「まあ、ぼちぼち…」

「そう、それは良かった」

急に態度が変わって薄ら寒い物を感じる。
昼間はあれだけ不機嫌であった風に感じられたし、昨日のそれは大変に恐ろしい…に該当する態度であったと感じたのだが、今現在のそれは胡散臭い感じの人当たりである。

「あの、何かあったんですか?」

「何かって?」

堪らず聞けば、やはり薄ら寒いものを感じる笑顔で彼は聞き返す。
気持ち悪い媚びを売られている訳では無いとは思うのだが、突然に対応を変えられたらビビるのが人間の心理であろう。

「貴方の態度が柔和すぎるので…」

正直に言えば、ああ、と彼は感嘆符を上げた。分かっててやっているのかと非難しかけて、命を握られていることを思い出した。
ナマエが大人しく閉口すれば、彼は説明をしてくれるらしい。薄い唇が弧を描いた。

「ストレスを与え過ぎたヴィータは気が触れるんだろう?」

はい?、と聞き返さなかったナマエは褒め称えられるべきであろう。

「それは俺にとっても好ましくないからね」

彼は言う。理屈は分かる。理解も及ぶ。
だがしかし、寧ろそういう謎の対応を突然された方が気が触れそうになるとは思い当たらなかったのだろうか。

彼は、この悪魔のような男は、一体なんなのか。

ナマエは困惑する。思想の海に逃げそうになり、正気を保つ。

一体彼はなんなのだろう。
犯罪者でありながら、何者にも怯えることはなく。人でありながら、殺しも厭わない。脅しが冗談だと言うことはきっとなく、ナマエをあっさりと殺してしまうだろう。
そして、大変に頭が良い。ネジの外れた異常者と言うのは、このような人間を指すのだろうか。

全く別の世界に住む生き物のように、ナマエには少しも理解が出来ない倫理観を持ち、その技術も外れたものだ。

しかし、しかしだ。彼はびっくりするくらいに人の心に疎い!疎すぎる!本当にこの年まで生きてきた人間なのか!

まるで産まれて幾年も立たない幼児のような常識で生きているように思う。
突拍子も無く、前後関係が著しく欠けている。
理解を放棄しそうであったが、寸でのところで理性の糸を手繰り寄せた。思考の放棄は、罪である。

そうして辿り着く。
生返事以外に何をナマエは返せるだろう。

怒ればよかったのか、泣けばよかったのか。只々与えられる困惑に戸惑っていれば、急に正気に戻ったような真顔をするので、ナマエも努めてにこにこと微笑み返した。
微笑む以外に何も出来なかったからである。

「ええっと…ありがとうございます」

それを受け取った男もまた、にこにこと美しい笑みを浮かべる。

「愛想笑いは要らないよ。気持ちが悪いからね」

ふざけるんじゃねえ!
ナマエは大変に激怒した。だが偉いので黙って閉口する。
にこにこと微笑みを浮かべていれば、彼は呟いた。ああ、そうだ。

「暗い所は見える?遠くまでは?眼鏡、要らなくなったよね」

その問いに首を傾げて、すぐに思い当たった。
目が覚めてから、何故か視力が急激に上がったのだ。ピントはズレることが無いし、距離感は歪まない。
ただ、ナマエの目は覚めるような色をしている。

「ええ、遠くまで見えます。夜目は…効かないです」

そう、と彼は呆れた顔で呟いた。

「虚偽申告は困り者だね。全く、これだからヴィータは」

本当ですよと返せば、より一層呆れた顔の彼が「君のことじゃないよ」と言った。
ナマエじゃなければ、誰がウソをついたって言うのだろう。