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土方さんと臆病者

ナマエは家に巻き込まれたく無かった。

魔術師の家の、長女。連なる分家の一番格上。只野の家に生まれ落ちてしまったナマエは、一族の悲願である聖杯を得て、それを用いて根源に到達することが使命であり、生まれた意味だと教わった。

だけれどナマエはそれを望まなかったのである。
ただの人として生まれて、ただの人として一生を終えたかった。魔術師なんて成りたく無かった。根源などに至りたく無かった。戦いなどはしたく無かった。お家の戦争に巻き込まれたくなど無かった。

だから、逃げたのである。

幸いにもナマエは家の誰よりもセンスがあり、誰よりも優れた回路を持ち合わせて居た。従順に振る舞い、知識も技術も継承して、後は刻印を継いで完全体、といったところまで育てられたナマエが血族を撒くのは容易であった。
…こんなものが無ければ、寸でのところで弟や妹に役目を擦れたのかも知れない。 皮肉な話である。

しかし幸福は続かない。
逃げて、逃げて、逃げたのに、運命とは簡単に逃してはくれないものであった。
血族の追跡に怯えながら生きること数年。同じ場所に定住することも出来ず、ふらふらと放浪するナマエの腕には赤い線が走っていた。痣のように見えるそれが、本当に痣であったらどれほど良かったか。
それはまごう事なく令呪であり、ナマエが選ばれたことを意味する。七騎のサーヴァントを戦わせ、一騎にするまで殺し合わせる蠱毒のような儀式のマスターに。

勿論、それをすぐに返却しようと思った。
本来であれば教会に譲って最譲渡をするのが定石であろう。だけれど、ナマエは僅かばかりに後ろめたさを持ち合わせていた。
血族の最高傑作に逃げられ、二番目以降の人間で挑まねばならぬ実家を。ナマエの代わりに選ばれた誰かを。ナマエの所為で人生が狂った身内に、せめてもの施しをするべきだと思った。

だから先ずはサーヴァントだけ此方で喚んでおき、令呪ごと譲渡をしようと考える。億劫であったが実家に帰省し、今頃誰も令呪を持たず失望してるであろう血族に押し付けてだけ来ようと。

そうして適当に儀式を行った訳である、が。
やはり運命とはままならない。
ナマエの召喚に応じたサーヴァントは真っ直ぐに剣先を向ける。赤く、ぎらぎらと鈍く暗い瞳は恐ろしい。纏った焦げ臭さは、硝煙か煙草か。どちらにせよ、おっかない。「いいか、」彼は低く唸るように言う。

「逃げたら殺す」

ひえ。

新撰組副長、土方歳三。
かの有名な人斬りサークル、新撰組の二番目の権力者。没三十四歳。ナマエのバーサーカー。

ナマエが譲るために召喚したサーヴァントであり、ナマエの召喚に応じた譲られる気の無いサーヴァントである。
…あの日、ナマエは喚び出してすぐにこう言った。

“私は召喚者ですが、貴方を譲渡する気でいます”

バーサーカーにそんなことを言っても理解出来るだろうかとは思ったが、最低限の義理である。
一応ナマエが呼んだのだし、知る権利があるだろうと経緯を一から説明しようとしたのだが、彼はただ一言だけ聞き返す。それは何故か、と。
早い話、ナマエは地雷を踏んでしまったのである。

“逃げるためですけど、それが?“

後から知ったが、逃げるは致命的な地雷ワードであった。
元からおっかない顔であったが、益々鬼を越えた何かのような顔をした土方さんは「斬る」と言った。最初、なんと言われたか理解が出来ずナマエは聞き返す。「斬り殺す」物騒な発言が聞こえた。

「二度は言わねえ。逃げる奴は俺が殺す」

怖すぎて泣きそうになった。
結構しっかりと会話が出来るバーサーカーであると感じたが、やはり狂っては居るらしい。ナマエのことも逃げた時点で殺すと宣言する。
ナマエに逃げ道は無くなった。そのまま聖杯戦争に出なければ、人生を謳歌するとかしないとか以前に終了してしまうと知った。自刃させるならば相討ちになってでも斬ると公言された。怖くて泣いた。

泣き喚きはしないものの、胃がキリキリと痛むナマエに土方歳三は言う。

「覚悟を決めろ。逃げてて何か変わるか?あ?」

「か、変わりますよ!少なくとも、私は幸福です。戦いに巻き込まれず隠れて生きる、何処からどう見ても幸せじゃないですか!」

「コソコソ隠れて生きた心地がするか?」

痛いところを突く人である。ナマエは返答に困ったが、ムキになって「逃げるだけで済むなら、それが良いですよ」と言った。

「そうか、じゃあここで死、」

「嘘でーす!嘘でーす!今の嘘ー!責任を放棄するのは恥ずべきことでーす!」

呆れた目がナマエを睨み下ろす。
よく見ると格好良いのだが、酷く恐ろしい顔をしているため減点五億点。子供が直視したら泣く。ナマエも泣きそう。

「情けねえヤツだな、お前には誇りってもんが無えのか」

「命より大切なものなんて有りませんよ…貴方たちの時代がおかしいんです」

「ハッ、そりゃ結構。だがな、俺からしたらお前たちの方がおかしいんだよ」

確かにそうである。
価値観という物は時代によって推移し、移り行くものだ。それを現代の枠組み基準で語ることが、酷く馬鹿らしいことに気が付いた。しかし謝ろうにも謝罪しただけで怒られそうだったので、押し黙る。
怯えながら目を逸らせば、顎を掴まれて視線を合わせられた。一体何が気に障ったのかと竦みあがる。

「怯むな」

無理。

サーヴァントである土方歳三は大変に厳しい。
ナマエが逃げようとした理由、経緯を知った瞬間に実家に叩き帰された。ハッキリ宣言してから家を出ろと発破を掛けられ、自宅にのこのこ帰った。
ナマエは己の行動が魔術師からしても不敬者であるし、恥知らずであることを知っている。正式に勘当されるだけだろう、と思っていたのだが。

現実はそうは甘くも無い。
家に入った瞬間に全方位から攻撃を受けた。不法侵入者だと数年前まで可愛がっていた番犬たちに襲い掛かられる。サーヴァント呼び出す前に来なくて良かったな、とナマエは内心冷や汗をかいた。
牙を剥いた使い魔たちをヤクザキックで撃退するサーヴァントは、感慨無さそうに呟く。

「これが今風の普通か?」

「そんな訳ないじゃないですか!狂ってるんですよ、魔術師の家は!」

「そうか」

そうかじゃない、そうかじゃ!とキレそうになったナマエを他所に、土方さんは別に何を思うでも無さそうにずかずかと敷地を踏む。
庭園は血と肉が飛び散る世紀末テーマパークと化した。

「で、どうだ。てめえの周りは敵しか居ねえのが分かったが…覚悟は決まったか?」

無茶苦茶なことを言う人である。ナマエに四面楚歌を叩きつけて、覚悟はどうですか?と問い掛けてくる。
最早、ナマエもヤケクソであった。逃げても逃げても追われる身。外敵を全て片付けることが幸福への道であると、気付いてしまった。
うー、うー、とキャパ越えで唸ることしか出来ない頭を抱え、恐怖ではなく怒りで震えてくる。

「武者震いか?」

「そんな訳ないじゃないですか!?」

半ばキレて噛み付けば、至極どうでも良さそうにあしらわれる。
実際どうでもよさそうである。ナマエが最早実家を焼くしかないと思っていることも、全てに始末を付けなくては普通の幸せを手に出来ないと思考してることも、全部。

「やればいいんでしょ!やれば!」

怒り狂いながら叫べば、「上出来だ」そう土方さんは口角を上げた。
そうしてナマエの頭をぽんぽんと叩くので、叩き落とす。顔が良いことに余計腹が立った。

実家は思ったよりも本気であった。
当たり前だ。優れた次期当主であると噂され、将来を期待されていた駒にまんまと逃げられたのだから。きっと彼らは名誉や誇りのためにナマエを殺すのだろう。
だから、嫌いだった。

どうやったか知らないが、出てくる陣営出てくる陣営どこもナマエたちを狙って来る。それほどまでに疎まれているのだと思うと、ナマエは絶対死んでやらねえと思った。反抗心だけで今日までを生きている。

いつの間にか陣営は残すところみっつとなり、ナマエたち以外の陣営が手を組んでいる。遂にそこまで勝ち残ったものの、現在進行中で囲まれている。負けの二文字が浮かぶ。
死にたくないが、逃げたら殺される。どうしたものかと頭を悩ませるが、打開策は無い。

同盟とかそういうの、気に食わなさすぎてハラワタが煮え繰り返りそうだと溢せば、バーサーカーは笑う。

「よく言った。褒めてやるよ」

大きな手がナマエを撫でた。
血と硝煙の地獄の中で、鬼の副長は満足気に笑う。これが励まされているのだと知ったのは最近のことである。

「いいか、よく聞け。勝つ為の策だ」

そう言って土方さんは黄金の杯を手渡す。
霊器がみっつも足りていなくて、起動すらして居ない未完成のそれを。
そうして背筋は寒くなる。まさか、と見上げれば、土方さんは少しも笑っていない。

「これ持ってどっか行け。お前の役目は使い走りだ、聞けるな」

「そんなの聞けるわけ、」

副長命令だ、と土方さんは怒鳴る。
彼はバーサーカーであったが、ナマエを叱責したのはこれを含めて二度しか無い。
一度目は、ナマエが逃げようとした時。本当は後ろめたさを感じていたことを、知っていたのだと思う。誰かに背を押されたかったのを、見抜かれていたのだと思う。

二度目は今。
彼は、ナマエの意思を踏みにじってまで命令をする。この人は狂っているようで、狂ってなどいない。この人はおっかないようで、優しい。
ナマエが此処を離れた時、きっと器は完成する。それを承諾出来るほど、ナマエは薄情では無い。彼は逃げるなと言ったが、彼自身一度も逃げたことは無かった。
ナマエは、それに応えるべきだと思っている。

一歩踏み出せば、土方さんは驚いた顔をした。

「てめえ、ここまで馬鹿だったか?」

「馬鹿ですよ!馬鹿!馬鹿!命を賭けるなんて、やっぱり絶対嫌です!」

じゃあなんで、と聞き返そうとするのを遮って、言ってやる。
きつく睨みあげて、精一杯に叫んだ。

「此処で逃げたら絶対に後悔します!逃げるなって言われたから頑張って立ち向かってるのに!貴方の偽善で一人退かされて、それを見捨てて生き長らえて、何が幸福ですか!そんな後悔で人生台無しにするとか、最悪です!私には重過ぎます!」

だから。

「だから、戦った上で勝って生き延びます!分かりましたか!?」

真っ直ぐ目を見て怒鳴り付けてやれば、鬼の副長は面食らった顔をする。
そんな間抜け面は見たことが無かった。内心大変驚いていれば、堰を切ったように笑いだす。抑えるようにくつくつと笑っていたのに、最後は堪え兼ねて大声で笑った。
そうして笑い切ったあと、急に真剣な声を出す。低く、鋭く。鋭利な刃物のように刺々しい。

「てめえ、言うじゃねえか」

先程撫でた手で、ナマエを背中に回した。
そうして上着を脱ぎ捨てて、刀を抜く。宝具は開帳しないと言っていたくせに、魔力を吸い上げられるのを感じる。
血と硝煙の臭いが立ち込めて、悪夢のような戦場が展開される。それは、ナマエが肩を並べて戦うに値すると認められた証に他ならない。

「いいか、只野。俺が道を切り拓く。お前が目指す場所に、足を進めてやる」

指の代わりに刀を向けて、振り返らずに叫ぶ。

「付いて来い、此処からが新撰組だ」

結論から言うと、土方歳三は消えた。
その身に数え切れぬ程の銃弾を受け、風穴を開け、漏れ出す魔力を無理矢理補充し続けながらも戦い、消えた。
寧ろよくあれで動いていたな、とナマエは思う。執念とは、誇りとは、人を怪物に変えるのだと他人事のように思った。

そうしてナマエは生きている。
土方歳三は消えたが、その擬似生命と一緒に厄介事全てを消し飛ばして行った。
実家は全壊。ナマエの存在を消そうとしていた血族は逆に消してしまった。立て直しは暫く無理だろう。本当に徹底的に殲滅してしまったから。まだナマエを追う気力があるなら、皆殺しにすると電話を入れた。…本当はそんなこと無理なのだが効果は覿面である。一切関わらないと約束させることが出来た。

ナマエはもうただの一般人である。
その事実を噛み締め喜びに打ち震えたが、何処か物足りなさを感じてしまった。
叱責が飛んでくる事は無い。たくあんの匂いに不快になることも無い。酷い男だ。逃げるなと言いながら、彼を追うことは許してくれなかったのだから。

最後に土方さんはこう言った。ボロ布のようになった身体をナマエに預け、致命傷など一切感じさせず不敵に笑う。

「いいか、只野。
お前は生きろ。死ぬな。生きることがお前の誇りだと言うなら、曲げるな。絶対に貫き通せ。それこそがてめえの誠だ」

それだけを残して、消えた。
ナマエとは一週間ばかりの付き合いであったのに、どれもこれも見透かされてばかりである。欲しかった言葉を貰ってしまった。いつかやりそうなことに釘を刺されてしまった。

彼に認められたこと。
それがあれば、きっとナマエは幸福に生きていける。胸を張って、後ろめたさなど無く生きていける。
だって新撰組副長の太鼓判なのだ。苛烈に生きた伊達男からのお墨付きなのだ。誇れない訳が無い。馬鹿にされたら徹底的に抗戦するだろう。それこそが誇りというものなのだと知った。

…思えば、逃げたら斬ると言ったのに、逃げることを仄めかすナマエを切り捨てなかった。
ナマエが彼の誇りを否定しなかったように、彼もまた、ナマエの生命への執着を否定しなかったことに気が付く。
考え無しに見えて、成熟した思考を持つ大人であったと今更ながらに思った。
全くもって、良い男を引いたものである。