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兎に祭文、草木に骨皮筋右衛門

「おや、ナマエじゃないか」

 おさむらいに取り押さえられて、今にも首をチョンパされそうなナマエに声を掛けたのは、旧知の男であった。
 以前見た姿よりも非常に健康そうで、青白い肌は相変わらずであったが吹いたら消えそうな儚さは無い。

「どうして君が此処に居るんだい?」

 何故と聞かれてもナマエには答えられない。
 現代社会で女子学生をしているナマエは、ふつうに朝起きて、ふつうに学校へ向かって、教室のドアに足を踏み入れた瞬間、目の前に謎の城があったからだ。

 当然ナマエは一瞬で取り押さえられ、曲者として城のお偉いさんに突き出された。
 その偉い人というのが、割とまあまあ知っている人間であることには非常に驚いたのだが。

「まあ、大方予想は付くよ。僕も訳がわからないまま知らない土地に放り出されたからね。同じ事があった所で、不思議は無いだろう」

 どう返すかナマエが悩んでいる間に、竹中さん────竹中半兵衛は、勝手に答えを出したらしい。
 そしてツカツカと戦国時代っぽくないヒールを石の床の上で鳴らして、跪かされているナマエの頬に触れた。指先が静かに輪郭を撫でる。

「かわいそうに。乱暴をされたかい?」

「いえ、そんなに酷いことは」

「それを聞いて安心したよ。規律を軽んじる兵は、豊臣に必要無いからね」

 竹中さんは軍人らしい事を述べた後、すぐに付け加えて言った。

「ああ。言うまでもないことだが、君のことも案じているよ。だけれど立場上、先ずは軍の事を気にしなくてはならないんだ。
ナマエならば分かってくれるだろう?君はこの乱世ではなく、秩序ある先の世で生きて来たのだから」

 もう片方の手で縄を解く竹中さんは器用である。
 ナマエは指をぐーぱーとするが、キツく縛られていた為すこし痺れていたし跡も残っていた。まあ不審者だった事を鑑みると、妥当な扱いであり乱暴というほど乱暴でもない。
 しかし竹中さんはそれが気に障ったらしく、非常にやさしく言い含めるように兵士たちへ告げた。
 
「彼女は僕の恩人で、娶る予定の女性だからね。手荒な真似は今後一切控えてくれたまえよ」

 は?と侍の方々が怪しい返事をする。ナマエも状況を呑めずに竹中さんを見た。
 大変甘やかで、柔らかな微笑が此方に向けられる。

「さあナマエ。まずは君の部屋を用意しないとね。僕の私室でも良いけれど、君の時代じゃ適度な距離感の時期も愉しむものなのだろう?」

 は?

 ▽
 
 竹中さんとナマエの出会いは、体感数週間前に遡る。
 
 突然の発熱により部活終わりに瀕死となったナマエは、震える手で救急車を呼んでいた。もう絶対公共交通機関に乗ったらダメな人間の自覚があったからである。

 時は三月。越冬も差し迫ったシーズンであり、この時期にインフル貰うなんて、運無いね〜とか言われるような段階であった。
 しかし死ぬほど運の無かったナマエはインフルエンザを貰ったようだったし、なんなら肺もいかれている予感がする。あと幻覚も見える。

「放っておいてくれないか…僕はもう死ぬ。
こんな無様な姿、誰にも見せられない。…見せる訳には行かないんだよ」

 公園にありえないくらいイケメンのおにいちゃんが、世迷言を言いつつ咳き込んで倒れていた。
 ナマエは自力で帰宅出来ず、近場のベンチで救急車を待とうと最後の気力でずってきたのだが、そこには先客がおり、その先客はナマエよりも命がクライマックスである。

 自分もまあまあ死に掛けとはいえ、救急車呼ぶ程か?とギリギリまで悩んでいたナマエは、すぐに「呼んで正解!」と謎の強い自信を抱く。
 青年が幻覚でも現実でも、どっちにしろ呼んだ方が良いと判断出来たからである。

「大丈夫ですよ、助けが来るので。一緒に入院しましょう」

「…放っておいてくれと言っているのが分からないか?何をしようと助からないんだよ、この命は」
 
 はあ。なに言うとるねん。
 ナマエも瀕死のザコ病人であったが、目の前のコスプレにいちゃんもインフルで弱っているのかもしれない。
 そういえば近くでローカルコミックマーケットが開催されており、彼も運悪く撤収後に体調不良で狂って此処で倒れているのかもしれなかった。

 ナマエは自分が乗る救急車待ちであったが、フラフラとコスプレにいちゃんに歩み寄り、地に伏せる彼を起こそうとして己も地面に伏せた。

「なにしてるんだい、君…」

 ぐえー。何かが競り上がるのを感じたが、寸での所で堪えて立ち上がる。
 困惑する青年の上に、己のウインドブレーカーを掛けた。ナマエの体温は異常に熱いが、上着を脱ぐとアホみたいに寒い。

「良いですか。鼻に綿棒をぐりぐりされるのは嫌ですが、仕方のないことです」

 熱で頭が沸いているナマエは、彼を病院嫌いの青年と見た。
 そして彼とソーシャルディスタンスを取ろうと立ち上がって、激しく咳き込んだ。血痰が飛び散り、距離を取ったのは正解とぼんやり思う。

「君…!」

「ほら、あれ」

 咳き込むナマエを案じる男に、道路の奥を指差す。彼はそちらを見て、困ったようにまたナマエを見た。
 
「救急車来ましたよ…乗るんです、わたしたち…」
 
 遠くに白くてデカい車が見える。
 彼らはちゃんと、ナマエとこの青年を運んでくれることだろう。
 
 ▽

 実際のところ、竹中さんはコスプレにいちゃんなどではなく、ガチの戦国武将であった。
 あとインフルかな?と思っていたナマエは、問答無用で厳重なシャッターの向こう側にある隔離病棟にブチ込まれた。そして面会禁止の管理番号を腕に付けられている。
 
 ナマエは社会科目が得意でない。
 浅学と言うのも憚られるレベルの話で、歴史は全時代ひっくるめてもメソポタミア文明、織田信長、紫式部、ルイ五十三世くらいしかまともに記憶が無い。鳴くよフセインいまネバネバの聖徳太子。知ってるか?愛知県って名古屋のことなんだよ。

 上記の通りに大変いろいろと知識がやばめのナマエは、当然の如く竹中半兵衛と言われても「ほーん?」であった。
 気を利かせた竹中さんが「豊臣秀吉は知っているね?…当然、知っているね?その秀吉の、理解者であり参謀さ」と自己紹介してくれたので、こちらも「秀吉かあ〜!」と返して何か言いたそうだが触れずに流された雰囲気を感じていた。
 
 貴公子のような佇まいの青年は、優雅に微笑んで宣う。

「改めて名乗らせて貰うよ」

「はい」

「僕は竹中半兵衛。大変不名誉ながら住所不定の記憶喪失ということになっているけれど、記憶は明朗だし所在もハッキリしている。
この時代では、なんの意味も無いようだけれどね」

 血液の数値がカス過ぎて、車椅子に乗せられた竹中さんはそう言っていた。ヘモグロビンが一定の数値を下回ると、例え足に疾患が無くともこうなる。しかし病衣であれども、その姿は芸術作品のように美しい。
 彼は先日見た姿よりも非常に元気そうであり、ナマエは素直によかったねと思っていた。
 
 ナマエは竹中半兵衛と言われても、「はあ…そっすか」くらいの薄い反応を返す事が精一杯で、竹中さんが侍らしいござるマンであったらナマエはブッ殺されていたところである。

「それで君は?」

「竹中さんほどじゃ無いですけど、暫く入院ですね」

 あちらの車椅子にはブドウ糖。こちらの腕にもキャスター付きブドウ糖。病室は男女が分けられるのが当然であるが、隔離病棟は割とそうでもない。自動販売機や公衆電話は共用…同じ病棟の、角とかに設置してあるため、出会すこともある話だ。
 尤も、竹中さんは意図してナマエを待っていたようだし、ナマエの方もやけに人混みが出来ているものだから、気になってノコノコ出てきてしまったのだが。

 世間話のつもりでサラッと流したナマエを、竹中さんは優しく笑った。
 おかしくて笑っているといった雰囲気なのに、妙な品のある人物である。

「そうではないよ。君の名前を尋ねているんだ」

「あー、只野です。只野」

「おや。下の名前は教えてくれないのかい。僕は、君と親しくしたいのだけれど」

 慣れた手付きで車輪を回した竹中さんは、点滴を杖にして突っ立っているナマエに近寄って来た。
 どう返すか悩んだものの、あっちが揶揄ってるにせよまあ名前くらいは良いかと思い直す。「ナマエです」と名乗れば、彼は嬉しそうにはにかむ。

「そうか。ナマエと言うんだね」

 夢小説の名前変換のように名前を炙り出されたナマエは、少し渋い気持ちで青年を見た。

「それにしても。こういう形で無理に休息を取る事になるとはね」

 初対面の頃は全身から放っていた今にも消えてしまいそうな儚い感じの薄れた竹中さんは、複雑な表情でつぶやいた。
 ナマエ達は今から体内の菌を一ヶ月ほど掛けて滅菌しなければならない。このまま社会に出たら、災厄を振り撒く特級呪物になるからだ。

「わかりますよ!病弱だったのに、過労で大変だったんですよね!」

 ナマエはスマホを見ながら正解を投げ付ける。
 不便な病棟にはせめてもの慈悲で5Gが飛び交っていた。他の階層は一階層に一台ずつしかルーターが無いというのに、完全外出禁止の闇の区間だけあって何処に居ても強靭な5Gが届いている。なんかかなしい!
 
 ふふ、と優雅に笑った竹中さんは「まあ、大体はそんなところさ」と特に訂正しなかった。
 
「僕には時間が無かったから、正直な所かなり生き急いでいたんだけれど」

「不治の病だったからですか?」
 
「そう。だけれど、この時代なら治ると言うじゃないか」

「現代医療すごいですからね」

「そして内政も民寄りだ。異邦人の僕ですら、治療を受けられるというのだから」

「ふっふっふ!こういうの、税金で賄われていますからね!弱者に比較的やさしい国ですよ、今の日本は!」

 竹中さんは少し複雑そうに笑った。その笑顔はほんのちょっとだけ、哀しそうである。
 
「やっぱり帰りたいですか?」

「そうだね。この時代はとても善い物だと思うよ。
けれど、豊臣が続かなかった世界は到底認められる物ではない」

 言われてみればそう。自分達の夢の終わりを、彼はどこかで知ってしまったのだろう。
 その上で、豊臣が天下を横から奪われたこと。彼の家臣たちが非業の死を遂げる事。その事実は、否定したいに決まっている。

 だが存外、竹中さんの目は輝いていた。ナマエは驚いて、彼をまじまじと見る。

「この程度で折れるようなら、夢なんて最初から見る資格などないだろう?」

 不敵な微笑みである。それに素敵な言葉だ。
 こんなに吹けば飛びそうな姿をした人だが、非常に芯の強い人なのだとナマエはなんとなくだが思った。

「現状手詰まりではあるけれど、なるべく早く帰らないとね。あちらがどうなっているかも分からないけど」
 
「来れたんだから帰れるんじゃないんですか」

「僕もそう思うよ。思い当たる節が無い訳でもないしね」

 それから二週間ほど、ナマエと竹中さんは取り留めのない話を沢山した。

 教科書に載ってる豊臣秀吉より、“秀吉”はもっと筋骨隆々でキングコングのようであるとか。
 石田三成はハシビロコウに似ていて、大谷吉継は宙に浮いているとか。なに言ってんだ?
 
 竹中半兵衛は絵心もあるらしく、画用紙と鉛筆を渡せばさらさらとイカれた日本史を書き記していった。
 マフラーの付いた馬。二頭の馬を並列走行させて仁王立ちで乗るおじさん。海をパンチで割る秀吉。空を飛ぶ本多忠勝。
 ナマエは遊ばれているのだと思って「冗談うまいですね」とケラケラ笑ったが、「え?」と困惑した顔で返された。その顔をしたいのはこちらである。

「僕は元居た時代にいずれ戻るけれど、君と今生の別れだと言うのは凄く惜しいね。ナマエの事も、連れて行けたらいいのに」

 ある時、竹中さんはそう言った。非常に頭が良い彼が帰れる前提で話しているから、間違いなく有言実行で戻って行くのだろう。
 彼にとって、ナマエは友人として認められているらしい。そして此方もまた、竹中さんを友人だと思っている。彼の居る所で過ごすのは、少し魅力的だとは思った。

「あはは。戦国時代とか絶対嫌ですけど」

 それはそれとして戦国時代とかは絶対嫌だったが。
 普通の戦国時代も嫌だが、竹中さんの話す婆娑羅者だらけのトンチキいかれ戦国時代は限り無く嫌であった。
 厳島神社から放たれるソーラービームで人が焼失するとか聞かされて、「わあい!わたしも行きたいです!」には絶対ならんやろ。強くそう抗議させて頂きたい。

「一考しておくよ」

 一考と言わず、連れて行かないと即決断して頂きたいのだが。
 ナマエは思ったが、はははと笑顔でスルーした。

 そんなある日、竹中半兵衛は病院から消失した。
 肺炎でまだまだ退院出来なかったナマエを置いて、彼はどこかへ消え去ってしまったのである。しかも薬をパクって消滅したらしく、病院側はこの世の終わりのようなパニックに陥っていた。
 当たり前だ。それって、スーパー迷惑インシデント。報告書をみんなで何枚も書くような事案であった。

 すっかり菌がブッ殺されて元気になったナマエと対面するのは、同じく健康体を手に入れた竹中半兵衛その人である。

 彼方に居た際に、入院パンフやロビーに置いてある雑誌、各病気の人に配られる専用マニュアルを読んで知恵を付けたらしい軍師は、身も心も非常に健やかな様子であった。
 領地で養鶏も始めたらしく、早朝の城に雄鶏の声がこだましている。

 本来この時代は「鶏を食べるだなんて…いや、秀吉と僕は覇道を行くんだ。そんな些細な事、気にするべきではないな」らしい。
 鶏肉は非常にタンパク質の吸収効率が良く、その卵も栄養素の塊である。戦国時代ではなんか鶏肉あんまり食べないどころか、食べる事が良くないと言った雰囲気を感じていたが、竹中半兵衛は非常にリアリストだったのであろう。ガンガン食ってる気配を、近隣から聞こえる雄鶏の声から強く感じていた。

「…元気そうですね」

「お陰様でね」

 竹中さんは一歩分にじり寄った。

「天下は統一出来たけれど、問題は山積みでね。海外出兵なんて話もあるけれど、まずは日の本の整備をしなくてはならない。君も手伝ってくれるだろう、ナマエ」

「いやわたし帰りますし」

「残念だけど、それは無理な話だ。僕は崖上から身投げする事であちらに辿り着いたけれど…君、そんな事が出来るかい?」

「無理!」

 ナマエは秒で帰還を諦めた。
 崖上から身投げして帰れるとして、失敗したら死ぬのだろう。竹中さんは天命というか、命を賭けてでもやらなきゃいけない事があったから飛んで帰ったが、ナマエはそんなものない。
 生死ギャンブルをするくらいならば、大人しく戦国で生きるか!と即決が出来た。

「そうすればやはり、僕に頼って生きるしかないと思うのだけれど…どうだい?」

 いつの間にこんなに距離感を損ねたのだろう。
 竹中さんはその美しいかんばせをナマエの耳元に寄せて、真っ白な手袋越しに指先に触れた。驚いて飛び退けば、また一歩一歩と近付いてくる。恐ろしい存在である。

「ちょ、ちょっと。マジでなんすか、さっきから。揶揄うのも限度ありますよ」

「初々しい反応は好みだけれど、そう怯えられては面白く無いな」

 少しムッとした竹中さんは、ナマエを持ち上げた。
 細腕に見えるが、軍師として武働もする彼はそれなりに筋肉があるらしい。そのまま膝の上に乗せられて、ゼロ距離の状態でお話を始められた。

「僕は欲張りなんだ」

 いきなり自語りが始まった。「は、はい…?」と聞き返せば、薄く開いた唇が耳をくすぐる。やめろ。

「妻帯したところで、僕はすぐこの世を去ってしまうだろう。忙しいから、あまり構ってもあげられないしね。
それをわかっていてすぐに迎えるなんて、妻になる君が可哀想だ」

 ん?
 何か怪しい言葉を聞いた気がする。

「だけれど、病は完治した。それならば話は別だ。
多少忙しくとも、妻に構うだけの体力はあるし…病を移す心配もない。未来を知るとなれば、秀吉の天下統一にも利があるだろう」

「いや、現地の人から娶ったらいいじゃないっすか…」

「おや。君に懸想してるから、君が良いと言っているんだけど」

 指がするすると髪を撫でる。向かい合わせに座らせられて、片方の腕が背中に回っているものだから、ナマエはどう逃げようとも真正面から竹中のハンサム顔を見ることになる。
 非常に整った顔は、出会った時は悲壮な美しさだけであったのに、今は夢追い人の輝きが宿っていた。ナマエはそんな場合でないけれど、健康になった彼に良かったと安堵を覚える。
 息を吐けば、竹中はそれを見て薄く微笑む。慈しむような、穏やかな瞳であった。

「輿入れも済ませてないというのに。異性の膝上で、そんな風に笑ってはいけないよ」

 おめーが乗せたんだろうが!