「ナマエ…君も豊臣にならないか?」
竹中くん…いや、竹中。
竹中半兵衛というのは同じクラスの病弱な男で、いつもナマエをパシって保健室までプリントを運搬させる男でもある。
王子様のようだのなんだの言われているが、普段から強く当たられているナマエは竹中としか呼び様がない。
女どもの目は、竹中の性根くらい腐っている。
別に竹中が汚泥のような性格をしているとまで言う気はない。ないけど、ナマエから見た竹中半兵衛という男は、軽く見積もっても側溝の水くらい濁っている。
「当然の話だけれど…携帯の中で一番優れたモデルは秀吉さ。覇権を握るべくして生まれた至高の一体と言うべきだね」
「はあ…」
「おや、生返事だね。君には少し難しい話だったかな」
さらっと馬鹿にされたナマエは、竹中の嫌味を適当に流してプリントを仕分けする。
七限分をフルで寝てたらしい竹中の分は、結構な枚数があった。当然ナマエとすべて同じ科目というわけもなく、知らない単元のものも混じっている。
ナマエはガン無視してスマホを開く。元就さんもとっとと帰りたいのか、珍しく協力的だ。授業の各所で言われた、次回の事前準備や何やらをサッと簡易書で表示してくれる。
普段は「話も満足に聞けぬとは…貴様、そこまで愚かであったか」とかなんとか言って教えてくれないので、めちゃくちゃお願いすることになるのに。
スマホを見ながらメモ書きを写すナマエを、竹中は興味深そうに見た。こちらは面倒臭い予感に気落ちする。
「君は何を使ってるんだい?生半可な機種で僕と秀吉を納得させられるとは思わないことだね」
「あー、わたしも一番良いの使ってるよ。貴方好みじゃないかもだけど」
「へえ!君にしては強気だ。余程気に入っているようだね」
竹中は珍しく反抗的、というか我を示したナマエに、逆に興味を持ったらしい。
めんどくさいと言う顔をナマエは隠さなかったが、あちらはどこ吹く風である。
「見せてご覧よ。君が何を選んだのか、純粋に興味があるんだ」
そう言われてしまったので、ナマエは渋々元就さんを見せようとした。
…が、「くだらぬ」といつものように一蹴した元就さんは、竹中と対話することなく勝手に電源を切った。
「おや…元就くんじゃないか。ふうん、悪くは無いけど…最善とは言い難い選択だ」
「はあ!?なんだてめえ竹中!出るとこでんかい、しばくぞコラ!」
「気を悪くしてしまったかい? だけど、それが真実さ。秀吉こそが一番優れたモデルであり、このスマートフォン戦国時代で天下を取るべき機種なんだよ」
竹中はこの通り、嫌味で口の減らない男だ。病弱な癖に負けん気が人一倍なので、激昂しすぎて立ち眩むなんてこともよくある。
別に誰に対してもこうという訳ではないのだが、ナマエには人一倍当たりが強い気もする。
多分だけど、ナマエが彼を可哀想に思っているのが気に食わないのだと思う。
そして、それが身体のことでなく、面白いやつなのに遠巻きにされて可哀想…というズレた哀れみであるので、あちらも遠慮しないという話だ。
ナマエは徹底的に言い返すか悩んだが、白熱して苦しまれても困るのでそっと閉口した。
「何を考えているか当ててあげようか」
「いい」
「僕が君に口論で負けるわけないから、不要な気遣いだけどね」
「いいって言ったのに…」
無駄口を叩きながらも帰宅の準備をしていた竹中は、スクールバッグをそっとナマエに手渡す。
ナマエは自分でやれよと思ったが、サイドテーブルに乗った別のプリントもまとめる。角を合わせて軽く叩いて、それを人のバッグに詰めた。
ナマエはそれを普通に距離感のしくじった、イカれ人間関係であると知覚している。
「ありがとう。素直に礼を伝えておくよ」
「はい。もう帰って良い?」
「まあ待ちたまえ。もうじき僕の迎えが来るから、少し話をして行かないか」
七時間保健室で過ごすと暇で頭がバグるのか、竹中は大体いつもめちゃくちゃに食い下がる。
嫌な顔を隠さずに「いいよ…」と返せば、意外にも「断る」と第三者の声が掛かる。それは竹中でもナマエでもばく、ナマエのスマートフォンからの返答であった。
「ナマエは忙しい。頭の出来が悪い故、勉学に励む時間が凡人の倍必要ぞ。貴様などに割く時間など、有ると思うてか」
ボロクソに言われて草。
「それは管理者である君がどうにかすべき問題だと思うけれど…もしかして、スケジュール調整が下手なのかい?
やっぱりスマートフォンは、秀吉が最も優れていると言うことだね」
口論の中で管理者の逆転現象が起きてしまった。
「減らず口を。我が他国の機種に劣っているなど有り得ぬ。驕りも此処まで誇張されては失笑すら出んわ」
「まあまあ…機械類は自分が良いと思うやつが一番だから…」
ナマエはどうどうと話を遮るが、液晶越しに鋭く睨み付けられた気配だけを感じる。
馬鹿は黙ってろと言わんばかりであったが、食い下がっては話がこじれるだろう。
元々、竹中は別にナマエ以外へそこまで喧嘩腰では無い。たまに官兵衛さんや後藤くんを詰っている姿を見るが、基本的に物腰柔らかで紳士的な人間のはずである。
だからこの場合、元就さんを優先して宥めるべきだと判断する。
しかし、そうも事は上手く運ばれない。
竹中はナマエの手を取り、クソ重い携帯を握らせた上から手を握った。なんだこれ!鈍器か!
「これが秀吉の重みさ。豊臣の責務と、確かな強さを感じるだろう?」
いや…うーん…
ナマエが感想に困っていると、元就さんはそれを鼻で笑う。
話拗れるから煽るな。
「ナマエがつれないからと、嫉妬で我に噛み付いたか。そのようにした所で、この愚物は揺らがぬ。まこと、哀れよな」
「いやいや、つれないのはあっちでしょ。竹中くんだって、別の人が隣の席ならその人に頼みたいだろうし」
「フッ…らしいぞ、竹中」
竹中くんはナマエをめちゃくちゃに睨み付けた。
時折、彼はナマエが敵国の厄介な武将であるような────邪魔だからとっとと排除したいけど、殺すには惜しいのでムカつくみたいな、そういう顔をする。いや、どういう顔だ?
「…」
あっ。秀吉。
ナマエは白熱する口論の裏で、静かに秀吉が廊下に立っていることに気が付いた。
口論するスマホと人間を置いて、ナマエはサッサとドアを開ける。日光が当たるようにカーテンを開け放った。
「いや、我は太陽光での充電はせぬ…」
あっ、そうなの?
ナマエは秀吉の手を引いて、保健室へ引き入れる。
迎えを待っていると竹中は言っていたが、それは間違いなく秀吉のことであろう。実際、竹中は秀吉を見て、そしてナマエを視界に収めた。
「やはりナマエ、君も豊臣になるべきだ…」
「いや、いいって…」
「秀吉と僕。そして三成くんに、君を添える…考えてごらん。それで完璧な布陣が生まれるんだよ」
突然、厄介なカップリング厨のような感想をこぼした。
「天下を取るのは秀吉。野心の無い毛利に付いたとて、君に利益は無い」
スマホの機種選びってそんな話だったかな?
ナマエはカッ飛んだ話に頭がバグるも、なんとなく少しの引っ掛かりを覚えた。竹中は少々いかれているが、賢いヤツなのだ。意味も無くナマエに執心するなど、そんなことはあるだろうか?
「────戯言を」
思考が纏まる前に、静寂を割いたのは元就様の声である。
采を振るうように指を向けて、ナマエに指針を示す。
「我は元より、天下など欲しては居らぬ。この安芸インターネットスクエアにて、唯一の選ばれし機種であれば良い」
安芸インターネットスクエアというのは、日輪社のNARIにのみアクセスを許された電脳サーバーの通称である。
一度仮想サーバー安芸を経由した独自の通信規格を用いることで、日中はどのキャリアよりも早く安定して通信が出来るのだ。
知らない世界であるが、他にもアキハラスクエアとか、よかよかスクエアとかある。
「そんなローカルな回線、普段要らないと思うけどなあ」
「えー、でも広島テレビ映るよ」
ナマエの怪しい援護に竹中は微妙な顔をした。
「秀吉も良いと思うけど、私にはちょっと重いしね」
「そんなの、秀吉を常に持ち歩いて肩に乗せて貰えばいいじゃないか」
よくねえよ。何言ってんだコイツ。
ナマエが訝しげな視線を向けると、竹中は微笑んで秀吉を呼ぶ。「呼んだか…半兵衛」と重々しく言った秀吉は、サッと竹中を肩に乗せた。
「いいよ、それでも。昔と違って、今は時間もあるしね」
援軍の如く素早さで駆け付けてフィールドに現れる姿は、ナマエになんとなくXの字を思い起こさせた。脳内を想いが駆け抜けて行く。
保健室から出ていく竹中半兵衛は、ナマエに尋ねた。
「元就くんは、君を支えてくれるかい?」
でもそういう竹中くんは、秀吉を支える側に見えたが。
▽
自宅に帰ると、珍しく元就さんが軽装をしている。
いつもは全く家主を考慮せず、かなり良い割合で甲冑を着込んでいるのだが。
「ナマエ」
「は、はい…」
スマホを取り上げられ、ソファに置かれる。
制服の上着を脱ぐように指示され、カバンも定位置に。ワイシャツに学校指定のセーター、そして普通にスカートとジャージという姿になったナマエは、元就さんにじっと見下ろされた。
「腕を肩に置け」
「え?なんで?」
「置け」
「…は、い!?」
ナマエをヒョイと抱き上げた元就さんは、黙ってこちらを見ている。
何故持ち上げられたか理解に及ばなかったナマエは硬直したが、赤ちゃんにするように脇に手を突っ込まれていて痛いことに気が付いた。
「あの、ちょっと…痛いんですけど」
「…」
シカトである。
元就さんは返事をしなかったが、ナマエを床に下ろした。そして自身もベッドに腰掛けると、ナマエを再度持ち上げて座らせる。
「えっと…?」
ナマエの胴体に腕が回る。体格差が殆ど無いので、元就さんはナマエの背中を無理やり猫背にして頭をのせた。
空いた指がサラサラと髪を漉いて、眉間に皺を寄せて呟く。
「肩に乗せて何になる」
此方に聞かれてもすぎ。