サーヴァントが槍で刺し穿たれる。
雪のように白い姿には全く返り血は付かず、相手にしたのは人でなく、神霊に近い何かだったのだと魔術師は思った。
事前の調査では、大した霊基も魔力も無いと聞いていた。
魔術師は悪名高い妖精國帰りのヤツだったが、そのサーヴァントはハズレであると。アサシンでも無いのに、全く強さを感じさせない佇まい。武芸者でなく、それらしい宝具も無い。
魔眼で見たステータスは軒並み低く、脅威足る数値は一つも無い。
しかし相手のサーヴァントは宝具でも技でもなく、その技量だけでランクをひっくり返し、魔術師の使い魔を消滅させる。
序でに言えば、サーヴァントは己がマスターの助力すらも借りなかった。
警戒していた魔術師は、なんのアクションも取らず、無表情で使い魔の戦いを眺めるばかり。
つまらなそうな顔と目で、戦いの行く末を見ていた。
「あっはっは!ナマエ、如何しますか?此度の戦、我々の勝ちですよね。まあ、当たり前なのですが」
何処からか取り出した酒を口にする。マスターはそれを無感情に見遣って、「はい」と小袋を手渡した。
サーヴァントはそれを取り出して、舐める。「あー、おいしー。やっぱりこれですよねえ!」と笑顔を浮かべた。
女もまた、包装紙を取り出す。サクサクと音を立てながら棒を口に入れた魔術師は、血生臭い空気にスナック菓子の臭いを混ぜ込む。
率直に言って、気持ちの悪い女だった。
「何回来ても負けませんし、逃がしても良いのでは?」
「ダメだよ。ランサーはそう言って、リベンジマッチして欲しいだけでしょ」
「あちゃー、バレてました?」
「まあね」
「しかし、それだけでも有りませんよ。仏門では、無益な殺生は善い行いでないとされています。
勝敗が付いているのですから、これは不要な処断ではありませんか?」
「殺すまでが勝敗だよ。生きてる限り、負けじゃないんだから」
どうやらサーヴァントとマスターは方針で話し合っているらしい。
魔術師は命拾い出来るかもしれないと静かに思う。
マスターの女は殺すべきだと提言しているが、サーヴァントの方は見た目らしく清く正しい武士のようだ。無益な殺生を嫌う人物なのであれば、仲違いもあり得ると思案した。
助かるかもしれない。そうしたら、もう聖杯戦争に関わることはやめて、もうこんなサーヴァントにも、魔術師にも二度と会わないように、
「それに」
感情の読めない、冷ややかな瞳が魔術師を見た。
「次こそはなんて思ってないよ」
女は立ち上がって、魔術師の腕に手を掛ける。
令呪を力任せに引き剥がし、剥ぎ取った皮を手に持った。痛みでのたうちまわる魔術師の背中は、サーヴァントに踏み付けられている。
「義を掲げるのに、こういうのは別に良いんだ?」
「おかしな問いですね。此処は戦場、首の代わりに印を取っているんでしょう?なれば、これは道理です」
「首も取るけどね」
魔術師が最期に見たのは、表情を削ぎ落としたかのような女と、笑い狂う白いサーヴァントだった。
▽
ナマエは妖精によって攫われた子供で、それと同時に呪いを与えられた大人である。
この現代では時折、チェンジリングに寄る交換────所謂、神隠しが起きる。
その実それは神が隠したのではなく、妖精どもが物を外に捨てる時、たまたま近くにあった人間とチェンジしてしまうなんていう、傍迷惑な人災…いや、妖精災?なんにせよ、最悪で災厄なのは変わりがない。
そんなこんなで妖精に境界を超えさせられたナマエはその地で彷徨い歩き、運良く妖精に送還される。当然、対価を支払って。
妖精は言った。“キミの笑顔は可愛いから、僕だけのものにしたい!”傍迷惑な感情である。
少女は言った。“それなら、この顔の皮をあげる。だから、現世に帰してよ“
妖精はそれに首を振って、こう答える。
“ダメダメ!それじゃ、キミはまた同じように笑うだろ。それを見るのは、僕で終わりにしなきゃ。だから────”
そして後に残ったのは、顔の神経を引っこ抜かれた哀れな女魔術師だった。
「あはははははは!こういった行為は無縁と思っていましたが、マスターが首級をお求めとは!
たまには良いものですね。一兵卒のように、こうして手柄を挙げるのも!」
表情の変わらないナマエは、空中に魔術で顔文字を書いた。
٩(^‿^)۶
やったねの意である。それ見たランサーは、「なんです、それ?」と笑いながら問い掛ける。
喜びを表していると返せば、彼女は笑顔のまま神妙そうに呟く。
「喜び?これが?」
ランサーは心底不可解と言った顔で問い返す。あくまで笑顔のままであったが、ナマエにはそう見えた。
「喜びとは酒でしょう。酒の味こそが楽しさであり、戦に勝利することが人の喜びなのでは?」
ナマエは速攻でランサーのヤバさというか、彼女が非常識なキチガイであることを理解した。
軍神と称される人物であるとは知っていたが、こんなにも道理を持たない存在というか、通常の人間を理解しない存在であるとは。
しかし、そんな相手に何かを説いたところで無意味ではないだろうか?
少し考えたが、ランサーがナマエに問い掛けるならば、それには全て答えようと今決定する。そして目先の質問に対する答えを、迷わずに告げた。
「人の喜びは、笑うことだよ」
「笑うことがですか?楽しいから、喜ばしいから人という物は笑うのではないのです?」
「違う。笑うから楽しい。行動が感情を生むんだよ」
ランサーは澱んだ目でナマエを見た。言葉の意味は理解出来たものの、いまいちピンと来なくて首を捻っているらしい。
聖杯からのバックアップは、心理学者の言葉なんぞを引き出せないのだろう。或いは、在った上で不理解のものであったのか。
「だから私も形から入ってる。ほら、すごい形あるでしょ」
「ありませんよ。平面の絵に形は」
ナマエが描いた顔文字をバッサリ切り捨てたランサーは、笑顔のまま答える。
「ふーむ。しかし、そういう教えがあるのですね。眉唾とは思いますが、其方がそう仰るなら乗ってみるのも一興。
では私、もっともっと笑って行きますかね!にゃははははは!」
そう笑ったランサーは、地面に顔文字を描いた。ナマエが描いたものを真似て、非常にそっくりな笑顔の顔を描く。
文武に優れた英傑であることは知っていたが、こういった方面での器用さもあるらしい。
▽
ナマエとランサーは組んでは居るが、主従では無い。
「我こそは刀八毘沙門天の化身、長尾景虎。
そなたの願いを聞き遂げたが、仕える道理は特にありませんし…まっ!食客程度にお願いしますね!」
呼び出した瞬間、ランサーはそう言ったからである。
顔に出ないタイプで良かったとナマエは強く思う。表情筋が少しでもあれば、なんだテメー!とキレていたに違いないからであった。
よくよく思えば、ナマエが召喚を実行した時、システムに願ったのは“一般人である自分を守ってくれるサーヴァント”だ。
少し魔術が使えて、少し人を殺せるだけの魔術師。それがナマエで、そんな召喚者に長尾景虎が応じたのは道理と思う。
魔術師が自己申告する“一般人である”などという主張、当たり前だが通る訳がない。
だから、“自分以外の全てを弱いと思い“、”弱きを守るが務め”と思っているランサーが召喚されたのであろう。
まともな感性のサーヴァントは、ナマエの話を聞いた瞬間に「うーん、一ちゃんさ。それって一般人て言わないと思うのよ」とか言うに違いなかった。
だからランサーは主従でないのにナマエを守るし、助けて欲しいという願いも聞く。
弱い者の頼みを、彼女は代行するのだ。それが“人として正しい”ので。
上記の通り、ランサーはしっかり役目を果たしている。
しかし、ナマエの手は鮮血に染まっていた。傷を負ったのはランサーの落ち度では無い。
単純に、ナマエが油断していたからである。
「ひどいことをするものですね。ナマエは一般人であるのに。
生家の後ろ盾も無く、家臣団も無く、たった一人の民草であるというのに」
彼女に映る“弱き者”。それがナマエだった。
不可視の一撃。武器による攻撃でなく、魔術の類いであったのだろう。
ランサーが対応出来ないのも当然であり────というかそもそも、ランサーは義を掲げ、聖人ぶって弱者を守ると提言しているだけで、本来そういう細かい心配りとか出来ないタイプなのだろうと思う。
“そうであるべきと言われたからそうしているだけ”というのが、彼女の全てであると予想していた。
全ての事象に対し、事前学習した提携文だけで返すロボットのようなもの。それが、長尾景虎という英雄であるとナマエは感じている。
皮一枚で繋がった指を押さえて、くっ付けようとするナマエをランサーは貼り付けた笑顔で見ている。
「くっ付くと良いですねえ、それ。繋がらないと、武器持つ時に困りますから」
そうだね、と軽く返す。
痛みに耐えながら治療に当たっていたが、ふとランサーがこちらを凝視していることに気が付いた。
心配…などはする筈があるまい。単に、疑問があるのだと思った。
「難儀ですね、表情が変わらないだなんて。澄ましてますが、痛いのでしょう?」
やはり気になっている事があっただけらしい。ナマエはどう返すか悩んだが、足で文字を書くのは難易度が高い。
サラサラっと爪先で、今の気持ちを砂に描いた。
ʅ(◞‿◟)ʃ
ランサーはぐるぐると渦巻く目を、砂場とナマエに交互に移動させる。
理解に及ばなかったらしい。くだらなすぎて流されるかと思ったものの、ランサーはすぐに意味を尋ねた。
「それはどういう意味ですか?」
「もはや笑うしかないし、笑っとこうかなくらいの気持ち」
「なんです、それ。笑うしかないという場面が思い浮かびませんが、あるんですかそういうの」
「悲しい事があったら、とりあえず笑うんだよ」
「悲しいのに笑うのですか?ヒトというのは、喜ばしいから笑うのでしょう?」
「どうしようもなくなったら、笑い飛ばしてマシにする。これぞ人間の知恵」
ナマエは首を捻る。具体的な例を述べたかったが、特に伝わりそうなのが無かったからだ。
「どうしようもないから笑う、ですか。ふうむ。それは少し、私にも理解が及びますね」
少し意外であった。
驚く表情を隠さないナマエに、ランサーは笑って返す。…実際のところ顔は少しも動いてなかったが、「ふふん。意外と思ってますね、マスター。貴女が地面に描かずとも、今のは察することが出来ました」とのこと。
「思えば、私もそうだったかもしれませんから。私より弱い兄に唆られた時も、父と母に寺へ出された時も、姉に憐れみ泣かれた時も、この景虎は笑っていましたよ」
口角は上がっているが、目は全く笑っていない。
渦巻く瞳の中に、暗くて底の見えない黄金が映る。それは確かに笑いであったが、彼女の心は決して本心から笑っている訳ではない。
本人も自覚があるだろう。人間らしく振る舞うために、彼女は笑顔を作っているに過ぎないのだから。
ナマエはそれを理解して、それでもと答える。
「きっとそうだよ。わたしも、そんなことになったら多分笑う。笑うしかないから」
「あははははは!ナマエ、笑えないじゃないですか!」
ランサーは明け透けでズケズケで、こういう所があった。
不満を訴える為に見つめれば、彼女は地面に槍先で絵を描く。国宝でそんなことをするなと更に咎めるものの、可笑しそうに声をあげて笑うばかり。
٩(^‿^)۶
「こうでしょう、其方の心は!」
全然違う。まったく一ミリも掠ってないが、それはそれとして関心した。
ただの人間などを何とも思っていなさそうな彼女が、ナマエの描いた“喜び”を覚えていたのである。その絵を見て、動く心の機敏は確かに絵の通りであると言えるだろう。
「これもまた、人の行動なのですね。人は苦境の中にある時、それをくだらなくする為にも笑うのですか」
「うん。笑いは万能だから」
「それで結局痛いんですか?」
「どっちだと思う?」
問いを聞いたランサーは、笑って槍に付着した血を拭った。魔術師の服が、泥と血に塗れて汚らしい。
「さあ。私はどちらでも構いませんから」
▽
「それ、美味しいですか?」
ふと、ランサーが珍しいことを聞いた。
「其方は表情が変わりませんから。どういう感情でそれを食すのか、私には分からないんですよね〜」
ナチュラルボーン煽りである。ナマエは空いた指で口角を上げた。
「うまい」
ナマエは間髪を容れず返答をする。
それというのは、ナマエが愛食している駄菓子だ。美味という旨が記載された袋は、口に入れずともうまいことがわかる。
それを伝えれば、ランサーは「へえ、やはりですか!」と笑う。袋を空けて口に持っていけば、彼女はそれを迷わず食した。
「強い塩の味がします。美味しいですね」
ナマエは指を振る。ちっちっち。これは美味しいけど、美味しいではない。
「これは“うまい”。うまいんだよ、ランサー」
ランサーは理解出来ないようだ。いつものように貼り付けた表情で「なにを言っているのでしょう?」と首を傾げた。
だが、うまいもんはうまいのだ。特に理由なく、これはうまい。うまいのである。
「サラダ味だから健康にも良いよ」
「なにゆえ嘘を吐くのです?」
「真実だよ。ランサーも塩で呑まずに、これでも呑んでみたらいい。うまいしサラダ味だから」
彼女は腑に落ちないようであったが、一先ず“うまいもの”のことは分かったらしい。
そのお菓子こそが“うまい”であり、万人の思う“うまい”であると。
「それにしても、ランサーって私に関心あったの?」
「失敬な!ナマエのことを何時も見ていますよ!目を放した隙に死んだら哀れではないですか」
「そうじゃなくて。個人も見ているんだなって思って」
彼女はナマエに関心はあまり無いように思っていた。それどころか人類全体に対して興味があるのかも怪しい。
ヒトを知りたいと願ってはいる様子だが、個人の動向それ自身には全く思う所が無いのかと。そういう風に感じていたのである。
そう正直に言えば「あはははは!」と笑う。これはおかしいのでなく、リアクションとして反射で返しているに過ぎない。
「否定はしません。しませんが、そう。そうですね。其方が、我を畏れぬから────」
半月のような口に、望月のような瞳。煌々と輝く両眼は、ナマエを静かに見据えていた。
そして一歩進んで、ナマエの頬に手を触れる。親指が目尻に掛かって、黄金の中に己が映り込む。
「────この長尾景虎に、其方はものを説く。この我に世の道理を語り、自らの尺度に過ぎぬ正しきを、毘天の化身たるこの景虎に申す」
ただでさえ人間味が希薄なランサーは、神や仏にでもなったようにそう告げた。
「正しく、不埒者よな。言い逃れも出来ぬだろう。人の身で、神を神とも畏れぬのだから。そうであろう?」
糾弾のような言葉だったが、それは確かに質問だった。ナマエは、そう思った。
ナマエという人に、神仏に物怖じしない人間は不敬であると思うが道理だろうと尋ねている。
はいと応えれば、彼女はどう思うか。
────笑うのだろう、きっと。神のように、仏のように。
だが、そうとは応えない。それは答えではない。答えは、そんな神の声を肯定するだけの物じゃない。
聞かれたならば答えると最初に決めた。ナマエは迷わず、心のままに返答をよこす。
「貴方が何者だろうと関係ない。聞かれたから答えているだけ」
それを聞いたランサーは、壊れたように笑った。それは楽しそうにも、哀しそうにも見える。
「私の問いに、母は応えをくれませんでした。姉も、嘆いてました。父は会話すらもしませんでした。
私に人を説いた坊主も、頷くばかり。いずれ何も答えなくなりました。家臣も、我が言葉には応えるばかりですから」
「私はそうしない。ランサーの今迄とか、関係無い。貴方が私に聞くなら、考えて返す。
何も答えなくなるとか、絶対ないから」
「はは、あははははは!」
答えを聞いたランサーは、より一層大笑いをした。
ナマエの返答に対して「浅ましい!」と「訳がわかりません!」と「愚かとは、このような事柄か!」とボロクソに言った。
彼女としては大変珍しく、実感のこもった言い方であった。
「其方は、そう!そうですか!人の身で、この景虎に!そう────そう、なのですね」
何か腑に落ちたらしい。静かな瞳が、凪いだようにナマエを見る。
「其方はその弱き頭で、この景虎を見つめて、ただ一つのありふれた────其れでいて、私だけの為の答えを思案するのですね」
ん?悪口か?
▽
ナマエという魔術師の話をしよう。
とことん運が無いナマエは、直系でも無いのに令呪を当てた。
早い話、興味関心の無い聖杯戦争への片道切符を手に入れたのである。それで辞退しようと教会へ令呪を渡しに行ったが、その道中に襲われた。
本来、召喚前の魔術師を襲うなど有ってはならない事象である。しかし前述の通りナマエは直系でなく、事前に想定されたマスターなのでは無い。
要約をすると、ナマエが令呪を持つことが気に食わない勢力────まあ、有り体に言えば、身内の差金で襲われていたのだった。
「あはははははは!疎まれたのですね、ナマエは」
まっ!そういうこと!
ランサーはサーヴァントの首を刎ねて、ナマエに手渡した。
そして深い黄土が魔術師を見下ろして、「如何します?」と此方に微笑む。
「────まず、この人を処分して。隠れてる親族も探して処分して。使用人も処分しようか。そうしたら、火を掛けて全部片付けたい」
震える男を見下ろす。魔術師が恐怖に怯えるなど、愚かしい。そんな俗物であるから、ナマエの陣営は狙い目だなど、実家から懸賞金が出るだなど、くだらない甘言に踊ってこうなるのだ。
呆れながら裁決を下せば、ランサーは「ううーん」と平坦に唸った。悩むような言葉であるが、その声は何処までも空虚なものに感じる。
「気が乗らないんですよね」
そんな声色で無いのに?
「ほら私、毘沙門天の化身ですから。正しくないことをしては、人の身から離れてしまうと言いますか」
そうは言うが、その言葉は酷く中身の伴わない物である。
“そうと言われたから”。“そう教えを受けたから”。そんな感じ。ヒトの受け売りを実行しているような。誰かがそうであれと言ったから、そうしているような。
ランサーの言葉は、ランサーの心では無いとナマエは感じた。だから、こう答える。
「別にランサーが何をしようと、人間じゃなくなるとは思わないけど」
「え?」
大衆よりかは希薄だとは思うけど、普通のところもある。神様っぽい雰囲気もあるけど、ごく稀に人っぽい時もある。
それが暫く隣で見ていた、長尾景虎という人物像であった。
「しかし、私は人がわかりません。わからないのですから、義の在る生き方をせねば、この景虎は、」
「そんな些細なことを気にして、人を知りたいと悩む貴女が人で無いなら、何が人だって言うんだよ?」
ランサーは押し黙った。
「私は笑えないけど。それくらいで人間じゃないと、笑顔すらも欠けたヤツは人でないと、ランサーはそう思う?」
指で口角を上げて、笑顔を作る。
「私の分まで笑ってよ、ランサー」
彼女が“笑顔こそが人間の条件”だと、“人間らしい表情”だと思うならば、それを行うことこそが人らしさと言えるのではないか。
ナマエの屁理屈に、ランサーは笑った。相変わらず目は空虚だが、やはり少しだけ、本当に少しだけ、彼女は正しく“笑っている”ようにナマエは思った。
「─────ええ。貴女が、そう言うのならば」
▽
結局実家に馬鹿みたいに疎まれたナマエは、聖杯戦争中にも関わらず追手を差し向けられていた。
彼女に笑えと言った手前なんだが、ナマエはまったく笑えない状況である。
敬愛する師父に死を望まれ、当主を差し向けられ、それを殺して生き存える。こんなのは、人間の所業ではない。浅ましく、惨い。
血に塗れたコートが重く肩に伸し掛かる。真っ黒になったそれを投げて燃やして、マッチも捨てる。しかし地面に着く前に、ランサーが火種を指で挟んで消した。
「ポイ捨てはいけませんよ」
「いいよ、ここ聖杯の前だよ。どうせ最後に燃やすんだから」
「随分ヤケクソですね。そんなに親が恋しいですか?」
ランサーは積み上がった骸を見る。それはナマエの血族達で、結局みんな、みんなみんな、ナマエが殺すことになった家族達だった。
「生家に弓引き、死を願われたのに拒む。私は、何のために儀式をやっていたのだろうね」
「さあ?私には、わかりませんから」
アンニュイな気分が霧散した。あんまりにもバッサリ行かれるものだから、ナマエもバカらしくなる。
なんのため、など瑣末な物だ。
死にたくないからそうして、ランサーとつるみたいからこうした。それだけだったと、その答えで思い出した。
しかし、なんと言えばいいか。ランサーは前以上に“人間らしくなさ”と言うか、人間離れした、あまりにも達観し客観視過ぎる目線をナマエに隠さなくなった。
ナマエは随分、ランサーに好かれたものだと思う。
いや、彼女には好いてる自覚は無いかもしれない。ただ興味があって、聞いたら答える都合の良い存在だから、なんとなくつるんでいるだけなのかも。
だが確かに、そこには執着のような物があった。
名前も付かない淡い感情であるが、ナマエのランサーは、長尾景虎は、間違いなくナマエを気に入っている。
だから彼女は微笑んで、ナマエを瞳に映して、楽しそうなのだった。
「────ああ。違いましたね。私は、笑わなくては。他でもない、貴女の為に。だって今、ナマエはどうしようもないんですよね」
ランサーは笑った。微笑んで、槍を振るって、声を張る。
「良いではないですか。ナマエには私が居て、私のことはナマエが認めてくれるのでしょう?」
「ええ?…まあ、うん。そうだね」
「でしょう?そうでしょう?そうなんですよね?ね!ね!ね!」
ね。ひとつ言うたび、武器が薙がれて鮮血が舞った。
聖杯の周りに罠として仕掛けられた、屍人の自動人形どもである。腐敗した肉は黒ずみ、液垂れを起こしていた。
しかしその中でも、ランサーは汚れずに白く、清く有り続ける。
そうして全てを片付けた、かわいい笑顔のナマエのサーヴァントは、楽しげに微笑んだ。
「ね!」
ランサーはナマエの頬を掴み、にいっと口角を上げさせた。
そうして自分もいつもの決まった目で、じいっとナマエを注視する。こえーよ。
「でしたら、それで良いではないですか!」
ランサーはナマエの手の中の聖杯を、ブン投げた。地面がヒビ割れ、無傷の器がキラリと光る。
彼女は笑って、何度も何度も何度も何度も踏み付ける。聖杯が汚れても、足から血が出ても、気にも止めずに。
「やはりこの程度ではダメですね。ナマエ、宝具を」
「なんで?」
「こうすれば、もっと楽しくなりますよね。いずれ更なる追手が来ます。さすれば、ナマエとこれからも戦し放題です」
ナマエはランサーの言い分がヤバすぎて笑ってしまった。いや、顔は笑って居なかったんだけれど、心の中で大爆笑である。
そう来たか!という感じであった。手に入れた聖杯を勝手にブッ壊したら、秒速でお尋ね者だろう。
「あはは、はは!あははははは!」
代わりにランサーが大笑いしてくれる。
ナマエも指を口角に当てて、それを彼女に見せた。ランサーは槍の先で(=^x^=)と壁に掘って、「どうですか、ナマエ!にゃー!」と自信満々に言った。
そんな顔文字教えていない。驚いてランサーを見れば、軍神はしてやったりと笑った風に見えた。
「わかりますよ。其方に表情はありませんが、私に驚いたのでしょう。
今それが理解出来ました。私には、ナマエが少し分かったのです」
「人のことは分からないのに?」
「ええ。人は分かりませんが、其方の事は分かります。今どんな顔をしたいのか、見せて差し上げましょうか」
「いい。わかるから」
「あはははははは!左様ですか!この景虎を、人如きが分かったと!あはははははは!」
彼女はこんなだが、いつだって“ヒト”を知りたがっている。そんなところが、ナマエは好きであった。
「破壊しよう、ランサー」
「ええ、ナマエ!そうこなくては!」
私も、彼女も。
今の気持ちはきっと、“よろこばしい”である。
2024.1 追加 謙信と晴信とナマエ
晴信は驚く。
眼前に揺れるのは忌々しい白。天敵であり仇敵であり人生最大の汚点であり説明しようとすると一生つらつら語ってしまいそうな相手である女の長い毛である。
顔を合わせたら戦戦川中島戦。気分だったらやってやらんこともないが、マスターの手前そう頻繁に殺し合っていては示しも付かない。
すると当然、景虎のただのウザ絡みの頻度が増えて大変に晴信はむかつくので、出来るナイス甲斐はスマートに物陰に隠れた────のだが。
「私、人がまあまあ分かったんですよ。ま、わかんないものはわからないですが。
敗北感とか?劣等感とか?恐怖心とか?そういうの、私には無いって言いますか〜」
なんだテメエ。やんのか。
思ったが、閉口する。ここで飛び出して食って掛かると、あのクソ女と同レベルである。
それよりも。いや全然それよりもでは無いのだが、一旦冷静に、スマートに話を置く。
景虎の話は超絶にむかつくのだが、そのことを横に置いて置けるほどに異様な光景が広がっていた。
「へえ。良かったじゃん」
全然良かったとか思ってなさそうな、一ミリも顔がぴくりともしない女。
終始笑顔で、本当に心底たのしそうな景虎に────それこそ、晴信と戦り合っている時からギラつく闘志を引いたような。
そんな珍しい顔の景虎に、全く気持ちのこもっていない適当な返答をしている真顔の女。晴信の身を隠す廊下の奥で、やべえ女とやべえ女が会話をしていた。
「其方ならば、必ずこの吉報で喜ぶだろうと思っていました。
私、分かりますよ。何故、ナマエがこの話で喜ぶのか…当てて差し上げましょうか?」
「えっ、いいよ」
「当てて差し上げましょうか?」
すげえウザ絡みである。元からだいぶ晴信には鬱陶しい粘着を見せ付けていたが、会話相手の女に対する態度もかなりうざい。
晴信は適当に景虎をあしらっていたし、敵軍敵国であったからウザ絡みの度合いも高が知れていた訳であるが、そうではない場合────同陣営で、ウザ絡みを一生許容した場合。
最終的にああいう風になるのか…と他人事ながら強く危機感を抱いて頭を振った。
景虎は真顔の女に一歩詰めて、指を掬い取った。そしてその額に額を合わせて、ハッキリと分かるような堂々とした声で言い放つ。
「其方が私を好いているからです。私を愛し、慈しみ、愛で…まあとにかく、私好きですよね?」
「ランサーは私のこと好き?」
「わかりません!でも、ナマエは私が好きですよね?」
「ランサーが私のこと好きだったら好き」
「それでは分からないではないですか!」
めちゃくちゃを言う景虎に、女────ナマエというらしい。彼女は、同じくらいめちゃくちゃな返答をする。
表情は変わらないが、苛立ちながら景虎を弄んでいる様子だった。何故そう思ったかと言えば、彼女はリズミカルに靴を鳴らしていたからである。
しかし、その返しは上杉謙信となった筈の女に最高火力のダメージ、というか精神的動揺を誘ったらしい。
心底理解できないと言った顔の景虎は、ぐるぐる渦巻く目で晴信を捉えた。えっ、俺?
景虎の奥に居た女が手をひらひらと振って何処かへ歩き去っていく。
肝心の景虎は、全く後ろを向かずに手を振った。なんで一切見ずにモーションがわかるんだよ。
「晴信。見ていたでしょう、先程から。私はナマエが好きですか?」
「無茶苦茶なことを聞くんじゃねえよ…」
「あっ、ナマエはダメですよ。ナマエは意地が悪く、褒められた性格では無いですが、私と今生楽しく過ごす誓いをしていますから」
「んなこた聞いてねえよ…」
晴信のやるきない返答にも、景虎はケラケラ笑うばかりだ。呆れ返って溜息を吐いても、晴信の動向くらいじゃ景虎はブレない。
「好きかどうかも分からねえのか、テメエは」
「よく分かりませんね。生涯不犯であったのは、正直なところ異性にも同性にも興味無かったみたいなのありますし。
しかし、ナマエのことは他者よりもよく分かります」
「ああそうかよ。じゃあよ、あの女が機嫌悪いのも分かったのかよ?」
「? 違いますよ」
心底不思議そうな目が、晴信を見た。本当に不理解そうに、何を言っているんだコイツと言わんばかりの顔だった。
「あれは、楽しんでいたんです。靴を鳴らして、上機嫌だったでしょう?」
景虎はつらつらと先ほどの女のことを語っていく。彼女の名前。機嫌の良い時の癖。不機嫌な時の態度。
それに、景虎を呼ぶ時の声。そして景虎以外の者に対する態度。どれだけの我儘を言って許されるか。どれほどの無茶振りをして答えてくれるか。
それらは事細かく、ただの一個人に対する見解にしては酷く多い情報であった。
「あの女のこと、随分しっかり見てんじゃねえか」
「? 見ずともわかりますが」
「はあ?」
景虎は、酷く穏やかに笑った。
希薄な彼女らしくもない、非常に実感のある語り口であり、そこには強い親愛と執着があった…風に思える。
「言ったでしょう。私、ナマエのことは他の人よりよくわかるんです」
それを好きだと言うのだが。