月の裏側。セラフの裏側。旧校舎。終わらない夕暮れ時。この空間を形容する言葉は、それくらいで十分だろう。
岸波白野に敗北し消えるはずだったナマエとセイバー。だけれど、一体どういうことか。運命は数奇である。
死んだはずの命を拾って───いや、それは正しくない。ナマエは完全に死んでいる。負けた記憶があるのだから、それは間違いない。
月の裏側にブチ落とされたナマエは、死んだままアリーナだったものの中に佇んでいる。
サクラ迷宮と名付けたらしいそれは、地下の深く深くまで進んで行く形式のものなのだとハーウェイの子息が言っていた。かの有名な遠坂の一族や、アトラス院のホムンクルス、悪名高い殺生院キアラなど、錚々たるメンツであったが…それはナマエには関係無い。敗北者となった今、誰がどうしてようと些細な問題なのだ、が。
でんでんでんでんでん~、と間抜けな音が鳴る。頭痛が痛い。腰痛も痛い。筋肉痛も痛い。ナマエは大変愚かだったのだ。
遡ること数刻前か。ナマエたちを打倒し、次の階層へと進んでいった岸波白野と再会したのが数日前。
ついでに近況報告と生徒会による会議があった。ナマエはサーヴァントを連れてないので辞退したが、軽いサポートはすることを約束させられた。そこまではいい。
問題は更にそこから数日後。岸波白野は、サクラ迷宮内で岡田以蔵を見た、と言ったのだ。
「はあ!?わたしのセイバーを!?」
「ええ、そうです。ご主人様と私は、貴女のサーヴァントであるアサシン…いいえ、セイバーでしたね。彼を見掛けたのです」
「ど、どこで…?」
「大切なパートナーと逸れて、お辛い気持ちはこのワタクシもとーっても分かります。ですけれど、そう簡単に教える訳には参りません。まずは、私たちに協力するとお約束を…って、ご主人様!?ええ!?教えちゃうのですかあ!?」
岸波白野のサーヴァント────狐耳のキャスター…ん?前会った時は、ムキムキの成人男性だったような?
まあそんなことどうでも良い。キャスターの話を遮った岸波白野は、サクラ迷宮の奥に消える岡田以蔵を見たと語った。
「ありがたいけれど、どうして親切に教えてくれるの?」
岸波白野は真っ直ぐ言った。「緑のアーチャーと戦った時、ナマエは助けてくれたから」と。
岡田以蔵。ナマエのサーヴァントである。幕末のアサシン、人斬り以蔵。だけれど、彼はナマエの至高の剣でもある。誰より強くて、誰より斬れる、最優のセイバー。
迎えに行かなくては、と思った。
元より死んだ命だ。地上で一度死んだ時に、捨てたものなのだ。それが岡田以蔵の願いによって拾われて、延命されただけだった。岡田以蔵が居なければ元から無かった命だし、二度目だって彼のおかげだ。
────だから、迷宮内に乗り込んだ。
岸波白野について行くか迷ったが、リソースを割いていない今、逃げ回る程度ならナマエでも余裕だと思った。通信で命知らずとめちゃくちゃに謗られたが、勝手に踏み入って電波を遮断する。
月に来ることを考え付いたとき、ナマエに生きて居て欲しいと願った彼の思いを踏みにじることになるというのは、早々に思い当たった。
だけどセイバーだってそういう選択をした。ナマエはセイバーを生かすために死んだのに、あいつはそれをガン無視して聖杯に願いをかけたのだ。人の願いを踏みにじったのはお互い様なのである。
「ちょっとお、ナマエさん?聞いて居ますか?」
突如として現実に引き戻された。現実逃避を阻止された。白いパンツを丸出しにしてナマエの首に指示棒を当てた美少女は、ふふふ、と可憐に含み笑いをして「BBチャンネル~!」と高らかに宣言した。
BBチャンネル。悪魔の番組。趣味の悪すぎる放送コンテンツ。
ナマエの正直な感想である。ばちばちと、月の裏側に居る全生物の視界がジャックされたであろう嫌な音が鳴る。桜がぐるぐると回って、蛍光ピンクが痛いロゴがちかちかと点灯する。視界の中に。脳をハッキングってどういうことだよ。
簡単に説明すると、こうだ。慌てて岡田以蔵を迎えに行ったナマエは入れ違いになった。
本当に頭が痛い。ナマエがあそこで少し我慢していれば、ここまで酷い展開にはならなかっただろう。セイバー自体は、空回りしたナマエの捜索をよそに岸波白野たちに回収されたのである。
元よりナマエのことを案じていたらしいセイバーは、ナマエの安否を聞くや否やアッサリBBを裏切ったそうなのだ。
そうしてナマエの方はと言うと。BBチャンネルに組み込まれてる時点でお察しだろう。こっちに回収されてしまったのである。
「パンツじゃなくて、レオタードですからね!もお、スケベなんですから」
心を読まないでください!
「完璧美少女のBBちゃんには心をハックするくらい、朝飯前です」
なんでもありだな、と内心冷や汗をかいていると「そんなエッチな貴方は、こうで~す!」と可愛らしい声がちちんぷいぷいと聞こえる。
ロビンフッドのようにビームでも撃たれるのではと怯えていたが、特に痛みはない。何をされたんだ、と頭を抱えれば、外野から「なんじゃああああ!?」と叫び声が聞こえる。セイバーである。元気そうでよかった、と言うべきなのだろうか。
「BBちゃんは優しいので、ナマエさんだけに罰を背負わせたりはしません。ホウレンソウのレンは、連帯責任のレンですからね!」
違います。連絡のレンです。
嫌な予感だけを感じつつも、声の方角を見れば、モニターに映っているのはセイバーである。恐らく、あちらのモニター…というか、視界。脳裏にナマエとBBが映っていることだろう。
モニターを注視して、ぱくぱくと口を開くセイバーが見える。珍しく発言権を許可されているらしく、声にはなっていないが何かを言いたげだ。
「お、おいナマエ…おまん、袴…」
袴?
そういえば、何か、すかすかするような。
ぶわ、と冷や汗が出る。ナマエは、スカートを履いていたはずだ。足はここまで寒かったか。否。正しい丈で履いていたセーラー服のスカートは、ここまで足を出していた記憶が無い。そして、いやにぴったりしている。まるで運動用の、あれであるような。
見たく無い。見たくなさすぎる。何故。予想が正しければ、これは。
「ナマエおまん下着丸出しにされちょるぞ!?」
「下着じゃなくてレオタードだからね」
セーラー服の下に黒いレオタード。よっぽどパンツ丸出しと思われたのが頭に来たのだろう。ナマエもまた、レオタード丸出しの痴女にされてしまった。
モニターの向こうのセイバーが指差しして動揺している。彼にとってはレオタードもパンツも変わらないのだ。足を注視するのをやめてほしい。
「ふふふ、どうですか?BBちゃんとお揃いですよ。視聴率100%のみなさんに、黒レオタードの良さもお届け!う~ん、さっすがBBちゃん!女神すぎて困ってしまいます!」
でもでも、やっぱり白が一番ですよね、とBBはセイバーに語りかけた。突如話を振られたセイバーは「はあ!?」と大きなリアクションをしたが「尻丸出しの女に一番もなにもある訳無いじゃろうが!」と至極真っ当なコメントをした。ナマエもその尻丸出し痴女枠にカウントされている。
「ナマエ!おまんもそう思うじゃろ!」
「そこで私に同意を求めるの?」
セイバーは結構トンチンカンなところがある。というより、身内に対して甘すぎるのだろう。
BBのことは痴女だと思っているのだろうが、ナマエに対しては痴女とかそういうマイナスの感情は抱けない、のだと思う…のだが、傍目から見たら痴女に痴女だよな!と聞いてくる中々すごい会話になってしまっている。いやどうなんだ。悪意があるのか?ナマエには分からなかった。
返答に困って押し黙ったナマエに気を悪くしたのか、言い返す言葉が足りないと思ったのか、セイバーは「それに」と続ける。
「ナマエは黒の肌着なんぞ付けんじゃろうが!」
やめろ。何故その方向に論点がズレた。
しかし叫ぼうとした声は出ない。まさか、まさかである。このタイミングで、発言権を奪われた。BBの根性はどうかしているのではないか、と内心非難するも、セイバーのヒートアップは止まらない。
「この女はな、黒なぞ着ちょらんわ!赤とか、紫とか、やったらその系列の色を好んどるからのう!」
やめてください。ほんとにやめてください。大声でナマエの下着の色が開示されていく。岸波白野のナマエのSGがガンガン開示されていく気配を感じる。
確実に書かれただろう。ナマエは岡田以蔵の色を好んでいる、と。自鯖に所縁ある色のパンツを履いています、と。
気付いてないのは本人だけだ。鈍い男め。現に、完全に面白がっていたはずのBBが大分冷めた目をしてきている。
「BBちゃん、何が楽しくて惚気を聞かなきゃいけないんですか?」
ナマエだって言いたい。なんでレオタードを履かされた挙句、下着の色を開示されなくてはならないのですか?
センチネルとしてのナマエの情報その一は確定した。絶対これから壁に埋め込まれるナマエは、いずれ来る未来の恥に嘆くことしかできない。シークレットガーデンとして回収された、秘密の項目の暴露を。必ず暴かれる趣味趣向を。
しかしこの経緯で埋められるのはあんまりすぎやしないか。あまりにも不名誉すぎて、涙が出てきた。