この町には様々な噂がある。
それは長年町を管理する大地主の破産だとか。高校生が異世界に迷い込むだとか。美女が月に向かって山羊をキックしているだとか。パチンコ屋でぼやくと良いことがあるだとか。
大抵は根も葉も真実味もない話で、信憑性もない。ゲームやラノベの読み過ぎだろう。
しかし眉唾の話にも、真実であると囁かれる噂はある。
最近この辺りでは水難事故が多発していた。深くも無い水溜りや池で、人が溺死しているのだ。
それがなんでも、幽霊や悪魔の仕業だとか。
それらは不注意でなく、オカルトであると騒がれている。だが、そんなのは子供騙しで、ありえないことだろう。
そう断じた自分は、水の中に引き込まれてしまった。
ただ公園の横の、ランニングルートを走っただけ。
腕を持ち上げようにも、絡み付く指先のようなものは恐ろしい力で自分を引き摺り込む。肺に入る水は冷たく、そして恐ろしい程に重かった。
死にたくない。手を伸ばす。静かに沈んで行く身体に、誰も気付くことはない。空気に手を伸ばさなければ、水は驚く程の静寂を保つ。
口から最後の泡が溢れて、涙が水に消えて行く。
────刹那。
水が割れて、空気が肺に満たされた。咳き込み空を見れば、一枚の硬貨が星のように瞬いている。
驚く自分を引き上げたのは、青年だった。
細身で色白。彼は一見脆弱な姿に見えたが、手を引く力は驚く程に強い。
フードで顔は半分隠れていたけれど、その眼差しは美しかった。眼鏡の奥に見える瞳は、物憂げだったが確かな意志の強さがある。
青年は池に向かって十字を切って、何かに祈るようだった。
今のはなんだったのか。どうして助かったのか。男は誰なのか。
矢継ぎ早に質問をする自分に、青年は非常に困った顔をした。
彼はこちらを座らせると、控えていた女に目配せをする。陰気そうな見た目に違わず、酷く内向的らしい。
「な、なんと言えば宜しいのか…」
そう振られた女も、困った顔をする。少し呆れた風だった。「まじめだなあ」と笑って、こちらに歩いてくる。
女は自身のポケットを弄った後、「あれ?」と首を傾げた。胸に手を差し込んで、靴下にも手を入れて、青年へと視線を移す。
彼は節目がちに女を睨む。少々怒っているらしい。
「…わ、私めが管理を…」
「え!?なんで!?」
「せ、先日。紙幣を仕舞われたまま、洗濯をなさったでしょう。
…マネーロンダリングという不徳の行いが世にはありますが…物理的にロンダリングなさるのも、如何かと」
女は「ごめんごめん」と謝罪をする。考え無しで大雑把…というよりかは、金に対する執着がないらしい。流れるように青年に財布を差し出す。
青年はそれを苦悶の表情で受け取って、胃の辺りを摩る。彼は非常に几帳面そうであった。
「まあ、なんていうか。ご飯でも食べてさ、元気出してよね」
彼女は手の中に、クシャクシャの千円札を握らせた。人懐っこい笑顔を浮かべて、人畜無害そうな表情をしている。
なぜ紙幣を渡してくるのか。
疑問に思えば、水浸しのスマホが目に入った。あれには電子マネーと定期が入っている。水没していては、家に帰ることも出来ない。
彼女はそれに気が付いていたのだろう。
「Qui donne aux pauvres prête à Dieu…」
青年は、何かを言った。少なくとも英語ではない。
「なにそれ?」
「ひ、貧者に与える者は神に貸す…
喜捨を行い、金銭を恵むことは、善行を積むことになるでしょう。神は、à intérêt …利息付きで。マスターに、必ず返して下さる筈です」
「セイバーって、神からも利子取るんだ…」
受け取った紙幣は乾いた音を立てる。ペラペラと風に靡いて─────乾く?
自分は先程まで溺れていた筈だ。水の中に居て、寒く、凍え、恐ろしい目に遭った。
だと言うのに、いつの間にか身体は乾いている。夜風は何処か生温く、寒空を思わせない程に優しい。
「嗚呼… い、今のは…明らかに不必要な経費です。マスター…今後は、控えられた方が宜しいかと」
「でもさー、今日寒いじゃん?」
振り返れば、既に男女は遠くを歩いていた。
微かに声は聞こえるが、追い掛けたら撒かれる。そんな予感がした。自分はその背を見送って、感謝をする。何もわからなかったけれど、恐らく彼らは助けてくれたからだ。
これ以降、水辺の怪異の噂は嘘のように消えた。
それはきっと偶然では無い。この町には恐らく、正義の味方が居るのである。
▽
魔術師の家には金がある。
─────そんなのは偏見だ。嘘っぱち。氷山の一角。
金が有るから家が続いているに過ぎず、金が無い家は人知れず静かに排斥される。
一見裕福そうに見える冬木の管理人だって、毎日通帳を眺めて「ぐぬぬ」と唸っているだろう。
しかし彼女は幸運だ。余裕が無いだけで、最低限の運営は叶っている。土地も特許も持っていて、それらの収入が出費を上回らないからだ。
ではそうでない家はどうするのか?
答えは簡単、ゼロから生まれる資産の切り売りである。
…まあ、つまり。貧乏な魔術師は髪や血液、最終的には精液すら売却するのだ。
しかし、そうやって元手を作ったなけなしの研究すら成功するとは限らない。
事実、わたしの家は先代がコケにコケて、研究を手に高跳びをした。全てを売った対価に得た僅かな金で、再び根源を目指す為である。
だがそれも失敗したらしく、わたしの元には大量の借用書が届く。連帯保証人の欄にはご丁寧にわたしの名前と、いつの間にか無くなっていた実印があった。
魔術によって誂えられた家紋は、狼。どう見てもうちの家のモノである。
残念ながら、融資を頼めるような親戚は居ない。
魔術師らしい魔術師だった先代に、金の無心なんてするものだから。末席に至るまで根絶されたのである。
こんなの無効だ。
勝手に書かれた連帯保証人など、効力があるはずも無い────のだが。
魔術師の場合はそうも行かない。まず、子供は親の所有物であると考えられる。
そして先代は、先代とは言うものの、未だに刻印の一部を持った“当代”なのであり、逆説的にわたしは所有物に過ぎないということになる。
要するに、わたしには勝手に交わされた借用書を棄却する権利が無い。
加えて、所有物が管理している家財や媒介というのは、所有者の所有物に当たる。わたしが現在保管している霊脈や魔術の特許も、先代の資産として差し押さえられてしまう。
そうなると、魔術師ではなく一般人としての暮らしにも影響が出る。無収入になるからだ。無収入になるとどうなるか。家賃が払えない。家賃が払えないとどうなるか。
答えは至ってシンプル。
「しゃ、借金を返さねば、マスターを含めた資産全てが差し押さえられてしまうと…」
その通りだ。
残酷な答えを控えめに述べた青年。畳の上に正座をしているのは、非常に和室が似合わないサーヴァントである。
若干現代に近いような材質であるが、シルエットは中世のものに感じる白いフードに、明らか近代的なメガネ。
そこから覗く瞳は昏く、自信無さげに彷徨っている。
「そ、それは…お気の毒に…」
セイバーのサーヴァント─────ジャック・ド・モレーはわたしが召喚した…いや、召喚してしまった使い魔である。
というのも、前述の通りわたしの家にはお金が無い。
家を差し押さえられそうな程に貧窮したわたしは、一発逆転を狙った。その一手目が、令呪の売却である。
聖杯戦争は事前に参加する魔術師が決まっており、その殆どが選ばれるべくして選ばれる。
令呪というのは、開催時期に儀式を行う場に留まることで、初めて入手機会を得る。魔術師が参加を決めるのではなく、聖杯が魔術師を選ぶのだ。
ということは、わたしにも引く可能性がある。
幸いにも、先代が金を借りた相手は聖杯を望んでいたし、家に箔を付け、更なる富を得ることを望んでいる。
あちらの当主は万全の準備を行い、令呪を手に入れるだろう。
そう断言する程度には、参加自体は容易だと言うのだが─────敵は少ない方が良いとも付け加えた。
だからわたしも聖杯戦争へと参加し、令呪を引き当てる。そしてサーヴァントを召喚せず、すぐに権利ごと譲渡する。
二騎で談合すれば、収束も早い。そういう話で纏まった。
実際、この作戦は上手くいった。わたしの家は今でこそ金が無いが、古き時代から続く魔術家系の名門。
聖杯に選ばれるなど造作もなく、狙い通りに令呪を当てた。だが、“さあ売りに行くか!”というタイミングで事故は起きたのである。
わたしは愚かにも、サーヴァントを召喚してしまった。
“セイバー、ジャック・ド・モレー。ここに罷り越しました。
…嗚呼…わ、わたくしめの事は、モレーとお呼びくだされば。 どうぞ、お見知りおきを…“
当然わたしは絶句した。尻餅を付くわたしに手を差し伸べたサーヴァントは、困った顔をしている。
召喚をする気などは毛頭無く、陣を描くことも無ければ呪文すら唱えていない。ただ、わたしのタイミングが悪かった。
抽選で当てたチケットを転売するような、そんな真似をしてしまった罰だろうか。
辞退のために教会へと向かっていたわたしは、偶然にも他の魔術師の姿を見た。一般人を生きたまま捕らえ、生贄に使おうとする魔術師を。
そこで欲深くも思ってしまったのだ。
”後を付けて、召喚を阻む。そして相手の触媒を報告すれば、更に報酬が出るのではないか?“と。
そして素直に尾行をし、書きかけの人の陣を踏み付けてしまったわたしは、召喚条件を満たしてしまった。こちらに勘付き一歩引く相手の魔術師に、サーヴァントを喚んでいないならばと一歩踏み込むわたし。
魔獣を呼んでやろうと、手を上げて──────その時のわたしが選択した魔術は、召喚術だった。そういうことである。
まあ、自業自得を差し引けば、ツイてはいる方だろう。
わたしが引いたのは最優のセイバーであり、嘘と借りパクを許さない秩序と資産の守護者と来た。
聖杯戦争は常にサーヴァントからの離反を警戒しなくてはならないのだが、ジャック・ド・モレーに関してその対策は不要である。どう考えたって裏切りはしない。
しかし、全てが良き方向に転ぶとは限らない。パチンコ玉が狙った釘に入らないように。
魔術師を再起不能にする事には成功したが、召喚権利ごと令呪を譲渡するという目論見は失敗に終わった。
しかもセイバーと来たら、マスター権利の譲渡を拒むのである。
「ま、マスターの雇用主は…悪しき者でしょう」
ふつうに悪口。確かに、魔術師というのは基本的にみんな碌でもない。
たしかにねーと相槌を打つわたしを、セイバーは片手で諌めた。
「け、決してそのような…私めは、マスターを悪だと言っている訳ではないのです…」
それでは、何が悪だと言うのか?
尋ねるわたしに、セイバーは萎縮しつつもハッキリと言った。気弱そうな見た目からはそう思えないが、案外、言う事は言うタイプなのかもしれない。
「連帯保証人という呪い…私は好きません。そのようなシステムも、それを許す悪徳なる商人も。
…も、もちろん。借金を返さないのはいけませんが。貸りたものは、返済すべきです」
彼は吃っているのに、迷いなき言葉だった。
セイバーが言うには「貧しき者の慎ましさは、びっ…美徳です。…しかし。それを食い物にして貪るなど、いけません!それは悪しき行いでしょう…!」とのことだ。
わたしは触媒を使っておらず、ガチンコで彼を召喚していた。…しかし、それは必然に思う。
推測の域を出ないのだが、セイバーが召喚されたのは非常に分かりやすい理由に感じた。
「ではまず、帳簿を見せて頂いても。マスターが…日々を健やかに過ごす上で、必要なことです。
…ええ。かっ、必ず。必要ですとも」
セイバーは戸惑うわたしに、手を差し出した。握手の右ではなく、紙を受け取るための左であった。
右手にはペンを握っており、彼は油性ボールペンを非常に気に入ったようである。
彼、ジャック・ド・モレーが召喚された理由は非常に分かりやすい。
連帯保証人として貧困するわたしの元に、テンプル会計事務所…あっ、間違えた。テンプル騎士団から、財産管理に来たのだと思う。
これはわたしたちの、借金返済の為の殖財物語────借りたものはカエサナイト、クラフトマネー物語。
ナイトは夜であり、騎士でもあるが…別になんもうまくない。ことわざよろしく、申し訳程度に韻を踏んでいるだけ。
打算に満ちた返済計画は、なんだか締まり悪くも幕を上げた訳だった。
▽
「連帯保証人は呪いです。嗚呼…誰に何を言われようとも、交わすべきではないのです…」
わたしは封筒に札を差し込んで、使い魔に飛ばさせる。今月の返済である。
セイバーはそれを複雑そうに眺めてから、嘆くように文句を言った。返済自体は咎められていないので、彼も“借りたものは返さないと”と思っているに違いない。
そして素の食パンをかじるわたしから食パンを取り上げて、ジャムを塗った。わたしは流れるように返却されたジャム味の食パンを口に含んだ。
セイバーは何か言いたそうに口籠ってから尋ねる。トースターとの間で視線が行き交い、最後は諦めたように此方へ向けられた。電気が止まっているからである。
「マスター。…そ、その。マスターの生活費は、殆ど空のようなものです。
清貧は善い事ですが…限度があります。…ど、どのようになさるおつもりか」
財産管理にやって来たサーヴァントは、帳簿と通帳と財布と借用書を一通り確認した後、次に「き、拠点の確認を行なっても?」と聞いて来た。
確かに、土地の把握や状況確認は大切な事だ。彼は借金返済を手伝いに来たのではなく、聖杯戦争をしに来たのだから。
わたしは勿論と返して、セイバーの好きにさせた。
そのくらい別に構わない。というか、やってくれるなら寧ろ助かるし、わたしなんかよりもずっと上手くやるという確信があった。
勿論、理由無き盲信というわけではない。セイバーについてわたしは詳しく知らないけれど、彼が所属する団体と、その功績は知っていたからである。
ジャック・ド・モレー率いるテンプル騎士団といえば、中世最大の金融機関である。
いや、騎士団なのだが。中世で一番強かった騎士団の名を挙げろと言われれば、恐らく全盛期のテンプル騎士団ではあるのだが────それはそれとして、資産運用を行なっていた側面が強すぎる。
彼らは宗教活動を目的とした軍事団体として発足したし、実際当初の目的は聖地エルサレムの占領…いや、言葉が悪い。聖地の管理であったはず。
しかし、彼らは今で言う銀行業務…預託によって栄え、預託によってその名声を得たのだった。
最高指導者に騎士を据えた軍事組織兼修道会ではあったものの、当時唯一無二だった活動─────人力ATMというか。ヨーロッパで金を預け、通帳代わりの書類を発行した者は、エルサレムにてその預金を引き出せたのである。
この革新的な試みは大いにウケ、彼らは軍事活動をせずとも騎士団を続けられるくらいには成功していた。
…のだが。最終的に、その金だけを欲したフランス王家に謀られて解体されてしまう。
異端者という冤罪を吹っ掛けられ、悪魔崇拝という虚構を被せられ、口封じの為に火炙りにされる。
彼らの最期は酷いものだが、セイバーから復讐心などは感じ取れない。“死に際に呪いを放った”とされる割には、なんだか少し意外である。
普通だったら、そのような無念の死に加え、信じる神への冒涜、名誉の毀損…諸々すべて許せず憤るものではないか。
それこそ、“本当に邪教に堕ちて、冤罪の炎が憎悪の焔へと変貌しても可笑しくない”。わたしはそう思う。
尋ねれば、セイバーは悲観の色を強めた。かなり心外だったらしい。
「わ、私めは、復讐などは望んでおりません。
ただ、幾度なく融資した全額。利子も含めて、返して頂きたく。…それだけなのです」
わたしはセイバーに聖杯へ望む願いを聞いたことは無かったし、聞く気もなかったが、その内容はおおよそ察せた。
彼は何処までも生真面目で、敬虔な修道士である。
資産を増やす事を望んではいるけれど、自身が富める為でなく、あくまで神のため。そうして得た資本だって、聖地への道を切り拓く為に使用されるのだろう。
セイバーは、一介の魔術師風情には釣り合いが取れなさすぎる、崇高なる精神の持ち主だった。
そんでもって、それに至るまでの過程も手を抜く事はないらしい。
前述の通り、セイバーは拠点の確認────ついでに、整理。乱雑だった屋敷の整頓を行った。
家財を整えられ、財産となるものは一箇所に纏められている。種類別に並べられ、非常に分かりやすい。
なるほど、やはりセイバーは財産管理の為にやって来たサーヴァントである。
わたしはポケットから札を取り出した。
先ほど封筒に入れず、生活の為に抜いておいた一枚である。
一万円で一ヶ月生きるのは、確かに厳しい。実家は借家でなく、土地も家も資産の一部なのだが、それを抜きにしたって無理。
…この一枚を、どうにか増やせないだろうか。この万札でスロット回したら、逆転できないものだろうか。
偉人と英霊の視線が絡み合い、彼の目線はわたしに移る。
その瞳は、非常に強い胃痛を感じているような、困惑と苦しみが混ざった色をしていた。
わたしはパチンコでワンチャンなどと声に出してはいないが、セイバーは何を考えているか察せたらしい。
「マスター、賭け事を投資とは言いません。
い、いいですか。資本を投じるならば、信を置くに値する金融機関に。ス、スロット台は、貯金箱ではありません」
セイバーはいつの間にか、その片手にカードを持っていた。
─────いや、カードではない。その薄いプラスチック外装の中には、派手なデザインが印字されていた。
それらが強調する先には小さな金属が収まる凹み…そう、純金。純金のコインが収まっている。
彼は、屋敷からパチカスの波動を感じ取っていたらしい。
わたしが日々こまめに貯めて、最終的にどこ片付けたか忘れていた特殊景品貯金をセイバーは発見したようだった。
…言い訳をするのであれば、それらは借金が露呈する前に行なっていたものである。その場の運試しとして、あれほど分かりやすいゲームは無いだろう。
座って回して、すぐにツキがなんとなく分かる。そのシンプルさが非常に好ましかった。
「紙袋の中に入っていましたが… し、資産の管理は、厳重に…! き、金は、このように乱雑に放っていいものでは…!」
セイバーは怒ってはいなかったが、わたしに対して酷く動揺している。
明らかに几帳面そうなサーヴァントであるので、杜撰な管理に度肝を抜かれたのだろう。それは、すみません。
「いいですか、マスター。ぎ、銀を軽しむ者は…皆、銀にて滅びなん…
す、即ち。価値あるものを粗雑に扱ってはいけない、と言うことです…」
心なしか顔色も普段より悪く、セイバーは空いた手で己の胃を摩っていた。
しかし彼はサーヴァントであるのに、体調不良を引き継いで召喚されるとは。わたしは不憫に思って、魔力を回しながらセイバーの背中を摩った。
大丈夫?と聞けば、セイバーは複雑な顔をした。“貴方が原因の胃痛なのだが、その善意はよいことであるため言及しづらい”とでも言いたげな瞳である。
ちなみに、特殊景品というのは“パチンコ屋ではない施設で何故か現金と交換出来る、パチンコ屋でパチンコ玉と交換して貰える景品”である。
なにを言っているか分からないと思うが、上記の通りだ。知らない人は一生知らなくて良い話なので、さらっと流そう!
話を戻そう。
机の上に並べられたカードは、その殆どに九千円以下の純金が収められていた。金の価格は年々上昇しているので、過去に交換したものはそれ以上の価値になっているかもしれないが。
「無益だ…」
セイバーがぼやいた。彼が九千円相当のボールペンを持ち上げれば、三百円の値札が貼られていた。
残念ながら、一部は閉鎖した交換所のロゴが入っている。既に換金は不可能そうだった。
わたしは好んで金の特殊景品を交換しているが、もちろん提携している交換屋でしか使えない特殊景品も存在している。
交換し損ねた際には…確かに、すごい無益!ちゃんと交換に行きましょう!
「で、でもほら。なんか意味あるかもだし?
一見無益に見えても、案外となにもないなんてことはないのかもよ?」
ヘラヘラ笑うわたしを、セイバーは咎める視線で見た。
彼は特殊景品の知識と成り立ちを座から引き出したらしく、「なんたる制度…法律の穴…!胃痛がします…!」と嘆いている。
数は少ないが、金ではない状態で持ち帰って来た特殊景品も幾つか机の上に並んでいた。いつのものだか分からない香水やえっちなカード、合金製の記念硬貨などが収まっている。
セイバーはえっちなカードをさりげなく指で回転させ、絵柄を伏せた。生真面目かつ初心な男である。
好んで金を交換していたことは正解だっただろう。
交換所でなくとも、リサイクルショップへ持って行けばそれで良い。これだけあれば暫くの生活費になりそうである。
パチカスやってて良かったー!と過去の自分に感謝しながら、早速換金に行こうと手を伸ばす。
だがセイバーはその手を手袋越しに掴んで、首を緩やかに振った。そうして体調不良に震える唇で、わたしを諭した。
「マスター…い、いけません。何も考えず、この資産に手を付けては…」
貯めておけということだろうか?
しかし、今手を付けずにどうするのか。これを売らねば、電気どころか水道も止められ、家を追い出されることだろう。
そうなればわたしは路頭に迷い、聖杯戦争どころでは無いような気がする。
そう内心思っていれば、セイバーは口早に否定した。
「ち、違います… これは確かに換金すべきモノです。
し、しかし。この悪しき方法の貯金で、成功体験を得るべきではありません…それは、マスターの為にならない」
セイバーの語り口は段々と鋭くなっていく。
弁舌を振るい、熱の籠もった弁論を述べれば述べるほど、彼の顔色は悪くなっていった。
だが、その語調は少しずつ強くなり、最初は控えめだった身振り手振りも力の入ったものとなっていく。
「得た資金を元本に、運用を行うことは罪ではありません。ですが、これは断じて運用ではない。消費…いえ、浪費です!
…今からでも遅くはありません。正しい財産の管理を。先祖から預かりし富を、悪しき賊共に略奪されるなど…あってはならないことです…!」
透き通る碧眼が、フードの下から熱く輝いた。彼にしては珍しく、強くこちらを咎めている。
我が家の財産と運用の全てを見たらしいセイバーは、静かに本を取り出す。表紙には“よくわかる家計管理”と記されている。
それをわたしの手に握らせて、セイバーは椅子を引いた。流れるように着席させられて、眼前に筆記用具とノートを置かれる。
わたしは彼の語る“資産の管理とは、どうあるべきか”という主張に、そしてこの手際の良さと情熱に、凄まじく圧倒されていた。
「賭け事は、愚者に課された税金なれば」
ええっと?
どういうことだ。つまり?
「納税してるってこと?」
セイバーは哀しげな目を向けた。そんな顔をしないで。
「…マスターが、その愚かな行いを辞めれば…支払う必要の無い経費です」
わたしは貯金を見つけて大喜びだったが、セイバーはそう単純に物事を捉えてはいないようだった。
彼は一つ咳払いをして、呼吸を整える。ヒートアップし過ぎたと思ったらしい。
あまり抑えられてはいなかったが、先程よりかは努めて冷静であろうとするような声で宣った。
「私は、もっと良い出資があると進言します」
モレーは机の横に真っ直ぐ立ち、座るわたしを真っ直ぐに見た。
「それは…殖財です」
殖財。あまり馴染みの無い言葉である。
聞き返せば、彼はいつの間にか作成していたらしい、新たな帳簿とコピー紙に描かれたパチンコ収益表を取り出す。
そこには推定されるスロットへの投入額と、予測される勝利金額。その差し引きが記載されていた。
わたしはあんまりお金の計算とかしないし、正直テキトーに処理していたのだが…グラフなんかも描かれてしまうと「ワーオ!」である。
例えジャック・ド・モレーがフォーリナーになって、堕落を良しとする魔女になっても「オーララ。マスター、これは結構マズくなーい?」と諌めてくるだろう。
「ま、マスター。耳が痛い話でしょうが… これは、浪費です。
これらはマスターにとって、逆転の一手だったやもしれません。しかし賭け事は財を増やすことに向かず、その殆どは泡と消える…!恐ろしい!
元本は割れ、損を得て、不利益を被るのです…!」
セイバーとわたしは短い付き合いだったが、彼はわたしが博打を好むことを既によく理解しているようだった。
驚くほど熱心に賭け事の悪性を説いてくる。多分だが、わたしはもう二度とパチンコ屋の敷居を跨げないだろう。
「利益が産まれる見込みの薄い投資は…元本割れは、努めて避けるべきです」
そうパチンコスロットを糾弾し、終いには「わ、私の召喚についても、そうです」と申し立てをする。
彼の価値観では、金銭の為に戦争に臨むのは避けるべき最大の事柄のようだった。
それは少し意外である。セイバーは守銭奴とまでは言わないが、非常に金に重きを置いて、それを丁重に大切に増やし慈しんでいる。
だがそれは拝金主義ということではなく、その資本が”代わりに管理している神の財産“だからという話らしい。
確かにそれは、わたしにも理解できた。
わたしが土地を守り、家の為に借金を返済するのは、わたしの所持するこの屋敷も、いずれ譲渡される予定の魔術刻印も、わたし個人の資産ではなく”先祖すべての資産で、これから発生する子孫の資産でもある“からだ。
それを一時的に管理しているに過ぎず、なれば保持せねばならないだろう。
では、何故その資産を護ることより、戦争に参加しないことが優先なのか?
そう首を傾げれば、セイバーは少し困ったように言った。魔術師の価値観に、困惑しているような仕草である。
「わ、私は先程、進言しましたね。価値あるものを、粗末に扱うべきではない、と。
…マスターは、己の命を安く見積っておられる。それは決して、見過ごせる事ではありません」
セイバーは一枚の契約書を出した。
それは自身に掛けられる最高金額で交わされた生命保険であり、支払いは死亡時になっている。責任開始日もバッチリだ。
わたしは死ぬ気など無かったけれど、令呪を破棄した瞬間に他の陣営から殺される可能性や、令呪を得た段階で襲撃される可能性を考えていなかった訳ではない。
寧ろ、その方が割合としては高いだろうと踏んでいた為、自分が死ぬ前提で用意をしていたのだった。
時計塔の魔術師には、この戦争をあくまで“儀式”と思っている貴族達が多いけれど、わたしはそう思ってはいない。聖杯戦争とは、その名の通り。ルール無用の戦争なのだから。
そして死こそが、不名誉を払う最短のルートだろう。落ちた家名も、責任を取ったとは見做される。そしてわたしはこの魔術という呪いの資産を、受け継がれた呪縛を、次の人間へと渡す事となるだろう。
これが一直線の答えであると、魔術師らしく見積もっていたのだが。
「命より重い金など、この世には無いのですよ。命こそは無限なる富なれば。
で、ですから。今後はこの様なことを、控えられますよう…」
魔術の為に生き、魔術の為に死ぬ。魔術に全てを捧げるための駒である自分は、それ以外を考えるべきではない。
その思想を、セイバーは良しとしないらしい。
「…大層な事を申しましたが。私も、降伏よりは死を選びます。
しかし名誉の為でなく、悲願の為でもなく、金の為に死ぬのは… 何も成せず、灰燼と帰すのは。…無念極まりないことだ」
セイバーは契約書を指で破こうとして、やっぱりやめてファイルに挟んだ。
わたしはセイバーの指摘を一考する。
他者が金の為に起こした凶行で、騎士として死ぬことも、修道士として召天することも出来なかったジャック・ド・モレー。
その当事者がそう言うのだ。忠言は心に留めるべきである。
わたしは“今後気を付ける”とセイバーに告げた。
彼は不安げにわたしを見て、紙を差し出した。日付、名義、死ぬ前提で聖杯戦争に臨みません。はい、いいえ。印鑑。…待って、これ誓約書?
彼はわたしにペンを握らす。そして書類を指で示し、微笑んだ。
「こ、此方は。私の方で、大切に保管致しますので…」
なるほど、セイバーはわたしとわたしの口約束を信用していないらしい。
▽
セイバーの行動は早い。即刻権利書各位に目を通し、停止されていた土地の運用を再開した。
特許出願をしようと用意したが、面倒臭くて止まっていた書類一式もわたしに書かせて郵送した。溜まりに溜まった紙の山は、順番に片付けられて行く。
今月中は無理だろうが、再来月には纏まった金銭が入るだろう。
これらは元々祖母が管理していたものだが、父は魔術に傾倒するあまり無関心。わたしも同上で、暮らせるだけの収入はあった為に放置をしていたものだった。
記憶の中の祖母は、いつも泣いていた気がする。こんなものが無ければ、と。
魔術師なんかに金の無心をしたのは、祖母の親族であったから。
だが、そんなのは考えるべき事ではない。
魔術という財産を持つ者は、それを蓄え根源へと至るべきだ。一般人が何を感じようと、仕方のないこと。我々には関係の無いことだと断じるべきなのだ。
わたしは机に向き合い、アイスの棒を口から出す。はずれ。ゴミ箱に投げ入れて、積まれた大量の書類を見た。これは関係の無いことではない。
祖母は既に他界。父は高跳び。つまり、わたしがやらねばならないことである──────!
「い、いつから…これらは、いつから放置されていたのですか…!?」
ええっと。多分だけど、二十年くらい?
セイバーは眉間を抑え、嘆く。そして「富の力は…軽んじてはならない…」と呟きながら、全てをキッチリやり直した。
古過ぎて借用主が死去している土地や、十年単位で支払いが滞っている土地もあったらしい。全然気付かなかった!
じっとりと、セイバーはわたしを見る。だって自分、魔術師なんで。そういうの、ちょっとわかんないっていうか。
そうヘラヘラ笑うわたしに、セイバーはペンを握らせた。彼は目も顔も、全く笑っていなかった。
わたしは誤魔化すように、彼にもアイスを差し出す。袋から出した瞬間に崩れ、はずれの文字が見えた。
笑って再び誤魔化しながら、もう一つのアイスに手を伸ばす。しかしセイバーは柔らかく微笑んで、崩れたアイスを受け取った。
わたしは申し訳なくなる。セイバーには、貧乏くじを引かせてばかりだったから。
▽
時は進んで翌日の朝。
人の営みには金が要る。
上記の通り、魔術師の資産は肉体労働で形成されるものではない。土地の管理や特許、何某かの産業を使用し集め、汗水垂らさず、血だけを流して運用運営をするのが主だ。
だから大抵の魔術師は一般の労働などに従事することは無く、生まれ持った貴族としての、支配階級の暮らしをする訳だが。
「ま、マスター。不測の事態です…!」
コミュ障故に人と関わるバイトを避けて朝刊配達を選んだ大学生────いや、セイバー。あまりにも似合い過ぎて認識阻害が起きていた様だ。
新聞を小脇に抱え、家に差し込んでいたセイバーが険しい顔をする。わたしはスクーターから降りて、魔術礼装のルーペを取り出した。遥か先に、魔力の激しい乱れ、明らかな戦闘場所が見える。
土煙も激しく立っているようで、肉眼でも視認出来ることに気が付いた。
わたしたちはお金が無さすぎて、日雇いのアルバイトを行なっていた。
聖杯戦争は数日間で行われるのが常だが、その数日の軍資金すら無かった為である。
サーヴァントにこんな事の手伝いをさせて、罪悪が無かった訳ではない。
ただ、“構わないか?”と聞かれたセイバーは意外にも乗り気であったので、まあいっか!となってしまった。
“権威有る立場でありながら、略奪や搾取を良しとせず、自ら殖財を為さる… そ、そのような行いを、咎める理由があるでしょうか…!”
とのことだった。
わたしは十分過ぎるほどお金にだらしないが、それでも感激されてしまうとは。
彼の生きた時代というのは、よっぽど支配階級者がとんでもなかったのだろう。同情の涙を禁じ得ない。
「なんということだ… 罪無き市民を戦火に巻き込み、その営みを破壊するとは…」
テンプル騎士団は元々、十字軍とはスタンスが違う。
彼らは異教徒の虐殺────十字軍の行った横暴を良しとせず、その行いを抗議していた団体。中世の騎士団にしては非常に道徳的で、魔術師なんかよりよっぽどマトモな価値観だったのである。
つまり、その総長であるモレーは、善行と秩序を善しとする模範的な騎士なのだ。当然この状況を看過することはなく、強く非難している。
二陣営の小競り合いは深夜から続いていたらしく、道路のあちこちには破壊された形跡があった。
もう少し時間が経てば、町の子供達が外へ出てくるだろう。彼らの諍いはヒートアップしており、すぐに決着が付くような物ではない。
そうなれば犠牲者が出るのは明白。戦争であるから、仕方のない事ではある。
セイバーには悪いが、一般人がどれだけ死んだとて魔術師であるわたしには関係の無い事だ。
わたしは爪先でコインを弾く。
表か裏かを尋ねれば、セイバーは意外にも「表です」と即答する。持ち掛けたのは賭け事をする為では無いと、彼は理解しているらしい。
「pile ou face… コイントスですか。賭けではなく、行く末を決める為の」
そうだ。表が出れば、武力介入をしよう。裏ならば、わたしの好きなようにする。
そう告げられたセイバーは、きょとんとした。何故そんなことを?とでも言いたそうである。
魔術師の意見としては、スルーが正解だ。
非魔術師は養分に過ぎず、幾らでも吸い上げて構わない消費物の有象無象。素材としても効率が悪く、どれだけ死んでもどうだっていい。
だが、セイバーはそれを良しとしないだろう。なれば裁決を神に委ねて、その決定に従うべきだ。
そう話を振られたセイバーは、怪訝な表情をする。眼鏡の奥を曇らせて、非常に困惑したようだった。
「そ、そうですか…しかし、マスター。あなたは…」
なにか、異論でもあるのか?
わたしはセイバーを睨む。彼は困った顔をした。どうするべきか思案し、そして黙殺される。
「…で、ではその様に。ですが、そ、その…」
セイバーは何かを言いたそうにしている。だけれど閉口して、それでもやっぱり何かを言いたそうにわたしをチラチラと見た。
わたしはそれを無視して、手の中を開く。言わないなら、意見が無いのと同じ。オッケー。
─────輝く金は、表を指した。
わたしはセイバーに指示を出す。あのバカどもを吹っ飛ばしてしまえ!
焚き付ければ、彼は微笑んで呟いた。
「し、Chassez le naturel, il revient au galop…とでも言いましょうか…」
「どういう意味?」
「人の本性は、追い払おうと戻って来る…
あ、あなたが如何に非情な振る舞いをしようとも。その行いは正直なものです」
わたしはセイバーの盾をグーで殴った。
「オーダー!た、確かに、承りました!」
セイバーは細身の剣を薙いで、片方のサーヴァントをブン殴った。柄でもう一発入れて仰け反らせると、更に追撃を入れて吹っ飛ばした。きちんと剣に角度を付けて、狙いを定めた渾身の一発であった。
サーヴァントは既に大破していた家に突っ込んで、その動きを鈍らせる。もう一騎を目で追えば、既に撤退しようとしていた。
賢明だろう。此方としても、住宅街で小競り合いをしないのであれば追跡する必要は無い。
「こんな場所でドンパチやって…一般人が巻き込まれるでしょうが!」
わたしは手の中のコインを弾く。
控えていた魔術師に真っ直ぐ飛んで行って、銃弾の様に貫通する。飛び散る血ごと魔力を掻き混ぜれば、パスの供給すらもめちゃくちゃになる。
じきにサーヴァントは現界出来なくなるだろう。そうしたら協会に持って行って、こいつを時計塔に突き返すべきだ。功を焦る余り、神秘の秘匿を破った愚か者として。
その思案していたわたしに、相手のサーヴァントが叫ぶ。
使い魔は最後の力で魔力を吸い上げて、宝具を練った。
召喚者が気絶しているから、出力は足りないだろう。そう踏んでいたのだが、様子がおかしい。
空を見れば、明らかな魔術干渉があった。サーヴァントは魔法陣を起動させ、近隣住民からマナを吸い上げていたのである。
「降伏よりは死を選ぶ…その心意気は、価値のあるものでしょう。…しかし!」
わたしは「あーあ」とぼやく。此方が不利になったとか、手間が掛かるとか、そんなことではない。
「理不尽な命の徴収…それは、咎められるべきもの!」
単純に、彼らはセイバーの怒りに触れた。
不法に財産を強奪するなどという蛮行、ジャック・ド・モレーが許す訳がない。
わたしは令呪を切った。ブーストを受けたセイバーの盾が、宝具を弾き飛ばす。
人生という巡礼を、必死に歩む人々。それを守る十字の盾は、決して割れることは無い。
盾を押し込んで、セイバーは剣を構えた。サーヴァントの霊基を砕く一撃は、鮮やかなものだった。
「勘定を誤りましたね」
キメ台詞までバッチリである。
彼らの誤算は市民を軽んじた事だ。命と営み。それは尊く、金より重い価値がある。
相手陣営の悪足掻き────宝具の残留は道を逸れてスッ飛んで行く。現在あの建物には人は居ないはず。わたしは腕で顔を覆って、爆風から目を守った。
セイバーは眼鏡あって良いよねと言えば、「ま、マスターならば… よく、お似合いになるでしょう…」とのこと。よく分からんが褒められている。
生家の立て直しが完了したら、魔術礼装を一つ用意しても良いなと思った。
しかし、ひとつ気になることがあった。
「わたしとは一蓮托生なんだから、普段からああいう感じで良いんだけど」
町民を守る為、盾を構えるセイバーは立派だった。
英霊らしい英霊とは、このようなサーヴァントのことを言うのだろうとわたしは思う。
だけれど戦闘が終われば一転、セイバーは気恥ずかしそうにもごもごとして、コミュ障を爆発させる。人見知りをしているのである。これは頂けない。
なんで堂々としないの?
そう聞けば、やはりセイバーはもごもごとした。
「い、いえ。人見知りをしている訳ではないのです。
マスター…!そ、その… わっ…私は…!」
セイバーが何かを言う前に、後ろの建物が激しく爆発する。
職場がブッ飛んだ。わたしとセイバーは顔を見合わせて、求人情報を再度確認する。どう見ても事業所はそこだった。当然、日給は出ないだろう。
▽
聖杯戦争が行われるのは、人の目が少ない夜だ。
陽が完全に落ちた街の郊外に、わたしたちは陣取っている。本当は魔術工房のある借家に構えたかったのだが、家は遂に差し押さえられてしまっていた。
こんなに早く差し押さえられるか?と些か疑念に思ったものの、世間知らずであるわたしは具体的に何がおかしいかを指摘する事が出来ない。
セイバーに聞こうにも、彼はショックで頭を抱えていた。
「わ、私が付いて居ながら…なんということだ…」
家を差し押さえられる際の、非常に無念そうなセイバーをわたしは生涯忘れることは無いだろう。申し訳ない事をした。
片手を腹に当て、胃痛に苦しんでいるセイバーに魔力を回す。魔力は無限の元本、一文無しのわたしがセイバーに投資出来る、現在唯一の資産である。
「まあ、元気出して」とキャンディを差し出せば、中身の飴は緑色。占い付きの飴玉は、食べた時の色で運試しが出来るものなのだが…最初から緑というのは、今日は何やってもダメダメという啓示であった。
笑って誤魔化したが、セイバーは笑わなかった。慌てて「逆にツイてるかも」と言及すれば、彼はこう返す。
「一時の運は、行動とは関係の無い物。あなたが私に心を割いた事。それを選択したという事実。
それこそに、確かな価値があるのです」
わたしは何も言えなくなる。
なにも返せず黙る此方を、セイバーは優しい眼差しで見ていた。
「…そ、それはそれとして。神の加護はありますが」
セイバーは一枚の券を出した。それはコンビニでジュース買った時に貰える、めくったら当たり外れが書いてあるアレである。
そこには当たりが記載されており、わたしは笑った。
ジュースを貰える事が嬉しいのではない。セイバーがそれを、わたしを励ます為に持って居たのが嬉しかったから。
あと、「それずっと盾に貼ってたんだ…」と、ふつうに面白かったからである。
▽
家を没収されて嘆こうが、戦争は続く。
拠点が無いので、陣を置くのに適した場所も無い。とりあえず目立つ場所で待っていれば、他陣営が仕掛けて来るだろう。
そういう腹積りで行動していたが、実際それは正しかった。
現在セイバーとわたしは見えない位置からの狙撃を受けており、彼は腕の盾で弾いている。
セイバーは「マスターを守護します!」と宣言した通り、攻撃よりかは守護騎士らしい立ち回りが得意のようだった。その割に宝具は随分攻撃的だが…まあ、細かい事はいっか!
高出力の弾が雨のように降り注ぐが、セイバーはそれを難なく弾き飛ばして行く。
彼自身は対魔力があるので多少は受けても平気らしいが、マスター狙い────わたしの頭を狙った射撃であるならば、“利子を付けて返すべき”とのこと。
わたしは硬貨を取り出し、爪で空高くに弾いた。セイバーの盾から身を出して、詠唱する。
────金貨は血液の如く!流転、循環し、何れ我が手に戻るだろう!
そう高らかに宣言して、回転する黄金を打ち出した。金貨本位制が廃止される前の時代に、何代か前の当主が編み出したガンドの亜種である。宝石魔術宜しく、非常にコストが高い。
だって使った記念硬貨、そのまま消えてしまうから。
「くっ…!必要経費とは言え、出費が痛い!…この戦争賠償は、必ず支払って頂きますので!」
なんか意外。セイバーは捨て台詞とか言うタイプらしい。恨み節を聞きながら、わたしは構わずコインを放ち続ける。
聖杯戦争で戦争賠償ってあんまり聞いた事ないのだが、セイバーは支払わせる気満々であった。
メダルゲームの、積まれたコインを投入したコインで押すやつ…プッシャーゲームの如く、景気良く金貨を溶かしていく。
偶に出る出力の低いコインは、恐らく偽造品だろう。「通貨偽造は死罪に値します!」とセイバーの叫び声が聞こえる。いま治外法権が適用されたかもしれない。
「マスター…!あ、あまり無駄撃ちをなさらぬよう…!」
セイバーは盾で銃弾を叩き落としながら、器用にもわたしが消し飛ばした金貨の枚数を数えている。
小さな声で総額を教えてくれたが、わたしよりも彼の方が悲痛な顔をしていた。ちょっと可哀想。
財布は既に悲鳴を上げているが、あちらも資材の浪費に辟易し始めたらしい。此方を直接狙っていた狙撃は道へ逸れたものとなり、わたしたちは首を傾げる。
そうして輝く弾が跳弾してガードレールの向こう、高速道路へと吸い込まれて行った。
わたしは凄まじく嫌な予感がする。道路にわざわざ射撃するとか────、そんなの!
セイバーの方も、直感的に“不味さ”を理解したらしい。
実際、予感は的中である。わたしたちの頭上に、民間人の運転する車両が横転したまま突っ込んできた。
車検シールは直近の日付け。磨かれた車体は煌めいている。
納車されたばかりであることが伺えて非常に気の毒になったが、そんなことを考えている場合ではない。ボーッとしてたらこのまま突っ込まれて死ぬ。
セイバーに自分を抱えさせる?
いや、それではダメだ。保身に走っては、死んでしまう。そのまま走らせる?────それもダメ。絶対に間に合わない。
わたしは腕を振り上げて、令呪を切った。
「セイバー!あれ!」
「お任せ下さい!」
わたしの語彙力はカスだったが、彼はなにを言おうとしたかを理解したらしい。
乗用車のタイヤを盾で弾いたセイバーは、その細腕に見合わない力強さでフロントを叩き割った。
飛び散るガラスの中から放り出された人を拾って、戻る足で車を蹴り飛ばす。
彼は意外と足癖が悪く、戦闘中にも羊を蹴っている事がある。普段はかわいいって言ってるのに!
指でコインを弾いて簡易結界を貼れば、背後で車の爆発音が聞こえる。大きな火柱が上がった。
わたしは消火すべきか悩んで、もう一枚コインを弾く。表。近隣住民や動植物は、非常に運が良い。
自分の魔術属性は風であるので、酸素を枯らすくらいはノーアクションで行える。
こんなことをする義理など全く無い。ないのだけれど、万が一燃え広がって被害が拡大した場合、監督役に苦言をされるかもしれなかったし。
「あ、相手陣営は…既に撤退したようです。…如何されますか?」
「追わない。魔力の痕跡も辿らなくていい。とりあえず、現場処理に努めよう」
「…そ、そのように」
民間人を抱き抱えたセイバーは、そのまま歩いてやって来る。いつものフードは爆風で靡いており、少し陰気ではあるが、イケメンという言葉が相違ない涼やかな風貌が顕になっていた。
意識が有るらしい女性が、あまりの出来事に驚きながらもセイバーを食い入るように見ている。
「マドモアゼル、お怪我は…」
セイバーの騎士ムーブに、女性は高速で首を振る。それを聞いたテンプル騎士は微笑んで、「嗚呼…良かった。私も、私がお仕えする主人も。あなたの無事を祈っておりました」と言及した。
陰があるイケメンの柔らかい笑顔と、正統派の佇まいに女性は頭が破壊されている。わたしも同じ状況下であれば、あまりの格好良さに運命を感じているところだ。
恐らく自損事故で処理され、車のローンだけが残るであろう女性。非常に可哀想だと感じたが、どうしてやることも出来ない。
そして聖杯戦争のルールとして、目撃者は抹消しなければならないだろう。仕方なく、頭を掴んだ。魔力を回し、力を入れる。
セイバーは戦争のルールを知っていると言うのに、それを黙って見ていた。
「ごめんねえ」
ダブルリーチでハズレた時のマリンちゃんのように、わたしは気の無い謝罪をする。
女性は膝から崩れ落ちて、意識を────気だけを失った。セイバーはそれを満足げに眺めている。
その慈しみのある視線はまるで、わたしが民間人を殺さないことが分かっていたような顔だった。
「運が良かっただけだよ。彼女の」
コインを弾いて、表を見せる。セイバーはそれを見て、緩く微笑んだ。
「マスター、あなたは貧しい」
おっと。悪口かな?
「で、ですが、その心は富める者。私はそれを…あなたの生き様を、なによりも価値ある資産と考えます」
“か、賭け事は…辞められた方が宜しいですが…”とセイバーは付け加えた。
自分もコイントスは好きな癖に…と文句を言おうとしたが、まあセイバーは賭けて遊んでいる訳ではなく、運試しとして1スーを弾いているだけ。指摘しても不毛である。
意識だけを奪われた女性は、きっとこれを夢だと思うだろう。
高速道路でスリップして危機一髪。しかし爆発する新車の中から、美青年の騎士様が助けてくれる。流石にそれは、夢見がちにも程があるし。
念の為に、ドライブレコーダーを探してカードを抜いた。それは新車に似合いの新しいモノで、申し訳ない気持ちである。こんな所で戦争なんかするから。
遠くから聞こえるサイレンに背を押されて、わたしたちは帰路に付いた。
しかし一つ、気になる事がある。
わたしたちを襲撃したサーヴァントには、見覚えも記憶もない。だけれど、それを指揮する魔術師。そしてわたしへと撃たれたガンド。
それらは見覚え、というか。大変に覚えがあった。
もしかしなくても。
先代に金を貸した魔術師が、此方を殺そうとしている?
そうセイバーに零せば、彼は非常に渋い顔をした。
サーヴァントである彼は、その遥かに人間を凌駕する直感と身体能力で、既に相手陣営が誰かに気が付いていたらしい。
わたしの死亡保険は金貸しへと流れる手筈となっている。普通そういうの、法律的に無理なのだが、わたしたちは魔術師。
アンダーグラウンドの住人であるため、あまり一般社会の常識には縛られない。
そして魔術刻印や土地、全ての叡智が担保として使われており、わたしが返済不可となった瞬間…死んだ時点で、その家へと吸収される契約だった。
確かに、わたしを率先して殺せば一時的に儲かるだろうけれど、些か乱暴な手口すぎやしないだろうか?
「やっぱりお金って、呪いの元なのかもね」
わたしはぼやく。金銭を巡ってでの諍いは、以前にも経験していた。
更なる富と栄光を求め、欲を出した親族。彼らは金の為に滅びる事となった。先代も、金の為にわたしを売った。
金貸しの魔術師だって、富欲しさに非道な行いをする。
金は呪いを生む。人の悪性を掻き立て、集め、血と汗と涙を受けて鈍く輝く。富こそが呪いの源で、不幸の元凶なのかも。
先代が金を借りてしまって、連帯保証という呪いを産んだから。自己破産という選択もあったのに、それを良しとせず引き継いでしまったから。この町の資産家として、魔術師となり富を守ることに執着してしまったから。
このような、無益な諍いをしているのではないか。
わたしの魔術だってそうだ。あれだって呪いだ。全てがそうだとは言わないけれど、この世には曰く付きの金も沢山ある。そういった渦巻く呪いを集め、回転させ、撃ち出すガンドなのである。
金を巡って行われた不毛な殺し合いだって、今迄もこれからも、必ず無くならない。いつの日か、その一端にわたしも加わってしまうかも。
きっと人類が存在する限り一生使える魔術だから、これは魔術刻印に入力されているのだ。
セイバーはそれを静かに聞いていた。
けれど、「いいえ」と力強く否定をする。確かな意志を持つ、青い瞳が輝く。それは暗闇の中の星のように思えた。
「た、確かに、富の為に心無い行いをする、浅ましい者も居るでしょう。
し、しかし。それは人が悪いのであって、富自体に罪は無い。例えマスターが莫大な資産を取り戻したとて…あなたは決して、それに溺れる事はない」
清涼な言葉だった。
その空を映す瞳のように、正しく、清らかで、透き通るような。
わたしはセイバーを見る。その声に迷いや憂いは無い。本心からそう述べているのだと、そう感じる。
彼の目に映るわたしは、迷わず喜捨を選べる者だと。強く、セイバーは主張していた。
「…で、ですから。悲観的になられずとも、良いでしょう。
あなたは旅路を────行く道を、間違えない。それがどれほど困難であろうと、善良なる心に従う筈です。…私めが、それを保証致します」
彼こそ金による呪いで死んでいるというのに。富を欲する悪しき者たちに恥辱を受け、殺され、無念のまま死んだ被害者であると言うのに。
それを恨まず、誹らず、こうまで言うか。本当に、善いサーヴァントを引いたものである。
焼け焦げ、落ちた小鳥を拾い、わたしは一つコインを取り出した。
表が出たら、助けるつもりで金貨を弾く。燃える空に、金色が煌めいて綺麗だ。
結果は、表。
わたしは魔術を掛けて、傷を癒やし翼を作り直してやる。ツバメはわたしの手から飛び立ち、南の空へと向かって行った。
セイバーはその金貨が最後の一枚だと知っていたけれど、何も言わなかった。ただ真っ直ぐと、わたしの進む道を見ている。
「今日は頑張ったから、豪遊して帰っちゃいますか!」
「Après l’effort, le réconfort…ですか。た、確かに。それは格別でしょう」
アプレ・レフォール、ル・レコンフォール。努力の後には、慰めを。
頑張った後のご褒美は、サイコー!という感じらしい。彼はそれに同意して、胸に手を伸ばし────固まった。
セイバーは先程まで穏やかに、それこそはにかむように可愛らしく笑っていたというのに、瞬時に絶望したような顔をした。
彼は誰より、今日の消費金額を理解っている。
そうして恐る恐る「マスター、そ、その…」と言いづらそうに口を開く。何を言おうとしているか、わたしにも分かる。
指で弾き飛ばしていたコインには、換金前の特殊景品も入っていた。生活費が爆散したのである。また爆発オチをしてしまうのか、わたしたちは。
わたしは絶望して膝を折る。その時、チャリンと小銭の音がした。
恐る恐る尻ポケットに手を突っ込めば、五百円が複数枚捩じ込まれている。以前入れっぱなしにして、そのまま洗濯してしまった硬貨だろうか?
なんにせよ、金は金である。豪遊は出来ないが、お弁当くらいは購入出来る。
輝くコインをセイバーに見せれば、彼は「何処から進言すべきか」と益々暗い顔をした。わたしの金銭管理のヤバさには慣れて来たけれど、やはり酷いものは酷いという表情をしている。
でも、自分がこういう人間で良かったけれど。
わたしは浅ましい人間だが、非常にツイてはいるのだ。借金があっても。貧乏くじを引いていても。お金なくても。
だって。わたしがだらしなくて────いや、それは本質ではない。
わたしの起源。戦う理由。セイバーが選定された意味。
わたしという人間は、富に執着しなかった。富を積み上げるよりも、それを使って気持ちの良い生き方をしたかった。
魔術師は狂っている。人の命をゴミのように扱う。誰かが泣こうと、価値が無いと言う。己が富む事だけが全てで、人でなしの道を進んで行く。
嫌悪した所で、わたしも同じだ。血には、呪いに等しい富が流れている。先祖が引いた血塗られた旅路を、辿るように歩んで行くしかない。
そう悲観し、嘆き、自分も人でなしのクズであろうとした。
だけど、セイバーは呼び声に応えた。人の術式に割り込んだのだから、召喚術は万全ではなかった。
それなのに彼は正しに来たのだった。わたしの外れかけた巡礼の道を。いずれ世界を呪っていたであろう、災厄の魔術師を。
わたしの道を、過去に彼が歩いていたから。その終わりを無念に思っても、曲げる事はしなかったから。
その道が正しいと、わたしは思う事が出来たのだ。
召喚はきっと、自分の人生に於ける最大の幸運だっただろう。
もう一度コイントスをする。表が出る。やっぱり、わたしはツイている。今なら天井叩く前に0.8%引けそうだ。
そう伝えられたモレーは、面食らったように口をはくはくとさせた。
そうして照れたようにフードを手で引っ張って、目を伏せた。
「そ、それは… 私も。…よ、善い出会いだったと…そう、思っています…」
もごもご何かを言っている。
セイバーは善い人だが、この点だけはどうかと思う。もっとハッキリ言って欲しい。
▽
聖杯戦争の最中、わたしの元に一通の手紙が届いた。
家が差し押さえられて居たせいで、監督役はわたしを探すのに時間が掛かったらしい。本来であればもっと早く届いた筈の荷物は、差出日が随分前となっていた。
腐っても魔術師であるわたしは、感知から弾かれるように礼装を付けていた。
その為、最早届かず失効されようとする間際────この町の住民が、魔術など知らないただの民草が、手作業でわたしを探し出したのだと言う。
でかい屋敷に住んでる、土地貸しの、パチンコ屋によく居る、太っ腹なねーちゃん。
胡乱なワードで探し出されたわたしは、町の親切の結晶を受け取った。
「な、情けは人の為ならず、という言葉があるそうですね。利子が利子を呼び、いずれ莫大な蓄えとなる…」
それってそんな話だったかな?
「と、富む事とは、何も金銭だけではないのです。
それに、1スーは1スー。マスターの積み重ねた善行は、これだけ大きなものとなっていたのでしょう」
わたしはそもそも、満足は富に勝る…Contentement passe richesseってやつを信じているので、別にキャッシュバックがあろうがなかろうが関係ないのだが。
それはそれとして、積み上げた善い行いが返って来るのは嬉しい。素直にそう言えば、セイバーも自分の事のように喜んでいる。
わたしが悪ぶった言動を辞めたのも嬉しいらしいが、セイバーの母国語を用いたことも嬉しいらしい。
恥ずかしくなって盾をパンチしたが、彼は全く気に留めなかった。
セイバーは上機嫌で手紙を開け始めた。
現在は聖杯戦争中であるから、これも罠という可能性がある。
なので対魔力を持つサーヴァントが開けるというのは、理に適っている…のだが。そういうの一切関係なく、セイバーがわたし宛ての郵送物を開けるのは日常と化していた。
最近の手紙は殆どが金銭絡みの書類であったからだ。
しかし、ある一枚に達した時。その顔は険しくなっていく。
そうして目を通した後、わたしに黙ってそれを差し出した。此方も手紙を受け取って、なぜ彼が眉間に皺を寄せたかを理解する。
先代────わたしの父は、知らない間に封印指定を喰らい、バラバラのパーツとして聖堂協会に収集されていた。
この度、一部刻印の返却が決定され、わたしの元へと通知が来たのだった。
父が執行者に捕まった時期を鑑みると、借用書の契約日は無理がある。
不意に「ふふ…」と珍しく笑い声が聞こえた。嬉しいからでも、楽しいからでもない。侮蔑と怒りの滲んだ、自虐的な笑いであった。
「…そうですか。…ここまでなさいますか」
セイバーは嘆いたが、確かな怒りを持っている。
なるほど。わたしは冤罪を吹っ掛けられて、その財産だけを狙われていたのだった。
▽
「マスターの通帳、帳簿、契約書を全てを拝見しましたが。
とっくに返済は完了していました… 或いは、元より効力の無いものばかりです」
効力が無い。流石に、それの意味するところが分からないほど馬鹿ではない。
わたしは本拠に置いてある全ての書類を取り寄せていた。謀られている可能性があったからだ。
そしてそれは的中し、最悪な事に嵌められてだいぶ経っていた事が発覚する。
わたしは困った顔でセイバーを見上げる。彼の眼鏡は義憤に光る。声を荒げたりはしなかったけれど、確かに憤っているようだった。
「そのどれもが…支払い義務の無い物。あなたは騙されています。悪徳なる者共に」
セイバーは蛍光ペンで複製された紙に線を引いた。ひとつ、ふたつ。みっつ。
複数の借用書は、殆ど全てがバツを付けられる。
わたしは騙された事よりも「魔術師相手に詐欺行為など、よく働いたな…」と感心していた。そんなのが明るみに出れば、あちらも指差しされて笑われる。
だからこそ、こちらも大した確認をせずに引っ掛かったワケだが。
「これは…過払い金です。そして、彼らは嘘を吐いている。
虚偽の申告でマスターを貶め、その資産を奪い取る…そのような事、あってはならない!」
確かにそれはそうだ。いけないことである。
だが、わたしは正直な所、金についてはどっちでも良かった。この損失は、愚かな魔術師の勉強代と思っても良い。
事態の発覚を遅らせるための差し押さえに、気付く前に殺してしまおうという大胆さ。まあ、それも見習うべき強かさではあった。
では何がいけないのか?
それは嘘。そして死者の名を騙った事である。先代が借金を作ってわたしに一部を擦っていたのは本当だし、執行者に追われた為に資産を持ち逃げしたのも本当だ。
それでも、わたしを連帯保証人にはしていなかったし、先祖代々の遺産を売却する羽目になるような、そんな契約は交わしていなかった。
先代はドカスなのではなく、多少のカス止まりだったのだ。
原因を作った父を哀れとは思うが、憎いとは思わない。彼は彼なりに、根源という到達点を真摯に目指したのだ。ただ少し、周りを顧みなかっただけ。
我が家名の悪評は、既に時計塔でも知れたところだ。
特に、父の噂は酷い。一時の金などの為に研究を売り払い、担保に実子や魔術刻印を使う。その行いは魔術師として有り得ず、軽蔑に値する行為だった。
しかしそれは出鱈目で、本来であれば交わされていなかったという。
生者を騙し、死者さえも愚弄する。
その様な真似をする不徳の輩が、なんの咎めも受けずに聖杯戦争を終えるのか。そしてこれを“正しい選択だった”と判断するのか。
魔術師らしく自身の利益だけを追求し、己が為にのみ富を使う様な賊が、この町を。人々という富を、虐げるのか。
─────なれば、穢されすぎた名誉の為。策謀を以て奪われようとする土地の為。
わたしは剣を取らねばなるまい。
「セイバー」
わたしはわたしのサーヴァントであり、財産の守人であり、善なる人々の、人生の旅路を守護する騎士へと願いを告げる。
ランプは灯った。とっくに15ラウンドは決まっていたのだ。ここで勝負を降りるなど──────席を立つなど、有り得ない。
「返して貰おう。名誉と財産」
セイバーは傅いた。
「汚名は返上すべきです。賄賂と同じく、黙って受け取ってはならないものだ!」
“こいつ、いついかなる時も金銭に絡めて発言するよな”とわたしはちょっと思ったが、黙った。
そういう雰囲気でもなかったからである。
▽
わたしはキックで門を蹴破る。
聖杯戦争など、知った事ではない。他者の第三魔法で願いを叶える儀式など、名誉の前には安いものだ。そもそも根源のひとつやふたつ、自らの手で引き寄せるべきだろう。
道中で一騎のサーヴァントと出会った。金貸しは我々の襲撃を予期していたようで、わたしたちの情報すらも売ったようだが…瑣末な問題である。
こちらの方が強いのだから、正面から叩きのめして進めばいいだけ。わたしたちは普通に撃破して、そのまま突っ切ってやって来た。
魔術工房と化した屋敷には、悪霊が飛び交っている。
しかし、正面切って戦うべきだとセイバーは進言したし、わたしもそれに同意をした。
これは名誉と聖地を取り戻す為の、そういう戦争の吹っ掛けなのだ。
わたしは先日、聖杯戦争をルール無用の戦争と言った。しかし、この場合は別。戦争前から魔術師の世界でもやっちゃいけないことのオンパレード。
始まってからも、神秘の秘匿を守っていない。わたしはこの三流魔術師どもの詰めの甘さのせいで、ずっと現場処理をする羽目になった。
低俗な行いの積み重ねを、この町の大地主として許してはおけない。
実力主義の魔術師たちは、そんな矜持がある方が珍しいだろう。わたしを魔術使いと謗るかもしれない。
だけれどわたしは、魔術と同じように人には価値があると思っている。魔術師でないからと、顧みないのは悪しき事と考える。
なれば力ある者が。富めるわたしこそが、その悪行を諌めるべきだろう。
使命感に燃えるわたしを、セイバーは少し嬉しそうに見ていた。
誇り故に剣を取る、奪還の為の戦いはテンションが上がるらしい。
金貸しの魔術師は動揺していた。今更だと叫んで、黙って服従する事を選んだ癖にとわたしを罵る。
自己強制証明────セルフギアス・スクロールの確認すらしなかった時点で、そちらは黙殺を選んだのだと。そう言うのである。
あちらはなんにも分かっていない。
我々は弱いから服従していたのではないのだ。返さねばならない借金があるので、お勤めに励んでいただけ。そんなの、呪術で縛られた強制契約でなくとも当たり前だ。
これは反逆でなく、抗議活動である。
「金返せ!そして謝罪をしろ!こっちはおばあちゃんの墓すら土地ごとオークションに出されそうなんだぞ!」
わたしの魂の叫びに、セイバーの怒りが乗せられる。
「マスターの積立、返して頂きましょう!」
彼は屋敷にあった積立の明細も見たらしい。それを崩して、借金の返済に当てていたのも見たのだろう。
既に財布は我が手元に在らず。セイバーの装束の外側────腰に付いた革財布と、集金袋。そこに、狼のマークが刻印されたわたしの財布が捩じ込まれていた。
ありがとう、家計簿を付けてくれるセイバー!なぜ召喚の際に集金袋と共に現れるかは分からなかったけれど!
セイバーは開幕で宝具を切る気満々だったが、わたしはそれを手で諌める。
彼の宝具は、その霊器を引き換えに発動するような、稀にある自爆宝具ではない。
だけれど、彼自身が焼け焦げてしまうというデメリットがある。確実に勝てると判断出来るまで、自損技を選択するのは控えて頂こう。
堅実に、博打をせず、一歩一歩コツコツと!
定期預金と同じだ。投資や信託、賭け事のように、莫大な利益を望まずとも良い。いやパチスロは娯楽だから、そういうのじゃないんだけど!
ともかく。元本割れを避けていれば、損だけは絶対にしない。わたしとセイバーが揃って生きていれば、どうとでもなる。それを教えてくれたのは、セイバーだった。
「君が座に帰ったら、生活費計算できない。あと色々困る。慎重に行こう」
諌められたセイバーは「そ、そのように情けないことを大声で言うものでは…!」とでも言いたげだったが、その言葉を飲み込んだ。
そして一言だけ謝罪を述べると、強くこう言った。
「…しかし、そうですね。私が居なければ────いえ、例え私が退去したとて、あなたの巡礼は正しく行われる。
だが、幾度無く迷い、騙され、元本は割られ、困難の道となるでしょう。…あなたは少し、見積もりが甘いので」
悪口スレスレの酷い言い草。しかし、迷いない言葉である。
でも、それはそうだ。セイバーが居なければ、わたしは搾取されて死んでいただろう。騙されていた事だって、気が付かなかったかも。気持ちの良い道を選ぶ勇気だって、まだ無かったかもしれない。
そう笑えば、セイバーも微笑んだ。普段の暗さは無い、清廉な笑顔である。
「マスター。あなたの旅路を守護するのが、私の役目。
我が信仰は、火の粉を払う盾となり、道を拓く剣となるだろう!」
セイバーは剣を掲げ、明らかな罠へと突っ込んで行く。彼は普段はあんな感じであるのに、結構熱血だった。
わたしは有るだけの宝石を弾いて、障害を金貨もろとも消し飛ばす。富は力で、金は力。富める為に蓄えるのではなく、善い道を選ぶ為の力として蓄えるのだ。
当然だが、コインより宝石は全然出力がある。神秘の純度が違うのだ。金額も全く違うが。
此処で負けたら命すら無いので、必要経費として融資を受けたのである。
電話越しに金貸しを快諾したお嬢様は「他でも無いこの私に願い出たこと、見る目がありますわ」とのこと。
セイバーは終始渋い顔をしていたが「…必要経費でしょう」とは言っていた。
彼は金銭に執着している訳ではないが、破産を歓迎するほどイカれた感覚をしていないのだった。
「貴公は我がマスターを謀り、名誉と金銭を略奪した。…賠償金も含め、清算を願います」
セイバーの声に反応して、火球が飛んでくる。相手には、既に真名が割れているようだった。
わたしは名前を隠した記憶も無いし、彼にも言動の不自由を強いなかった。
当人がどう思おうと、誰が指差そうと、ジャック・ド・モレーの人生は誇り高い。その生き様と志には、何にも変え難い価値がある。
だから隠すような事でもないと、そうしなかったのだった。
上がる火の手は、彼を焼いた処刑の炎か。だが甘い。
燃やされようと、拷問されようと、冤罪かけられようと、セイバーの元本────強固なる信仰心は揺るがない。
わたしという元本も莫大。善い道を行く為に積まれた財は、決して割れることがない。
それをフルスロットルでセイバーに全ベットすれば、当然わたしの最優のサーヴァントは負けないに決まっている。
十字の盾は決して割れず、十字の剣は詐欺行為や借りパクを許さないだろう。
必要経費!
わたしは令呪を切った。確実にサーヴァントをブッ飛ばす為である。
セイバーは剣を構えて、炎と灰に包まれる。前口上を述べて、サーヴァントを切り捨てた時。
──────わたしの心臓目掛けて、銃弾が飛んで来る。
肉を裂いて割入ってくる鉛に、火が付いた。空気を排し鎮火を試みるが、炎は消えない。魔術による火は少しずつ燃え広がる。
それは呪術の一種のようで、わたしは内側からも焼かれているらしい。
なるほど。セイバーを滅する為の切り札と言ったところか。彼にこれが通るかは微妙なラインであったけれど、二度も火炙りになんかされなくていい。
この侮辱は、わたしが受けられて良かったと思った。
「マスター!」
セイバーが叫ぶ。わたしの口から零れ落ちる血が、ダメージの大きさを可視化させていた。
技量では圧倒的に優っているからと、油断をしていた面は否めない。詰めが甘かった事を反省する。
セイバーは剣を放り出して、盾を手に戻って来た。彼の後ろに見えるのは、金貸しの魔術師。
核を砕く為の一発を構えているのだろう。その指先は定まっていた。
わたしは宝石を構えて、右手をブッ飛ばす。続いて頭を狙おうとして────やっぱりやめて、硬貨を取り出した。
コインを軽く、魔術師の額に放つ。非常に響く音を立てて昏倒した魔術師が、草に上に転がった。
走って来たセイバーがわたしの胸を押さえた。止血をする為だろう。わたしは慌てて消火する。
セイバーは燃え移るのも構わず、わたしに手を伸ばしたからだ。
彼は悲壮な顔をする。救えなかったとでも言うように、後悔をするように目を伏せた。
わたしは「違う」と煙を吐いたが、声にならない。よろめいて倒れ込む。損傷は重く、外傷は酷い。
「そんな…!私はまた、何も成せないと言うのか…!」
そんなことない。セイバーはわたしに道を示した。見通しの立たない霧の中の航海を、輝く船出としたのはセイバーだ。
誰が何を言おうと、それが何にもならなかったなどと、決して言わせはしない。
「だが、マスター…!私は、あなたを守護することさえ叶わなかった…!」
セイバーはそう吐露する。努めて丁寧に振舞っている彼が、声を荒げて嘆く。
伸ばした手を、セイバーは握った。血の赤が白い彼を汚して、なんだか申し訳なくなる。手を引っ込めようとしたが、セイバーは構わずに握り続けた。祈るように、両手で包み込まれる。
そうして告解をするように、わたしへと言葉を告げる。
「…身を削り、人に尽くせども。善き行いが、誰に感謝されずとも」
炎が彼の顔を照らす。
「あなたの奉仕に、神さえ気が付かずとも!」
激情に燃える声だ。わたしを取り巻く全てを、わたしを蝕む理不尽を呪うような声。それは、優しいセイバーに全く似合わない。
「どれ程の不運に苛まれようと、善き人で在らんとするあなたを…報われなくてはならないあなたを、必ず守ると… 私は、誓っていたのに…!」
わたしは驚く。セイバーはそんな事を思っていたのか。
彼は公平であろうとする者で、誰に対してもそれを崩すことはない。マスターだろうが、町の住民だろうが、等しく丁寧な物腰で、教義に従い誠実に対応をする。
その彼が誰か一人に贔屓するなど、俄かに信じがたい。
しかし、少し思っていた。
我々は主従。とはいえ、セイバーはわたしに対して甘くはないか、と。
その答えは、今の言葉がすべてだったのだろう。彼は公平で、公正であるからこそ、不平等を強いられたわたしを哀れに思った。
そうして自分だけは、わたしの行いに報いようと思っていた。それが、答えだったのだ。
────でも。わたしはツイている。セイバーがそのように、教義に反する贔屓をしてくれずとも。とっくの昔に、報われているのだ。
彼がわたしを慈しみ、心を割いてくれるから。そう思ってくれたから。わたしを選んで、召喚に応じてくれたから。
最初からずっと、幸運だったのだ。
わたしは不敵に微笑んで、胸からプラスチックケースを取り出す。換金不可で返却された、パチンコの特殊景品である。
案外、無益ではなかったかも!
そう言いたかったが、口から血と泡が溢れる。流石に、喋れる感じではないらしい。
“ちゃんと守れてたよ。だってこれ、セイバーが見つけて来なかったら、換金しに行こうって言わなかったら。
胸ポケットになんか、入ってなかったし。”
やっぱりわたしはツイている。
セイバーの無念が、座に残る。彼の苦悩が、人理に刻まれる。それを経たからこそ、わたしは此処で富の為に剣を取れたのだから。
それを何も成せなかったなどとは、誰も言わないだろう。少なくとも、わたしとこの町の住民は。
ジャック・ド・モレーの生き様が、わたしを救った。貴方の人生が、誰かの営みを守った。
それがなんにもならなかったなんて、ある筈がない。
そうパス越しに伝えれば、セイバーは肩から力を抜く。脱力して、その場に座り込んだ。
その瞳は伺えない。ただ、吐かれた息は熱かったように思う。彼はなにかを堪えるように、深く息を吐いていた。
「…神は我らに、味方をしていたということでしょうか」
祈るように、貞淑な声でそう言った。
コインが弾かれ、空へと打ち上げられる。セイバーは表か裏かを言わなかったけれど、わたしにはどちらが出たか分かった。
“違うよ、セイバー。君を見ていた神様が、わたしのことも救ったんだ”
誰よりも神を信じるセイバーが、わたしを助けたいと願ったから。貴方の祈りと行動の結果で、わたしは生きている。
そう笑いながら傷を押さえていれば、セイバーは慌ててそれを制す。
「し、しかし!重症であるのは事実。軽い見積りをしてはなりません!あ、安静に…!」
わたしという生命。わたしという元本。
それは割れないし、鉛の心臓も砕けない。何故なら、わたしに幸福を運ぶ、この町で最も尊き心を持つ最優のサーヴァントが。堕落を良しとしかけたわたしの手を、正しい方へと引くからだ。
魔術師は膝を折って、非礼を詫びた。投降し、令呪があった腕を切り捨てる。そして命乞いをした。
賢い選択だ。わたしが死ねば、モレーは必ず清算を求める。そして命には命と、相場が決まっているだろう。
しかし、命乞いは心外だった。だって、わたしたちに殺すつもりは元より無い。殺す気ならば、最初の時点でそうしている。
乗用車を投げ付けられた時────民間人を無視すれば、簡単に殺害は出来たのだから。
そうしなかったのは、やっぱり。
借りたお金は返しましょう、と。
人を殺してはいけません、と。
わたしもモレーも、そう思っているからだった。
魔術師の癖して馬鹿らしいと、わたしは思わないでもない。だけど。どんな回り道も、きっと意味を持つだろう。今は分からなくても、いつかそれが積み重なった時。
それは金貨の山のように、強い輝きを持つ筈だ。
セイバーは借用書を取り出して、目の前で燃やした。
我らの悲願は、ここに達成されたのである。
▽
「かけるべきでしたね。傷害保険」
大事には至らなかったが、銃撃されたには銃撃されている。
そしてわたしは魔術師でありながら、自己治療が出来なかった。近日の生活習慣が祟って、魔力生成が上手く行かなかったのである。
やっぱパン三食はダメ。パンが無いならおやつを食えとは言うが、それもダメ。毎日のバランスの良い食事こそが、魔力という資産を生み出すのだ。
そのうえ死亡保険は掛けていた癖に、傷害保険を失念していたので、こんなにボコボコにされて起きながら一銭たりとも給付されない。
転ばぬ先の杖は、長過ぎるものより適切なものを選んだ方がいいということか。わたしは一つ賢くなった。
セイバーは林檎をうさぎに剥いて、わたしに差し出した。
薄々思っていたことだが、彼はかわいいものが好きだ。肩に掛かるベルトには、羊がプリントされた油性ボールペンが刺さっている。
大人しく林檎を咥えれば、セイバーは嬉しそうにはにかんだ。
「自分で食べれるけど」
申し立てをしたが、セイバーは首を横に振る。
「い、いいえ。安静になさるべきです。ど、どうぞ、マスター」
そう笑って、二切れ目のうさぎにフォークを突き刺す。ちょっと、食べさせるのを楽しんではいないか?
最近セイバーはよく微笑む。借金が吹き飛んで、賠償金も徴収出来て、更に利子も付いたのでご満悦なのだろう。わたしが知り合いに借りた分も返済出来たというし、クリーンな身で吸う酸素は一際美味しい気がする。
彼の笑顔はかわいらしい。ずっとそうしていればいいのにと言えば、慌ててフードで隠してしまうが。
「わ、笑いは悪魔のもの。笑いは嘲り、笑いは誘惑… あ、あまり褒められた行いではないのです」
嘲りだとは思った事が無いけれど、誘惑。誘惑か。
確かに、それには一理ある。セイバーの控えめな笑顔に、わたしは強い魅力を感じるからだ。
でも富と同じで、持ち主次第じゃないか?
人を堕とす為の笑いもあれば、幸福が溢れただけの笑いもある。少なくとも、セイバーのものは後者だったと思うし、もっと沢山見たいと思うが。
「これって、悪しき欲望?」
聞けば、セイバーは非常に困った。
わたしはそれを笑って、ベッド横の引き出しに手を伸ばす。病院のテレビ台の下は、大抵が収納になっているのである。
「見た事ない額の明細になってる…」
林檎食べ終えたわたしは、果物と共に持ち込まれた通帳を見て驚く。
わたしが金銭の管理をする頃には、生家は殆ど没落していた。多少の預金はあれど、潤沢だったことはない。しかし帳面には、一生遊んで暮らしてもお釣りが来るほどの金額があった。
「賠償金と、過払金の返還もありますが…し、殖財を。マスターは私めに、信託をなさりましたから…」
セイバーは生き生きとしている。わたしには一ミリも気持ちが理解出来なかったが、多分殖財自体が好きなのだろう。そう表現すると、語弊があると怒られそうだったが。
金銭の管理をセイバーに丸投げしたわたしは、病院でのんびり休暇を取っていた。
枕元には聖杯が輝いており、もうやりたい放題。何も考えずに全てを打破した訳なのだが、あの時点で残り三陣営だったのだとか。
流れで聖杯を獲得し、そこで力尽きて搬送された訳であった。
因みにだが、小聖杯に願いを叶える力は無い。セイバーを現界させる為の、純粋な魔力炉として使用しているからである。
だけど、セイバーは文句を言わなかった。テンプル騎士団の再建がどうでも良い訳ではない。
彼は聖杯に祈って抽象的に叶えるよりかは、自身の手で如何にかした方が誠実で、確実だと思っているらしい。志の高い男である。
わたしは特にやりたい事も無いし、退院したらその巡礼に付いて回るつもりだ。
ただ。一個────いや、何個か。懸念とやらねばならぬ事があり、わたしはそれをセイバーに依頼していた。
セイバーは頷いて、帳簿を指で示す。そこには、現金の寄付が記録されている。
預金をセイバーに引き出させたわたしは、車を破壊された女性の家に札束を捩じ込むように頼んだ。
ついでに、戦争中に破壊した家の持ち主の家にも修繕費を捻じ込むように頼んで、非課税でと言及している。
今この町には、ひとつの噂がある。不幸が起きた家に、何者かが資金を援助すると。多ければ百十万。それ以下であれば、一円単位で細かく入れられる。その金額は、ぴったり修繕費に合致するんだとか。
金をポストに捻じ込む青年に声を掛ければ、「い、いえ。私めは、委託された身ですので…」と返されるという。
動けない理由のある誰かと、その従者。金を捻じ込む男は、フードの下から美しい風貌を覗かせる。
そんな風に噂されて、なんとも言えない気持ちだった。非課税で渡せる金額では、乗用車を買い直すには当然足りないだろう。
その辺はもう、車両保険とかをフルに使って頑張って欲しい。保険料上がってしまうけれど。
「言えば良いのに。セイバーもそう望んでるって」
「じ、実際に喜捨をなさっているのは、マスターでしょう。私めは、それを代行して居るに過ぎません。
で、ですから。この賞賛と感謝は…あなたが受けるべきものです」
金は呪いを生むが、人を救うのも時に金だったりする。
そもそもコチラが悪いのに、感謝されて有り難がられるのは些か座りが悪いのだけれど。それを知らない彼らは、施しから善性を見出し、細やかな幸福を感じるだろう。
金自体に罪は在らず。その通りだと、わたしは改めて思った。
やっぱり若干納得出来なかったけれど、まあ良しということにしよう。
そもそもこれは自己満足で、相手から向けられるのが好意であれ嫌悪であれ、わたしにそれをどうこう言う権利はないのだ。
過去の事は考えても仕方がない。
ああすれば良かったこうすれば良かったと悔やんで呪うのは、わたしの悪い癖だ。見るべきは未来で、今からをどうすべきかである。
そういうの、Ce qui est fait est fait…と言うのだったか。もっと上手くやれば、被害を減らせたかも。そう嘆くわたしに、セイバーが言ったことだ。
その当人も、人の怪我をひどく悔やんでいるようだったので「後は野となれ山となれ」と、こちらの諺を提示したが。
「セイバーは、なにか欲しいものある?
これだけ働いたんだから、何か与えられて然るべきじゃない?」
わたしはベッドの脇に腰掛ける、殊勝なサーヴァントに問い掛けた。林檎だけかと思ったら、柿と蜜柑も持ち込んでいたらしい。
どれが一番熟しているかを選別していたセイバーは、少し挙動不審になった。
「名誉の為の戦いに勝利出来た事。マスターの実家という聖地を奪還した事。そ、それに勝る報酬はありません」
そうは言うが。わたしはセイバーをめちゃくちゃにこき使った。一定額だけ支払って、働かせ放題。
幾ら使い魔とマスターとはいえ、無給で労働させるのは宜しくない。
そうだろう?とわたしは問い掛けるが、セイバーはやっぱり否定した。真面目かつ、頑固な男である。
「それは、本当に良いのです。この戦いで、我が無念は晴らされましたから。
…私は、あなたから言葉を賜りましたね。あれはこのモレーにとって、金に勝る価値がありました」
そんなんあったっけ?
わたしは首を傾げるが、セイバーは微笑むばかり。この様子では、どれが該当するのかを教えてくれないだろう。
彼はこう言っているが、やっぱり雇用主としては気になるところだ。
我々は一応主従ではあるが、マインド的にはビジネスパートナーである。そういう認識だから、余計に報酬未払いなのが気になった。
そう言われたセイバーは、「…しかし、特に必要備品などは…」と思案するような仕草をして、固まる。
彼は嘘を付けない、非常に分かりやすい男だ。なにか欲しいものがあったに違いない。
わたしはその欲望を歓迎しよう。
単純に、無欲で清貧を善しとし、“できる限り稼ぎ”、“できる限り倹約し”、“できる限り与えなさい”…そういう考えをナチュラルに持っているセイバー。その彼の欲しがるものが、すごく気になったとも言う。
なんだったらモレーとしてではなく、ただのジャックとして願っても良い。
わたしは他者を搾取し行う欲望が嫌いなだけで、気持ち良く生きたいという欲望自体は大歓迎なのである。
それがセイバーのものであるなら、尚更。彼の欲望は、わたしを満足させるものであるに違いない。
さあ望みを言ってみろ!とワクワクしながら聞けば、セイバーはもごもごと話し出した。
さっきまで人見知りを殆どしていなかったと言うのに、突然歯切れがものすごく悪い。
「あ、あなたの魔力は、元手の要らない収支です。徴収して良いのであれば、そ、その。
…私に納めて頂けると。さ、支え甲斐があると言いますか」
既にセイバーは小聖杯によって現界している。わたしが死のうとも、小聖杯が在る限りは勝手に現界し続けるのだ。
つまりわたしは彼に投資する必要が無く、それは無意味なのだが。
「売血しろってこと?」
魔術師の血に魔力を溜め込めば、何某かの際に非常用の電池代わりになるだろう。
わたしは家ごとの乗っ取りを計画されるだけあって、質もピカイチである。本来、個人情報の塊である血液を譲渡などしてはならないが…セイバーにならば、一定周期で収めても良い。
そう言えば、セイバーは困った顔をした。血も悪くないなとは思ったが、肝心な意図が伝わっていないとでも言いたげな雰囲気が出ている。
「い、いえ。そうではなく。その、ですね」
吃りこそすれ、口下手では決してないセイバーが珍しく言葉を紡げずに居る。
わたしはそんなに言いづらい物が欲しいのか?と疑問に思う。しかし、どれほど価値ある物の譲渡を乞おうと、セイバーは躊躇ったりしないだろう。金銭に関して非常にシビアだから、金額が大きかろうと必要経費ならば臆する事はない筈。
謎が解けないわたしの手を、セイバーは両手で握った。
いつも通り顔色は悪かったが、その耳には確かな赤みがある。緊張しているらしく、手も非常に熱い。
どうしたのだと間近で顔を覗き込めば、セイバーの喉が鳴った。
「ま、マスター!私は…!」
病室の扉が開け放たれる。
体温を測りに来た看護師が、手を握り合うわたしたちを気不味そうに見ていた。わたしはセイバーを見る。
彼は口をはくはくとさせて、その手を離した。
結局なにを言いたかったのか、わたしはよく分からなかったけれど。
看護師の背中を見送って、コインを弾く。そしてセイバーに問い掛けた。pile ou face。表か裏か、お好きなように。
表だったら、貴方がわたしに口付けを。裏であれば、わたしが貴方に口付けを。
そう持ち掛ければ、セイバーは非常に肩身が狭そうにした。
「…う、薄々。気付いては居たのです。やはり、そうでしたか…」
そう呟いて「表です」と言及する。分かってる癖に、やはり真面目な男である。
わたしたちのコイントスは、ずっとそう。最初から、ずっと。何度弾いても、混じり気の無い100%だった。裏も表も、無かったのだった。