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貴方さえ居なければ

 わたしのオリジナルになった女は、死霊使いと呼ばれる男の側近だったらしい。

 自分と同じ姿をした、自分と同じ偽物たち。ジェイド・カーティスという男への刺客として送られた“自分だったもの”を拾い、棄て、時にはまだ息があるそれらを再利用するのが自分の仕事だった。
 
 それは「まだ死にたくない」と言った。わたしはそれを聞いて「じゃあ、もう一度」と返す。絶望したような、濁った瞳がわたしを見た。
 それは治療を受け終えると、再び死霊使いの命を狙いに行く。敵前逃亡が認められたら、わたしが遠隔操作で爆弾を作動させるからだ。

「酷いね。僕も人のこと言えたモンじゃないけどさあ…アンタは、僕よりも醜いな」

 シンク様がわたしに苦言を溢した。彼はわたしと同じような生い立ちであるのに、身分と立場と名前を持っておられる。
 わたしは謗られていたが、何故そのような事を言われるのか到底理解に及ばなかった。ヴァン様は、わたしを褒めてくださるというのに。従順で、心なきわたしを。

「そうですか。シンク様が言うのなら、そうなのでしょう。わたしと違い、完全なこころを持ったシンク様が仰るのであれば」

 シンク様はわたしを睨み付けた。
 レプリカは、殆どが完璧には作れない。その精度は、何体も何体も生み出して、やっと妥協出来る個体が発生する程度である。
 
 それはわたしもシンク様も同じ事で、彼はオリジナルが持つ譜術を使えない。対するわたしはといえば、オリジナルが持つ感受性が無いのだと言う。
 嘗て、存命していたわたしのオリジナルは、その稀有な感受性を持って死霊使いの心に指を入れたのだと。深く深く入り込んだ彼女は、唯一無二の女となって、そして死んだ。
 
 ヴァン様はそれに目を付け、死霊使いを妨害する為にわたしをお作りになった。何体も何体も製造されたわたしは、日々死霊使いのこころを殺す為に稼働している。
 ディスト様が言うには、その中でもわたしは失敗作らしい。尤も感受性に欠け、ジェイド・カーティスが嫌う軽薄な性質を持った個体。これでは死霊使いの心を揺さぶれないので、わたしはわたしの管理個体としての役を持っている。

「…まあ良いけどさ。僕にとってアンタがどう思うかより、死霊使いが嫌がる事の方が重要だしね」
 
 預言に詠まれたオリジナルのわたしは、とっくの昔に死んでいる。
 だから、預言の外側…既に死んだわたしだった人を何度も創ることで、ヴァン様は悲願を達成させたいのだと言う。わたしはそれが善い事か、悪い事かは判断出来ない。
 ただそう言われたので、わたしはジェイド・カーティスという男が傷付くよう、たくさんのわたしを差し向けるのである。

 それはシンク様が消失しても────ヴァン様が死んでも。

 ▽

「おやおや。またナマエですか。最近、貴女の顔ばかり見ていますねえ」

 わたしは廃棄となったわたしが逃げ延びていないか確認するため、それが最期に踏んだだろう地を徘徊していた。
 
 そんな時、苛立たしげな声が投げ掛けられたのである。見れば、長髪に赤い目のマルクト軍人────写真で何度も目にした、ジェイド・カーティスその人が居た。

「あっ、わたし…」

 彼は“わたし”を抱き抱えて、こちらに歩いてくる。
 それはもう浅い息を吐いており、自分が手を出さずとも、自爆して消失するだろう。

 しかし、それは自壊しない。死霊使いを葬るには絶好の機会であるのに、自爆を選択する様子は無かった。
 わたしは不思議に思って、消えて行くわたしに尋ねる。

「死なないの?」

 わたしはわたしに問い掛けた。
 それはわたしを睨み付けて「気持ちの悪い、レプリカ以下のごみが」と言った。そして静かに息を引き取る。わたしにしては、随分と口が悪い。
 わたしのオリジナルよりも、シンク様に近しい性格をしていたのかもしれない。

「ええっと、わたしを殺しますか?」

 わたしだった残骸を抱えたままの、死霊使いに尋ねる。
 今の自分は特に戦闘準備などはしておらず、殺すと言われれば死ぬだけだ。
 そもそもオリジナルのわたしも戦闘経験などが無いらしい。だから、今までジェイド・カーティスに差し向けられていたわたしも、みんなナイフを持って突進するだけだっただろう。

 わたしがそうしないのは、単に自分が“管理個体”だからであり、ヴァン様に命じられていないからだ。
 ジェイド・カーティスを殺せと多数のわたしに指示を出す為の個体であるから、彼への殺意に燃えてしまっては意味が無いのだと言う。適任でしょうとディスト様は笑っていた。
 
 わたしがダメでも、代わりがいる。そうすれば、次のわたしがわたしの管理者となり、引き続きわたしのレプリカを製造するだろう。

「死にたいんですか、貴女」

 死霊使いは聞いた。わたしは少し考えて「そう仰るなら」と返す。
 ジェイド・カーティスは深く深く溜息を吐くと、わたしだったものを捨てて、わたしの腕を掴み上げた。

「付いて来なさい」

 わたしは頷く。
 ヴァン様は、わたしに言っていたからだ。「すべての命令を従順に聞くように」と。

「それで連れ帰って来ちゃったんですか?」

 わたしは少女を見る。
 騎士団の正装に身を包んだ彼女は、浅黒い肌に子供らしいツインテールをしていた。
 今や殆ど離反し解体され、信徒も減った団体に好んで所属しているのは余程の物好きか、わたしのような愚かな存在だろうとシンク様は言っていらした。

「どうするんですか?他のナマエみたいに、大佐に殺意マシマシって感じじゃないですけど…
今も何処かで、ナマエは…」
 
 その言葉はジェイド・カーティスの機嫌を損ねたようで、少女の頭に手刀が降り落とされる。
 涙目の彼女に、死霊使いは言った。

「私は全てのナマエを処分すると言いましたが、敵対行動を取らないのであれば保護しても良いでしょう。幸い、彼女は頭が壊れているみたいですからね」

 死霊使いはわたしの頭をこづいた。チカチカと視界に星が散って、恐るべきデコピンの威力に頭が揺れる。
 わたしはそれを静かに耐えると、彼は何かを思案するように此方を見ていた。

「彼女が懐けば、こんな趣味の悪い事をしている大元から叩けるかもしれませんし」

「大佐がそれで良いなら、良いと思いますよう。でも、やっぱり、それって」

 少女は口を噤む。唇を噛み締めて、何かを言おうとしたようだったが黙りこくる。
 死霊使いは微笑んで、「そんなことより」と続けた。

「貴女は此処に居て良いのですか? 他の方々と、貴女は何か仕事が違うのでしょう」

「わたしはコチラに居ても、役目を果たせます」

「ほう。貴女の役目とは?」

「わたしを処分することですね」

 丁度よく、わたしが見えた。それはナイフを持って突進し、槍によるカウンターを喰らう。血を吐いて地に伏せるそれ。
 死霊使いは笑顔で、それを見ている。

「わ、私…私は!まだやれるから…!」

 それは震えながら、わたしを見ている。
 しかし、コチラも役割がある。最早戦意も無いだろう。わたしは指を鳴らして、それの制御装置を起爆させる。レプリカは僅かな音と振動を残して、空気に溶けていった。

「酷いですねえ。貴女の仲間でしょう」

「仲間、ですか。それは適切ではありません。わたしたちは、貴方を壊す為に作られたレプリカですから」

「それはヴァンが死んでもですか?」

 わたしは返答に困る。ヴァン様は悲願の達成の為にわたしを稼働させていた。
 そのヴァン様が死んだ今尚、ジェイド・カーティスに精神的な嫌がらせをすることは有効なのだろうか?

「わかりません。わかりませんが、次の指令を頂いていませんから」

「では、私が貴女に命じましょう」

 死霊使いは昏い目で言った。わたしは恐怖を知らなかったが、なるほど。これが、恐ろしいという気持ちなのかもしれない。

「すべてのナマエを殺す為、私に力を貸しなさい」

 ▽

 ジェイドはわたしを“ナマエ”と呼ぶ。
 それはオリジナルの名前だったが、偽名であったという。ならばわたしが名乗っても問題は無いということで、便宜上不便なのでわたしはナマエということになった。

 ナイフを手に向かって来たわたしを捌いて、ジェイドは首をへし折った。血を吐いて倒れるそれは、虚な目で転がっている。
 それはわたしとジェイドを見て、わたしの方に切り掛かってきた。絶命する時も「ずるい」と吐き捨てて息絶えた。
 
「そろそろ貴女の顔も見飽きた所です。一体何処で、貴女たちは生まれさせられているのですか」

 生まれさせられる。受動態。生は受けるものであって、選ぶことは出来ない。言い得て妙である。
 ジェイドはわたしたちの大元だけあって、非常に頭の良い人間だった。

「まあ、言わずとも察しは付いているのですが」

 彼はナマエに厚手のコートを被せた。
 わたしたちは生まれてすぐ、其々が町娘のように平凡な服装を取らされる。ジェイドの側近は素朴な町娘という体裁で彼に近付いた、神託の盾の手の内の者であったから。

 ジェイドは「私の共であるなら、それなりの服装をして頂かないと」と言って、ナマエに軍服を与えている。

「これから雪山に入りますからね。厚着をしなくては、貴女は凍死してしまいますよ」

 そう言うジェイドはいつも通りの軍装だ。
 わたしは彼の袖を引いて、被せられたコートを掛け直す。ジェイドは一瞬眉間に皺を寄せたが、いつも通りの微笑みを浮かべた。

「私は良いんです。貴女とは出来が違いますから」

「頭の?」

「そうです」

 暫く過ごす内に、ジェイドのこれが“嫌味”と定義されるものだと理解した。
 しかしナマエは、彼の嫌味を素直に受け取ると、ジェイドが逆に困る事を知っている。これは、ヴァン様に命じられた任務に準じていると言っても過言では無いはずだ。
 
「貴女は、彼女に似ても似つかない」

 ジェイドは掛けられたコートをナマエの肩に戻して、そんな事を言った。

「あの女は私の心など、一つも理解はしませんでした。
そもそもですねえ、何か勘違いをしておられる。私とナマエは、別に親しく無かったんですよ」

 それは初耳である。
 ジェイド・カーティスとナマエという女は、親しくは無かった?

「寧ろ、憎んでいたでしょう。元々ホドの出身だったと言いますから。近付いた理由もわかります。ありがちな復讐心からでしょうね」

 ────では、なぜ。どうして、わたしは。わたしたちは、生まれさせられたのか。
 死にゆくあれらは、“彼女たち”は。

 わたしは油の足りないブリキのように、ゆっくりゆっくりと首を上げる。
 表情の読めない、凪いだ赤い目がわたしを見下ろしていた。

「私は彼女のレプリカを何人殺したところで、何も思うことはありませんから」

「それではわたしたちの意味は」

「ありません。彼女は無駄な事をしていたんですよ」

 ジェイドはそれ以上何も言わなかったが、黙りこくるわたしの手を引いた。進む先は、茨の道だろう。

「無駄、ですか。それは確かに」

 かなしいな。

「アンタは良いよね。レプリカの癖に、オリジナルとは似ても似つかない」

 以前、シンク様はナマエにそう言った。
 オリジナルに似ないレプリカなど、存在意義が無いのではないか。わたしはそう思ったが、彼にしては穏やかな口調であった。

「そうですか」

「そうだよ。ナマエとかいう女は、もっとクソッタレだった。醜悪で、反吐が出るような女だったね」

 シンク様の傷口を譜術で癒す。それでも完治には至らないので、包帯を巻いた。暫く安静するのが妥当であろう。
 しかし彼は立ち上がる。そのまま次の戦場に向かおうとするので、わたしは袖を引いた。

「シンク様が行かずとも。わたしが、わたしたちが足止めをしましょう。代わりは幾らでも居ますから、シンク様はお休みになられた方が宜しいかと」

 彼は黙る。機嫌を損ねたかと思案したが、吐いた息は温い。
 呆れたようなと言えばいいのか。そのような人間らしい声色で、困ったように言った。

「アンタは馬鹿だ。オリジナルより、ずっと」

 ▽

 わたしの生まれた雪山には、たくさんのわたしが居て、わたしを一生懸命に製造していた。

 みんなバカの一つ覚えみたいに、ジェイド・カーティスを苦しめろと頭に書き込まれて生まれてくる。
 その意味も理由も与えられないが、彼を殺すことしか生きる意味はないと、価値はないと製造役のわたしに刷り込まれて来るのだ。

 ジェイドは沢山のわたしを殺そうとするが、それはもう意味が無いことだとナマエには分かっている。
 わたしは彼女たちに歩み寄って、起爆を命じるだけで良い。元々、全てを終わらせる為に用意されたのがわたしというレプリカだったのだから。

 踏み出して指を鳴らす。叫び、憎み、怒る声がナマエを糾弾する。
 ジェイドはそれを見て、「良いですよ、ナマエ。私が彼女達を殺しますから」と言った。わたしは首を横に振る。彼はそれを、少し哀しいような微笑みで見送った。

 今はレプリカを長生きさせる為の技術を、ジェイドやジェイドの友人が探しているらしい。
 しかし、わたしはそれがわたしたちに適用されるべきとは思わない。シンク様が死ぬまで戦う事を選んだ意味も、ナマエにはもうわかっている。自分に価値を見つけられないから、彼は死んだのだ。

「呆気ないものですね」

 消えて行くわたしたちを見て、ジェイドはそう言った。
 彼の虚勢も嘘も、ナマエには理解できていた。

 ジェイドにとって、戦う能力を持たないナマエのレプリカたちなど、取るに足らない存在である。幾ら襲撃して来ようとも些細なことで、決して彼女たちはジェイドを殺せやしないし、彼の歩みを止めることも叶わない。
 ただ、傷付かないと言った。それは、嘘だ。

 わたしは一歩進んで、逃げ惑うわたしたちに起爆命令を出す。
 爆弾を同じコードで仕込まれた彼女たちは次々に自壊して、管理役のわたしに対する呪詛を吐いて死んで行く。

「哀しいですか、ジェイド」

 彼がわたしを追ったのは、生まれさせられたわたしたちを哀れんだから。
 元々、そのような機敏を持たない人でなしであったと、わたしのオリジナルは記憶している。だがオリジナルの死後、随分彼は変わっていたらしい。

 ジェイド・カーティスへの復讐の為に生み出されたレプリカ達を見て、哀しいだなどと。
 彼はオリジナルが自分を理解していないと言っていたが、ナマエはそうだとは思わなかった。ジェイドが優しい人であると、いずれそうなるだろうと、理解っていたような嫌がらせだったからだ。
 
 ナマエが最後のレプリカに銃を向けても、彼女はぼんやりとコチラを見ていた。装置の前で空虚に座り込む、一番わたしに近い個体。
 製造をやめろと言っても聞かない事は、わたしが一番理解している。

 指をひとつ鳴らしても、最後のわたしは四散しない。ナマエもそうだが、計画の中枢を担う個体はそうならないように作られている。

「まだ作る?」

「それが意味だから」

 ナマエは銃を撃った。わたしたちはこんなにも狂った存在なのに、流れる血はいつだって赤い。
 わたしたちは劣化コピーで偽物なのに、一人一人が独立した人間で、疑いようもなく個人だった。

「ジェイドは、わたしを終わらせる?」

「いいえ。貴女はもうナマエですから。無意味であると、分かっているでしょう」

「そうだね。こんなの全部無駄だった」

 わたしはもう生まれてこない。
 最後に装置も叩き壊せば、いつも通りに彼は言った。それは普段通りを装っただけの、痩せ我慢である事を知っている。

「オリジナルの復讐は上手く行ったと言えますね。私は彼女を愛しはしませんが、貴女の事はそれなりに好きですから」

「わたしが…私が。意志を持って、自分と同じ存在を殺しているのは、やっぱり哀しい?」

「そうですね。今も思っていますよ。貴女を止めて、私が殺すべきだったと」

 自分が罪の意識に苛まれているから、そう思うのだろう。
 ナマエはレプリカ達を殺した事を、罪だなどは考えない。結局わたしたちは、生きる価値を見出せないからだ。
 シンク様が言ったように、失敗作のレプリカに存在意義なんか無いのだと心から思っている。だが、ジェイドは別だ。彼には価値がある。彼が価値を見出す私には、意義がある。

 だから、私は。ジェイドがこれ以上罪深くならないように、進んでわたしを殺すことを選んだのだ。
 ナマエはレプリカだから、何をしたって傷付かない。居ない人間は、生者を庇って生きるべきだ。

「憎みますか、私を」

 そんなこころを知らないジェイドは、的外れなことを聞いた。

「いいえ」

 私はそう返す。しかし彼は返答に納得が行かないようで、少し苛立ったように続けた。

「貴女は私を憎む権利がある。本当の事を言えば良い。私は、そのくらいでは怒りません」

 彼の言うことはちぐはぐだ。
 だけど彼が、責められたいと思っているのは理解出来た。ナマエは分かってはいたけれど、不思議と少しも恨む気持ちはない。オリジナルに一番遠い個体だったからだろうか。
 だから、これだけは言うべきだった。
 
「ジェイド。貴方が居なければ、私は生まれてこなかったよ」

 私は可哀想な男を抱き締めた。彼は何も答えない。