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茶々と母の愛を知らぬ者

「ふははははー!控えおろう!浅井三姉妹が一人、お茶々であるぞ!」
 
 豊臣由来の黄金茶器。輝く金に塗られたそれは、セイバークラスの羽柴秀吉を召喚するための触媒であった。
 だが、引いたのは童女。わたしよりも一回り程小さく見える。お茶々と名乗った彼女に落胆すると同時に、正面突破を予定していた方針を切り替えた。
 だってマトモに戦争をして、勝てる筈が無い。
 
 茶々。浅井菊子。数ある呼び名の中では、良くも悪くも淀殿という名が一番有名だろうか。
 織田信長の妹、市の子であり、豊臣秀吉の側室である。
 
 つまるところ、わたしはしくじったのだ。豊臣秀吉を召喚する筈が、とんだ人違いである。よりにもよって豊臣に破滅を齎した傾国の美女を引いてしまった。…美女というより、美少女であるが。
 しかし神はわたしを見離さなかった。幸いにも彼女はバーサーカー。正気を失う代わりに強大な力を得ている、筈。
 
 わらべのように茶を啜り、菓子をもっともっとと強請る彼女は狂っているようには見えなかったが、クラス上はバーサーカーの筈である。
 
「ふうん。どうしても聖杯が欲しいわけ?
それなら茶々がチャチャっと拾っちゃうし!茶々も殿下も、金には縁があるのよね〜」
 
 茶々は胸をぽん、と叩いた。
 任せちゃってよね!と元気に言う姿は、申し訳ないが頼りない。

 

 とりあえず、彼女を狂わすのは今では無い。
 バーサーカーで呼んだ筈であったのに、年相応の少女であり異常さなど何処にも見当たらない彼女は、今日も今日とて甘味を所望する。
 
 わたしは毎日、近所の和菓子屋で言われるがままに菓子を買っていたのだが、ある日の茶々はこう言った。

「そち、なにゆえ出来合いばかりを食しておる?
こういうの、この時代ではあんまり好まれないんでしょ?」

 お菓子を頬張りながら喋るなどはせず、紙皿に食べ掛けの餅を置いた彼女はそう言った。
 わたしは啜っていたカップラーメンを床に置いて、その中に箸を入れる。それを見た茶々は「もーっ!床に置くでないぞ!」と声を張った。仕方なく持ち上げて、机に置き直す。

「料理する必要がないから」

「ふうん?まー、茶々くらいになると、そーだけど…」

 茶々は少し思案したように首を傾げる。その姿は童女であるのに────その瞳は少しだけ、違うような。

「そうだ!良い事を思い付いちゃったし!」

 愛らしい瞳が悪戯っ子のように煌めく。先程感じた違和感は、気のせいだったのだろう。
 彼女の立ち振る舞いも、声も、すべてが子供のものだ。わたしはしゃがんで、茶々の顔を覗き込む。歯を見せて笑った彼女は、「あのね」と話し始めた。

「マスター、マスター。茶々、欲しいものがあるんだけど… もちろん、よいよな!」

 だって、この茶々が欲しいと言うておるんだもん!
 そう高らかに宣言した少女が子供でなければ、なんだと言うのだろう。

 ▽
 わたしは彼女に強請られ、小豆とチョコレートと鍋と茶碗と、あとはまあ、色々。兎に角、最高品質の品々を沢山買わされていた。
 それを笑顔で受け取った茶々は、鼻を鳴らして上機嫌である。小さな台に、同じくらいこじんまりした身体を乗せて、大きな鍋を覗き込む。フッ素加工の鍋は、煮詰められた小豆で満たされていた。

「もう暫し待っておれ、マスター! …待てぬか?待てぬなら、味見をさせてあげてもいいんだけど!」

 待てる。そう返せば、茶々は笑って鍋に向き直った。
 
「マスター、とっても良い子だし!」

 向けられた言葉に、わたしは少しむず痒くなる。
 自分はもう良い歳をした大人で────いや、それ以前にわたしは魔術師だ。元より、他者から愛情など与えられなくて当然。しかも幼子にそのような事を言われて、とても居心地が悪い。

 なんとなく座りが悪いまま待っていれば、茶々は台から徐に降りた。そしてわたしに皿とスプーンを手渡して、先に着席するよう促す。
 素直に従って縁側に腰を掛ければ、茶々も並んで座った。
 
「うむうむ、茶々の料理はすーぱーさいこー結構なオテマエ。
 ほれ、そなたも遠慮せず飲めばよい。冷める前に、頂いちゃって!」
 
 ぐいぐいと茶々はおしるこを押し付けてくる。お椀によそわれたあんこが甘い香りを漂わせ、口に含めばやはり甘い。だがそれはしつこくなく、まったりと上品な味である。
 おいしいと素直に零せば、彼女は笑う。
 
「ふっふん、やっぱり茶々のおしるこはサイキョーなのよね」
 
 おかわりもいっぱいあるし!と茶々はお椀に並々と注いだ。
 温かい手料理を無碍にするほど、わたしは非情ではない。礼を言って口に運ぶ。まるでままごとのようだと思いながら、けっこうなおてまえだと告げれば、彼女はにっぱりと日輪のように笑った。
 
「よく食べ、よく寝、よく笑うが良いし!このお茶々が許す!」
 
 暫くわたしがおしるこを啜っているところを眺めていた茶々は、自分もお椀を手にし、よっこいしょとわたしの膝に収まった。
 小さく、柔く、彼女は温い。サーヴァントと言えど、やはり彼女は子供の姿をしているので、うとうとと眠気が襲ってくる。
 
 眠り落ちそうになったところで、額に手が置かれる。ゆっくりと頭を往復して、わたしはあやされるように撫でられていた。
 驚いて目を開ければ、茶々は自身の目を擦りながら呟く。

「…安心して眠るがよいぞ。この茶々が、可愛いそなたを見守っておるゆえな」

 彼女の頭は船を漕いでいる。
 わたしは茶々を持ち上げて移動すると、壁に寄り掛かった。これならば、万が一寝落ちて倒れたとて、そう派手に転倒することはあるまい。

 それにしても、茶々は随分大人びた事を言う。
 ちいさな子供のお守りをして居るのは、わたしの方だというのに。彼女はおままごとでもしているつもりなのだろうか。


 茶々はある日こう言った。

「ねえねえマスター。茶々、これ食べたいんだけど!ちゃちゃっと支度して!」

 賃貸に入っていたチラシを見たのだろう。彼女が見せて来た紙には、アイス屋の集客イベントが記載されていた。
 わたしはバスの時間を調べる。この辺りは田舎だから、少し遠くにしか子供が喜ぶようなチェーン店は無いのである。
 
 そうして三十分ほどバスに揺られて、彼女と共に大型ショッピングモールに来た。茶々は普段からよく抱っこをせがむので、道中も持ち上げっぱなしである。おかげで、手が痺れてしまった。

 入り口の前で彼女を下ろすと、茶々は満足げに降り立った。ここからは自分で歩くらしい。
 入って暫くは彼女の数歩後ろをついて歩いていたが、不意に茶々は振り返って片手をあげた。少し怒っているようである。

「なにをぼんやりしておる!逸れちゃったら、困るんだけど!」

 わたしは小さな手を握って、茶々の後ろを歩いた。彼女はこの町のことを何も知らないが、わたしもこの施設のことをよく知らない。
 引かれるままに歩いて、フードコートに辿り着く。そしてアイス屋のメニュー表をじいっと見た茶々は小さな指を頬に当てて、深く悩んでいる様子だった。

「思うがまま、みっつ頼んでも良いけど…こういうの、いっこ食べるからおいしいのよね」

 随分と大人びた意見である。ませているなと内心思っていれば、茶々はその丸い目をわたしに向けた。

「そなたはどれにするの?」

「食べないよ」

「ええー!なにゆえ!?マスター、甘味きらい!?」

「違うよ。わたしはほら、子供じゃないからね」

 わたしは既に成人していたし、魔術師としても一人前だった。子供が好む趣向品を進んで食す必要などはなく、アイスクリームなどという、食べる必要のないものにコストを割く理由もない。そもそもアイスなど食べない家庭だったから、馴染みがない。
 だから不要なのだと茶々に言えば、彼女は怪訝そうにわたしを見た。

「でも、そち…」
 
 茶々は何かを言い掛けて、口を噤んだ。
 少しの間「うあー」とか「ええー」とか唸って悩んでいたが、結局特に何かを言うことはなく、アイスのショーケース前に移動する。
 
 注文を尋ねて来た店員に、彼女はなぜか此方を見ながら注文をした。
 ひとつひとつ指差して「そなたはどれがよいと思う?」と尋ねてくるので、わたしは子供が好きそうな色合いのものを何個か選ぶ。

 茶々は言われるがままに「じゃあそれと、それと…」と順番に頼んで行って、いつのまにかアイスは三つどころでは無くなっていた。
 わたしはカップに積み上げられたアイスを受け取って、茶々と共にベンチに腰掛ける。スプーンは何故か二つあって、茶々は一つをわたしに握らせた。

「ええっと」

 今度はわたしが唸る番だった。茶々はニコニコと微笑んで、早く食べろと急かしてくる。
 恐る恐る口に含めば、それは甘くておいしかった。なんの味だかは分からなかったけれど、色とりどりで可愛いし、見てるだけでも楽しくて、甘くておいしい。
 一口、二口と食べ進めるわたしを、茶々はただ黙って眺めている。

 わたしは居心地が悪くなって、スプーンをアイスの山に突き刺した。

「遠慮などせず、気にせず食べればよい。茶々ひとりじゃ、食べきれないし!」

 茶々は自分のスプーンで山を崩して、わたしの口元にアイスを持って来た。少し垂れかかっていたので、慌てて口に含む。やはりそれは、甘くておいしかった。
 
 しかしアイスを食べているのはわたしばかりで、茶々は全然口にしていない。
 それどころか、彼女はバスで「小豆か、抹茶か…」とずっと悩んでいたのに、沢山の種類の中にはその二つが入っていなかった。茶々が食べたいと言っていたのに、これでは。

 無意識に不安そうな目で茶々を見ていたのだろう。彼女は空いた方の手で、わたしの頭を撫でた。

「よいと言うておる。そのような顔をしては、わらわも哀しい」

「これじゃ、わたしばっかり…」

 茶々はわたしを許したが、それでも不安だった。私は大人で、魔術師で、茶々は子供で、アイスは必要のないもので。
 そもそも、こんなところで“楽しいこと”なんか、するべきではない。魔術師には娯楽なんて要らない。わたしに与えられたのは、聖杯を獲るという使命だけ。これらは、ぜんぶ不必要なことで。
 
 纏まらない考えが頭を渦巻いて、焦る気持ちだけが残っていく。喉が上擦って、声が出ない。
 それでも茶々はただ穏やかに、わたしの頭を撫で続けていた。
 
「でも、食べたかったんでしょ。茶々も、そちが食べたいやつが良かっただけだし」

 茶々はやさしく微笑んで、そう言った。そうして静かにアイスを口に運ぶ。
 わたしは、何も言葉を返せなかった。

 ▽
「そういえば」と茶々は口を開いた。
 夕暮れの道に、伸びる影が二つ。大人のものと、子供のものが揃って並んでいる。わたしたちは既に商業施設を後にしており、後は賃貸まで歩いて帰るだけであった。
 
「マスターは何故に聖杯を求めておる? わらわは暫くそなたを見ておったが、願いというものがてんで分からぬ」
 
 問われたので、わたしは答える。己の経歴と、聖杯を求める理由を。
 茶々には分からないかもしれないが、一応説明しておくのが誠実であると思ったからだ。
 
 わたしは魔術師の家系の次女である。
 長男が居て、長女が居て、次女。上に二人も居たものだから、後釜としても予備としても交配の道具としても不要であった。だから家督を持つ母からは見向きもされず、居ないものとして扱われて来た。
 
 だけれど長男は素養が無く、長女は事故で命を落としたらしい。そうして初めて存在を認められたわたしは、己の有用さを示す必要があった。
 そうしなければ、また捨てられてしまう。だから命を棄ててでも、母に報いなければならない。
 
 金属がひしゃげる音がする。茶々に持たせていた水筒が、人ならざる怪力によって割れたのだ。
 わたしはそこで漸く、こんなに小さな子供でもサーヴァントであったと思い出した。
 
 茶々の手がするすると抜けて、数歩遠かった。わたしはどうすれば良いか分からず、その背を追うように付いて歩く。

「そなたは、それを正しいと?」

 静かな声だ。茶々の鈴の音のような高い声が、激情に寄って抑えられている。

「わたしは家の役に立たないと」

 肯定の意である。それを聞いた茶々は、目を吊り上げた。血が出るほどに唇を噛み締めて、小さな拳が白くなるほど強く握る。
 彼女は鬼の面を付けたおふざけとは違い、本当に心の底から怒り狂っていた。
 
「ふざけたことを申すな」

 歩いて来て、わたしの頬を引っ叩く。もみじのように愛らしい手で、強く引っ叩く。
 こちらの頬よりも、赤く染まった手のひらが痛々しい。童の柔肌は、サーヴァントであっても柔らかいからだ。
 
「武士の言うことは理解が出来ぬ。貴様たち魔術師もだ。子を愛さぬ母など、母では無い」
 
 激情に燃えた瞳で言う。それが炎のように揺らめくのは、彼女が涙を堪えているからだ。
 茶々は哀しさを滲ませた目でわたしを見る。叩いたのは茶々の方であるのに、告げる彼女は誰より痛ましい顔をしている。
 
「目を覚ませ。そのような女が、そなたの母であるはずが無い」

 わたしはその呼び掛けに頷けず、沈黙することしか出来なかった。
 口を開いても、言葉は出ない。息の出来ない魚みたいに口を開閉するばかりで、身体は鉛のように重く冷たい。

 茶々は目を伏せた。小さな手でわたしを抱き寄せて、頭を撫でる。

「痛かったろう。何も言わずともよい。そなたは、よいこ。泣き止むまで、わらわが抱いてやろうぞ」

 泣いてなど居ない。涙など出ない。茶々の言葉は嘘だ。
 そんなもの不要だったから、流れる筈もない。魔術師に必要なのは、家の役に立つかどうか。それだけ。それだけだというのに。

 わたしは心の声に蓋をする。そんな事を思ってはいけない。わたしが、魔術師が、そんな事を望んではいけない。
 だけれど一度はがした瘡蓋は、その中身を流出させてしまう。

 ────貴女から産まれたかった。貴女の子として、貴女に愛されたかった。

 それを言わず、言えず。わたしはただ黙って、そこにいる。

 

 日々は当然終わりというものがある。出会いがあれば必ず別れが来ると、わたしは薄々分かっていた。
 以前の激昂など無かったように、さっぱりと笑顔を振りまいていた筈の茶々は、炎のような鮮血に濡れている。
 
 聖杯を取るため駆け出し、功を焦った愚かなわたし。誰の目から見ても、不要な人間。茶々はそんなものを庇い、負傷した身体で宝具を放ったからだ。
 
 絢爛魔界日輪城。
 彼女の宝具であり、未来永劫彼女を赦さぬ炎の城。
 わたしは茶々にそれを使わせる気は無かった。彼女は、過去の話を嫌う。息子の話を嫌う。終わり行く豊臣の話を嫌う。
 思い出させる宝具を切らせることなど、したくなかったのに。茶々は自分の意思でそれを使った。
 
「…ちこうよれ。わらわに、顔を見せておくれ」
 
 落ち着き、慈愛に満ちた声。死の際に居るというのに、錯乱するわたしを宥めるような声だった。
 わたしは知る。知っていた。それと向き合うのが辛いから、認めてしまえば、わたしの寂しさを認めてしまうから。

 見なかったふりをしていただけなのだ。茶々が狂っていたことを。子供の器に入っていた人格は、幼子などでは無かったのだと、本当はずっと理解っていた。
 バーサーカーのクラスが彼女に狂気を与え、普段の精神を退化させていた。時々正気に戻って、わたしの心を酷く揺さぶった。それが、答えであった。
 
「よくぞ生き延びた。そなたは強い子。わらわが褒めて遣わそう」
 
 よいこ、よいこと小さな童の手がわたしの頭を抱き、撫でた。
 子供にしか見えぬ手で、子供にしか聞こえぬ声で、彼女はわたしを褒めてあやす。母の顔と口ぶりで、宥めるように。
 
「茶々…なんで、私なんかを庇って」
 
 彼女は痛いことが嫌だと言っていた。
 命の奪い合いは、哀しいことだと言っていた。びっくりするくらい平人だと、わたしのことを言っていた。贅沢三昧出来ないのはつまんないと文句を言っていた。
 
 では何故、どうして、わたしのことを庇って倒れているのか、理解が出来なかった。
 茶々を見やれば、彼女は微笑む。
 
「おろかなことを問うな。そなたを守るのは、当然のことであろう」
 
 小さな母の手が、わたしの頬に触れる。慈しむようになぞった手のひらが、血の線を描く。
 
 そなたは。
 か細い声が、優しく囁く。
 
「この母に、愛されているゆえな」
 


 消え逝く茶々はそう言った。
 彼女は確かに、母親だった。
 
 わたしのサーヴァントは、武士でなく、軍師でもなく、傾国の疫病神などでもなく。ただ、己が子を守ろうとする母であった。
 
 本人の申告通り、金には縁があるらしい。
 消える彼女はちゃっかりと黄金の杯を握っていた。にししと笑って「これで茶々の分のおしるこをよそうし!殿下が派手好きなのよね」とか。そんなことを言うのだろう。

 既製品のおしるこを買ってはみたものの、黄金律の彼女がそれで満足する筈も無い。自分も一口飲んで、茶々の味とは全然違うなと苦笑してしまった。
 昔ならそれで良かったのに。趣向品として十分だと思っていたのに。わたしは母の味を知ってしまったから。
 
 茶々と引き換えに聖杯を手に入れたわたしは、それを知らせずに家に帰る。
 負けたが命は拾っている。そう師に言えば、すぐに家を追われた。恥知らず、貴様など不要と誹られる。
 そうして締め出された家の外で笑ったのだ。ああ、本当に。あの女など、母ではなかったのだと。
 
 程無くして、管理局の方から結果が回ったらしい。
 わたしが聖杯を持っていることも明るみになり、今度はあちらから連絡が来る。
 
 “愛しい子、よくやりました。出来ると思っていました、私の子。“
 そんな言葉が使い魔に乗せられて、わたしの元に届いた。
 
 欲しかった言葉だ。ずっと、そう言って欲しかった。愛していると、抱き締めて欲しかった。金より、聖杯より、何より求めていたものだった。
 だけれど、今その言葉は金にも遠く及ばない。愛の時価はとっくに暴落して、もはや路傍の石にも等しい。
 わたしはもう迷わなかった。それらを全て唾棄すると、妙に清々しい心地になる。
 
 ────だって。
 わたしは既に持っているのだ。ずっと欲しかったものを。黄金よりも輝くわたしだけの宝物を。
 
 魔術工房に帰れば、作りかけのおしるこを見つけた。それは数日前のものであるが、鍋にはわたしの編んだ保存魔術が掛かっている。それは腐らず、甘い香りを漂わせていた。
 魔術師にこんな無駄な事をさせて!と思ったことが遠い昔の事のようだ。
 
 側のメモにはレシピが書いてある。
 茶々の秘伝の調理法。大変達筆な文字で“愛情をいっぱい入れちゃってよね!”と記載してある。
 
 今思えば、わたしの召喚は妥当だった。豊臣秀吉ではなく、その側室の茶々が召喚に応じたのも当然のことのように感じる。
 
 茶々はいつも抱っこをせがんでいた。サーヴァントなのだから、子供のように疲れることなど無いのに。だからそれをずっと不思議に思っていたけれど、今なら分かる。
 本当に抱き締めて欲しかったのは、茶々の方ではない。淋しい、わたし。
 彼女は迷い子を救いに来たのだ。認められたくて苦しむわたしを、愛に飢えるこどもを、その手に抱きに来たのだった。
 
 わたしはおしるこを混ぜる。メモを見て忠実に作ってみたが、茶々のようには作れなかった。諦めきれずに一口飲んでみたけれど、やっぱり違う。
 なんだかしょっぱい味がするのだ、不思議なことに。

 
[chapter:茶々と愛されるこども]
 蛇足です。聖杯戦争が終わった後、なんだかんだカルデアで再会したっていう設定。茶々に記憶はない。

 
 突出した茶々を引っ張り上げたのは、カルデア職員の女であった。
 
 茶々をかじろうとしたキメラは、幾重にも張られた障壁で挟み撃ちにされている。練られた飴細工のように細く薄い魔術であったのに、彼女はそれを合わせてエネミーを刻み砕いて行く。
 それだけで、己がマスターよりも卓越した魔術の腕があると分かるには十分。魔術師を見上げれば、柔らかく彼女は微笑んだ。
 
 たまに茶々のお汁粉を貰いに来る、無邪気な笑顔の女性。それが茶々から見た、彼女という人物である。
 だからその仰々しい魔術と、いつも笑顔の彼女が脳内で中々結びつかない。
 
「戦えたんだ。てっきり、マスターみたいな平人なのかと思ってたし」
 
「こう見えて魔術師だからね。それなりに武闘派なんだよ」
 
 ポケットから出したキャンディケーンを杖のように振るう彼女は、どう見たって非情が常識の魔術師には見えなかった。
 可愛らしいポップな飴の棒。それを茶々の手に握らせる物だから、一般的な魔術師像とはあまつそらなりすぎている。
 
「ええー、見えなーい。だって普通なんだもん。修練場にだって、今日初めて居るの見たし。
あっ、悪いことって言ってるわけじゃないのよ。これからも、出ないなら出ないでそれがよい」
 
 そう。わたしは絶対にサーヴァントより前には────人の領分を超えた最前線には立たない。
 誰がなんと言おうと無謀も蛮勇もしないし、リスクは最小限にする。命を捨ててまで戦う気は無く、臆病者と謗られようがなんだろうが、生きて帰る事を目標としている。
 
 それを語れば、茶々は「へー」と嬉しそうに言った。
 
「でもそれ、なんで? 悲しい事であるが、そう生きることのなんと難しいことか。
それほどの信念、天晴れであるが…通す迄に苦難があった筈であろう。それは、余程の事に違いない」
 
「母に褒められたんですよ。よくぞ生き延びた、ってね。
わたしはまた褒めて欲しいから、死ぬ訳にはいかなくて」
 
 童女の顔ではない。狂った母親は、この世の何よりも優しい顔で、茶々を持ち上げるわたしを抱き締めた。
 小さな手が頭を撫でて、細めた瞳がいとしさを向ける。そこには慈しみがあり、わたしへと向けられた暖かさがあった。
 
「そなたの母は、優しいお人であるのな」
 
 わたしは少しはにかんで、彼女に返事をする。
 
「ええ。とても」
 
「うむ!茶々から見ても、そなたはとっても良い子だし!自信満々、余裕綽々、はなまるカルデア職員なのよ!
魔術師っぽくなくて、一生懸命で、茶々はそなたがとっても大好き!」
 
「わたしもわたしが好きです。貴方が褒めてくれる、わたしが」
 
 茶々は無邪気に笑った。その顔は子供のようだったけれど、母のようでもある。
 わたしはそんな彼女が、この世のなにより大好きだった。
 
「よい!殊勝な心掛けよな!これからも、そうあるべしだし!
誰に何を言われようとも、この茶々が許すゆえな!」
 
 勿論。そう微笑んで返す。
 
 きっとわたしは、ずっとそうある。何が起きても、誰にどう言われても。
 だってわたしは─────わたしという、こどもは。今も昔も、あなたに愛されているのだから。