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沖田さんとマスター

「新撰組一番隊隊長、沖田総司!只今すい、」

口上を名乗り切る前に、かふっ、と勢いよく吐血したのはナマエのセイバーである。
沖田総司。幕末の剣士。その絶技は正しく天才のそれであったと語り継がれている。

桜色の髪に、錆色の瞳。
緑青の色をした羽織は、彼女の可愛らしい印象を爽やかに整えている。

全然関係無いが、沖田総司は絶対に男だと思っていたので、名乗られたナマエは宇宙猫になった。
やっとの事で現実に向き合えば、やはり美少女。脳がエラーを起こす。
しかし纏う雰囲気は一般人のそれでなく、何処か鋭利なものであり、彼女は本当に沖田総司なのだと受け入れることが出来た。

そして何より、彼女は病弱であった。
ナマエの弟と同じく、酷く儚い身体をしている。

ナマエの弟は天才と言われた魔術師である。
若くして目覚しい才覚を評価され、将来は必ず大成すると太鼓判を押された程の若者だ。
魔力量は申し分無く、頭の回転も早く、魔術回路も優れている。だが形式に囚われるような固い頭では無く、斬新な切り口で、新たな論理を提唱する。そんな未来明るい魔術師であった。

しかし、神は試練を与えるものである。
ナマエの弟は、その有り余る才能を使うことが出来ない身体であった。

魔術を使役しようとガンドを練れば、肺が軋み過呼吸を起こす。魔力を送るために回路を回せば、オーバーヒートを起こし熱暴走する。
優秀な素養を使いこなすには、余りに肉体が脆すぎたのだ。

それを痛ましく思い、惜しく感じ、そして何より。無慈悲に死に行く弟を拒んだのは、ナマエのエゴだった。
弱く、脆く、満足に遊べたこともない可哀想な弟。魔術師として等どうでも良かった。才能など無くたって同じことをする。
ただ理不尽に選ばれ、何も成し遂げることなく消える命を不憫に感じたのだ。

それを沖田総司に話せば、彼女は神妙に言う。

「私も、その気持ちは痛い程分かります。道半ばで倒れ、何も出来ずに終わる。それは酷く、無念で悲しい」

貴方の剣になりましょう。
桜の花に似た彼女は、涼やかに言った。

沖田さんは物悲しい運命を背負ってはいるが、その本質は明るく無邪気な若者である。
団子をはむはむと頬張り、ご機嫌に足を揺らす。
甘味が好きだと公言している沖田さんは、現代のお菓子も好んで食べる。だがしかし、一番好きなのは団子のようだった。なのでナマエはなるべく団子を選んで買って来ている。

「いつもありがとうございます、マスター!いやあ、現世は良いですね。レンチンすれば、何時でも温かい団子が頂けるとは!」

三本入りイチキュッパの御手洗団子である。
ナマエはいつも一本だけ食べ、沖田さんに二本あげている。
最初こそマスターより多く頂くなんて、と渋っていた彼女だったが、ナマエは別に甘味が特別好きではないと言えば「仕方ないですねー!仕方ないですねー!」とご機嫌で頬張った。
それがなんだか面白くて、何度も団子を買ってきてしまう。

そうして毎夜、英気を養うのであった。
元々は他陣営監視のすがら時間潰しに始めたことであったが、今では此方が楽しみになっている。使い魔経由での試合観戦。沖田さんが長期戦に向かない以上、こうするのが最良だったのもある。時と場合に寄ってはハイエナにシフト。幸いなことに沖田さんもナマエも、勝てば官軍と思っている。
ベランダに出て団子を突くのは、最早習慣となっていた。寒く無いか、と問えば彼女は笑って答える。

「平気ですよ!沖田さんは無敵ですから」

嘘だ。顔色が少し悪い。
サーヴァントには体調不良など存在しないと思っていたが、彼女の場合は別であった。
逸話があまりにも有名なため、最早呪いに等しい形で付随する病魔。それは常に彼女を蝕み、ナマエの心を締め付ける。

己が膝に乗せていた毛布を寄越せば、沖田さんは驚いてそれを押し返す。

「い、要りませんよマスター!沖田さん本当に大丈夫ですから、ほら、こんな、」

に。酷く彼女は咳き込んで、口から血の塊を吐いた。鮮血が飛び散り、フローリングを汚す。
驚いたナマエは咄嗟に毛布を押し付ける。そうして立ち上がって、急いで水を取ってこようとした。

だけれどそれを阻んだのは、白魚のような青い手である。
見たことも無いような弱々しい姿で、沖田総司は懇願をする。

「お願い、します。私は大丈夫です、置いて行かないで、くださ、」

縋る彼女にナマエは苦しくなった。
思えば、最初から沖田さんは理解を示していた。このままでは何も成せずに死ぬ弟に。その辛さが分かると言った。
ナマエはやっと理解する。沖田さんはずっと、囚われて居たのだと。ナマエの弟に生前の苦しみを重ねて、それを助けることで慰めようとして居たのだと。

毛布を掛けて、背に手を置いて、一定のリズムで叩く。
暫くそうして居れば、少しずつ咳は収まって、呼吸が緩やかになるのが分かった。落ち着いたのを見計らってナマエは言う。

「私は貴方に無理をして欲しくない」

そう強く伝えれば、沖田さんの顔が歪む。
咳き込んでいる時よりも辛そうに、悲しそうに歪む。だけど、とナマエは続けた。

「沖田さんを止めることは、わたしには出来ません。だって、それが望みだと分かっちゃったから」

ぽつり、ぽつりと零す。
沖田さんの手は酷く冷たく、死人のよう。
許せないのは、彼女が脆いことではない。悲しいのは、彼女が蝕まれていることではない。

「だから、聞いてくれますか。マスターではなく、ナマエという人間からのお願いです」

冷えたそれを両手で包み、錆色の瞳を覗き込んだ。
逃さぬように、正面から彼女に言う。

「辛い時は必ず言って。わたしは、貴方の苦しむ姿を見たくない」

沖田さんは何も言わなかった。
只々黙りこくって、為すがままに温められている。

最後の時は訪れる。

出会いが偶然であっても、運命であっても。
別れだけは、必然である。
だって聖杯の儀式は、贄無しでは完遂しないのだから。

七つの霊器に、膨大な魔力。それら全てを器に注ぎ込んで、儀式は完了を迎える。
セイバーに最初から説明していたことであった。六体全てを倒し、我々が勝利した時。貴方の命もまた、器に焚べる定めであると。

沖田さんは良いと言った。最後まで戦い抜ければ、それこそが本望であると。
そうしてその時が訪れても、彼女の心は凪いでいる。絶望の果てに沈んでいるのは、彼女から命を奪うナマエの方であった。

それを見抜いた沖田さんは言う。
胸を張れ、貴方は間違っていないと。戦い抜いた戦士なのだから、望みを叶える権利があると。だが、それでも。間に結び付いた友情が、ナマエの喉を乾かした。
そうして何にも言えずに令呪を撫でるばかりの魔術師を叱責するのは、いつだって肩を並べた英霊であり、掛け替えの無い友人である。

「いいですか」

沖田さんは可愛らしくも凛々しい声で、ナマエの名を呼ぶ。
錆色の瞳が逃げることを許さない。酷く冷たく、そして泣きたくなるような優しい色をしている。

「私は貴方を尊敬こそすれ、怨むことはありません」

ナマエの手を握り、彼女は笑った。
彼女はナマエが不安で押し潰されそうになると、微笑みながら手を握った。白く細く、だけれどマメだけは何度も潰れて硬くなった手で包み込んだ。そうしていつもナマエを励ました。

「貴方は私のマスターでありますが、貴方は私を止められないと言いました。ただのナマエさんとして、細やかなお願いを言いました。私はそれが、とても嬉しかったのです」

沖田さんはナマエを抱きしめ、背中を叩く。
「ですから、友人として言わせてください」綻んだ頬が、緩んだ目が、ナマエを捉えて離さない。

「貴方の行く末に、幸福がありますように!」

沖田さんは微笑む。
春の日差しのように、温かく、柔らかく。だけれど彼女の肌は白く、今にも無くなってしまいそうな桜の色をしている。
ナマエの行く先に彼女は居ない。それを思うと、やはり辛く、悲しい。だけれど、そうしなくては戦った意味が無い。彼女の勝利の意味が無い。ナマエが取れる決断は、最初からひとつしか無かったのだ。

ナマエも微笑む、酷く不器用に。
それが手向けになると信じて、歪な笑顔を作るのだ。

 

沖田ちゃんはサーヴァントである。

対するナマエは、遠い昔に魔術師であった一般人である。
病気の弟が居て、それは科学でも魔術でもどうにもならないものであった。それでも救いを望んだ人間が、聖杯を求めるのは道理であろう。
例え魔術師らしからぬ動機と謗られようと、血を分けた肉親の命は何物にも変えられない。

そうして喚んだのが、病没した沖田総司という剣士であったのは運命だと思った。

彼、ではなく彼女。沖田もまた、病に倒れた若者である。彼では無く彼女であったのは流石に想定外であり、些かどころか大変驚いた訳であるが、そんなことは些細な問題であった。ナマエの弟の不憫さを、彼女は知っていたからだ。
沖田総司は生きる辛さ、救える可能性、道半ばで消える哀しみ。その全てに理解を示し、戦いを承知した。

「貴方の行く末に、幸福がありますように!」

彼女はナマエのために戦い、そう祈って消えた。ナマエが死ねと命じたからだ。
最後まで戦い抜けたことを感謝して、彼女は消えた。ナマエが令呪を切ったからだ。

そうして彼女は消失した筈だった。
霊器は此処で絶え、ナマエの知る彼女は永遠に失われた筈だった。

しかし数年後に現れたのは、彼女に良く似て異なる人。それが沖田ちゃん。
魔神沖田総司オルタちゃんと名乗った彼女は、何をするでなくナマエと共に過ごしていた。穏やかで優しい日々であった。

「貴方はとても優しくて、温かい魂だ」

沖田ちゃんはいつもそう言って、おでんを頬張る。彼女は何故かおでんを大変好み、いつでも食べたがった。
…流石に連日はナマエが厳しいので、週末は必ずおでんを作ると約束した。沖田ちゃんは大変喜び、日曜日になるとそわそわとする。
彼女はナマエよりも大きく、大人びた姿をしていたのだが、まるで妹が出来たように嬉しかった。

いつの日か、沖田ちゃんは何故ここに居るかと問うたことがある。
彼女は団子を頬張りながら「役割のためだ」と言った。

「貴方を護ることが私の願いであり、貴方を何処にも行かせないのが私の務めだ」

何処か幼く、ふらふらと頼りげ無い彼女の、酷く真っ直ぐな言葉であった。
礼を言えば彼女は笑う。綺麗に笑う。どこか哀しげに、儚く微笑むのだ。

本当は知っていた。彼女は死神で、ナマエの命を摘み取りに来たのだと。

弟は天才であった。
病さえ無ければ、素晴らしい魔術師になっていた。実際、病が消失した後は、ナマエをすぐに追い抜いて行く。たった数年で、根源に近い存在になっていた。
だがしかし、根源に触れるほどの才覚は無かったのである。彼は、真理に近付いた者としては認定を受けても、それから身を守れる境地には至れない人間であったのだ。

そうなった彼が取った選択は、“継承”である。

別の人間に継がせ、次に進む事。
刻印として遺し、次の人間が至る事。
哀しいことに、ナマエとは在り方が違ったのだ。ナマエが繋げた命を、魔術の為に棄てたのだった。

沖田ちゃんはナマエに刃を向ける。
鋭く、長く、細く、命の灯火のような錆色を、喉へと向ける。

よく晴れた土曜日である。
弟が死んで、一年と少し。
沖田ちゃんが来てからも、一年と少し。
彼女がやって来たのは、研究の佳境であった。最後の一手の前に、彼女はやって来た。
だから合間を縫うよう、ゆっくりゆっくりと研究を重ねた。彼女はナマエと遊びたがったからだ。その理由は酷く優しく、そして哀しい。

「貴方の命は何処へも行けない」

「そう」

「二度と巡ることは無い」

「うん」

「無窮の中で回り続ける」

「そっか」

根源に到達した者は決して存在を赦されない。それを知ることは、世界にとっての脅威となり、破滅を招く災厄となるからだ。
ナマエは天才では無かった。しかし、弟の至れなかった“一”を満たすことは誰でも出来た。それだけのことだった。

「至らないで欲しかった」

ぽつりと沖田ちゃんは呟く。
沖田ちゃんはナマエが根源に触れないことを望んでいたが、それは無理だと分かっていただろう。ナマエは弟を無碍になど出来なかった。彼の命を無駄とはしたくなかった。最初から。最後まで。
そうなれば、彼女は抑止の守護者。世界に仇なす不確定要素は排斥しなくてはならない。そう運営するように、ガイアが定めている。

それは、無理だよ。沖田ちゃん。
告げれば彼女は哀しげに笑う。知っていた、と短く答える。だからこそ、と剣を取る。

「私も、私だった彼女も、貴方のそこに惹かれたのだ。貴方の魂の哀しさを、煌めきを、とても好きだと感じたのだ」

酷いことをしていると思っていた。
自分のために戦ってくれた人を、切り棄てる選択を取った己を。
だけれど止まることは出来なかった。迷ったナマエを叱責したのは、他でも無い沖田総司であった。

彼女はやはり、沖田総司である。
姿が変わっても、記憶を失っても、在り方から違っていても、ナマエの喚んだサーヴァントであった。

震える沖田ちゃんの刃を握り、喉へと向ける。息を飲む音が聞こえた。ナマエは背中を押してやらねばならない。
子をあやすように、言い聞かせるように告げる。

いいですか。私は貴方を尊敬こそすれ、怨むことはありません

沖田ちゃんは目を見開き、哀しげに見つめる。きっとナマエは微笑んでいるだろう。晴れやかに、春の日差しのように。散り行く桜のように。

愛した英雄に送る最後の言葉。
それはナマエに、彼女がくれた永遠だった。

 

※2019年夏頃に書いた帝都鯖と聖杯戦争がテーマの連作です。当時居た全鯖分あった筈なんですけどデータ無くして草