だいすき新潟。ナシテくんじゃんけん、じゃんけんポン。
5の謙信さまと新潟県のミスマッチが大好きで書いたので、一生ローカルネタが登場します。限りなく怪文書なのでご了承ください。
※全てのローカルネタはフィクションです。うそ。埼玉から2万光年翔ぶと新潟に着きます。うそ。新潟は半径1万光年くらいあります。ほんとです。
「やるのであれば、正々堂々と申し込むがいい」
ナマエと女中の前に、短刀が二本転がって落ちる。
女中────先程までナマエと揉めていた女は、ドン引きした顔で謙信さまを見た。
上杉謙信って、もしかして頭おかしいんじゃねえのか。
ナマエの率直な感想に、心の中のお館さまが「そうだ」と同意した気がした。
▽
ナマエは女子高生であったが、突然の交通事故で戦国社会にトリップした元現代人である。
元々、行き倒れていたところを春日虎綱さまに拾われたのだが、ナマエに乳が無くたまたま少年のような格好をしていた為、お館様────武田信玄さまから遠ざけられていた。
以降は適当に武田の軍勢に加わり、信玄さまの弟君である信繁さまに仕えていたのだが、川中島の際に乱取りで捕まり、そのまま越後へ。
余談であるが、山挟んで親方さまとバチクソやり合ってるというのに、上杉軍は暇さえあれば弾琴してウキウキであった。ピョエエ、こわE。
乱取りで捕まった女は、大抵ロクなことにならない。
武田はお館さまが「諏訪大明神が乱暴狼藉を止めろと言っている」と天才的な奇策を流布したので、最近はそんなに乱取りしてなかったが、他はやっぱりそうでもない。
戦国時代というのは、無法。すごくやばい。有名どころは意外にも、あの第六天魔王の織田信長くらいしか乱取りを禁じていないのである。
それは上杉も類に漏れずそうで、義を掲げようとそんなもんかとナマエは思っていた。
ナマエは売られるなりなんなりされるかと覚悟していたが、上杉軍では捕らえた捕虜はその場で売却、連れ帰った町民は普通に農民として解き放たれるらしい。そうでなければ、格安で釈放。
めちゃくちゃである。じゃあなんで捕まえたんだよと思わんでも無いが、人を抱えて国境を越えるのは馬鹿みたいにコストが掛かるからであろう。
しかし曲がりなりにも武田の軍勢の末席に加わり、信繁さまの代わりに雑務をしていたナマエは放逐とは行かなかったらしい。
結局上杉の家に女中としてブチ込まれ、こちらでも変わらず帳簿を付けたり人に読み書きを教えたりしていた。
だがまあ、元々武田に仕えていたとなると、周りの者の視線は痛い。
幸いながら謙信さまや綾さまはナマエと他を同じように扱ったが、それがまた他者の気に触るのだろう。
結果、女中にしょうもない嫌がらせを受けたナマエは、ブチ切れて女にビンタを食らわす。
しかし女も図太く、突然被害者ヅラを始めた。当然ナマエは更に怒り、大声で女を罵った。
「はあ!こっす!こっすい!そんげばっかしょうしねえ真似してしょうしいと思わないんですか!?
元はと言えば、半分はおめーのせいですよね!急にかずけやがってねえ!だすけ性根がねじまがっとるんですわ!」
ギョッとした女は、真っ先に「あんた、甲斐の人間じゃ…」と宣う。
「地元の人だったら言うのやめるんですか!?そんなら、最初からしねばいいのにい!」
しねばのイントネーションはし↑だ。死ねでは無く、し!しなければのし!
甲斐に落ちて来ただけの越後の人間なんだが?と内心キレたが、「ほんっとにこの土地の人間は内弁慶ですね!」と煽りに転じる。
しかし言ってからなんだが、誹りがデカすぎる。別にみんながみんな余所者に冷たいわけでは無いと、県民をフォローさせて頂こう。よく言えばシャイ。そう、シャイなのだ。
彼女がビビるのも無理はない。
今まで、余所者には分からないと彼女らは散々方言でナマエを罵って来たが、ふっつーに越後の出身であるナマエは言語がまあまあ理解出来たからだ。
まあまあなのは、謙信さまのご住居とナマエの出身地が平然と150kmほど離れているが為である。
新潟を長岡で一旦へし折って並列に繋ぎ直せればいいのに。あと佐渡にも大橋を掛けて欲しい。佐渡大橋は全新潟県民の夢だ。
そして冒頭。怒り狂うナマエの声を聞き、諌めに来た謙信さまの暴挙に、女が二人押し黙って顔を見合わせた。
短刀を拾うこともなく、女と私は見つめ合った。先程まで揉めていたが、殺傷事件を起こしたいわけではない。
女はそそくさと退散し、ナマエだけがその場に残される。戦いを提案した軍神と共に。
「えっと…」
「そなた、この謙信の従者となるか」
なんでえ?
ナマエはマジで意味が分からず、謙信さまを見る。そのご尊顔は少し険しく、即決即断が常の軍神にしては悩んでいるように思えた。
「なに、不服であれば従わずとも良い。しかし、他の者に阻まれては、そなたの正道が為せぬであろう」
「あ、ああ〜、そうですね。わたしは甲斐から参りましたから、どうしても浮いてしまうようで。そうして頂けるなら、有り難い限りです」
「はっはっは!浮いているのではなく、目立っておるのだ!故、この謙信の目に留まった。それはそなたが持つ華であろう!」
日本史に明るくなく、ふんわりとしか歴史を知らないナマエは、怪しい季節に進軍し補給切れで地元帰ったり、唐突に北条を自国の一部だと主張して小笠原侵攻始めたりする上杉謙信のことを越後の…いや、やめておこう。
とにかく割ととんでもねえ野郎だと思っていたが、存外話の通じる相手で驚いた。
もっとこう、突然関東に出て来て暴れ千切って帰って行く災害みたいな武将で、家臣が話聞かないからキレて出家するような、だいぶロックなお方なのかと思っていたが。
ナマエは戦国から続く由緒正しき荒くれの地、とある地域の出身であり、幼少期より謙信のクレイジーエピソードを聞いて育った故の偏見もあるかもしれない。
破天荒なお話も思ったよりあるし。塩の一点じゃマイナスの方がでかい。
てゆうか、越後が地元だと一生情けの塩のCMくらいしか流れてこないから、それくらいしか善性エピソードを聞かない。
学校サボって家で飯食ってると、情けの名将の心が毎日モナカに託されるのだ。なんで?
いやまあ、親方さまも協定破りとめちゃくちゃなんだが…と武将の悪口を始めたらキリが無いのだが。
現代の価値観で戦国時代を測ってはいけない。それが鉄則であろう。…そうだよね?
▽
「そなたは恥じらいが足らぬ。そのように足を開き座っては、邪なる心を増長させるのみ。故に、この謙信が正してくれよう」
体育座りで座っていたナマエは、謙信さまによって足をガッと閉じられた。
ナマエは相変わらず上杉に居て、謙信さまの側近のような役回りで働いている。
この時代の最新ハイテク機器、前田利家も愛したそろばんをナマエは三級で収めていたからだ。小学生の時の資格がこんな場所で役立つとは、自分でもびっくりである。
いつのまにか、季節が幾つも過ぎ去り、何もかも適当になってしまったナマエは、雇用主である謙信さまにも雑な態度を取るようになってしまっていた。
人生の諦めから来る命知らずな行いを、軍神は戯れと許したからである。
「よいか、ナマエ。背筋を伸ばし、しゃんとするのだ」
「はい…」
「姿勢は心を映す。邪なる心に負けぬよう、日々清心せよ」
「邪なる心ってなんですか」
「清らかではない心だ」
謙信さまは声がデカければタッパもデカい。態度もでかい。
彼は真っ当なようで結構めちゃくちゃを仰られるパワー系軍神であったが、己を律し、他者にも正道を目指させる志の高さは、ナマエも尊敬するところである。
しかし、ナマエの猫背を矯正しようとし、早朝からナマエに太陽を拝ませ、もう塩舐めんなと言っても一生梅干しで一杯やってるのは人間としてどうかと思っていた。
高血圧で死ぬっつうの!と忠言したとて「はっはっは!では、塩は控えるか」と酒は飲む始末。ナマエとくだらない会話をしながら、一生酒を飲んでいる。終わりだ。
因みに、この頃にはもう、ナマエは全く同僚に絡まれなくなっていた。
後で知った話であるが、ナマエは側室のような扱いで認識されているらしい。
あの一生不犯を掲げた謙信さまのお側に侍っているのだから、ちょっかいを出すとか言語道断。ワンチャン、実子が発生するかもしれない。そういう、腫れ物的な立ち位置なのだという。
半分くらい僧侶として生きておられる謙信さまであるが、やはり家臣団的には跡継ぎ産んで欲しいし、出来れば北条の養子でも、綾さまのお子でもなく、軍神自身のお子に家督を継いで欲しいというのが本音なのだろう。
まーそりゃ、あんだけ強けりゃ子供にも期待するわなと、百戦百勝、ほぼほぼ九割勝ってきている軍神を見るとそう思った。
「謙信さまは、本当に奥方を迎え入れないんですか?」
「そうだ。姉上の子は上杉の子。三郎もまた、上杉の子。故、この謙信の血を継がずとも問題はあるまい。
尊きは血統でなく、その在り方なのだ。上杉の正しきは、子らに継がれているであろう」
「まあー、うん。それは、そうですが…」
この様子では、絶対無理である。
いつぞやに千葉采女どのが大変美しい少女を連れて来たが、謙信さまは全く関心無し。ナマエでさえ見惚れる程の可憐さであったのに、謙信さまは全く関心無し。もう終わりである。
柿崎家の景家さまが「あの娘はダメ!」と言うより早く、謙信さまは全く脈無しであると誰から見ても分かる態度を取られていた。伊勢姫様は、マジで超かわいかったのに。
家臣団の気持ちがナマエにもわかる。行く先が不安なのだ。
この方の正道は、正しさは、人の身に余る。仏じみた高潔さは、雪に乱射する陽のような、直視すればこちらが痛むような。そういった類いの美である。
ナマエは謙信さまのご尊顔を手で挟み、非常に見目麗しい容姿に魅入った。溜め息が出るほど整った、端麗なお顔である。美しい御髪も、目が焼けそうに眩い。
現代の記録では、上杉謙信は“威圧されるような、鋭い眼光であった”なんて残っている。
彼はあんまりにも人を真っ直ぐに見られるお方であるので、筆者は恐らくこの眼光…正しきビームに焼かれたのであろうとナマエはちょっと思っていた。
「謙信さま。もっと俗物になっては如何ですか」
言うに事欠いてこれ。ナマエはかなり不器用かつ、肝心なところで色々すっぽ抜けるタイプであった。
「俗物に成れと申すか。この毘沙門天の化身に」
人に頭掴まれても全く気にしない謙信さまは、頬に触れる手を取って、盃を握らせた。豪胆が過ぎる。
そのまま勝手に酒を注いで、ニコニコしている。ナマエは静かに飲み干した。速攻で二杯目がやってくる。
「親方さまがお二人なら、今川ボコ…今川を滅ぼして、半分こにしてます。いえ、お館さまでなくてもそうするでしょう。だって、勝ってるんですから」
「それは上杉の戦ではない」
「で、でもお。謙信さまが上洛して、相手蹴散らして、領土取らずに帰るもんだから、家臣団も嫌がってるじゃないですか。
そもそもこの辺り、雪深くて良い土地じゃないんですから…」
新潟がスーパーお米どころになったのは、割と近年の話である。越後は豪雪がやばくて二毛作どころではない上、どこもかしこもはちゃめちゃに湿地に沼に穴だらけの闇の大地であった。
江戸時代に治水工事で埋めたり引いたりなんだの頑張ったおかげで、現代の新潟県があるのである。
つまり、戦国時代は沼。おしまいの大地であった。
お米だって“鳥またぎ米”…鳥も食わずに跨いで行くなんて悪口が付くくらい、コメも不味いと評判であったのだ。
そんな国じゃ外に領土が欲しいのは当然で、乱取りなんていう出稼ぎ程度じゃ一抹の不安が残る。
幾ら海産物が無限に取れようと、結局石高は米。幾ら海があろうと、築城向きの山間部じゃ海産も期待は出来ない。最終的に、米こそが大正義なのだ。
ナマエは未来から来ていたが、タイムパラドックスとか知ったことではないので、新潟県長野市とか、新潟県富山市とか、新潟県山梨市とか、それでもいいから増やしたほうが良くね?という考えである。
そういう浅はかで野蛮な考えを持って、無茶苦茶な提言をしていたのだが、謙信さまはナマエを軽蔑することはなかった。
「そなたは越後を案じているのだろうが、全く問題はない」
そうして柔らかく微笑みになって、このお人が何考えているかナマエにはサッパリである。
今の一連の失言は、正直開幕でぶっ殺されてても仕方ないと思うのだが。
「越後の民は強いからな。農民たちは皆、この地でも育つよう稲を選別しているだろう」
「ええ、まあ、それは…」
実際それは実を結ぶ。謙信さまが生きる時代の、ずっとずっと後に。
コシヒカリは、現代社会で無から精製された品種ではない。長い年月を掛けて、この地に住まう新潟県民が選別していった稲が、農林1号へと────コシヒカリの片親である、寒冷地用の水稲としてのベースになったのだ。
「長きで見れば、必ず実を結ぶ。この謙信はそれを見守るのみ」
「そう言って政治したくないだけなんじゃ…」
「はっはっは、否定はすまい!なるようになれ、だ!」
実際のところ、政治がしたくないというよりかは、民の“正しき”家臣の“正しき”、そういうものを鑑みて最小限に采配を振るという遣り方なんだろうが…ナマエも謙信さまも言い草が明け透けであった。
清らかな瞳が、楽しげにナマエを見る。
出家なさっているので既に謙信を名乗っておられるが、どれかと言えば景虎が似合う容姿であったし、もっと言えば輝虎さまって感じのお顔である。
その輝く相貌は、深雪のように白く儚く、そして幻想的なものである。まあ肉体見るとゴツすぎてそんなことはねえのだが。
「謙信さまのお顔を見ていると、毒気が抜かれます」
「そうか?私は自分の容姿をあまり気にしたことがない故、分からんな」
そうだろうなと思った。そういう飾らないところが、一層俗世から離れた美しさを持つお方であったから。
▽
来訪が唐突だったから当然と言えばそうだが、この時代から帰される時もめちゃくちゃで唐突だった。
いつものように城下で酒の買い付けをしていたら、突然の暴れ馬が突っ込んで来た。ナマエは避けれる位置に居たものの、目の先には老人。
ナマエの正しきは“現代人の自分より、現地人を救うべき”と言っている。飛び出すのは一瞬で、馬に撥ね飛ばされるのも一瞬だった。
目が覚めたら、普通に病院のベッドで目覚めた。
ひっでえ擦り傷で皮はベロンベロン。しかし幸いにも致命傷などはなく、軽い気絶程度の状態で、ナマエはスッ…と目が覚めたのだ。
なんでも、正しい世界のナマエは居眠り運転に撥ね飛ばされたらしい。
たまたま運良くそれを見ていた友人が居り、且つその友人の知り合いもその場に居たらしく、めちゃくちゃスムーズにドライバーは免停になったのだとか。
ナマエは撥ねられたが、まあ許そうという気持ちである。託児所があって、親切指導の自動車学校で免許を取り直すがいい。
検査入院で数日を過ごしたが、ナマエは事故の規模の割にアッサリと退院していた。
しかし何を食べても味気ない。嘗ては、全てに“しょっぱい!”と思っていたのだが、それは謙信さまが食べることを見越してのジャッジであったと今更に気付く。
自分が食うならどうでもいい。ナマエは結構、普通に謙信さまを敬愛してたのだと今更に思った。
ぼんやり座って、さっき買った清酒をすする。酒だけでは味気ないので、魚と羊でどう読むの?それは新鮮の鮮の字寿司弁当を開けて、巻き寿司を口に入れた。
咀嚼しながら、自販機で買った缶味噌汁も開けようと爪を立てる。親方さまは味噌に拘ってたな〜と、思い出すのは戦国の世ばかり。
カッカッとプルタブに爪が引っ掛かる。戦国で長らく生活していたせいで、日常生活の凡ゆるコツが失われたとも、単に百個分の力が硬いとも言う。
「どれ、私が開けてみよう」
「あっ、親切にどうも」
カシュ!と良い音がして、味噌汁が開封される。辺りに香ばしい匂いが漂って、それだけで酒が進むと感じた。
ナマエは大男から缶を受け取って、口を付ける。ほう、と吐く息は白く、美しい軍神の姿が寒空の下に────。
「うわ!謙信さま!」
「はっはっは!ナマエ、息災であったか!
いや、息災というのは適切ではないか。そなた、元々現代社会の人間だったな。無事に帰れて何よりだ」
あまりにも自然に人の缶スープを開けるものだから、ナマエは一瞬違和感に気付けなかった。
白くたなびく長髪。全てを透かすような瞳。それらは間違いなく上杉謙信さまのものであり、強いて言うならばセーターとダッフル似合いますねという感じであった。
因みにだが、新潟の真冬はダッフルが罷り通らない。これは11月のコーデである。かわいいね。
戦国でのバカでかい声は鳴りを顰め…ることは無かったが、あの時ほど耳を破壊しそうな爆音ではない。
どういうわけか現代社会にも存在する謙信さまは、現代に居ても浮かない程度には世界に馴染んでいた。あんまりにも美しいので、若干の浮世離れはあるが。
「謙信さまは何故ここに」
「待て、敬称は不要だ。今生の私は大名ではない。思うがまま呼ぶが良い。そして改めて、問い質せ」
「謙信さまは何故ここに?」
謙信さまは謙信さま以外のなんでもないだろう。
現代社会に於いても、艶やかな長髪を一括りに結えておられる謙信公は、相変わらず人外染みた美しさをしていた。
結局敬称を付けられたことに疑問符を浮かべた謙信さまであったが「景虎でよい」と仰られた。
「景虎さま」
「そうではなく」
「申し訳ないのですが、謙信さまは謙信さまです」
「現代社会ゆえ、気兼ねなく呼んで構わないのだが…」
「いえ、謙信さまを呼び捨てなんてとても。口頭での無礼を働こうとも、体裁は取りたいです」
「…そなたがそれを正しいと思うのならば、そうするが良いと言う他あるまいな」
若干不服そうである。
元からムッスと口を引き結んだあひる口気味で、それを綾様に「おやおや謙信。可愛らしいお顔ですね」と愛でられていたが、一層むすっとしていた。
「この謙信は、雨の日に酒が祟り…まあ、没したのだ」
さすがの軍神も、高血圧の脳卒中でトイレ死したのは言い辛いらしい。
ナマエは上杉謙信の死没の理由を知っていたが、意地悪したいわけでも無いので黙ってニコニコと見た。
「そして今生、目覚めたら幼子であった。信玄も同じ世代に居ってな。今生は戦で決めるにも時代が許さぬ故、常日頃どちらが真の覇者であったかを言い争っている」
転生したのかとかそれ以前に、おまけのように語られたお館様とのエピソードで草を禁じ得ない。
信玄さまは常日頃「上杉は我らとの戦を楽しんではおらぬか?」とピキっていたが、実際そうであったかもしれないと今生と前世のお館様にナマエは同情した。
「この間はオセロを行った。無論、この謙信が勝利を収めたぞ」
へぇ。八分咲き。泉からトリビアが溢れる。へぇ。へぇ。十七くらい。
「おお、そうだ。ナマエも信玄に積もる話があるだろう。今度甲斐に参るときは、そなたも乗せて行こう」
「ええっと…放生月毛に?」
「はっはっは!我が愛馬に乗せてやりたいのは山々だが、馬では高速道路を走れんだろう!」
北陸自動車道から磐越自動車道に移動して郡山通ってブッ飛ばす気だ!
ナマエは順路を秒速で理解したが、普通自動車で信玄に会いに行く謙信さま、流石に少し面白くて内心でウケてしまった。因みにであるが、市内が出発地なら下道でも所用時間変わらないぞ!
面白かったので流されかけてしまったが、別に謙信さまにそこまでして頂く理由も無ければ、お館様に挨拶がしたいということも無い。
ナマエは「でも、大丈夫です。お気持ちだけ」と軽く断った。
それに対して、謙信さまは大変に神妙な顔をなさった。眉根を寄せ、口を引き結び、綾様にいじられて遊ばれている時のような趣き深いお顔である。
「すまん。私には、そなたの心が分からぬ。故、真っ向から問おう。何故だ?」
なにゆえと仰られても、そもそもであった。
「わたし別に、お館様とそんなに親交なかったので…」
「そうであったか。しかし、元は甲斐に仕えた身。ナマエは越後に居るぞと、信玄に一報するのが摂理と思ったのだが」
「いや、大丈夫です。そんなの報告されても、お館様困るでしょうし」
「そうか。では、単に報告へ行くか。この謙信が信玄めに言いたい故」
謙信さまはナマエの手を取り、口付けをした。はい?
色々言いたいことが駆け巡っていく。結局甲斐に行くんですか?とか、結局ナマエも行くんですか?とか。
色々…本当に色々あったが、真っ先にこれを言わねばなるまい。
「不犯の誓いは!?」
「はっはっは!そなた、いつの話をしておるのだ!」
解釈違いすぎてナマエは発狂した。
謙信さまが、あの長尾の景虎さまが!にょしょうに!女性に傾慕するなど、原作不理解も甚だしい。
その相手がナマエなのもおかしい。もっとこう、歴戦の勇士だとか、強き想いで歴史を動かすような、相応の箔がある武人でなくては納得がいかない。
「いや、あの、謙信さま。気の迷いですよね?ご錯乱でしょうか?」
「何を迷うことがあろうか。この謙信、いつ時も明朗である」
「じゃあなんで、あの時代じゃ御子息遺さなかったんですか」
「景虎も景勝も居ただろう。ならば私が子を為したとて、火種となるばかり。故、あれでよかったのだ」
あんたがしっかり後継ぎ指名しないから、上杉は内輪で揉めたっつうのに…?
ナマエは押し黙った。言わぬが花である。謙信さまは正しかったが、家臣団の正しきはぶつかった。そういう話だった。
「奥方を娶らなかったのは…!?」
「そなたを好いていたからな。其れを伏せ、黙っている方が正道に反するだろう」
初耳である。2メートル級の馬鹿でかい男はナマエを抱き抱え、もう一度口付けを落とした。
さらさらとした白銀の髪が風に揺れて、どう見ても男性であるし筋骨隆々でクソ大きいのに柔らかな印象を与えて頭がバグる。
「いつから…」
「そなたは正道を行く者であろう。春雷のように激しく、誰を前にしようと臆せず檄を飛ばす」
そんなに耳障りの良い言葉で飾り立てられるような物言いは絶対にしていない。
ナマエはもっと薄汚れて、地元へのヘイトが若干見え隠れする思想で人をなじっていた筈である。
「深雪のようだ。静かに積もり、気付いた時には、もう」
新潟の雪に例えられた。それは大変ウェットでやたらと重い感情を表す言葉である。
「そなたが馬に撥ねられ消えたと聞いた時、やはりそなたを愛していると思ったものだ」
愛。遂に愛まで到達してしまった。
ナマエは謙信さまそんなこと言わないやい!と思ったものの、いや、謙信さまは元来博愛主義であったので、まあ愛について理解はあるだろうし語りもするだろうと一瞬で思い直す。
「ところで。私の気など露知らず、そなたは足を開いて座っていたな」
「え!? え、ええ…はい…」
話がブッ飛んだ。戸惑うナマエに、謙信さまは非常に柔らかく微笑んだ。
「あの悪癖は、鳴りを顰めたか」
あっ、これ。直ってなかったらめちゃくちゃ怖いやつだ。