ロイド様と初めてお会いしたのは、黒い牙に入るよりもずっと前、街の片隅で乞食をしていた頃だ。父親を無くし母親には捨てられ、行き場を無くした自分を拾ってくださった。
「なあ。俺のところへ来るか」
暖かくて大きな手が私の頭を撫でた。手に引いて、売り物にもならない痩せ細った子供のごみくずみたいな体に暖かい毛布を掛けてくださった。味のするスープを飲ませて貰った。そして何より、同情なんかじゃない優しい言葉と名前を貰った。その時に私は誓ったのである。この方に人生を捧げて仕えようと。
ロイド様は優しい。私達のような哀れな生き物を拾って、面倒を見て下さる。そうしてそれらが一人でも暮らしていける程に育った時、最後のお情けだと聞いてくださるのだ。「足を洗うのなら今だぞ」と。
酷く甘い人だと思うと同時に、何を言っているのだとも思う。足を洗うも何も、ロイド様に拾って頂いた私達は遠の昔に貴方へ尽くすと誓っているのに。
黒い牙の中でも白狼の傘下が一番統率が取れているのもロイド様の人格があってこそである。私達は彼の駒であると同時に、彼の役に立って死ぬことに誇りと幸せを感じている。人間になり損なった人間を掬い上げてくださった救世主に、私達のヒーローに、この身全てを捧げて生きたいのだ。
たまに任務でしくじって、もうすぐに死んでしまいたいと思う時はあるけれど、それでも私達は諦めない。私達の命はロイド様のものであるから、口を割ってしまいそうになる極限までは静かに敵の首を狙うのだ。
だけれどロイド様は私達のそのような態度が良く思わないらしい。命は大切にしろと、自分の価値を軽んじるなと優しい理由で御怒りになられるのである。
そのようなところが何よりも尊くて素晴らしくて、私達の命を幾つ詰んでも釣り合いが取れないと思う要因なのだが、それを正直に言ったら怒られそうなので私は黙っておく。
ただ、その時が来れば、我が身を差し出しロイド様を助けるだけ。それだけだ。
彼はナマエに隠れ家を与えた。
中継地点として使うそれは、見事な石材の家屋だ。ドアには小さな銅鐸が付けられていて、あの方がお帰りになる度にカランカランと鳴る。
足音などさせず、雪の街を歩くロイド様。だけれど、このアジトに寄るときだけは────ナマエなどにも気取れるよう、鐘を鳴らしてくださるのだ。
しかし幸せは続かない。ある日、ライナス様が死んだと聞かされた。
そしてロイド様はその仇討ちに出掛けるらしい。私も連れていって欲しいと頼んだが、工作員である私は戦場では役に立たないと、ベルンの城下町で待つようにと言われた。
あの人は自分の部下を、工作員であろうがけが人であろうが私達を役立たずだと言ったことは一度も無かった。嫌な予感は拭えない。畏れ多くも喰いかかれば酷く穏やかな目で私の頭を撫ぜるのだ。まるで、あの時のように。拾ってくださった最初の日のように。
「なあ、[myName id=”1″]」
「なんでしょう、ロイド様」
「お前に任務を任せよう。よく聞け、お前にしか出来ない任務だ」
私にしか出来ない、とは何だろう。不思議に思ったが、条件反射で「お任せください」と矢継ぎ早に言葉が出る。ロイド様からの任務にノーは要らないから、ついつい聞く前にイエスと答えてしまう。考え無しに頷くのは止めろと、また怒られてしまうなと場違いにも思った。
優しい瞳が私を見下ろして、暖かい手が頭を撫でる。もうそんな歳では無いのだけれど、こうして貰えるのは至上の幸せだ。いつも撫でて貰っているニノとかいう子供が羨ましくて仕方が無い。
「暫くしたら帰って来るから、掃除をしておけ。毎日欠かさず、だぞ。分かったな」
困った。毎日欠かさずではロイド様にこっそり付いて行くことが叶わないではないか。だけれど、そう言われるのだったら致し方無い。私は返事代わりに笑っておいた。
ロイド様が、今日は笑って見送ってくれと言ったから。
▽
それからベルンの少しだけ厳しい冬が明けて、春になった。ロイド様は帰ってくることはなく、ソーニャ様も帰ってこない。
いつの間にか死神やニノも消えており、ウハイ様も死んだらしい。今の黒い牙に残っているのは、残党とネルガル様の連れて来たモルフとか言う気味の悪い部下のみ。それでも、待った。
そしてまた時間が経って、ラガルト様が戻ってきた。
錆びついた銅鐸は鳴らず、鈍い音を立てるだけ。頭領はソーニャに裏切られて死んで、幽閉されていたテオドル様も引き摺りだされて討伐されてしまったらしい。黒い牙は壊滅、ネルガルは黒幕で、つい最近死んだ、と。
お前も来るかと聞かれたが私は首を振る。どうして、この家をもぬけの殻にすることが出来ようか。
当然のように拒否すれば、怪訝な顔をラガルト様がロイド様の椅子に腰を掛けた。それはダメだと私の物を引き摺って前に突き出せば、呆れたように渋々其方に座り直した。
「なあ、[myName id=”1″]。お前は黒い牙に縛られなくていいんだぞ」
「縛られるも何も、私の場所は此処です。あの方の帰る場所が、私の場所。あの方が居るから私は生きようと思える」
「そのロイドが死んだって言ったら?」
「関係ありません。私はロイド様に留守番を任されました。帰って来るまで、この任務は続きます」
「…そうか」
それきりラガルト様は何も言わなくなって、私を一瞥して去って行った。
万が一にもロイド様が死ぬなんてことは無い。私達が束になろうが絶対に一本取れないくらい強いし、何よりあんなに優しい人を殺してしまう神様なんていないだろう。
そう、きっとそう。ロイド様が私をこんなに長い時間放っておいたことは無いけれど、きっと今頃大変なのだ。
それならば、私は意を汲んで留守を守って大人しく生きる。それが正しい。
▽
そしてまた、いつの間にか春が来て、夏が来て、季節が一巡した。
ラガルト様は何処かの戦で行方不明になったと聞いた。元々放浪癖のある人だったので今更驚きも無い。何処か空の下で飄々と生きてそうな予感がある。
モップを強く動かせば、摩擦剤代わりの牛乳が拭き取られていく。
日の光に反射した木の板は私の地道な努力によって今日も綺麗に保たれている。こんなにピカピカに磨けたのだから、ロイド様は褒めてくださるかもしれない。
ああ、早く帰って来ないかなあ。夕飯はライナス様が好きだった肉料理を作ったのだ。ロイド様はライナス様の笑った顔がお好きだから、自分の好物よりもライナス様の好物が出ると喜ぶのである。
だから、早く帰って来てね。今日も私は、あの人を待つ。