※踊り子にすっっっっげえ重い解読デバフがあった時代に書いた夢小説です。現在の環境とは著しく変わっております。
恐怖も怯えも無い。
リッパーがそのことに気付いたのは、いつの頃であったか。
彼は怯えた獲物を追い回すのが好きだ。怖がる目が、震える足が、尚も足掻く反抗的な心が、可愛らしくって愛おしい。
それをズタズタに引き裂いて、椅子にちょこんとお人形のように座らせてやるのが日々の愉しみだ。
無邪気で純朴な庭師。少し足の遅い医師。慌てた瞬間に崩れる調香師。 勇ましく反抗的な空軍。怯えて震えるばかりの踊り子。
どの獲物も共通していることは、心臓をばくばくとさせて恐れを抱くことだ。それを思うと、つい鼻歌が出てしまう。
だけれど例外は存在する。
お人形のように可憐な姿で、お人形のように平静な様子で彼女は椅子に腰掛けている。二度殴られて座ったとは思えないほど堂々と腰掛けているので、リッパーとしては張り合いが無い。
顔だけは好みの人形なのに。
惜しい、とボタンの目を覗き込めば、彼女は不思議そうに首を傾げた。
「追わないの?」
彼女を含めて二吊り目。新たに一人を捕まえなければ、引き分けということにされてしまう。
だがリッパーは既に萎えており、これ以上歩き回る気は起きなかった。仕方無く椅子を叩いても、彼女はひとつも苦い顔をしない。
ケバブ行為は紳士的で無いので行わないが、この涼やかな顔を歪めさせられるのであれば迷うところである。
「追いませんよ。此処に可愛げの無いレディが座っておりますからね」
つつ、と刃先で頬を撫ぜる。それでも彼女は表情を変えることなく「そう」とだけ呟いた。
彼女は美術商。名前は確か、ナマエ。最近になって荘園に来たサバイバーの一人である。
少女らしい可憐な容姿に、鬼ごっこをする気が無さそうなバッスルドレス。それはチェイスにも顕著に表れていて、彼女は医師と同じ程に板の乗り越え速度が遅い。
行動ひとつひとつが優雅であるが、それ故に何処かやる気が無さそうに見える。
写真家や結魂者はサバイバーの中でも泥臭さが無く、気品があって好感が持てると言うが、復讐者は純粋にやり辛いから嫌だと言う。
芸者も真っ直ぐに注視されるから追いたくないと言っていた。
生まれ持った階級の差がその苦手意識を生むのだろうが、リッパーとしても大体同じことであった。
何が起きても揺れない心というのは、興奮を削ぎ落とす味気ないものである。
わざとらしく足を鳴らしても、彼女はひとつも動揺しない。
「貴方は随分と我々を軽んじているようだ。椅子から抱き上げて、引き裂いて、叩き付けて、みっともなく失血死をさせたって良いのですよ」
霧に紛れて脅しをかけても、少しも彼女は怯えない。
硝子のような瞳が遠くを見て、ぼんやりと雲を追った。耳鳴りもしておらず、他のサバイバーたちは彼女を切り捨てる方向で動いているようだった。
ロケットチェアでの耐久が長いというのも美術商の特徴であり、職業の特質と言うよりは彼女自身の気質であると理解する。
「美術商のお嬢さんは本当に張り合いがありませんね。もっと怯えて見せたらどうです?泣き喚いて、くるくると回ったら心変わりをするかもしれません」
「命乞いをしたら絶対に逃がさないでしょう。面白い冗談を言うのね」
冷ややかな瞳がリッパーの仮面を見て、つまらなそうに息を吐いた。
それが少々気には触ったが、優位なのは俄然として此方である。紳士らしく相槌を打てば、ゲートの開いた音が聞こえた。中直りすら付けて居ない彼女は、立たせたって意味が無いと他のサバイバーは知っている。
「見捨てられましたよ。薄情ですね、可哀想に」
「堅実だからね。傲慢な貴方たちと違って」
涼やかな顔は崩れる事が無い。
勇敢な空軍だって、歴戦の傭兵だって、椅子に座らせて優しく会話を試みればひどく青ざめるのに。
やはり彼女は酷くつまらない。ユーモアが足りない。皮肉と冗談は達者であるが、ゲームを愉しもうという気概が無いのか。
「目の前でサバイバーを切り裂いてやっても、貴方の心は揺れ動かなさそうだ」
「上位階級者というのはそういう者ですよ。労働者の流す血をすすって、動乱の際には惨めに死んで行くのです」
仲間の脱落も己がされる見捨ても割り切っているらしい。というか、寧ろ対等ですら無いような物言いである。果たしてどちらが傲慢であるか。
彼女のふてぶてしさに溜息を吐けば、チェアの耐久時間が終わったらしい。
彼女は涼やかな顔で吹っ飛んで行くから、最後までシュールで大変に腹立たしかった。
▽
なんとなく腹に晴れない感情を抱えて、リッパーは長い廊下を歩く。
サバイバーとハンターで分けられた建物は互いの侵入を認めては居るが、好き好んで踏み入ることなどは無い。それは此方もそうであり、彼方もそうである。
というか寧ろ、ハンター同士でつるむことすら少ない。無駄話をすることはあるが、化け物同士が打ち解けることなどないだろう。
互いに抱えてる事情は違うものであるし、踏み入りもしなければ歩み寄ることもない。そこが生者と異形と成った死者との違いでもある。
そうだ。その筈だ。
ハンターは交わらず、サバイバーとであれば尚更。気が向いてハッチに投げ込むことはあれど、互いに好んで遭遇などする筈も無い。
困惑した顔の白黒無常がさっさと庭から出て行く。じょうろを持った泣き虫は、手の上のそれを彷徨わせて、最終的には放って出て行った。
彼らが対面し、戸惑いを抱いた庭の中央には、ボタンの付いたお人形…否、サバイバーの美術商が座り込んでいる。
霧に紛れて出て行こうとすれば「挨拶も無しに立ち去るとは、紳士らしくないですね」と先程聞いた心底腹立たしい声が掛けられた。
仕方なしに姿を現せば、鬼ごっこする気が微塵も無さそうなスカートが揺れる。
「美術商。貴方、ここ何処だか分かってるんです?」
「ええ、勿論。ステキなお庭ですね」
嫌味である。
破れ温室。伸びっぱなしの草木。泣き虫が適当に世話をしている花は、ほぼ枯れている。そうしてまた泣くから、花は一向に芽吹かない。無意味なことだ。
「なんなんですか貴方は。迷惑だから早く出て行きなさい。冗談で無く引き裂いて吊るしあげますよ」
「まあまあ。用事が終われば立ち去りますから。質問に答えてくださる?」
そういうと美術商は肩に掛けていた布袋を下ろして、中からキャンバスを取り出す。
それは、気に食わなかったから捨てたものである。何故彼女が、と疑念に思えば、美術商は珍しく穏やかな声を出す。
「油の匂いが新しいから、此処にいる誰かが描いたものだとは分かる。けれどサバイバーには居なかった。作者を知っていたら、教えて欲しい」
驚くほど友好的に饒舌に喋る。
涼やかな様子とは違う熱心さに受け入れ難さを感じれば、むっとした彼女は一歩前に出た。
「隣人は愛するべきだと思う。今はゲームもしていないし、親切にしてくれても良いと思うけれど」
無茶苦茶な言い分である。
リッパーが若干面食らって「私の絵です」と言えば、彼女は目を見開いた。涼やかな顔が、驚愕に染まる。若干失礼だと思ったが、それが物珍しく初めて見る様子であったため、言及する余裕は無かった。
「これ、本当に貴方が描いたの?この指で?」
白魚のような指がリッパーの刃を撫でる。
驚いて振り払えば、鮮血が流れた。傷付ける気など無かったのに、もう知りませんよと内心焦りながら美術商を見たが、彼女は咎めなどしなかった。
寧ろ、一切気にした風など無いこの図太い女は全く頓着せずにぺたぺたと触る。
「利き腕でしょう。こっちが」
左手を撫でる。刃先で肌を撫ぜるリッパーのように、肌が慎重に刃先をなぞった。
それは彼女が傷付きたくないと言うよりかは、絵を描く者の腕を丁寧に扱う動きであった。
それを振り払って解けば、手に筆を押し付けられる。いそいそと紙を取り出して、彼女は真剣な眼差しをする。
「リッパー、貴方、絵を描くの。他には?どんなものを好む?これは、買い付けが出来る?」
ハンター相手に交渉をしようとしている。
あまりの強かさに引いた。美術商というのはクールで冷淡でドライな人間だと思っていたが、そうでも無いらしい。自分のジャンルに関しては、酷く熱い人間であったのだと知る。
「売りませんよ。絵を描くのは好まない」
「好きでも嫌いでも、貴方の絵は素晴らしい」
真っ直ぐに硝子の目がリッパーを見る。
誠実で、真摯で、つまらなさなどは無かった。ゲームもそれくらい真剣にやれよと思ったが、気圧されて言う気が消えた。美術商は厄介な性質をしている。
「私が此処に来たのはゲームをするためじゃない。願いを叶えたいわけでもない。この絵の作者を探しに来たの」
はちゃめちゃである。
思わず「そんな理由で?」と言えば、彼女は憤慨した。
「芸術を馬鹿にするなッッッッ!!!!!!!」
こいつとゲームをする他サバイバーを初めて気の毒に思った。
激昂して取り乱した風だった彼女は、そこで小さく咳払いをする。失礼、とナマエは謝罪をした。
「いいえ、謝罪の必要はありませんよ」
そう、ありがと、と淡白な礼をしようとした口を制止する。
不満げに眉を寄せた彼女に向けて「嘘です」と言ってやれば、彼女はハァ?と品のある姿に見合わない言葉を吐き出した。
「私のこの指で、絵が描けると思いますか?」
刃を見せてやって日に翳せば、瞬きを何度もした彼女は唖然とする。馬鹿にされたことを理解していないのか。だが、この女はちゃんと頭がある。
直ぐにでも頬を染めて、怒りの表情を見せるはずだ、と思った。しかし、意外にも彼女は笑っている。おかしそうに目を細めて、「いやいや」と手を振った。
「それは苦しいと思うよ」
初めて見た彼女の微笑みは、穏やかなものだった。
慈しみと諦め。優雅さの中に滲む哀しみ。リッパーは、きっと彼女を知っている。
▽
基本的にリッパーは気紛れである。
楽しい狩りを一方的にした時は、ご機嫌で最後の一人を逃がしたりはする。
ただし、発砲したやつは例えレディであろうと許さないし、魔像とかいう訳わからないスキルもそうだ。
最近では科学の力を超えた強すぎる磁石で壁に叩かれるしで、全員吊り殺すというのが常である。
一見無害そうな踊り子や心眼もバンバン板を当ててくるしで、反抗的な獲物ほど燃えるタチのリッパーは別に構わなかったが、ヴィオレッタなどは愛玩物が逆らってくるのは嫌だと言う。
かわいいお人形さんはかわいいままで居て欲しい、ということらしい。
そんなこんなで色々あって、気紛れで逃す機会を失い続けたリッパーは、仕方無しと手近のナマエをぶん殴った。
彼にはマイルールがある。
反抗的な獲物は嬉々として追うし、仲間を助けに来るのであれば連鎖的に殴り倒して失血死を目の前で見せてやる。
が、殴られるか殴られないかでびくびくと怯えるサバイバーを見るのも大好きなのだ。
邪神なんかは気にせず贄をガンガン求めているが、リッパー的にそれは美しくない。
全員吊り上げるのは芸術点が高いが、恐怖に怯えた顔や段々と冷たくなって行く人体というのはそれだけでもう素敵なものであった。
だから不定期にハッチに投げ込んだりしているわけであるが、最近のマッチングは吊り上げたいサバイバーばかり。
怯えて震える顔を見る暇も無く、頭に血が上ったまま追い回すことが多かった。
だから今回は最初の二人をブン殴って、それを観察しようと監視者を植えたわけである。
そんな理由で殴り倒された弁護士はふざけるなと怒り狂うに違いないが、美術商の方は芸術であれば仕方ないとか言いそうだった。
しかし負けるのは嫌だったので、弁護士はさっさと吊って退場。粘着して来た呪術師も吹っ飛ばして、あとは占い師と、本来なら監視者の周辺で這いつくばってる筈の美術商であった。
呪術師が居たので先にそっちを飛ばした後、どこでダウンを取ったか忘れてしまったリッパーは彼女を放置することにした。
サバイバーの誰かが起こしに行っていれば良かったのだが、仲間からも放置されているらしい。
少し哀れに思いながらも索敵するが、彼女の固有スキルのせいで耳鳴り範囲が大きい。
面倒くさくなったリッパーは、適当にキャンプを決め込んでいる。
▽
おまんじゅうがくるくると回っている。
ドレスの裾が汚れるのも気にせず、おまんじゅうがくるくると回っている。
純朴で善心が強い傾向にあるエマやトレイシーなら分かるが、比較的そういう行為とは縁が無さそうな彼女がおまんじゅうになっている。
天眼でそれを見てしまった占い師は、困惑しながらも彼女に駆け寄る。
「どうしたんだい、ナマエ」
「…」
ふい、と美術商が目線を遠くにやる。
見られたくなかったらしい。おまんじゅう、と声を掛けそうになった占い師は、ンン、と咳払いをする。
美術商は少しジト目で睨んできたが、すぐに「ん」と両手を差し出して来た。私を助けなくていい、と言っていた割に、チャットはありがとう!と送られてくる。素直で無い。
「ダウン取られたのにリッパーが回収しに来ない」
「ああ…」
リッパーの美術商に対する態度というのは、明らかに他のサバイバーとは違ったものであった。
乱暴にしたり、優しくしたり。それは他のサバイバーも共通のことであったが、彼女にだけは特別酷い行いをする。
人々は知らないだろうが、リッパーは何故か美術商を追い詰めて切り裂くことに執心している。
それをたまたま天眼で知ってしまった時は、彼女を哀れに思ったし、記憶を失いながらも薄々それに気付いているだろう彼女は、特にそれを話しもせずに黙っている。
言ってくれれば、占い師は彼女がリッパーとの試合に来ないように気を回すし、マッチングしたら優先して助けるように気を配るのに。
物静かで、どちらかと言えば内向的で、仲間に興味が無いように見えて結構気を遣っているタイプの彼女はそれを選ばなかった。
一定以上人と関わらないのは、リッパーが美術商に固執しているのを知っているからだろう。
助けに来ようとしたマーサやウィリアムを確実に殴り倒し、目の前でナマエを失血死させる。それを進んで見せるくらいならば、救助に来なくて良い、と思っているに違いない。
「君、起死回生を付けていなかったのか?」
「要らないと思って…考えを改めます」
一人で立って歩ける程度に治療をして、彼女を起こす。
手で砂を払った美術商は、ありがとうと小さく言った。チャットはありがとう!と大きく送られて来る。素直で無い。
うたたね、危機一髪、雲の上で散歩。
所謂変則地雷編成で人格を振っているらしい美術商は、脱出点を取る気が無いのだという。
マジシャンのロイをリスペクトした、と本人が言っている時点で、見捨てられる前提の立ち回りなのだろう。
「私は嫌だ」
首を傾げる彼女に二度目の治療を施す。
助けなくていい、と彼女は言うし、ハッチの場所も分かる、と言っているがイライは聞く気が無かった。
「出来れば見捨てられる前提の動きは止めて欲しい。君も一緒に脱出したい」
説教をされたおまんじゅうは、おまんじゅう故に表情が伺えない。
ただ、困ったように立ち上がると「気を付ける」とだけ言った。そうして占い師の方を見て、小さく笑う。
「でも、今日はダメ。私が飛んで、貴方がゲート」
それだけ言うと、一直線に暗号機へ走って行く。咎めようと手を伸ばすが、それをすり抜けて美術商は大きく揺れるアンテナを手に取った。
残りは一台。瞬間移動の音が聞こえる。ゲート解放のブザーが鳴り響く。移動先は勿論、彼女の側。イライは一度危機一髪を吐いているし、壁になるためのフクロウも無い。この時点で、占い師は彼女を助けられない。
すみません、と詫びる彼女が悪いのでは無い。彼女を救える算段が無く、無理に救助して彼女の痛みを増やすくらいならば、とイライはゲートへ行くしか無い。リッパーは此方にナマエが居ないのを分かっている。せめてハッチを見つけられるように祈れば、無慈悲な音が響き渡った。
▽
リッパーは特定の獲物に執着する傾向がある、らしい。
例えばそれは、最初に見つけたサバイバーだとか。救助に来なかった戦犯だとか。自己保身に走りまくってるやつだとか。
だけれど、それが特定の個人だったということは無いそうだ。
なので楽観視していたナマエであるが、どうにもこうにも様子が違う。最近は特に、ナマエが出て来る試合には必ずやって来るように思えるし、ナマエを必ず吊り殺してやるぞと言った気概を感じる。
庇った仲間もボコスコ殴る。ナマエを助けようとした面々が失血放置され、自分だけはハッチから出れてしまった回なんかは、ナマエに大変なショックを与えた。
そんなのを繰り返されれば、流石に申し訳無く感じる。だから最近はサバイバーたちがナマエの救助には余り行きたくならないように振舞うことにした。
ダウンした時はクソ椅子に寄せるとか。受難を外して来るとか。うたたね取ってればもうなんでもいいと思う。
絵を描く彼は好きだが、ハンターとしての彼は…まあ、嫌いという訳では無いが、追い掛けられるのは疲れる。
目が良いので透明化などに惑わされはしないのだが、窓枠を越えるのが遅いナマエに取って、飛び道具は大変に困るわけだ。
占い師がゲートに行ったのを確認して、ナマエも隙が無いかと見渡す。が、リッパーは走り去る占い師を見ているようだったから、この耳鳴りがナマエのものであると分かっているらしい。
ゲート妨害からの瞬間移動でもしてくれればいいのに、四吊りよりも確実にナマエの首が欲しいようだ。
溜息を吐いて静観していれば、近くに居るらしいリッパーの鼻歌が聞こえた。
酷く上機嫌な風に聞こえるが、どこか苛立っているような風にも聞こえる。それが一歩二歩三歩と進んで、溜息を吐いて止まった。
「ナマエさん、居るんでしょう。諦めて出て来たらどうです」
私にはほら、これがありますし。と彼は監視者をブラブラと揺らす。
尚も沈黙を続けるナマエにそれはそれは深い溜息を吐いたリッパーは、その場に監視者を叩きつけた。ピギーと間抜けな声がする。
ひじきを植えられてしまったからには、死ぬ気で逃げなくてはならない。
占い師はゲートを開け終わった様子だったけれど、まだそこでナマエを待っているらしい。ナマエもそちらに駆け込みたいが、それは厳しいだろう。リッパーの目は赤い光を携えて居るし、ここは見通しが良すぎる。
とにかく板の方へと走れば、背中に鋭い熱が走った。霧が当たったらしい。
「全く。大人しく待っていられないのですか」
「ゲートで人を待たせているから」
少しだけ、リッパーの持つ空気が変わった。
やはり彼は何処か不機嫌で、何か気に食わないことがあるらしい。
しかしそれが何であるかは分からなかったし、理解できる気もしない。黙り込んだ静寂を先に破ったのはリッパーで、彼は左手を下ろした。そして、ナマエに刃が付いてない方の手を向ける。
「貴方は私だけを待たせていればいい」
冷ややかな声が、ナマエを責める。そうして、そんなことは無かったかのように、酷く優しい声で語る。
「そうすれば、優しくしてあげますよ。私は紳士ですから。可愛らしいレディを何度も殴るのは、趣味ではありませんからね」
右手でそっと頬に触れようとするのを、ナマエは拒んだ。
リッパーは酷く機嫌を悪くしたようだ。そのまま、差し出していた手を下げて、鋭い爪で殴打をする。ダウンを取られたナマエは地面に這いつくばって、痛む腹を抑えた。
「つまらない意地を張るのが結構ですが、私に主導権があるのをお忘れ無く」
地面に転がるナマエの頬を、手の甲が緩やかになぞった。
乱暴に殴り倒したくせに、その指の動きは穏やかで優しい。傷を付けないように、そおっと触っている。以前のリッパーであれば、こんなことをせずにとっとと吊り飛ばしていた筈で、ナマエに特別目を掛ける理由が分からなかった。
けれど先程の言葉やこの反応は。どう取っても、ナマエが嫌いではないと言っているようだ。
「どうして、貴方は私に拘るの」
上がる息で尋ねる。撫でていた指を止めた彼は、少しばかり沈黙した。
まるで言われて初めて気が付いたように、いや、それは正しく無い。薄々思っていたことに、目を向けさせられたような反応だった。
「どうしてでしょうね」
困惑したような声だった。はぐらかそうとしている訳では無く、本当に返答に詰まった様子である。
ナマエはそれが可笑しくって、声を上げて笑った。驚いたような指が、ナマエの腹を抑えるように触る。まるで死んで欲しくないみたいじゃないか。
ダウンを取られて放置された時、ナマエはさっさと投降をする。
だって、それが楽だからだ。早く終わるし、無駄な疲れも無い。苦痛の記憶が残るとゲームに支障が出ることを危惧してか、失血死は記憶を飛ばしてしまうし。失敗も成功も、己の糧にならない。
だけれど、このリッパーを見ていると、ナマエは投降せずとも良いのでは無いかと思う。
かわいくてかわいそうな人だ。死に行くナマエから目を逸らせないのに、ナマエが死ぬのは嫌なのか。殺人鬼のくせに。
それとも、別の何かを求めているのか。そこまでは分からなかったけれど、死ぬまで喋るのも悪く無いと思った。
「…良い趣味ですね」
「それはお互い様だよね」
あーおかしい。ナマエがまた笑えば、リッパーは面倒臭そうな顔をする。
彼は人をよく小馬鹿にするけど、それはプライドの高さがそうさせているように思う。つまるところ、こんな小娘に揶揄われるのは気に食わないが、既に立てない弱者を嬲るのも気に触るのだろう。
失血死が間も無く訪れる。冷たくなっていく身体に相反して、心は何処か穏やかだ。
このやり取りの記憶を失ってしまうと思うと惜しいけれど、ナマエはそれも悪くないように思う。互いに情が生まれてやりづらくなるからだ。それならば、消えた方がいい。
情で采配が鈍るのは、互いに望むところでは無い…とかいう優しさではなくって。性格の悪いナマエは、自分だけは知らない記憶で、この人が困れば良いと思っている。
もう少しで死ぬ。それが分かるから、ナマエは口を開いた。
「好きだよ。私は、貴方のこと」
答えを聞く間も無く、聞き返す時間も無く、ナマエは死んだ。しかし、どこまでも勝った気分である。ゲームは負けたけれど。
▽
興味津々の硝子玉がふたつ。
ゆらゆらと光を引き付けて輝くそれは、抉り出したいほど憎い。
指を伸ばせば彼女は死ぬほど嫌がって、やめて欲しいと言った。
以前のリッパーであれば彼女の弱みを見付けたと、嬉々としてからかってやっていたところだが。絵を描くものの端くれとして、芸術を愛せない人生のつまらなさを知っている。
正しくはリッパーで無く、リッパーの中に居たもうひとりが理解していることであったが。
居なくなっても尚、ふたつの心が居合わせた記憶は消えない。良い子ちゃんは死んでも、記憶はしっかりと指が覚えている。
肌を切り裂く感覚も、キャンバスを撫ぜる感触も。両方あってリッパーという怪物である。
好奇心と探究心。両方があってこそ、素晴らしい芸術が生まれるというものだ。
澄ました顔ばかりだった彼女は、少女のようにきらきらと双眼を輝かせる。
キャンバスに向かうリッパーを見て、にこにこと綻んだ。その顔を見て写真家はギョッとしていたが、関わらない以上どうでもいいと割り切ったらしい。
さっさと踵を返して何処かへ消えた。
リッパーが便乗して霧に紛れて消えようとすれば、彼女は服の端を引いて「何処へ行くの」と圧をかける。振り払うのは紳士らしくないので掴ませておけば、満足げに手を離して椅子に座る。
ちゃっかり紅茶まで入れてきたらしい。図々しいことだ。
リッパーの分も差し出して「何を描くの」と嬉々として尋ねる。
「もう絵を描く気はありませんし、そもそもモデルが居なければ味気の無いものになりますよ」
それは困った、と美術商は口先だけ言う。
既に解決策を持って来ているらしい。描く気がないと言っているのを彼女は聞いていない。
「バイオレンスなリッパーにピッタリのモデルが居るんだけど」
白魚の指が、唇の前に立てられた。
「ほう、それは?」
「貴方は紳士だからやらないけど、本当は女の子のサバイバーを引き裂いてバラバラにしてスケッチしたいと思っている」
「酷い言い掛かりですね」
当たらずも遠からずであったが、中々酷い言い草である。
嗜虐心から来る趣味があるのは否定しないが、あんまりでは無いだろうか。怒りを通り越して困惑していれば、美術商は微笑んだ。邪悪なことを言ったとは思えない清らかな笑みである。
「日夜走り回って傷だらけのサバイバー。モデルとしては十分じゃない?」
その場でくるくると回って、命乞いのように媚びてみせる。
スカートの裾を持ち上げてお辞儀をすれば、斬り付けられた痕が見えた。白い肌に走る赤い線は、リッパーの趣味に合致する。しかし、描きたいのはそんな普通のものではない。
「貴方がモデルに?悪くはありませんが、ここで引き裂いたら本当に死んでしまうでしょう」
鼻で笑えば、美術商もまた笑った。
「だからゲームをするんでしょ」
彼女にとって、ゲームは足掛かりに過ぎないらしい。
半ば娯楽で追い回しているリッパーも、三割くらいは同意である。
「貴方は倫理観に欠けていますね」
「それ、懇意にしていた画家にも言われたよ。君は狂っている!って」
「それはそれは。当然でしょうね」
紅茶を啜っても、味は無い。
とうの昔に味覚は死んでいる。
▽
鬱蒼と茂る森をかき分けて進む。
ひとり、またひとりと吊り上げて、最後に残ったのは彼女であった。
美術商はゲームを好まないし、ご指名が有った際にしか出て来ないと専らであったのに、自由枠に彼女は入り込んできた。
そうしてスカートを翻して、開幕から板を倒してみせたのだった。
だがリッパーとてゲームには勝ちたい。
椅子の耐久性が高く、空軍の仲間想いの対象外になる彼女を真っ先に追うメリットなどは無いのだ。
それに、お愉しみは残すべきだろう。そうして脱落させていった最後に彼女は残った。
暗号機は2台も残っていないけれど、占い師が出て行こうとしている道には監視者があるし、何よりリッパーがキャンプしている。
道を引き返すか、ハッチを探すしか彼女に生存の道は無かった。
当たり前に待ち伏せを決めこめば、烏が飛ぶまで彼女は動けない。そうして瀬戸際まで追い詰められて、やっとの事で最後のサバイバーは顔を出した。
霧の刃を飛ばせば、裾の長い布地が切り裂かれる。
そうしてダウンを取ってやれば、這い蹲らずにぺたんと座った彼女が虚ろに笑う。道具の一つや二つ持っていれば良いのに、抱えているのはキャンバスであった。
それをつまみ上げれば、満足そうに笑って凭れ掛かる。腰を真っ直ぐに据える力すら無いのに、気高いことだ。
抱き抱えれば、その肌に酷い傷跡があることに気が付いた。
上流身分に似つかわしく無い、ズタボロのつぎはぎ。腹部に真っ直ぐに伸びたそれは、抜糸すらもされていない。
「貴方をこんな風にした人は、大変に趣味が良いですね」
指でなぞれば、縫い目がでこぼこと伝わった。白く陶器のような肌に、似つかわしく無いツギハギの縫い目。ハサミで切られたようなそれは、強引に接合をされている。人形のような彼女は、腹さえも布と綿であるように加工されているらしい。
糸を引けば、簡単にほつれそうだ。
「そうだね。私もそう思うよ」
娼婦のように面積の少なくなった洋服は、みっともなく腹を大きく露出させている。
あのおぞましい病原菌の保有者どもは何処か汚らしいネズミのようだったのに、彼女は一切薄汚さを感じさせない。清廉で、穢れなく佇んでいる。
そうして新雪を踏み荒す子供のように傷に爪を立てれば、赤い線が走った。扇情的にすら思える生傷に震えれば、美術商は若干引いた顔をする。
「やっぱり悪趣味」
「なんとでもどうぞ」
ダウンした彼女を抱えて、海まで移動する。きっと、そこが一番彼女を引き立たせる。
引いていく波に攫われそうなナマエは、今にも死にそうな顔色をしている。
「インスピレーションは得られたかな」
情婦は言う。艶やかな唇が動いて、髪がさらさらと夜風に揺れた。
「ええ、おかげさまで」
「沢山描いてくれる?」
「それは気分次第でしょうねえ」
困った顔の彼女の目に手を添えれば、やっとその瞳が恐怖を映す。ゲームで起きたことは全て無くされるし、失血死したものは記憶も勝手に無くなる。
だからこそリッパーはその目を取った。呻き声が上がって、子鹿のように震える。それを見て歓喜に沸いたが、あくまで紳士に振る舞った。
一番大切な審美眼を失って、一番恐れていた盲目が訪れて、恐怖と絶望で満たされる彼女のなんと愛おしいことか。
それを伝えてやっても、パニックを起こした彼女には伝わらない。モデルをやっても良いと言ったくせに、いざとなったらこうだ。
きっと、彼女は自己分析でそれを理解した上で申し出たのだ。健気で、愚かで、いじらくて愛らしい。
「此処から、ここまで。開けて中身を知らないと、私は絵が描けないのですよ」
胸から腹へ。指をなぞれば、彼女はびくりと強張った。
這い蹲って、惨めに後退する。それを足で止めれば、震える手が組まれる。今頃悔いたって、神に祈ったって、彼女の運命を決めるのはリッパーであったし、さばこうという意志は変わらない。
勿論、切って開いて捌くのさばくである。
「感謝は伝えておきますよ。どうも最近は、好き勝手に中身を見るという行為が出来なかった。同意の上であれば、荘園の主も見逃してくれるでしょう」
組まれた指を解いて、引き剥がして地面に付ける。祈りなどは無意味だ。彼女の神は、画家が一人だけでいい。
刃が付いてない方の指で、下腹部をノックする。小さく三度叩けば、瞳からは大粒の涙のように血が滴る。
今から知る秘密に、暴く行為に、興奮が増して行く。この可憐なレディの中身は、どんなものだろう。見た目と同じで、小さく可愛らしいのか。テディのように、愛らしく綿が詰まっているのかもしれない。
だが、そうだ。ああ、知っている。リッパーは、これを何処かで見ていた。
「投降しないのですか?」
最後の慈悲で、痛んでいるどこかのために、リッパーは問う。
馬鹿で愚かしく、救えないほど狂っているのは彼だけでは無い。そうだろうと爪を立てれば、美術商は恐れ怯えながらも首を振った。
彼女は、リッパーに好意を見せられた記憶を失い続けている筈なのに、いつだって好意的だ。それが酷く、勘に触る。
だけれどリッパーはそれを利用している。彼女に酷いことをしたから記憶を奪っているわけでは無い。彼女に対する友好を見せたく無いけれど、彼女には愛を与えたいから。失血死させることで無かったことにしている。
言葉を話す体力すらも無い彼女は、ただ腕を力無く掴むだけで何もしない。
やめてくれ、と誰かが言う。此処には居ない誰かが、彼女に酷いことをしないでくれ、と懇願する。馬鹿な男だ。彼女は、望んで此処に居る。お前が彼女を置いて行ったから、この子は此処に居る。
愛している。
唇が小さく動く。イかれた女は、命乞いなどしない。リッパーは彼女の記憶に好意など残したことなど無いのに。それでも彼女は、リッパーに好意を示す。意地の悪い人である。自分だけはさっさと忘れて、リッパーにだけは植えつけようとする。
記憶が無いから一度きりのつもりなんだろうが、彼女という人間性が変わることなど無い。何度も何度も同じことをして、リッパーにだけ好意が蓄積されていく。それは、只々狡い。
だけれどやはり、気分が良くなってしまうのは仕方ないだろう。リッパーは彼女という人間が好きだ。記憶が無い故に、同じように何度も好意を伝える愚かさが好きだ。
指でもう一度なぞれば、震える嗚咽とはち切れそうな心拍が鳴る。
それは殺人鬼をどうしようもなく喜ばせた。
何も彼女が嫌いで殺してる訳では無い。好きなのだ。だからこそ、こうして切り開くのが待ち遠しい。
▽
ナマエから見たリッパーというやつは、飛びっきり変わり者のハンターである。
変、と言えばハンターもサバイバーもみんなどこか可笑しいし、倫理に欠けている…というのは有るのだが、彼は頭ひとつ抜けている。
他のハンターも獲物を追い回すのは好んでいるが、リッパーのように気紛れに逃がしたり、逃がしたと思えばゲート直前で嬲ったり、とイカれた真似はしていないように思う。
そういう獰猛な側面が目立つと思えば、妙に紳士ぶって気遣いをしたりと、そういう部分がより一層サイコパスと指摘した直後の試合は記憶が無い。多分、ズタボロのボロ雑巾にされて失血死したのだと思う。
幸いなことに失血死した際の記憶は残らないように調整が為されているし、痛みも屈辱も綺麗さっぱりリセットされるから、ナマエはリッパーに対して深い遺恨も恐れも無い。
占い師なんかはリッパーとは試合をするな、と念を押して行って来るが、それはそれで過保護すぎるような気もする。
と、まあ、ナマエにとってのリッパーは、大変に変わったやつなのである。
だからこうしてナマエが抱っこされている理由が分からなかったし、椅子をスルーしてくるくると回っているのも理解に苦しむ訳である。
「無反応ですね」
「身長高いね」
「それはどうも」
試合は三逃げ。
どうにも今日のリッパーはやる気が無いな、とボヤいた傭兵が反対側のゲートに走って行くのを見送って、よしじゃあ上げるかと暗号機を上げたナマエ。
すると一直線に向かって来たリッパーは、死を悟って板の前で痛み分けをしようとするナマエの前でロッカーをパカパカと開閉する。
思わずハ?と疑念の声を上げれば、物分かりが悪いと詰られた。
仕方無しにロッカーに入れば、すぐさま開けたリッパーに抱えられてこうだ。鼻歌を歌いながら移動する狂人は、寒空の下を移動する。
「どういう風の吹きまわし?」
「そうですねえ。貴方に酷いことを沢山したら、偶には優しく愛でてあげたくなるんですよ」
「別に気にしないけどなあ」
記憶無いし、と言えば腿に爪が食い込んだ。気に食わない返答だったらしい。
「好意は素直に受け取るべきだ。貴方を生かすも殺すも、私次第だというのをお忘れなく」
冷ややかな声でそう言ったリッパーは、言い切ってから少し止まって、あー、あー、あー、と誤魔化すように咳払いをした。
紳士のように振舞ってるくせに、中身が只のサイコパスだからボロが出るのだ。恐らく脅し文句は優雅で無いと思ったのだろう。
「景色を見るのに、一人ではつまらないでしょう。出来ればレディが居た方が良い。それも飛び切り慧眼のね」
勝手だなあ、とナマエは思ったが口を噤む。
ご指名頂きありがとう、と諦めて首に手を回せば、怪物は上機嫌で鼻歌を鳴らした。
そうしてナマエを抱き上げたまま、長い足で雪の上を踏み歩く。足跡が付いて、消えて。凍えるような温度に身を寄せたが、リッパーは最初から温度が無い。
不公平だとぼやけば、温もりの無いキラーは喉を鳴らす。
「私は暖かいですよ。貴方が温いので」
「そう。それは良かった」
顔を寄せられて、すりすりと仮面が当たる。
当たり前だが、無機物のそれは酷く冷え切って居て痛さすら感じる冷たさである。顔をしかめれば、リッパーは楽しそうに声を上げた。
嫌がらせで喜ぶんじゃないぞと指摘すれば、口先だけの謝罪が返って来る。
「すみません。擦り寄る貴方が可愛らしくて」
痩せぎすの癖に厚い胸板にぎゅうぎゅうと押し付けられる。
かわいい、かわいいと言うくせに、リッパーの愛で方は乱暴であり、彼の獰猛さが透けて見えるのだが。楽しそうなので好きにさせておくことにした。
そうして椅子に座ったと思えば、足の間に座らされる。クリスマスツリーを見上げるかと思えば、只々星を見ているだけである。
素朴の中にこそ、美しさはあるのかもしれない。
爪の付いていない方の指で手を撫で上げられて、絡め取られる。刃の方は腹に回って、立とうともがけば直ぐにでも引き裂かれてしまうのだと悟った。
暗に、大人しくしていろと脅されているのだ。
別段脅されなくとも、付き合う気であるのに。
わざわざ言ってやる気も無いため、静かにされるがままになっていれば、何が気に食わないのかリッパーは深く溜息を吐く。
「貴方が私に愛を囁いてくれれば、私も貴方を引き裂かずに済むんですけどねえ」
「流石に嘘でしょ、それは」
「おやおや、どうしてそうお思いに?」
酷いじゃないですか、と彼は仮面の奥で笑う。
笑ってはいるが、その目は探るように鋭い。
「私が心の底から貴方が好きって言ったら、ズタズタにして殺しちゃうよね」
そういう人である。
大事なくまのぬいぐるみは、引き裂いて、中身を見て、ああ、理解出来たと縫合し直す。
そうして二度と同じ姿になれないそれを、いつまでもいつまでも大切にする。誰にも渡さないように、何度も何度も壊して治す。そうすれば彼以外は見向きもしないからだ。
だけれど人間はそうは行かない。朽ち果てれば、虚無が残る。執着心と異常性壁の同居は難しい。
「貴方は私をなんだと思っているんですかね」
拗ねたようにリッパーはナマエを抱き潰す。
締め上げる力はやはり怪物のそれで、痩せ細り、アンバランスな肢体からは想像も付かないほどに力強い。
「まあ私も貴方のことはそれほどですので。お互い様ですね」
嘘つき。
仮面をむしって一つ口付けを落とせば、からんと無機質な音が鳴った。
流体の体が三日月を描いて、口の橋を吊り上げる。
そうして足の上のナマエを回転させて、正面に向き直った。
右手の指が頭に食い込んで、左手の爪が背中に立てられる。流れる血は、彼の興奮を誘う。
「愚かな人だ。聡明で、賢く」
結局ナマエはジャックが愛しいし、彼のことも愛しい。彼らもまたナマエを愛しく思っている。いた。
それが見抜けないほど、我々は馬鹿ではなかったのだ。今も、昔も。知っていたからこそ、ナマエは此処にいる。理解しているからこそ、ここでもきっとまた殺される。
地獄の中で、手を取って踊るのだ。本当はリッパーだって理解ってる。彼の中のジャックだって、いいや。リッパーは彼だ。己の欲望から、自身の衝動から、愛するあなたは逃げているだけ。だけどナマエは好きなのだ。愚かな男が。それに入れ込む自分が。
目を逸らしたまま、雪の中で踊る。白の中に赤が散って、やがて息の色が消えていく。
それは、酷く美しく。そして無様だった。
※第五が一周年くらいの時に書いた夢です。今はリッパー見たら闘争心に支配されるようになったので、夢書けなくなってしまいました。