ナマエは軍属の竜騎士だった。
元々はグラドの人間だったが、色々あって辞職。国を離れて、流れの傭兵として生きていた。
だったのだが、旅先で立ち寄ったジャハナの酒場で大負けして今に至る。
そりゃあもう相手はバカみたいに強かった。ジャハナではあまり見ない、鮮やかな赤毛の子供で、年はナマエより少し下くらいか。彼は十代半ばか、それより下に見えた。
それで食事を摂っていたナマエを指差して、こう言う。
「あんた、腕に自信はあるのか?」
ナマエは元々グラドの正規兵で、自慢ではないが月長石のヴァルター様に見初められて配下となった。
あの頃はまだ彼が血濡れの槍に触れる前。忌々しい呪いの槍を、デュッセル将軍の許可無く使う前だ。
当時のヴァルター様は若干の女癖はあれど、強く真面目で尊敬出来る上官であった。
その栄誉から離れて、知らない街で傭兵をする日々は酷く虚しい。
それに子供に声を掛けられるのは久々であったから、ナマエは普通に答えてしまった。
なんせ、自分も幼い頃は誇りと自信に満ちた騎士に憧れていたから。あまり無碍にはしたくなかったのである。
「そこらの人間には負ける気がしない」
ナマエは元々の経歴と、ジャハナでは珍しい竜騎士であることも拍車を掛け、この酒場に居る傭兵の中では尤も雇用金額が高い。
一般的な駆け出しの傭兵は精々3000ゴールドだが、ナマエは仕事を始めたばかりにも関わらず二倍の値段で働いている。
返答を聞いた少年は、一枚のコインをナマエの目の前で弾いて言った。
赤い髪から除く双眼は、昏い癖に太陽みたいにギラついている。
「俺が勝ったら、移動手段になってもらう」
「私が勝ったら?」
「この剣をやるよ」
少年が置いたのは装飾華美の宝剣だった。彼の細腕にはまだ不釣り合いだろう。
そして冒頭。
「悪いな、俺の勝ちだ。今日はツイてるらしい」
結果は十敗。連続でコインの面を外した────のではなく、普通にイカサマを受けている。
しかしナマエは追求する気は無かった。少年は恐らく金を持ち合わせておらず、剣一本だけで此処に居る。ハナから剣を手放すつもりは無く、こういった賭け事を嗜まなそうなナマエに声を掛けたということも分かった。
その上で、ナマエは賭けに乗ったのである。
正直に言えば、一回でも視認出来るイカサマをすれば見捨てる気であったのだが────彼は前述の通りに、バカみたいに上手かった。
物証を抑える自信の無いままイカサマと謗ったところで、それはこちらの負けであろう。だから素直に敗北を認め、ナマエは立ち上がる。
「貴方は今から私の雇用主だ。何処まで行けばよろしいか?」
「カルチノまで乗せてくれ」
赤毛の少年はそう言った。ナマエは少し驚く。彼は幼さすら感じるほど若いのだが、国際情勢に先見があるらしい。
カルチノ共和国は集合国家である。決まった国王がおらず、貴族や富豪たちが元老院を設立して政治を行なっているような。
それ故に内乱や紛争、暗殺などは絶えず、傭兵として稼ぎを得るに当たって丁度良い場所と言えた。
ナマエは少年と自分の食事代を払う。彼は少し驚いた様だったが、大人しく従った。
だが、ナマエたちは酒場を後に出来なかった。
「おい、姉ちゃん。アンタ、俺とも賭けをしようぜ」
少年はタネこそ分からないイカサマをしたが、分かりやすいズルをしてしまった。十回コインを投げて、十回ともナマエが負けるような。
仮にナマエが相手にサマを掛けるとすれば、六勝程度で抑えるか…もしくは、一回だけの勝負にするだろう。
結果、ナマエが世間知らずの馬鹿だと思ったゴロツキが勝負を持ち掛けてくるのである。
「コイントスか」
「そうさ。そのガキとやったような、簡単なお遊びさ」
男は金貨を弾く。少年が弾いたものよりも価値の高いそれは、キラキラと光を反射して落下する。
男は手の甲にそれを乗せて、ナマエを見た。
「そちらが勝ったら?」
「そうだなあ…姉ちゃん結構かわいいから、俺たちに付き合って貰おうか」
酒臭い男たちがヤジを飛ばす。ナマエは呆れて、溜息を吐いた。
「そうか。では、わたしはこれを頂こう」
そして剣を抜いて、男の指を切り落とす。
「は?」
疑問符を浮かべたのは少年で、男は痛がりながら地面に転がる。そしてナマエは指とコインを拾った。
血と油に塗れた黄金が、砂漠の熱に煌めく。
「二枚もくれるのか。親切にどうも」
指を投げ捨てて、ナマエは少年の手を引いて駆け出す。絶対に揉めるからである。
扉を蹴破り、口笛で飛竜を呼んだ。頑固で太々しい性格のナマエの飛竜だが、パートナーの状況はしっかり理解出来たらしい。少年の脇下に両手を突っ込んだナマエを前足で掴んで、呆れた風な態度で強く羽ばたいた。
そしてナマエを民家の屋根に置いたところで、改めて彼────ミシェエルに跨った。
少年を前に乗せるか後ろに乗せるか悩んだが、彼はまだ成長途中に見える。振り落とすのは怖いので、前に乗ってもらおう。
「おい、あんた…」
「何か忘れ物でもありましたか?申し訳ないのですが、あの状況じゃ戻れないでしょう。弁償するので勘弁して頂きたい」
「違う。気付いていたのか?俺がイカサマをしたこと」
「そのことですか。以前、同業者に教わりましたので」
ナマエは指でコインを弾いて、甲に乗せる。そして開いて、表を出した。一回、二回、三回…表だけが十回続くのは、精々千回に一回。
確率的に無くもないが…中々お目に掛かれないところではある。だがナマエは、何度やっても表が出せる。百回でも、千回でも。
単純な話だ。面がどちらであろうと、二枚目のコインと擦り替えれば良い。
同じネタがバレそうになったら、無回転で空に撃ち出す。それもダメなら、両手で受けて都合の良い面を上に変える。出目を操る方法など、幾らでもあるのだ。
「まあ、どんな不正をしていたかまでは知りませんが」
ナマエは最初から勝敗はどうでも良かったので、コインをそもそも見ていなかった。
そう正直に伝えれば、少年は何か言いたげに眉間に皺を寄せる。
「賭けは無効だ。…改めて頼む。この剣で、俺をカルチノまで運んでくれないか」
「不要です。そろそろジャハナを発とうと思っていたから、貴方を運ぶのはついでに過ぎない」
元々彼が何を言おうと頼みは聞く気であったのだ。別に金に困っては居ない。それに同じ場所に居着いては、祖国への愛国心が薄れてしまうかもという危惧があった。
だから少年の願いを叶えるついでに、自分も此処では無い何処かへ行こうと思っていたのだ。
「あんた、変わってるんだな。グラドの竜騎士の癖に、ジャハナで傭兵なんかやって…こんな世間知らずのガキのお守りも引き受けて」
「特にやることもありませんので」
少年は口を噤んでいたが、唐突に「なあ」と問い掛けた。ナマエは「なんでしょうか」と返す。
空の旅は案外暇だ。蛮族が弓矢を構えようとも、ナマエとナマエの相棒はごろつきなどの弓を喰らうほど間抜けでない。
神妙そうな声に耳を傾け続きを促せば、意外な質問が飛んでくる。
「どれだけのイカサマを知っているんだ?」
ナマエは吹き出す。
だってその一言だけで、彼が賭博でカモられたことがあること、もう二度と引っ掛かりたくないと思っていることがわかった。
そして、少年は冷静そうに見えるのに、案外アツくなってしまう人間だということが分かったからだ。
▽
ヨシュアというらしい少年は、危なっかしくはあるものの、腕の立つ剣士であった。
その太刀筋をナマエは一度見たことがあるような気がするのだが、なんだったのか思い出せない。ジャハナに伝わる剣技か何かだったかもと思い直した。
ナマエは彼を運んで仕事を終えている。そんな義理などは無いのだが、万が一でも敵対すれば目覚めが悪い。顔見知りの子供なんか、誰だって切りたくはないだろう。だからなんとなく行動を共にしていた。
それに彼は前述の通りに危なっかしく、年相応に青いのである。ジャハナからカルチノまでを旅した仲として、そのまま放り出すのは罪悪があるとも言えた。
せめて傭兵としての最低限の知識や、引き際の見極め、あまり信用しない方がいい同業者なんかは、ナマエの知る限り教えてやりたいところである。
ナマエは駆け出しの頃、この業界の暗黙の了解などを知らず袋叩きにあったことがあるので。
「最初こそあんたはおっかない騎士様だと思ったが…存外とお節介なんだな」
ヨシュアの失礼な感想である。
逆に聞きたいが、世間を知らない少年を国外へ運び、あっさり彼が死んだりなんかしたら居心地が悪くならないのか。知らない仲というには、それなりの期間を共にしている訳であったし。
ナマエとヨシュアは本日も傭兵として、戦場に立っている。
師団を持たない小さな領土での小競り合いは、傭兵同士の戦いになることも珍しくない。現状このマギヴァルでは、国同士は同盟を結び戦争が起きないので、こういったことは茶飯事ではあった。
「ヨシュア殿…違約金を払いましょう」
「…どういうことだ?」
ナマエは遠くを指差す。一人の傭兵を筆頭に、非常に練られた動きをしていた。ナマエはその軍団長の名前を知っている。
「この金額じゃ割りに合いません」
ジストとザッパーとはナマエも一度同軍に所属したことがあるが、統率の取れた傭兵団と敵対して良い事はないと判断するには十分だった。
「あれはジャハナじゃ有名な傭兵団です」
「へえ。あれが…だが、引かずともいいんじゃないのかい?
俺もあんたも実力がある。同軍のヤツと歩調を合わせれば…」
進もうとしたヨシュアを腕で引き寄せた。体制を崩した彼は、帽子を押さえながら一歩下がる。
相変わらずのニヤケ面であったが、静かな怒りと不服を向けられる。
「少し慎重過ぎるくらいで良いんですよ、傭兵なんてのは」
ナマエは肩に刺さった弓を抜いた。
ヨシュアを乗せる際に、飛竜目掛けて飛んできたから咄嗟に腕で受けたのである。
「おい、ナマエ!あんた、矢を…」
「この様子じゃあ、大量の弓兵が伏せてある。此方の軍は飛竜と天馬が中心ですから、とんぼでも取るように落とすでしょう」
要するに、負け戦だ。情報戦で負けているのだから、ひっくり返ることは無いだろう。
彼の手を引き、ミシェエルに乗せた。彼はプライドが高く、人を乗せると酷く嫌がるのだが、戦況を読む賢さがある。静かにヨシュアを乗せて、ナマエも跨った。
「…悪かった」
ヨシュアは小さな声で謝罪をする。今まで彼に謝られた事など、ナマエには無い。純粋に、コイツ謝罪とか出来たのかと驚いた。
「別に構いませんよ。わたしが好きでやったことだ」
▽
結局ズルズル二年ほど共に過ごしていたナマエとヨシュアだったが、別れもまた唐突なことである。
出会った時はナマエの方が背が高かったが、今はヨシュアの方が高い。まだ剣技で負ける気はないが、剣も槍もと扱い一つに絞る気の無いナマエは順当に彼に抜かれるだろう。
「そうか。あんたは行かないんだな」
彼にしては珍しく、湿っぽくそう言った。ナマエはヨシュアとの旅を結構気に入っていたが、彼もまたナマエに好意を抱いていたと都合良く捉える。
「ええ。グラドには行きません」
ヨシュアは此処からグラドへと渡るのだと言う。カルチノ、フレリア、ルネスと渡った二人だったが、グラドへ行くというならば、ナマエは此処でお別れだった。
理由は単純で、故郷には嫌な思い出があるから。それだけのことだ。
「なあ、ナマエ。お前さんを手元に置くには、どうすれば良い?」
唐突にヨシュアはそう聞いた。ナマエは問いの意味がわからず、首を捻る。
傭兵が傭兵を永久雇用するなど有り得ず、彼の実力を考えれば、ナマエを手元に置く理由は無い。
「真剣に考えてくれ。俺は気に入っているんだ。あんたのことも、あんたが居る場所も。
…金じゃないよな。そんなもので良いなら、一介の傭兵じゃお目に掛かれない程の金を積むだけだ」
青年はベッドに手を付いて、ナマエの顔を覗き込んだ。暗がりの中で、燃えるような瞳が真っ直ぐに隻眼を見る。
伸ばした髪が頬に垂れてくすぐったい。普段は帽子を目深に被っているし、彼はまだ成長途中だったので知覚しなかったのだが、ヨシュアは非常に綺麗な顔をしている。
だが、寂しげな顔は子供らしい。ナマエは手を伸ばして、髪を撫でる。思った通り、指通りが良い。
「わたしは一箇所には留まらない。刑罰でも受けない限りは」
「なんだそりゃ」
「信条なのです。人に入れ込んで、失敗した人生なもので」
「…入れ込んだのか、男に」
「どうして男性だと分かったのですか?」
「ブラフだぜ。まさか、本当にだとは思わなかったけどな」
的中した割に、ヨシュアは酷く不満げな顔をしている。
そうして静かに灯りの火を消した。朝が来れば、ヨシュアとはお別れである。きっと、もう会うことはないだろう。
ナマエは傭兵であるのも飽きて来たし、飛竜を飼いながらも定住するだけの金はある。いずれ適当に世を捨てて暮らそうと考えていたので、貯蓄をしていたのだ。
朝目覚めた時、既にヨシュアは消えていた。
ただ、枕元にはいつ貯めたかも知らない金貨と、手紙と宝剣が置いてある。二枚ある片方は丁寧に封がされていて、もう一枚はナマエ宛のようだった。
ナマエへと記された文字は美しい。傭兵を生業にするジャハナの少年にしては、随分達筆な字だと関係の無いことを思った。
砂漠の国は、環境が厳しく資源も枯渇しやすい土地柄であったが、案外識字率は悪くないらしい。ナマエは未開の国と内心見下していたことを恥じた。
文面を読めば、その剣を持ってカーライルという人物の家を訪ねろとのことだ。不思議に思いつつも、決して短くは無い時を過ごした同業者の願いでもある。
ナマエの目的地は、再びジャハナとなった。
▽
剣を持って行ったナマエは「何処でこれを…」と刀身と同じ青い顔をした男に言われる。
「赤毛の少年に預けられたのだが」
答えれば、男は少し無言になった後「名は?」と尋ねた。
「ヨシュアだ」
男は凄まじい速さで武器を蹴り飛ばした。そしてナマエが帯刀していた剣を引き抜く。
不意を食らって驚くナマエの首に剣を振りかぶるが、それを許すほど呑気でもない。
ナマエは男の足を払って、一歩下がる。一見すると状況はトントンに思えたが、残念ながらあちらが上手だったらしい。
「すまないが、王宮に来て頂こう」
くるる、と飛竜が鳴いた。ナマエが逃げれば、彼を殺すと男は目で訴えている。
「参った。相棒の助命をお願いしたい」
「必要無い。命を奪うつもりは無いのだ」
仕方無く従い、武器と鎧を捨てる。
ヨシュアの所為で酷い目にあったとナマエは一人ごちる。だが人の武器すら扱い、型に嵌まらない柔軟な構え。ふとその剣技を思い出した。それはヨシュアと同じものだったが、なるほどジャハナ正規軍の剣術である。
そしてその独特の踏み込みに、ヨシュアの名を聞いた時の態度。恐ろしく強い剣士。まさかだが、ナマエが運んでしまったのは…考えるのはやめよう。
▽
「無知とはいえ、許されないことを致しました。私の首などでは釣り合わないでしょうが、如何なる処分も受けさせて頂きます」
ナマエは開口一番謝罪する。
目の前に控えるのは、赤毛の女王。透き通るような白い肌。非常に美しいかんばせ。そして何より、この一年間、ずっと視界に映っていた赤と同じ色彩を持っている。
「良いのです。貴方は私の息子に、いいように扱われてしまっただけなのですから…
寧ろ、感謝をしなくてはなりません。我が子ヨシュアを守ってくださったことを」
あのクソバカイカサマ野郎は、一国の王子────それも、この国唯一の王子であった。
ナマエは冷や汗が滝のように落ちるのを感じる。後でカーライル殿には謝罪されたが、荒い真似をしてでもナマエを引きずり出さなければならないのも痛いほどわかる。
失踪した王子からの手紙と、失踪した王子が持ち去っていった国宝を持つ傭兵が現れたのだから。そんな状況に出会せば、ナマエだってそうする。軍団長殿を責められはしなかった。
「しかし、それでは…」
女王は許すと言ったが、ナマエとしては然るべき処分を受けなければならないという気持ちであった。
当然だろう。無知であったからと、王子の国外逃亡に助力した上、二年も連れ回したなどと。仮にリオン王子にも同じ事をした輩が居れば、ナマエは迷わず切り捨てている。
「でしたら、此処で共にあの子を待っては頂けないでしょうか」
イシュメアの申し出に、ナマエは「は」と短く返してしまう。
困惑し、顔を上げれば、ヨシュアとよく似た優しげな瞳がナマエを覗き込む。そうして玉座を立ち、絨毯の上で跪くナマエに宝剣を添えた。
「貴方と共に過ごした、わたくしの子の話を聞かせて頂きたいのです。いずれ王となるあの子の騎士として、語り部として、ジャハナに留まってください。
…どうか、お願いできますか」
ナマエはとっくの昔に、祖国グラドへ槍を捧げている。
だが、切実な願いを口にするイシュメア女王は、子を愛する母の顔をしていた。
「話だけでも良いのです。一夜にひとつずつ、貴方が知るヨシュアの話が全て終わるまで…」
ナマエは酷く悩んで、腰から鞘ごと剣を引き抜いた。
「わたしはグラドに槍を捧げた身。ですが贖罪の為、暫しこの剣を貴方の為に振るうこと…どうかお許し頂きたい」
ジャハナに愛国心などは無く、イシュメア女王に忠誠があるわけでも、ヨシュアに剣を捧げたわけでもない。
ただ、親から子を奪った罰として、ナマエはそれに応じただけである。だから心の底にある感情といえば、ヨシュア、てめえ、ぶっころす、だ。