─────気合いがあれば、大体なんでも出来るはず。
上記はわたしの持論である。
努力、友情、勝利。少年漫画の三原則。
わたしはそれらが好きだ。よく分からないけど、がむしゃらに頑張ったらどうにかなる。それがシンプルで、明快で、一番納得しやすい答えだからだ。
だから喚び出したサーヴァントの熱力学第二法則とか、なんとかかんとかエントロピーとか、意味分からなすぎて考えたくも無い。
というか魔術師だから!科学とか、ダメだから!禁じられた機械は教えに背くから!神秘を薄めるから、ダメ!
そう彼に言えば、サーヴァントはサングラスを指で押して笑ったような仕草をする。あくまで“ような”に過ぎず、笑ってはいない。
少し困った風に肩をすくめてはいるが、それらは内情の伴わない、空虚なジェスチャーなのである。
「まあ、それは、それは。魔術を収める人間であれば、当たり前ですよね…」
彼には悪いが、わたしは数学も苦手だ。
義務教育や高等教育、魔術師になってもある程度の計算が要るから収めているだけで、細かい出力を調整するのだって本来やりたくはない。
だから、適当な見積もりでなんとかなるような魔術式を好んで組んでいる。この聖杯戦争だって相方に細かいものを全て任せたかったから、キャスターを望んで召喚したのだった。
それを告げられたサーヴァントは、より一層深く肩を落とした。わたしに呆れている様な仕草である。
「はあ…ええ、マスターがそう仰るのであれば、そうなのでしょうけど… 完全分業制度を採用するにも、今現在の私の弱さでは役不足ですよ。魔力エンジンすら始動しませんから。
マスターが方法を考えるのであれば、何某かの手はあるかもしれませんけど」
「無理無理、わたしバカだし。キャスターの提案は却下するけど、代案はない。思い浮かぶまで保留にしてくれなきゃ」
「…バカ、ですか? それは、何を定義として?」
「足りないんだよ、言葉。頭使うのも好きじゃないし。
とりあえず。キャスターが戦闘能力を持たないって言うんだから、わたしが前出たらいい」
「確かに。それは、それは。考え無しであるとは、正しく定義出来るでしょうね」
わたしたちは絶賛、揉めている最中であった。なぜかと言えば、それはシンプルかつ単純で明快。
「そのような手段を取らずとも…私を廃棄し、辞退すれば宜しいのでは?」
此度の戦争での相棒──────キャスター。彼が自分との契約を取り消し、この聖杯戦争を早く降りるべきだと言っているからだ。
それは…ふつうに嫌。わたしだってウィザードの端くれで、勝とうと思って此処に来たのだ。それに、可能性がゼロじゃないなら、なんとか頑張るべきでは?
わたしの意見に、キャスターは困った顔をした。
「ゼロに等しいから、私はそう提案しているのですがね…」
キャスターは現在の戦力…わたしの特性と自分の能力を鑑みて、聖杯戦争を勝ち抜くのは非常に厳しい事であり、無意味な努力だと判断したらしい。
わたしは前者に異論は無いが、後者には異議があった。無駄かどうかは、やってみないと分からない。黙って死を待つよりかは、足掻いた方が満足出来るだろうし。
彼が非常に合理的で、人間らしい精神論を少しも考慮しないのは明確な理由がある。彼は思考実験の中で生まれた、仮定の中の存在だからだ。
それがマックスウェルの悪魔であり、わたしのサーヴァントのキャスターの正体であった。
本来そんなものは存在出来ない筈である。存在証明を成されておらず、寧ろ否定を食らってる。実現可能な逸話も無い。
というか提唱された1867年頃ならまだしも、2030年代の今現在に於いて、こんなもん出て来てどうすんだという話である。だって彼を完全に否定する方法が、二十年前には既に発見されているのだから。
マックスウェルの悪魔が聖杯戦争で召喚されることなど、絶対に有り得ない。存在せず、信仰も盲信もされず、フィクションとして在るにも逸話が無い。
一時的なものであれ、無から有を産めるなら────エントロピーの操作が出来るヤツが居れば、それは確実に魔法使いだろうし、そいつこそが悪魔だろう。
無秩序を行使出来るならば、時間移動もついでに出来るに違いない。
「実は、マックスウェルの悪魔じゃなかったりする?」
キャスターは表情を固まらせた。
人間がするような、驚いた時の反応ではない。わたしの言葉の意味を測りかねて、思考を停止したような動きであった。
わたしは慌てて、補足説明をする。彼の想像の斜め上をブッ飛ぶバカで申し訳ない。
「水子の霊がジャック・ザ・リッパーに成るみたいに、生まれる前に消えて行った悪魔たちの怨念がサーヴァントに…みたいな?」
そこでやっと、キャスターは合点が行ったように「ああ」と一言。
「いえいえ。正真正銘、マックスウェルの悪魔ですよ。それを証明しろと仰られると、どうしようもありませんが。
これも、悪魔の証明のようなものでしょうか」
彼はマックスウェルの悪魔だが、それを証明する手立てが無いと言う。
宝具は起動出来ないし、他に固有能力もない。それに対して、彼は「詰んだ、とでも言えば宜しいですかね」と形だけの微笑みを浮かべた。
上記の通り、マックスウェルが唱えた論理はとんでもないものである。それは科学であり、魔法。彼の理想は、魔術師も至るべき場所だ。
つまり、明らかに有り得ないのだが、此処は月の中であった。ムーンセルは例外中の例外が許される、思考実験場なのである。
架空のシュミレーターの中にだけ存在出来る机上の現象。この人造ムーンもまた、“もしも”を具現化した存在。
月の聖杯戦争だったからこそ、彼とわたしは肩を並べているという話だ。
だが、まあ。なんていうか。やはり弱いものは弱い。
わたしはまあまあ優れたウィザードであり、魔力量と出力だけ見れば超一流の魔術師だ。
自身の長所である膨大なマナの出力量を活かし、その瞬間火力を惜しみなく使える相棒を望んでいたのだが…彼はエネルギーの生成が売りのサーヴァントである。
永久機関こそが彼の力であり、唯一の強み。それを出力の優れたマスターに与えることが勝ち筋…である筈だったのに、そもそもエンジンが始動しない。
だってわたしは、彼を起動させるような術式が組める魔術師ではない。大雑把で適当だから、緻密な歯車など回せやしないのだった。
どれほど沢山の魔力を持とうと、どれほど多大な消費を行えようと、注ぎ口が正しくなくては意味がないだろう。単一電池が入るケースに、永久機関を乗せちゃいました。でも規格が違うので送電出来ません…みたいな。そういう話。
わたしたちは、あり得ないくらいに最悪の組み合わせであった。
かと言って、諦めるという選択肢は特に無い。
やれるとこまでやってみよー!とわたしは手を挙げる。サーヴァントは呆れた仕草でこちらを見ていた。
「考え直しませんか? 無意味な徒労に終わるだけなんですよ」
そうだね、でも嫌。わたしは速攻で棄却する。
すぐに断れば彼、マックスウェルの悪魔は肩を落とした。わたしはそれを見て、「ふ〜ん」と抜けた息を吐く。
「なんでしょうか。何か、おかしなことでも?」
「まあ、おかしいよね。貴方“そういうの”じゃ無いんだし」
キャスターは「それはそれは」と如何にもな語り口で、胡散臭そうな笑顔を浮かべた。
それすらも、わたしにとっては“おかしなこと”だ。だって彼はサーヴァントという人外である以前に、存在しない悪魔なのだから。
彼は本来、そんな機能などは不要である。人間のようなツラをしているが、こいつは人外中の人外。神ではなく、想像上────いや、言い直そう。机上の悪魔である。
だがしかし、現界する以上ある一定の反射機能を備えて来ているのであろう。
パッと見であれば違和感などは微塵にも無いし、実際自然に会話もコミュニケーションも試みることが出来ている。大変に人間のフリが上手な人外であった。
しかし、それこそ無意味な事ではないのか。キャスターが人間のような感情を持つ事など有り得ないし、そう扱う事に意味も無い。
そこまで思って、わたしはすぐに思考を振り払った。
彼が自分をどう思おうと、例え人間らしい感情が無かろうと、わたしがキャスターを軽んじるのは違う。
誤魔化すように背中を叩こうとして、腕が擦り抜けた。驚けば、彼は困った風に笑う。
そういう英霊だから、物理干渉は不可であると。苦笑からは、そんな言葉が読み取れた。
「なんだよ、それ。君は此処に居るのに」
そう言えば、彼はなにかを言おうとして止めた。言うだけ無駄だと思ったらしい。
▽
マックスウェルの悪魔は、出オチに等しいサーヴァントである。
彼は通常攻撃では倒せない────まあ、他のサーヴァントだってそうだと言えばそうなのだが。
キャスターには、一般的な英霊すべてに適用される“神秘の力でなくては傷を付けることが叶わない”という常識が通用しない。
魔力が籠った攻撃しか通らないというのが、通常のサーヴァントである。物理攻撃は効かず、魔術や幻想を介したものしか打点として成立しない。
しかしマックスウェルの悪魔は、神秘とは掛け離れたもの────科学による正しさのみが通るのである。
まあつまり、彼の真名が分かった時点で終わりという話であった。
理系に参考書で殴られただけで消滅すると当人は言っているが、それは嘘偽りなく本当のことなのだと、わたしにはなんとなく分かる。
なんだったら、わたしのキャスターがマックスウェルの悪魔だと判明した時点で、“そんなのないやい!”と口頭で否定して、それから普通にパンチ一発で終わりなのである。
伝説や伝承の存在は信仰心によって現界するけれど、近代史の理論はそうも行かない。
打ち立てられた説というのは、迷信などという呼称を付けられることもなく、ただ普通に“ない”の一言で終わりなのだから。
月の聖杯戦争は彼の現界を可能にした。
しかし現代社会に於いて、かなり弱体化というか無力化が進んでいるマックスウェルの悪魔には、更に厳しい一手が掛かっていたのだった。
なぜなら月のデータベース…図書館で少しでも調べようものなら、彼を否定するための文章がもう大量に引っ掛かるのだから。
つまり。つまりだ。
わたしたちは、キャスターの真名が露呈しないよう、他の主従よりも更に繊細な立ち回りをしなくてはならなかった。
だが苦労の甲斐あって、楽に勝っても居た。キャスターは真名さえ秘匿出来るならば、まず負けることが無いのだから。
「案外なんとかなってるよね」
わたしは魔術師を足蹴にする。
サーヴァントは既に居らず、我々の搦手によって廃棄済だった。
残った魔術師を圧縮し、令呪ごとリソースの箱に変える。簡易電池のように加工された生命は、既に使い捨てのエネルギーに過ぎない。
「そうですね。考えを、改める必要があります」
「わたしたちなら勝てるって?」
「いいえ。貴方は戦いを選んだ末に、苦しみ抜いて敗北する。…やはり辞退をすべきでは?」
人外の癖に、随分人に甘い。
「余計なお世話だけど、気遣いはありがとう」
そう言えば、キャスターもまた肩をすくめた。
我々の議論は平行線で、答えの出ないものだったからだ。
▽
最近知ったことである。
やけに余所余所しいわたしのサーヴァント。マックスウェルの悪魔は、別にわたしを嫌っているわけではない。
ただ、彼は否定され尽くしたからこそ、予防線を張っているのだ。これ以上、存在証明を脅かされないように。
それを突き付ければ、彼は困り顔…に見えるが真偽は定かでない。
眉を下げて、こう言う。
「はあ、それはまた。貴女はいつも突飛な仮定を展開しますね」
「トンデモ理論の体現者に言われてしまった!」
文句を言えば、益々悪魔は困ったようだ。
「それは仕方が無くないですか?」
彼は肩を落とす。とりあえず肩を落とすモーションをしておけば、生物らしいとでも思っているのだろうか。
確率でしか物事を見ず、割合でしか判断をしない。その癖こちらの心配は何故かするものだから、わたしは彼がよく分からなくなっていた。
「そうやって君は。肩を落としておけば、わたしが引くと思っているのか」
「いえ、全く。貴方がそれだけで諦めるような人であれば、私が何度も肩を落とすことはありませんね」
「ああ言えばこう言う!」
「はい、はい、私が大人気なかったですから、どうどう…」
き、きさま…!と買い口調にはなるものの、彼がこうして見くびってくるのは結構ある話である。
そうしていつも適当に話を流そうとした。これ以上の裏切りを受けないように、これ以上の見切りをせずに済むように。
その態度が気に食わないのも勿論あったが「あのね、」とわたしは言う。はっきり言っておかなければ、彼はわたしの言葉を聞かないだろうと思ったからだ。
普段は此処で戯れを止めている。わたしは軽口を好むが、諍いは好まない。驚いたように悪魔は身構えた。
こちらを向いて、わたしを見下ろす。
「可能性を諦めたらゼロだよ、マックスウェルの悪魔。君自身が不可能の証明を諦めてないから、今ここに居るんでしょ」
サングラスの奥の瞳が、揺れた気がする。
返答は来ない。言葉の意味を、珍しく熟考しているらしい。
「魔術師は、なぜ聖杯戦争に挑むのだと思う?」
わたしはキャスターに問い掛ける。
「根源へと至る為、ですか?」
彼は即座に返した。
それは模範的な回答であるし、少なくともわたしはそうだ。この月の戦争は母数が大きい。中には、よく分からない理由で参加したやつも沢山いるだろう。
でも基本的に、魔術師が聖杯を獲るのは根源に至る為。魔術師としての願いを、夢を、存在理由を叶えたいが為だ。
しかし正確に言えば違う。根源に至る事を願うのではない。根源に辿り着く為の、計算式を求めるのだ。魔法の為に辿り着くのではなく、魔法を得るから辿り着くのだ。
そして魔法は有り得ざる事象。マックスウェルの悪魔と然程変わらないような、突飛な話である。
そう言われたキャスターは「それはそれは」と気の無い返事をする。
わたしは肩をすくめる。明らかに、こちらの意図が伝わってなかったからだ。
▽
勝てない敵に当たった時、“負けた後をどうするか“。
そう考えるのは魔術師のサガであろう。
相手のマスターはあまり利発そうには見えなかった。
サーヴァントだって、昔の文明の人間だろう。その奇抜なファッションは、数学どころか倫理すら修めて居なさそうである。
具体的にいえば、宗教を迫害して反感を買うような。相手のサーヴァントは美だと芸術だと自身を謳うが、根底の所でそういう野蛮さが伺えた。
「────その語り口、その言葉。そなたたちは学者だろう。
清らかであるだけでは、皇帝は務まらぬ。椅子の上で踏ん反り返り、あれやこれやと文句を言うばかりの頭でっかちには、分からぬ事やも知れぬがな」
「さあ。それは如何でしょうか。私については、当然お答え出来かねますが… マスターが学者かと問われると、それは些か疑問がありますね」
「そうでしょう」とキャスターは感情の見えない声で言った。彼の軽口に対して、わたしは返答に困る。
魔術師は誰しも、魔術という学問を学ぶ学者と言えるだろう。だがそれは根源に至る為であり、学に志しているから研鑽をしている訳ではない。
研究を仕事としている訳ではなく、それは最早趣味というか、宿命というか、やれるかやれないかを出す人生の命題であるのだ。
やはり学者として定義するには、彼が言うように些か疑念が残る次第であり、相手のサーヴァントの“学者だろう”という推測は、合ってもいるが間違っているとも言えるというか。
自分の勉学の納め方で学者を名乗るには、些か不足があるのではないか。
そう思わない?と相手のマスターを見れば、非常に困った顔で視線を彷徨わせた。
そうして隣のサーヴァントに困惑の眼差しが向いて、赤色のセイバーは少し怒ったように声を張り上げる。
「まどろっこしい!では学者で良いではないか!」
そうやって適当に片付けるのが暴君っぽい。
やーねー、とキャスターを見れば、キャスターは「マスター、そういう態度は… ほら、私たち穏健派ですから。なるべく控えましょうね…」と煮え切らない態度である。
「ええい、忌々しいタキトゥスめ!
あやつが人を暴君だなどと、暗君だなどとボロクソ言うから、後年の学者も余をあのような目で見るではないか!」
わたしはそれを見て、小さく笑う。それは相手のサーヴァントの真名が絞れたからだった。
此方は事前に、キャスターと大まかな予想を立てていた。相手のサーヴァントは、セイバーであるとか。自信家で高慢だが、頭痛持ちで繊細な所があるとか。
それに加えて、今回のことだ。
姑息でも陰湿でも、こちらは相手のミスを狙って真名を突き止めるのがわたしたちの勝ち筋である。だってキャスターは戦闘をするサーヴァントではないから。
「学者のせいにしても、ねえ。学のある者から見た貴方は、結局そうだったって話なんだから」
「余は市民からは人気だったぞ!に、ん、き、だ、っ、た、ぞ!」
上手いことやって、真名を引き出して、相手に合った消耗戦を仕掛ける。それが唯一の勝ち方であったから。
あちらは闇雲に魔力消費をする。遂にそれが枯渇して、赤いセイバーは剣を置いた。肩で息をして、我々をキッと睨み付ける。
「ぐぬぬ…奏者に無限の財があれば!このような屈辱、すぐに返すというのに!」
「永久機関でもあったら良いのにね〜」
キャスターは肩をすくめる。わたしの失言に、呆れた動作を重ねる為だった。
▽
しかし人は見かけによらぬもので、あのぼんやりとしたマスターは、わたしのキャスターの真名に辿り着いてしまった。
たった幾つかのヒント────それこそ、神秘が効かないだとか。
彼は人のようだが、人でも神霊でもないことだとか。
そして迂闊にもわたしが発した“永久機関”というワード。自身のサーヴァントが直感的に閃いた、“学者”という偏見。序でに言えば、キャスターの語り口はいつだって、事象を証明するような切り出しだった。
そんな少ないピースから、茶髪のマスターはわたしたちの謎を暴いてしまった。
そんなものがサーヴァントになるなど、まず思いも付かない筈なのに。
そう驚けば「ナーサリーライムを見た事がある」と相手のマスターは言った。
驚く程の強運…いや、思考の柔軟さである。
そして、幸運にも恵まれていたらしい。童話がサーヴァントとして召喚されるのを知っているならば、理論の中の仮定がサーヴァントとなることに行き着いても不思議はないだろう。
そうなるとわたしはいよいよ持って手段を選べなくなる。
わたしのキャスター、マックスウェルの悪魔がどうやったら消えるかなんて、すぐに分かることだったからだ。
相手のサーヴァントは、恐らく暴君だろう。薔薇の皇帝。なぜ女性なのかは分からないが。
しかしそんなことが分かったところで、キャスターに辿り着かれた以上どうしようもない。真名の開示に寄る有利不利どころでは無いのだから。
命など使い捨てであり、乾電池ほどの価値しかない。
真理を得られない事が決まった以上、血族への投資を考えて何かしらの有益を探す。
そうして最善の道を出した際に、命を捨てるの必要があればそうするのも当たり前のことであった。
やればできるの根性論を語るには、先ず己が実行せねばあるまい。
「わたしは貴方を否定しない。わたしは貴方を証明する」
心臓に手を触れ、柔く微笑む。
マックスウェルの悪魔は悪魔なんぞを名乗ってはいるが、その実、誠実で、潔白で、真摯である。
彼はそもそも、人の役に立つ為に生まれてきた。人類の幸福を願って産まれてきた存在なのだ。
否定されることに諦めながらも、心の奥底で肯定を求めている。産んだ親に消された理論を、証明することを目標としている。
ならば、ならばだ。マスターであるわたしが信じるならば、少なくとも“一人”は彼の証明となれる。
わたしは指を銃の形にして、ガンドを放つ。
有りったけの魔力を、己の回路を壊す程に開きながら放てば、赤いセイバーは剣を取り落とした。
「待て、奏者。────余は、何に攻撃を受けている?」
相手のマスターは息を呑む。そうして指と視線が彷徨って、わたしに合う事無く下げられる。
サーヴァントもまた、次の言葉を紡がない。彼女たちは既に、その問いに対する答えを失っていたからだ。
無から有を作ることが、マックスウェルの悪魔だ。
わたしというエネルギーを使用するのは、有から有を生み出す行為に過ぎず、差を作るというエネルギーの作成方法に則っているに過ぎない。それは、マックスウェルの提唱する法則ではない。
ならば“わたしを焚べてから、わたしを燃料とした事実が無くなればいい”だろう。
指先が溶けていくのを感じる。電子の海の中で、限りなく1から0へと近付いて、わたしという存在証明が揺らいでいく。
既に相手のマスターもサーヴァントも、わたしを識別出来てはいない。マックスウェルだけが、わたしを静かに観測していた。
「マスター。貴方、知っていましたね。悪いひとだ。分かっているからこそ、無知であろうとしましたね」
なんのことだか。
言えば悪魔はおかしそうに笑った。そうして直ぐに表情を消して、消したくせに、酷く温度の感じる声で懇願する。
「やめてください。そんな不完全は、私の望むものでは無い」
震える指がわたしに触れる。
一人にしか肯定されぬ思考というのは、信者を喪った神に似ている。定説を唱えるもの、それを信ずるもの、それを心に抱くもの。少なければ当然、力は弱い。
そういったものが集まって、サーヴァントは強くなる。
共通認識が、周知される概要が、彼の後ろ盾となる。
今の彼は、わたしと同じだけの力しか無い。だって、わたしが彼を信じる一人だ。
破綻などさせない。シラードのエンジンを成功させる。それには、永久機関に至るまでの心臓が要る。完全無欠の永久燃料。そんなもの、わたしが作れる筈が無い。
だけれど、それが“在る”と信じ込ませることならばわたしにだって出来る。だってここは、月だった。
存在出来ない現象を固めて作った─────ファンタズムなのだから。
仮初めの心臓。虚偽の燃料。信仰するものが増えれば増えるほど、机上の空論は答えに近付く。根源に至り、無象を手にする。
但し、悪魔は未完の理論であった。それの証明のために、半端な犠牲を必要とする、不完全の心臓であった。その足掛かりになることしか、馬鹿には出来ないのだ。
「マスター!」
だけれど悪魔はそれを望まないらしい。
届かない指を伸ばして、響かない声を張って、彼らしくない無駄なことをする。わたしは魔術師なのだから、我欲でしか動かないと計算出来るだろうに。
「聖杯持って、願えばいいじゃん。過程なんて何でもいいよ。結論を先に出して、穴空きを埋めたら良いんだから」
わたしの恨み言に、キャスターは酷く困った顔をした。
こちらの提唱する論理には穴が無い。不完全な計算式を、完全にする。今は一度欠陥から目を背けて、後でその方法を求めれば良い。算数ですら、左から順番に計算する訳じゃないだろう。
答えに辿り着く術式を、ムーンセルに計算させればいいだけだ。
「…成程。確かに、貴方は言葉が足りない。答えを導き出すのに、思ったよりも時間を要しました」
キャスターは苦々しげに言う。
魔術師だって、大体みんなそうしてるだろう。わたしは以前伝えた筈だ。聖杯は根源に至ることを願うものではなく、根源に至る方法を知る為の願望器だったのだと。
「マスターは、間違ってはいない。正解でしょう。道理である筈です」
マックスウェルの悪魔は、人外らしい意見を述べた。
導き出された答えに破綻は無い。これで目的を果たせるのだから、これは確定の1なのだ。
「…しかしそれでは、貴方がゼロになる」
このまま行けば、順当に勝てるだろう。だけどわたしは止めた。半端に中断されたそれは、何にもならない。
しかしこれで良いと思った。わたしは、彼のプライドを初めて知ったからである。
彼はそういう反射をしている人外なのではなく、確かにそこに居た。マックスウェルの悪魔は、存在したのだった。
らしくないことをしたせいだなと、わたしは思う。精神論者の癖に結論有きの答えを取るから、挑む前に負けている訳だ。
結局、どこまで行こうと精神論者。利益を優先せず、彼の心などという、0を優先した。異端の魔術師は、魔術使いの素養があったのだ。
わたしがそういった人格であったからこそ、思考実験の悪魔が来たのは道理だ。ゼロはゼロだと言いながら、1と0の間には、表せない何かが有ると信じていたから。
欲しいものは完全なる心臓だけだと言った。終わりの見える、不完全の心臓などは許せないのだと語り出す。
例えわたしのものでも、欲しくないのだと言い切った。
思えば、キャスターの自己主張は、これが初めてであったと気付く。
サングラスの奥が鈍く煌めいて、机上の悪魔の本心をやっと知った。その色は、何処か残念そうに、哀しげに感じる。
「貴方は本当に度し難い」
マックスウェルの悪魔は言う。
馬鹿にするような口振りであるが、声の端は震えている。機能として存在する彼は、人のように振る舞う人外であったが、ちゃんと此処に在るでは無いかとわたしは笑った。
電子の核を取り出し、彼の手に乗せる。
「あげる。もう要らないから」
マックスウェルは恭しく傅いて、「愚かな人よ、感謝します」そう言って手を取る。
慈しむように拾い上げたそれを、掌で霧散させた。これでわたしは、燃料にも成れない燃えカスとなった。
彼は理解している。悪魔の証明には観測者があってはならない。
観測者が存在することで、その者こそが悪魔となるからだ。彼の立場を奪い取って悪魔と成らないためには、観測者は消える必要がある。わたしが心臓と成らずとも、彼を正しく観測した時点で消えなくてはならない。肯定するには、存在を無くさなくてはならない。
冷たく、何も感じない手のようなもの。
情報の集合体であり、触れることは叶わない。だけれど確かにそれに触れる。此処に在るように、触れる。
触れられないのはわたしが消えるからだ。彼が存在しないのではなく、観測者が存在しないからだ。それを声高らかに宣言する。
怪訝な顔の皇帝に、真っ直ぐこちらを見る茶髪のマスター。喋っていたのに突然消え始めたのだから、そうなって当然だ。
ネロは我々を理解しないだろうが…あの人。いや、あれ。人のように見えるアレは、きっとキャスターを理解ってくれる。そこに在ってそこに無い。あれらは、おんなじようなものだからだ。
いま身体はゼロになるが、相手の記憶に我々は必ず残る。
勝手に自爆した、愚かな二人組としてか? 結局何をしたかったかも分からない、馬鹿のマスターとサーヴァントとしてか?
それは少しみっともない。だけど確かに、存在していたと言えるだろう。
必然の帰結に笑えば、悪魔は溜息を吐いた。
「全く。貴方が本当に馬鹿であれば、こうはならなかったのに」
わたしは笑った。
だってそれは、最高の褒め言葉だったから。