「一番好きなホラー映画は?」
ナマエはその問いに咄嗟に答えられなかった。
それはナマエが夜勤明けでグロッキーだったこと、今日の仕事は特別怠かったこと、割と肉体労働なのでヘトヘトになったこと、家に知らん変なヤツが居て謎の質問をして来たこと────その辺りはあんまり関係ない。
単純にナマエは、ホラー映画どころか映画もテレビもあんま見ないタイプなのである。
車通勤だからラジオを聴いている時間の方が長いし、テレビを付けるのはプレステを付ける時。
だから純粋に返答を困ったのだ。だってホラー映画見ねえもん。
「見ない」
眠くて充血した目を擦って、真っ黒黒の変な服着たお面の男を寝室から追い出す。ハア!?とかなんなのお前!?とか聞こえたが、夜勤明けで長々運転して帰って来たナマエは変な人に構っている場合じゃない。てゆうかなんなのお前はこちらの台詞だ。
ナマエはとっととベッドに潜り込むと、最速で寝落ちた。それが、朝の最後の記憶。
「ハロー、ねぼすけさん。良い夢は見れたかい?」
「…」
起床したナマエは漸く異常さに気付く。
そういえば昨日、帰ったら風呂沸けてたし、炊いた覚えない水加減の怪しいご飯あったし、知らんヤツが好きなホラー映画聞いて来た。
そんでもって知らないコスプレ男はナマエに馬乗りになってモーニングコール。────よく考えなくてもヤバいのでは?
身体を起こそうとすれば、足の間に膝を差し込まれる。肩を軽く押されて布団に逆戻りした。ヤバい。
「好きなホラー映画は?」
白いガイコツ?のお面を付けた男は、バタフライナイフをマイクに見立てて顔に寄せる。頬に冷たさを感じた。本物らしい。
もしかしなくてもナマエ死ぬのでは?と冷や汗タラタラで答える。
「ええっと…貞子VS伽倻子」
「へえ、良いね。マイナー寄りの邪道で」
「あと…カルトとか…」
「…」
「キラー・ジーンズも見たよ」
「血迷ったC級しか無いじゃん!」
不審者はC級ホラーをお気に召さなかったらしい。そんなこと言われても、ホラーの低予算は宿命。B級を数打てば同じ数以上のC級が世に出てくる。それは仕方なくないか?
「そういうことを言ってるんじゃない。なんでそんな変なのだけしか観てないの?って聞いてるんだよ。
映画館で見たらポップコーン食べる手が止まんないヤツばっかじゃん」
「失礼な。デッド寿司とかも見たよ」
「結局C級じゃねえか!」
よく見たら不審者はこんな梅雨の時期にペカペカの黒いレザーを着込んでいる。差し込まれた足がじんわり暑くてナマエまで暑くなって来た。
ついでに言うと、彼の語るホラー映画論にも熱が入って来て尚暑い。
「もっと見るべきホラー映画あるでしょ?第一、この顔見てなんも思わないわけ?」
「なにも…」
「…君ホラー映画好きじゃないの?あんなにホラー映画の棚を熱心に観てたし借りてるのに」
「なんで知ってるの?」
「君のことなら大体なんでも知ってるよ」
「ストーカー」
「追っかけって言って欲しいな」
「ストーカーじゃん」
堂々と付け回していたことを暴露する不審者は、ナイフをくいくいと動かしてジェスチャーする。早く続きを話せと言っているらしい。
ナマエがじっとりと見れば「照れるなあ」と茶化した。ダメだこいつ。
「パリス・ヒルトンがそもそも好きなんだけど」
「うん」
「パリスの出てる映像媒体を漁ったときに出て来た、ブライアン・ヴァン・ホルトの顔が好みで」
「蝋人形の館を探してたってワケ?」
「そう」
「…君のタイプはああいうガッシリしたハンサムなの?」
「うん」
不審者は殺し屋としか思えない黒のスーツを腕まくりしてたくし上げると、成人男性にしてはややスレンダーに見える腕をムキ!とさせた。馬鹿らしい擬音だが、ムキ!と表すのが適切なムーブだった。
「どう?」
「…どうって言われても」
ほっせえなあとしか反応を返せない。しかし、なにかそれを言ったら彼を傷付けるような気がしたので、ナマエは口をつぐむ。
気を遣ったわけだが、その反応で彼は察したらしい。不満気に膝の間に捩じ込んだ足を上に動かした。
「ちょ、ちょっと!セクハラだよそれは!」
そういえば冷静にならなくてもやべー状況だったと思い出す。先程までテンション駄々下がりだった不審者は、嫌がったナマエを見て途端にイキイキと喋り出す。随分おしゃべりな不審者である。
「やっとこの状況のヤバさに気付いた?こっちは殺傷能力が高いナイフを持ってるし、君より体格良いし力もある。
お利口さんにして、言う通りにするべきだと思うけど?」
「細いって思われたからってムキになるなんて…」
「違うから」
▽
「ポテトチップスとコーラは用意した?エアコンはキンキンに効いてる?勿論クッションと毛布も必要だよね!」
ナマエの家に不法滞在する不審者は、おおよそ二人掛けソファのやや真ん中寄りの位置に陣取って隣をバスバス叩いている。
その場所に座られると、不審者とナマエは密着して座る羽目になるのだが。押しても動かないし。
諦めて横に座ると、彼は上機嫌で口笛を吹いた。結構うざい性格をしている。
あの後よく分からないまま釈放されたナマエは、オートロックの賃貸に速攻で引っ越した。しかし不審者は一週間足らずで家に出没するようになってしまった。
それどころかBlu-rayを勝手に持ち込んで、人の家の冷蔵庫を物色している。食い物を補充もする。なんてやつだ。
「てゆうかうちのマンションの監視カメラに映ってそうだけどいいの?」
「いいんだよ。“ゴーストフェイス、カメラに捉えられる”ってね」
それは確か、巷で話題の殺人鬼の話だったか。ナマエは新聞を全く見ないタイプなので詳細は知らないが、一時期話題になっていた煽り文句のような気がする。知らんけど。
「ふーん」
「決め台詞なのに!」
元ネタ知らないし、どうでも良かったので適当に流せば彼は不満気である。振ったネタが通じない寂しさは分からんでもないが、ボケを打ち損じた己が悪いので勝手に怒らないで欲しい。
「で、何見るの?」
埒が開かないので、彼セレクトの一本を紹介しろと促す。
彼はフフーンと鼻を鳴らして、レンタルショップの袋から80円のDVDを取り出した。7泊8日が5枚で300円のやつ。
「RECとかどうよ」
「ふーん。どんなの?」
「ドキュメンタリー風ゾンビパニック」
「へえ。てっきり王道で投げてくるかと思ったのに。変化球じゃん」
「やっぱこういうのが良いかなって思い直してね」
「もしかしてビックリ系?」
「…」
ビックリ系らしい。わざわざ変化球を投げてきたせいで下心が見え見えである。
ナマエがリモコンを取るために立ち上がった隙に、彼は更に横にズレて座った。最早隠す気もないらしい。膝の上をポンポン叩いてるのを押し退けて、空間を確保して座る。ケチ!と抗議されたが知ったことではない。
「で、そっちは何を持って来たんだよ」
「ハッピーデスデイとチャイルドプレイの三作目」
白いお面の黒い空洞が口ほどに何かを訴えかけてくる。顔も表情もない癖に、呆れの感情を伝えるのが彼は上手い。
肩を落として「ハァ〜」と板に当たってやる気無くなった時みたいな声を出した。
「君そういうコメディ系変わり種ホラー映画しか見ないわけ?」
「うん。主人公も殺人鬼も親しみやすくてかわいいし」
「ここに一番プリティで親しみやすいシリアルキラーが居るよ」
「アハハ、ほんとに殺人犯だったらとっとと追い出すからね」
「アハハ、今のウソー」