「ああー!」
ナマエは絶叫する。それは、遅刻しそうな時間に起床したからではない。起きたら床の上で、ベッドから追い出されていたことでもない。
枕元には、コードの刺さっていないスマートフォンが転がっている。
見遣ったコードの先には、人を蹴落としてベッドで読書をする元就さんが映った。彼はスマホの充電器を横領し、自身のボディに繋いでいたのだ。
「朝から騒々しい。阿呆は静かに起床が出来ぬのか」
「元就さんがスマホの充電器抜いたからじゃん!」
「我の方が優先であろう。くだらぬ会話に資源を棄てる貴様と違い、我は智を蓄えておる故」
「テメーはご自慢の通信速度で逐一検索すりゃいいじゃねえか!」
言い合っていたらマジで遅刻する。ナマエはその場でパジャマを脱ぎ捨て、制服を着た。
元就さんは「…貴様、外でも脱いでは居らぬだろうな」と文句を言ったが、そんなわけないだろう。此処は家で、部屋に居るのは家族である。どこでもホイホイ着替える痴女ではない。
てか勝手に元就さんが人の布団を横領するから、両親に頼んで新しい布団を買って貰わないとと毎日思っている。
「マジでどうしよう。定期もスマホに入ってるのに。充電無いから定期で電車乗れないんですけど?」
元就さんをじっとりと見れば、彼は鼻を鳴らした。
「フン。有るではないか、最適なデバイスが」
「はあ?」
「…愚かな。其方もしや、忘れておるのではあるまいな」
なにを?という疑念は、人間を一人二人ブッ殺せそうなほど冷たい視線で引っ込められた。
指差す方へ首を向ければ、先日学生プランの延長線で買わされた通信補助装置────いや、時計?なんといえばいいのか。色々使える、名状し難い時計のようなものである。
それが学習机に鎮座していた。
「ああ!カプンコウォッチ!」
「その頭の悪い呼称を止めよ。馬鹿がうつる」
足利社から出ているトモダチウォッチは、AIを朋に!がキャッチコピーのデジタル時計みたいなものである。
その内情は、アンドロイド携帯のAIを腕時計に移し、四六時中AIとのコミュニケーションを容易にするための補助出力装置。
ナマエはこんなもん要らなくないか?と思っていたが、元就さんは勝手にプランを変更して取り寄せていたというオチである。
レンタルらしいので、別に機材代が高付くとかは無いのだが…無いのだが、知らない荷物が届くと人は怯えを抱く。
ナマエはビビり散らしながら受け取り印を押したが、肝心のダンボールは後ろから来た元就さんがウキウキで持って行ってしまった。
そのまま初期設定も勝手にやっていったので「そんなに楽しみだったのか…」とナマエは少し笑顔になってしまったが、元就さんに無言で足を踏まれる。そうではないらしい。
因みにで有るが、AIデータを移すときは有線である。
いや、うーん。そういうところ、あんまりハイテクじゃないと言うか。ホビアニキッズの心はノスタルジーなのは全然嫌いではないと思っているのだが。
ナマエはコードを伸ばして、元就さんの胸の家紋の玉にマイクロBをブッ刺した。玉一個に付き一個ずつ配線が出来るので、なんと三箇所も同時に接続出来る。
そしてお決まりのセリフを吐いた。
「プラグイーン!元就さん.EXE、トランスミッション!」
ウォッチに接続した元就さんがすごく嫌な顔をする。しかし、案外ノリノリらしい。
「文が届いておるぞ。今削除したがな」と普段は全く報告しない情報を共有された。てか待て。消すな。
▽
「ナマエ…それ、素敵なの持ってるのね…」
あんまりにも元就さんが静かだったものだから、腕につけてることすら記憶から消えていた。
それを目敏く見付けたのは、同学年の市さんである。
彼女は「私も、兄さまの為に…買おうかしら」とユラユラしながら近付いて、その白く細い指先で時計でなくナマエの頬をなぞった。なんで?
「兄さまって、VR兄貴?」
「そう…第六天魔王、織田信長モデルの…6Gに繋がるのよ…」
6G!?!?!
ナマエの知らない間に、通信業界は知らない次元に到達していたらしい。2030年頃一般に向けてリリースの目処だと聞いていたが、既に織田では導入されているのか。
「市もね、5Gまでは繋がるんだけど…兄さまみたいに6Gまでは繋がらなくて…やっぱり、市じゃダメなんだわ…」
「いや、今まだ主流4Gだから…はやいよ本当に…こんなローカルネットワーク安芸スクエアとか言ってるのより…」
手首がギチギチと締まった。自動で丁度いい長さに固定してくれるプログラムは、悪用されてナマエに危害を加えている。
市はうっとりと微笑んで、もう片方の手を取った。時計をしていない方の手首に、巻き付くように指が回る。
「私も、ずっとナマエと一緒に居たいな…」
「ファッ!?」
「時計だったら…ううん。市も、兄さまみたいにインターネットサーバーの中で生きるAIだったら… ナマエ、市とずっと一緒に居てくれる?」
予想外の発言にネットミームが溢れる。時計の話をしていたのに、いつのまにか市がナマエと居たい話になっていた。
ナマエはカラカラの喉に唾を流し、「ええっと」とか「あは、は」とかなんとか言いつつ、返す言葉を探す。
“もちろん!”
言った瞬間に市は肉体を捨ててネットナビに転生するだろう。
“無理“
そう、そうなのね…やっぱり、市はダメなのね…
市を泣かせたので隣のクラスの浅井に頭を叩き割られるだろう。
“そんな質問させてごめんね”
そしてナマエは市を優しく抱きしめ、元就さんはナマエの手首を締め千切り切断するだろう。
「市!その様な事を言うな!」
答えあぐねて静かに手を握られるナマエを救ったのは、先ほど悪口を言った相手である。
隣のクラスから正義を背負ってやってきた浅井長政は、太陽光がきらめき反射するヘルメットを被って現れた。その神々しさ、まさに正義の味方。この混沌を打破する、絶対正義である。
「な、長政ぁ!」
「すまぬ、只野ナマエよ。市が手間を取らせたな」
歓喜に震え浅井長政…いや、長政さまを見る。市は驚いては居たが、ここに長政も来たので嬉しそうだった。
ナマエも嬉しくなったが、それを察した元就さんは黙って時計のベルトを引き絞った。マジで手首取れるからもうやめてほしい。
「でも長政さま…市がAIになったら、長政さまとも、ナマエとも一緒に居られるわ… 二人も、AIになって… そしたら、そうね。三人で一つにも成れるのよ… ふふ、ふふふ…」
その発想は盲点である。意識の複合体として存在することで、未来永劫ふたりは一緒ということか。いや、そうはならんやろ。
ナマエはチラリと長政さまを見る。あちらも横目でナマエを見て、咳払いをした。正義に準じた正論を述べるだろう。
「市よ。我らは其々が別の人間だからこそ、己が正義を為せるのだ。みなが一人になっては、正義など何の意味も持たないだろう?
正しさとは、人の集団があるからこそ生まれるものなのだ」
「うお、すげえまともな事言ってる」
「人の弁舌に水を差す、貴様は悪!只野よ、自省しろ!そして正義の鉄槌を受けよ!」
「ダメ…喧嘩しないで…市なんかのために…」
「い、いや!市のせいではない!元々、この娘が市を惑わすから…」
「そうだよ。お市のせいじゃないよ。長政さんが短気なのが悪い」
ナマエは無言で頭をしばかれた。結局しばかれる運命なんじゃないか!
▽
「くだらぬ。正義など、なんの価値も無い。全ての物事は要るか要らぬかであろう」
ふと、元就さんがそんなことを呟いた。
学校では非常に静かで一切ナマエに語り掛けなかったが、帰り道はそうでもないらしい。昼間の話題を蒸し返して文句を言っている。
「そうなの?」
「そうだ。貴様も覚えておけ。他者に依存する価値観など、全く役に立たぬ。どんな手を用いようとも、目的を果たせればそれで良い」
どんな手を使ってでも目的を果たすAIがそう言っていると、説得力がすさまじい。
ナマエはドアの鍵を開けて、自宅へと帰宅する。靴を脱いだタイミングで、元就さんが入った端末がぷつりと切れた。バッテリー不足だろうか?
手を洗って、自室へと戻る。
いつもは玄関のドアに手を掛けた段階で、悪態を吐きながらも元就さんが迎えてくれる筈だ。今日は機嫌でも悪いのだろうかと部屋に踏み入れば、彼は膝を付いていた。
「ぐっ…」
「元就さん!?」
慌てて駆け寄れば、僅かに顔を上げる。その表情は読み取れなかったが、普段あんなに太太しい元就さんがしおらしいなんて有り得ない。余程調子が悪いのだろう。
「電力が足りぬようだ。日中、慣れぬ端末で過ごした故…このままでは、強制シャットダウンするやもしれぬ」
「えっ?それダメなの?」
ナマエは無言でしばかれた。ダメらしい。
「一つだけ…回避する方法がある」
「それって何!?早く教えて!」
「接吻だ」
「携帯会社はすげーもん世に出しちまってんだな」
なんでキスをするとバッテリーの持ちが良くなるのか、ナマエはマジでよく分からない。分からないが、元就さんが言うにはそれしか方法が無いらしい。
「動けぬ。ナマエから口付けよ」
ナマエは恐る恐る元就さんに近付く。目の前に立ち膝を付いて、両手を頭に添えた。
普段であれば元就さんからヘッドバッドやアイアンクローが吹っ飛んでくるのだが、彼は澄ました顔でナマエをじっと見ていた。
「あんまり見られると、その…」
「我は血の通わぬからくりよ。何を恥じる必要がある」
「意思があって人の姿してるんだから、実質的に人間じゃん」
少し驚いた顔をした元就さんは、珍しく嘲笑以外で笑った。
口角をやや上げるだけの、微笑みとは言えない顔であったが、心の底からの笑顔であるとナマエは思った。
「そうか。我を人と申すか。この日輪の申し子を」
その言い振りは、AIであることやアンドロイド携帯であることに言及したと思うには、少し含みがあった。
ナマエは僅かな違和感に頭を捻りながらも、妥協案を出す。元就さんが珍しく刺々しくない雰囲気を纏っているので、尚のこと恥ずかしくなったのである。
「ほっぺじゃダメ?」
「ならぬ」
ナマエは意を決して、目を薄く閉じた。照れから来る荒い息遣いがバレたのか、元就さんが馬鹿にするように笑う。
その息が当たって、ナマエはやっぱり決心が付かずにまた少し顔を離した。
「普段の威勢はどうした」
あちらが困っているからこうなっているというのに、随分楽しげである。
ナマエは全てが腑に落ちない気持ちになりつつも、煽られたことでヤケになって来たので思い切って唇を重ねる。
ン、と元就さんがみじろぎする。そのまま何故か手が頭に回った。ガッチリホールドされて、飛び退こうとしようにも馬鹿みてえに頭を鷲掴まれている。
そのままフニフニと角度を変えて啄まれれば、羞恥や戸惑いは薄れて、雑念が頭に浮かぶ。元就さん、唇やわらかいな!と。
意外にも肉感の強い身体に感動していれば、表皮を薄く舐められる。舌は非常に熱く、排熱だけの温もりではないように思った。
「フン。足りぬが妥協してやろう」
悩ましげに息を吐いた元就さんは、ナマエの頭を解放する。そのまま定位置である人のベッドに腰掛けて、いつも通りにふんぞり返った。
「ありがとう…?」
何故ナマエが礼を述べているのか。
ぜったいあっちが助けられた側では?と思ったが、言及せずに閉口した。レスバに発展したとて、元就さんは間違いなく折れないのでナマエが困るだけだからだった。
「日輪が落ちる頃、必ず我に口付けよ」
「マジ?」
「有事に冗談なぞを、この我が申したことが有ったか?」
確かに元就さんは、元から滅多に冗談は言わないし、何か目的があってそれに専心している時、まったく遊び心などを持たない人である。
随分爛れたバッテリーのチャージ方法であったが、元就さんがそういうのであればそうなのだろう。ナマエは「ごめんごめん」と謝って、元就さんに約束をする。
元就さんは「愚か愚か」と愉快そうに笑っていたが、先程のやさしめの微笑みとかでなく、なんか謀ってそうな────策を弄して既に一手打ったような、そんな笑顔であった。